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第10話 見抜かれた嘘
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王都の塔を遠くに見ながら、アーロンとリシェルは街道を南から回り込み、王妃が示した“ルーベンスの礼拝堂”に近づいていた。
空は曇り、春の陽が翳っている。どこか不吉な重さが、足音にまとわりつくようだった。
「静かですね……何も動いていない」
リシェルが周囲を見渡すと、苔むした石壁が並び、忘れ去られた聖堂の尖塔が灰色の空に突き刺さっていた。
外壁には蔦が這い、窓は割れ、鐘楼は崩れかけている。
「昔はここに巡礼者が絶えなかったと聞いているが、今は廃墟同然だ」
アーロンが返し、馬の手綱を引く。
風が吹き抜け、扉がわずかに軋んだ。
「本当に……ここに真実が?」
不安の声に、アーロンは短く頷いた。
「母上があのような書簡を送るとは思えないが、確証を得るしかない」
二人は中に入った。
礼拝堂の内部は薄暗く、古いステンドグラスの色が床に破片のように落ちていた。
祈壇の前には古びた十字像があり、その背面には地下への入口らしき扉が隠されている。
アーロンが慎重に周囲を確かめながら、封印の印を外した。
「開く……だが、何か……」
扉が軋んで開くと同時に、床がわずかに鳴った。
遅れて壁の奥から微かな金属音――。
矢が突き刺さる音が、空気を裂いた。
「下がれ!」
アーロンがリシェルを抱き寄せるように覆い、次の瞬間、礼拝堂の高窓から無数の影が飛び込んできた。
黒い外套を纏った兵士たち、全員が王家の紋章を肩に刻んでいる。
「やはり罠か……」
「アーロン、殿下、王太子の兵――!」
リシェルが叫んだ時にはすでに囲まれていた。
兵士たちの中央に、一際立派な紺の外套をまとった男が姿を現す。
その金の髪が光に反射する。
「……エドワード」
アーロンの低い声が、石壁の中に響いた。
「久しいな、弟よ」
王太子エドワードは冷ややかに笑った。その後ろには、控えめにミリアの姿もあった。
「兄上……母上の名を騙って俺たちを誘い出したか」
「違うな。母上がそんな手紙を出したと、どうして信じた?」
エドワードは皮肉げに笑いながら懐から封筒を取り出した。
「これは本物だ。王妃の印は確かにここにある。だが、中身を入れ替えたのは、誰だと思う?」
「……まさか!」
「その“まさか”をやってのけたのが、私の愛しいミリアだ」
リシェルが息を飲む。
ミリアは微笑んで一歩前に出た。
「お姉様、お会いできて嬉しいわ。殿下のおそばにいられるのも、あなたのおかげよ」
「あなたが……王妃の封書を?」
「ええ。お姉様にふさわしい“舞台”が必要だったの。人前で殿下を見捨て、王族の反逆者として断罪される――そんな結末が」
彼女の瞳は狂おしいほど穏やかだった。
エドワードが続けた。
「今ここにいるお前たちは、国家反逆罪の共犯者として裁かれる。母上も、今はもう手出しできぬ。王家の法は俺のものだ」
その瞬間、リシェルの胸を痛みが貫いた。
王妃が密かに味方であったことを信じていた。だが、すべてが操られていた。
アーロンは剣を構える。
「この国を腐らせているのは、お前だ、兄上。俺が立つのは反逆ではない。正義のためだ」
「正義? 弟にそんな言葉を使う資格があると思うか?」
「資格を決めるのは血筋ではない。心だ」
「ならば、その心とやらが何人の兵の剣に砕かれるか、試してみるがいい!」
兵たちが一斉に剣を抜き、刃が月光を反射した。
狭い礼拝堂が戦場と化す。
アーロンが飛び込み、最前列の兵を薙ぎ払う。金属の音、激しい足音、そして叫び声。
リシェルは壁に身を寄せ、ただ彼の背を見つめることしかできなかった。
数の差は圧倒的だった。
アーロンが負傷した兵を避けながら前へ出るたび、剣先が次々と閃光を描いた。
だが、彼の肩に矢が一本突き刺さった。
鋭い嗚咽。膝をつく。
「アーロン!」
リシェルが駆け寄ると、すぐに兵士がふたり彼女の前に立ちはだかった。
彼女は震える手を伸ばしたが、その瞬間――。
「下がっていろ!」
アーロンが痛みを押して兵士の腕を斬る。返り血が飛ぶ。
ミリアはその光景を見て満足げに頷き、王太子に囁く。
「ほらご覧なさい、殿下。やはり彼は、剣による暴に頼る男。王にふさわしくありませんわ」
エドワードは冷たく目を細めた。
「確かに。血を流すだけの獣だ」
アーロンは歯を食いしばり、言い返す。
「血を流す勇気もなく、権力の影に隠れる王よりは、まだましだ」
次の瞬間、外で爆ぜるような音が響いた。
礼拝堂の扉が勢いよく開き、灰色の外套をまとった影が数人駆け込む。
その先頭に立つのは、金糸の裾を揺らす女性――王妃エレノラだった。
「そこまでにしなさい!」
凛とした声が堂内を走り、一瞬で場が静まった。
王妃の姿に兵たちは道を開け、王太子でさえ動きを止めた。
「母上……!」
エドワードが驚いた声を漏らす。
エレノラはゆっくりと歩き、祭壇の前に立った。
「愚かな息子。いつからその手を血で染めることを、王の証だと思い込んだの」
「私は……この国を守るために――!」
「違う。お前が守りたいのは自分だけ」
王妃が手を上げると、従者が一冊の帳面を差し出した。
それは古い王家の記録台帳であり、表紙には王印の金文字が刻まれている。
「見覚えがあるでしょう? これは、十八年前に隠蔽された王家の出生記録。……お前のものよ、エドワード」
彼女の言葉に、王太子の顔色が変わった。
「な、何を……」
「お前は、王と正妃の子ではない。かつて私に仕えていた侍女の息子。陛下が正妃の体裁を保つため、偽りを重ねた結果がこれ」
沈黙。
礼拝堂の空気が裂けるように冷たくなる。
ミリアが小さく後ずさる。
「そ、そんなはずは――」
「信じたいなら、これを読め。王家の血が証明する」
エレノラは冷たく言い放った。
「真に王の血を継ぐのは、アーロン。あなたよ」
アーロンが黙って顔を上げる。
リシェルの胸が高鳴る。
「殿下……」
「まさか、そんな……」
エドワードは青ざめ、ふらつきながら後ずさった。
「嘘だ……! そんなもの、認められるか!」
「嘘ではない。王の命の最後に、自ら残した証よ。真実を恐れ続けたのは、陛下でもあった」
エレノラの言葉は、硬い鐘の音のように響いた。
そして静かな一拍ののち、崩れるような怒声が上がる。
「殺せ! あの女も、アーロンも、皆殺しにしろ!」
エドワードが叫び、兵たちが動く。しかし、王妃の従者たちが先に剣を抜き、衝突が再び始まった。
混乱の中、アーロンはリシェルの手を取る。
「もうここには留まれない。母上と合流し、外へ!」
「でもあなたの傷が――」
「今は生きろ!」
礼拝堂の裏口へ走り抜ける。
背後で王太子の怒声、鉄のぶつかる音、炎のような叫びが響く。
雪解け水を踏み越えながら、リシェルは振り返った。
祭壇の前で王妃が一歩も退かず、兵に向かって立ちはだかっていた。
その凛然たる姿は、まるで王そのもののように見えた。
「母上……必ず戻ります!」
アーロンの叫びは風にかき消された。
遠くで雷鳴が轟き、黒雲が王都を覆う。
その下で、すべての運命が音を立てて動き始めていた。
続く
空は曇り、春の陽が翳っている。どこか不吉な重さが、足音にまとわりつくようだった。
「静かですね……何も動いていない」
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外壁には蔦が這い、窓は割れ、鐘楼は崩れかけている。
「昔はここに巡礼者が絶えなかったと聞いているが、今は廃墟同然だ」
アーロンが返し、馬の手綱を引く。
風が吹き抜け、扉がわずかに軋んだ。
「本当に……ここに真実が?」
不安の声に、アーロンは短く頷いた。
「母上があのような書簡を送るとは思えないが、確証を得るしかない」
二人は中に入った。
礼拝堂の内部は薄暗く、古いステンドグラスの色が床に破片のように落ちていた。
祈壇の前には古びた十字像があり、その背面には地下への入口らしき扉が隠されている。
アーロンが慎重に周囲を確かめながら、封印の印を外した。
「開く……だが、何か……」
扉が軋んで開くと同時に、床がわずかに鳴った。
遅れて壁の奥から微かな金属音――。
矢が突き刺さる音が、空気を裂いた。
「下がれ!」
アーロンがリシェルを抱き寄せるように覆い、次の瞬間、礼拝堂の高窓から無数の影が飛び込んできた。
黒い外套を纏った兵士たち、全員が王家の紋章を肩に刻んでいる。
「やはり罠か……」
「アーロン、殿下、王太子の兵――!」
リシェルが叫んだ時にはすでに囲まれていた。
兵士たちの中央に、一際立派な紺の外套をまとった男が姿を現す。
その金の髪が光に反射する。
「……エドワード」
アーロンの低い声が、石壁の中に響いた。
「久しいな、弟よ」
王太子エドワードは冷ややかに笑った。その後ろには、控えめにミリアの姿もあった。
「兄上……母上の名を騙って俺たちを誘い出したか」
「違うな。母上がそんな手紙を出したと、どうして信じた?」
エドワードは皮肉げに笑いながら懐から封筒を取り出した。
「これは本物だ。王妃の印は確かにここにある。だが、中身を入れ替えたのは、誰だと思う?」
「……まさか!」
「その“まさか”をやってのけたのが、私の愛しいミリアだ」
リシェルが息を飲む。
ミリアは微笑んで一歩前に出た。
「お姉様、お会いできて嬉しいわ。殿下のおそばにいられるのも、あなたのおかげよ」
「あなたが……王妃の封書を?」
「ええ。お姉様にふさわしい“舞台”が必要だったの。人前で殿下を見捨て、王族の反逆者として断罪される――そんな結末が」
彼女の瞳は狂おしいほど穏やかだった。
エドワードが続けた。
「今ここにいるお前たちは、国家反逆罪の共犯者として裁かれる。母上も、今はもう手出しできぬ。王家の法は俺のものだ」
その瞬間、リシェルの胸を痛みが貫いた。
王妃が密かに味方であったことを信じていた。だが、すべてが操られていた。
アーロンは剣を構える。
「この国を腐らせているのは、お前だ、兄上。俺が立つのは反逆ではない。正義のためだ」
「正義? 弟にそんな言葉を使う資格があると思うか?」
「資格を決めるのは血筋ではない。心だ」
「ならば、その心とやらが何人の兵の剣に砕かれるか、試してみるがいい!」
兵たちが一斉に剣を抜き、刃が月光を反射した。
狭い礼拝堂が戦場と化す。
アーロンが飛び込み、最前列の兵を薙ぎ払う。金属の音、激しい足音、そして叫び声。
リシェルは壁に身を寄せ、ただ彼の背を見つめることしかできなかった。
数の差は圧倒的だった。
アーロンが負傷した兵を避けながら前へ出るたび、剣先が次々と閃光を描いた。
だが、彼の肩に矢が一本突き刺さった。
鋭い嗚咽。膝をつく。
「アーロン!」
リシェルが駆け寄ると、すぐに兵士がふたり彼女の前に立ちはだかった。
彼女は震える手を伸ばしたが、その瞬間――。
「下がっていろ!」
アーロンが痛みを押して兵士の腕を斬る。返り血が飛ぶ。
ミリアはその光景を見て満足げに頷き、王太子に囁く。
「ほらご覧なさい、殿下。やはり彼は、剣による暴に頼る男。王にふさわしくありませんわ」
エドワードは冷たく目を細めた。
「確かに。血を流すだけの獣だ」
アーロンは歯を食いしばり、言い返す。
「血を流す勇気もなく、権力の影に隠れる王よりは、まだましだ」
次の瞬間、外で爆ぜるような音が響いた。
礼拝堂の扉が勢いよく開き、灰色の外套をまとった影が数人駆け込む。
その先頭に立つのは、金糸の裾を揺らす女性――王妃エレノラだった。
「そこまでにしなさい!」
凛とした声が堂内を走り、一瞬で場が静まった。
王妃の姿に兵たちは道を開け、王太子でさえ動きを止めた。
「母上……!」
エドワードが驚いた声を漏らす。
エレノラはゆっくりと歩き、祭壇の前に立った。
「愚かな息子。いつからその手を血で染めることを、王の証だと思い込んだの」
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「見覚えがあるでしょう? これは、十八年前に隠蔽された王家の出生記録。……お前のものよ、エドワード」
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リシェルの胸が高鳴る。
「殿下……」
「まさか、そんな……」
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「嘘だ……! そんなもの、認められるか!」
「嘘ではない。王の命の最後に、自ら残した証よ。真実を恐れ続けたのは、陛下でもあった」
エレノラの言葉は、硬い鐘の音のように響いた。
そして静かな一拍ののち、崩れるような怒声が上がる。
「殺せ! あの女も、アーロンも、皆殺しにしろ!」
エドワードが叫び、兵たちが動く。しかし、王妃の従者たちが先に剣を抜き、衝突が再び始まった。
混乱の中、アーロンはリシェルの手を取る。
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「でもあなたの傷が――」
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背後で王太子の怒声、鉄のぶつかる音、炎のような叫びが響く。
雪解け水を踏み越えながら、リシェルは振り返った。
祭壇の前で王妃が一歩も退かず、兵に向かって立ちはだかっていた。
その凛然たる姿は、まるで王そのもののように見えた。
「母上……必ず戻ります!」
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その下で、すべての運命が音を立てて動き始めていた。
続く
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