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第7話 宮廷の波紋
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王都アイゼルは、春の訪れとともに新しい空気に包まれていた。
だが、王城の中は花の香りとは裏腹に、重苦しい緊張が漂っている。婚約破棄劇からわずか数日。王太子エドワードの失態、そして第二王子アーロンの反逆行為が、瞬く間に宮廷中に広がっていた。
「……殿下、重臣たちの会議の場では、すでに“王位継承問題”が口にされ始めております」
補佐官の報告に、エドワードの眉がわずかにひきつった。
「王位継承問題、だと?」
「はい。第二王子殿下の支持者が動いております。“真に王にふさわしいのは誰か”という声が……」
エドワードは机を拳で叩いた。
「馬鹿げている! 弟が女一人庇ったくらいで、何を騒ぐ!」
怒声が響き、室内の侍従たちは身をすくめる。
ミリアがそっと立ち上がり、彼の腕を取った。
「殿下……落ち着いて。今は感情ではなく、冷静に動くべきですわ。わたくしたちの立場を保つには、世間を味方につけることが何より大切です」
その声音はやわらかく甘美だったが、その瞳の奥にあるのは冷静な打算だった。
「世間?」
「はい。今、王都の貴婦人たちは“冷たいリシェル”の話題でもちきりです。あの方が殿下を侮辱し、第二王子を誘惑して逃げたと噂されていますわ」
ミリアの口元が少しだけ愉快そうに歪む。
「このまま放っておけば、誰もお姉様の味方などしません。殿下はむしろ被害者として同情を集めるでしょう」
「おまえ……あの女をどこまで憎んでいる」
「憎しみなどありませんわ。ただ、お姉様が悪役でいてくださらないと、わたくしが立つ場所がなくなってしまうだけです」
その言葉の冷たさに、エドワードは一瞬怯えたようにミリアを見た。
だが、彼にはもうそれを止めるだけの余裕がなかった。
「……やはり、あの女を捕らえねばならぬ。アーロンもろとも排除すれば、王家の秩序は守られる」
「では、追討の命令を強化いたしますか?」
「ああ。王都内の兵だけで足りぬ。北部の領主たちにも通達を出せ。あの二人を匿う者は、反逆罪と見なす」
その言葉は即座に広がり、国中の貴族たちの耳に届いた。
リシェルとアーロンの名は、いつしか“裏切り者”として扱われ始める。
しかし同時に、“正義の王子”としてアーロンを讃える声も一部で高まりを見せていた。
王城の陰の回廊では、囁きが絶えなかった。
「第二王子が本当に兄を追い落とす気か」
「いや、女の情に狂っただけさ」
「だが、彼が王座につけば、この国は変わる――」
その噂の渦中、王妃エレノラがひそやかに玉座の間へ足を踏み入れた。
しなやかな金髪と深紅の瞳を持つ彼女は、この国で最も頭の切れる女と言われている。
「……また血を流すような内乱を起こすつもりではないでしょうね、エドワード」
「母上、これは国家の秩序を守るためです」
「秩序? それは、罪なき者を踏みにじることで得られるものではありません」
王妃の声が冷ややかに響き、空気が張りつめる。
「あなたはあまりに短絡的。あのリシェルという娘を甘く見ている」
「……あの女はただの落ちぶれた令嬢です」
「違うわ。あの娘は“民の心”を動かした。王子の暴走よりも、王太子妃の冷酷な破棄劇こそが、いま民の怒りを集めている」
エドワードは目を見開いた。
「な、何を……!」
「王族が民にどう映るか、それこそが王国の存立を左右する。あなたの行いは、王の器を疑わせたのよ」
その言葉に、エドワードは唇を噛みしめる。
王妃は静かに背を向け、扉の前で立ち止まった。
「アーロンを敵に回すのなら、覚悟しなさい。あの子は私に似て、決して諦めを知らぬ」
王妃が去ったあと、エドワードの拳が震えた。
自尊心と恐怖が入り混じる。
だが、その夜、彼はひとつの決断を下した。
「よいか、ミリア。アーロンとあの女を生かしておくものか。必ず追い詰めろ」
「はい、殿下。ですが……どこで?」
「国を出ようとすれば、必ず誰かが通報する。国境の警備に命じろ。見つけ次第、拘束だ」
ミリアは恭しくうなずき、微笑んだ。その微笑みは、花のように美しく恐ろしい。
そのころ――。
辺境の宿場にて、リシェルは泊まり客の少ない部屋の窓辺に立っていた。
外は薄明の白。まだ春の気配は遠く、木々の間には雪が残っている。
アーロンは隣の部屋で馬を整えていた。
夜明けの空気に冷たい静けさが混ざるたび、彼の金の瞳が光に染まり、決意を映していく。
「ご準備は?」
「できた。……だが、たぶんここが最後の静かな夜だったな」
「王城が動いているのですね」
「ああ。兄上は恐れている。俺が真実を掴み、証を民の目に晒すことを」
リシェルはそっと拳を握った。
あの夜、父が言った言葉が今も胸に残っている――“おまえは母に似ている”。
母もまた、真実を知ったがゆえに命を狙われた。
もしかすると、この国の腐敗の根はもっと深いのではないか。
そんな予感が、胸の奥で燃え上がっていく。
「アーロン。わたくし……王妃に会ってみたいのです」
「母上に?」
「ええ。あの方は、あの夜の会場でただ一人、終始冷静に見ておられた。もしかすると、何かご存じかもしれません」
アーロンはしばし黙したあと、頷いた。
「危険だが……あり得る話だ。母上は宮廷の裏を熟知している。兄上が動く前に母上が接触を図るかもしれない。もし会えるなら、聞く価値はある」
外の風が強まり、窓がかすかに鳴る。
空は静かに曇り、遠い国境の方角に黒い雲が渦を巻いていた。
それはまるで、これから訪れる嵐の予兆のようだった。
その夜、王城の北塔で王妃はひとり、古い書簡を手にしていた。
封蝋には“グレイス”の紋章。
小さな灯火の中、彼女は独り言のように呟いた。
「……やはり、動く時が来たのね。リシェル、あなたが鍵だわ」
続く
だが、王城の中は花の香りとは裏腹に、重苦しい緊張が漂っている。婚約破棄劇からわずか数日。王太子エドワードの失態、そして第二王子アーロンの反逆行為が、瞬く間に宮廷中に広がっていた。
「……殿下、重臣たちの会議の場では、すでに“王位継承問題”が口にされ始めております」
補佐官の報告に、エドワードの眉がわずかにひきつった。
「王位継承問題、だと?」
「はい。第二王子殿下の支持者が動いております。“真に王にふさわしいのは誰か”という声が……」
エドワードは机を拳で叩いた。
「馬鹿げている! 弟が女一人庇ったくらいで、何を騒ぐ!」
怒声が響き、室内の侍従たちは身をすくめる。
ミリアがそっと立ち上がり、彼の腕を取った。
「殿下……落ち着いて。今は感情ではなく、冷静に動くべきですわ。わたくしたちの立場を保つには、世間を味方につけることが何より大切です」
その声音はやわらかく甘美だったが、その瞳の奥にあるのは冷静な打算だった。
「世間?」
「はい。今、王都の貴婦人たちは“冷たいリシェル”の話題でもちきりです。あの方が殿下を侮辱し、第二王子を誘惑して逃げたと噂されていますわ」
ミリアの口元が少しだけ愉快そうに歪む。
「このまま放っておけば、誰もお姉様の味方などしません。殿下はむしろ被害者として同情を集めるでしょう」
「おまえ……あの女をどこまで憎んでいる」
「憎しみなどありませんわ。ただ、お姉様が悪役でいてくださらないと、わたくしが立つ場所がなくなってしまうだけです」
その言葉の冷たさに、エドワードは一瞬怯えたようにミリアを見た。
だが、彼にはもうそれを止めるだけの余裕がなかった。
「……やはり、あの女を捕らえねばならぬ。アーロンもろとも排除すれば、王家の秩序は守られる」
「では、追討の命令を強化いたしますか?」
「ああ。王都内の兵だけで足りぬ。北部の領主たちにも通達を出せ。あの二人を匿う者は、反逆罪と見なす」
その言葉は即座に広がり、国中の貴族たちの耳に届いた。
リシェルとアーロンの名は、いつしか“裏切り者”として扱われ始める。
しかし同時に、“正義の王子”としてアーロンを讃える声も一部で高まりを見せていた。
王城の陰の回廊では、囁きが絶えなかった。
「第二王子が本当に兄を追い落とす気か」
「いや、女の情に狂っただけさ」
「だが、彼が王座につけば、この国は変わる――」
その噂の渦中、王妃エレノラがひそやかに玉座の間へ足を踏み入れた。
しなやかな金髪と深紅の瞳を持つ彼女は、この国で最も頭の切れる女と言われている。
「……また血を流すような内乱を起こすつもりではないでしょうね、エドワード」
「母上、これは国家の秩序を守るためです」
「秩序? それは、罪なき者を踏みにじることで得られるものではありません」
王妃の声が冷ややかに響き、空気が張りつめる。
「あなたはあまりに短絡的。あのリシェルという娘を甘く見ている」
「……あの女はただの落ちぶれた令嬢です」
「違うわ。あの娘は“民の心”を動かした。王子の暴走よりも、王太子妃の冷酷な破棄劇こそが、いま民の怒りを集めている」
エドワードは目を見開いた。
「な、何を……!」
「王族が民にどう映るか、それこそが王国の存立を左右する。あなたの行いは、王の器を疑わせたのよ」
その言葉に、エドワードは唇を噛みしめる。
王妃は静かに背を向け、扉の前で立ち止まった。
「アーロンを敵に回すのなら、覚悟しなさい。あの子は私に似て、決して諦めを知らぬ」
王妃が去ったあと、エドワードの拳が震えた。
自尊心と恐怖が入り混じる。
だが、その夜、彼はひとつの決断を下した。
「よいか、ミリア。アーロンとあの女を生かしておくものか。必ず追い詰めろ」
「はい、殿下。ですが……どこで?」
「国を出ようとすれば、必ず誰かが通報する。国境の警備に命じろ。見つけ次第、拘束だ」
ミリアは恭しくうなずき、微笑んだ。その微笑みは、花のように美しく恐ろしい。
そのころ――。
辺境の宿場にて、リシェルは泊まり客の少ない部屋の窓辺に立っていた。
外は薄明の白。まだ春の気配は遠く、木々の間には雪が残っている。
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夜明けの空気に冷たい静けさが混ざるたび、彼の金の瞳が光に染まり、決意を映していく。
「ご準備は?」
「できた。……だが、たぶんここが最後の静かな夜だったな」
「王城が動いているのですね」
「ああ。兄上は恐れている。俺が真実を掴み、証を民の目に晒すことを」
リシェルはそっと拳を握った。
あの夜、父が言った言葉が今も胸に残っている――“おまえは母に似ている”。
母もまた、真実を知ったがゆえに命を狙われた。
もしかすると、この国の腐敗の根はもっと深いのではないか。
そんな予感が、胸の奥で燃え上がっていく。
「アーロン。わたくし……王妃に会ってみたいのです」
「母上に?」
「ええ。あの方は、あの夜の会場でただ一人、終始冷静に見ておられた。もしかすると、何かご存じかもしれません」
アーロンはしばし黙したあと、頷いた。
「危険だが……あり得る話だ。母上は宮廷の裏を熟知している。兄上が動く前に母上が接触を図るかもしれない。もし会えるなら、聞く価値はある」
外の風が強まり、窓がかすかに鳴る。
空は静かに曇り、遠い国境の方角に黒い雲が渦を巻いていた。
それはまるで、これから訪れる嵐の予兆のようだった。
その夜、王城の北塔で王妃はひとり、古い書簡を手にしていた。
封蝋には“グレイス”の紋章。
小さな灯火の中、彼女は独り言のように呟いた。
「……やはり、動く時が来たのね。リシェル、あなたが鍵だわ」
続く
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