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第12話 王子の手に導かれて
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朝靄に包まれた王都は、まだ眠りから醒めきっていなかった。だが、人々の間には奇妙なざわめきがあった。
城門の前に掲げられた布告――「反逆者リシェル・グレイスの公開処刑」――その文が、町の端から端まで噂となり、酒場でも市場でも、誰もがその名を囁いていた。
「侯爵令嬢が王に背いたんだとさ」
「第二王子まで関わったらしい。まるで昔話みたいじゃないか」
「可哀想にな。あの娘、前の婚約者に捨てられたらしいよ」
その声の一つ一つが、薄い刃のように風を切る。
だが王城の最上階では、別の沈黙が支配していた。
リシェルは両手を拘束され、冷たい石の床に座っていた。
広間の高い天窓から射す光が、煤けた壁に反射して彼女の頬を照らす。
その顔には疲労が刻まれていたが、瞳だけは曇らなかった。
見上げた先に広がる空は、今にも雨を降らせそうな鈍い光を帯びている。
門前の遠くで鐘が鳴った。それは正午を告げる前触れだった。
――あと半日。
その先に何が待つかは分かっている。それでも、恐怖より先に浮かぶのは、もう一度アーロンに会いたいという願いだった。
牢番が扉を開け、冷たく言った。
「王太子殿下がお見えだ。最後の言葉を預かりに来られた」
リシェルはゆっくり立ち上がり、囚衣の裾を整えた。
足首には鎖、腕には痣。だがその動作ひとつひとつに、もはや屈辱の姿はなかった。
入ってきた影が一歩踏み出す。黄金の髪を揺らし、深紅の外套をたなびかせたその男――エドワードだった。
「久しいな」
「……ええ。お久しぶりです、殿下」
リシェルは冷静に答えた。
彼は笑みを作った。だがそれは人を見下ろすような、歪んだものだった。
「本当はな、こうしたくはなかった。すべてはお前が愚かな選択をしたからだ。弟にそそのかされ、王を欺いた。結果がどうなったか、理解しているだろう?」
「ええ。殿下の“王家”という幻を守ることが、この国の正義なのでしょうね」
「……口の減らぬ女だ。だが、その誇りも今日までだ」
エドワードはテーブルに置かれていた書状を広げた。王妃の署名が見える。
「王妃は陛下の健康を理由に王政を一時的に代理している。この書面に従い、お前の処刑を確定とする」
「王妃様が? そんなはずは……」
「彼女が自ら署名した。そもそも、母上がこれほどまでにお前を庇う理由はない」
信じがたい言葉だった。
王妃は、あの夜命を懸けて真実を示した女性だ。その人が、こんな命令を出すとは思えない。
だが、信じるための証もない。
リシェルは小さく目を閉じた。
「殿下、どうぞご自由に。わたくしの命で、あなたの王座が守られるのなら」
「……最後まで生意気な女だ」
吐き捨てるように言って、エドワードは憎しみを押し隠す笑みを浮かべた。
そのとき、廊下の向こうで物音がした。
兵が慌てて走り込み、声を上げる。
「報告、王太子殿下! 第二王子の部隊が王城の西門を突破しました!」
「なに……?」
エドワードの顔が蒼ざめた。
リシェルの胸が跳ね上がる。
一瞬の希望と、同時に恐怖が襲う。
(来てはだめ……あなたまで失ってしまう)
すぐに号令が響き、兵たちが走り出す。
エドワードは舌打ちし、扉を閉めた。
「どうせ無駄な足掻きだ。奴がここまで来られるはずは――」
言葉の途中で、轟音が室内を揺さぶった。
壁が崩れ、白煙が吹き込む。
鎖の音、弾ける音、そして――彼が現れる。
黒い外套をはためかせ、剣を抜いたアーロンが、崩れた壁の中から現れた。
銀の光が走り、兵士の剣を弾き飛ばす。
見開かれたリシェルの目の前に、彼はまっすぐ立っていた。
「リシェルを連れて行く」
その声は澄んでいて、誰の命令も受けぬ王のようだった。
「アーロンっ、来ては駄目です!」
「言っただろう。必ず迎えに行くと」
真っ直ぐに差し伸べられた手。その掌が震えているのは、恐れではなく焦りと愛しさのせいだった。
リシェルは一歩踏み出し、鎖の音を鳴らす。
「足が……」
「時間はない。離れろ!」
アーロンが剣を振ると鎖が断たれた。鉄の音が床を転がり落ち、一瞬の静寂が訪れた。
リシェルはその手を掴み、引き寄せられるように立ち上がる。
煙に包まれる中、エドワードが怒声を上げた。
「裏切り者どもを捕えろっ!!」
だが、兵たちが動くより先に、爆ぜる音が再び走る。
アーロンの仲間が塔の外壁に火薬を仕掛けていた。
黒煙と炎が階段を塞ぎ、視界が開ける。
アーロンがリシェルの腰に腕を回した。
「飛べ!」
「え……え?」
次の瞬間、二人は崩れた壁の外へ躍り出た。
風が頬を裂き、世界が反転する。鳥のように自由で、同時に恐ろしくもあった。
地面が迫る直前、アーロンが盾を広げ、古代の魔導装置を起動させる。青い光が周囲を包み、風圧を柔らげた。
二人は小川の岸に転がり、泥と光の中に息を吐く。
「生きてる……?」
「君が俺の手を放さなかったからな」
笑みがこぼれた。
リシェルが涙を滲ませて答える。
「放すはずありません。あなたが導いてくれた道なのですから」
だが安堵も束の間、遠くの塔から鐘の音が再び響く。
「追っ手が来る。森へ!」
アーロンが手を引き、二人は濃い森へ駆け込んだ。
幾重にも枝が伸びる中を走り、やがて古い石橋の前で立ち止まる。
川面に映る二人の姿は、血と泥にまみれていたが、目の中には同じ光が宿っていた。
「これからどうなっても構いません。ただ、あなたとなら」
「違う。君を生かすために、これから戦う」
リシェルが微笑み、首を振る。
「あなたが生きることが、わたしの願いです。それなら、この手を離して」
「離すものか。俺の生きる理由は君だ」
その瞬間、煙を切るように声が響いた。
「そこだ、逃がすな!」
追手だ。
アーロンは再び剣を抜き、リシェルを背に庇う。
剣と剣がぶつかる音の中で、彼女はその背を見つめる。
――いつか、この背に並んで立てる日がくるのだろうか。
その思いのまま、彼女も短剣を抜いた。
アーロンが振り向き、わずかに頷いた。
二人は並び立つ。
月が雲を破り、光が差し込む。その光が、ふたりの姿を照らしていた。
かつて囚われの令嬢と孤高の王子だった二人が、今ここで同じ運命の道を歩き始めていた。
続く
城門の前に掲げられた布告――「反逆者リシェル・グレイスの公開処刑」――その文が、町の端から端まで噂となり、酒場でも市場でも、誰もがその名を囁いていた。
「侯爵令嬢が王に背いたんだとさ」
「第二王子まで関わったらしい。まるで昔話みたいじゃないか」
「可哀想にな。あの娘、前の婚約者に捨てられたらしいよ」
その声の一つ一つが、薄い刃のように風を切る。
だが王城の最上階では、別の沈黙が支配していた。
リシェルは両手を拘束され、冷たい石の床に座っていた。
広間の高い天窓から射す光が、煤けた壁に反射して彼女の頬を照らす。
その顔には疲労が刻まれていたが、瞳だけは曇らなかった。
見上げた先に広がる空は、今にも雨を降らせそうな鈍い光を帯びている。
門前の遠くで鐘が鳴った。それは正午を告げる前触れだった。
――あと半日。
その先に何が待つかは分かっている。それでも、恐怖より先に浮かぶのは、もう一度アーロンに会いたいという願いだった。
牢番が扉を開け、冷たく言った。
「王太子殿下がお見えだ。最後の言葉を預かりに来られた」
リシェルはゆっくり立ち上がり、囚衣の裾を整えた。
足首には鎖、腕には痣。だがその動作ひとつひとつに、もはや屈辱の姿はなかった。
入ってきた影が一歩踏み出す。黄金の髪を揺らし、深紅の外套をたなびかせたその男――エドワードだった。
「久しいな」
「……ええ。お久しぶりです、殿下」
リシェルは冷静に答えた。
彼は笑みを作った。だがそれは人を見下ろすような、歪んだものだった。
「本当はな、こうしたくはなかった。すべてはお前が愚かな選択をしたからだ。弟にそそのかされ、王を欺いた。結果がどうなったか、理解しているだろう?」
「ええ。殿下の“王家”という幻を守ることが、この国の正義なのでしょうね」
「……口の減らぬ女だ。だが、その誇りも今日までだ」
エドワードはテーブルに置かれていた書状を広げた。王妃の署名が見える。
「王妃は陛下の健康を理由に王政を一時的に代理している。この書面に従い、お前の処刑を確定とする」
「王妃様が? そんなはずは……」
「彼女が自ら署名した。そもそも、母上がこれほどまでにお前を庇う理由はない」
信じがたい言葉だった。
王妃は、あの夜命を懸けて真実を示した女性だ。その人が、こんな命令を出すとは思えない。
だが、信じるための証もない。
リシェルは小さく目を閉じた。
「殿下、どうぞご自由に。わたくしの命で、あなたの王座が守られるのなら」
「……最後まで生意気な女だ」
吐き捨てるように言って、エドワードは憎しみを押し隠す笑みを浮かべた。
そのとき、廊下の向こうで物音がした。
兵が慌てて走り込み、声を上げる。
「報告、王太子殿下! 第二王子の部隊が王城の西門を突破しました!」
「なに……?」
エドワードの顔が蒼ざめた。
リシェルの胸が跳ね上がる。
一瞬の希望と、同時に恐怖が襲う。
(来てはだめ……あなたまで失ってしまう)
すぐに号令が響き、兵たちが走り出す。
エドワードは舌打ちし、扉を閉めた。
「どうせ無駄な足掻きだ。奴がここまで来られるはずは――」
言葉の途中で、轟音が室内を揺さぶった。
壁が崩れ、白煙が吹き込む。
鎖の音、弾ける音、そして――彼が現れる。
黒い外套をはためかせ、剣を抜いたアーロンが、崩れた壁の中から現れた。
銀の光が走り、兵士の剣を弾き飛ばす。
見開かれたリシェルの目の前に、彼はまっすぐ立っていた。
「リシェルを連れて行く」
その声は澄んでいて、誰の命令も受けぬ王のようだった。
「アーロンっ、来ては駄目です!」
「言っただろう。必ず迎えに行くと」
真っ直ぐに差し伸べられた手。その掌が震えているのは、恐れではなく焦りと愛しさのせいだった。
リシェルは一歩踏み出し、鎖の音を鳴らす。
「足が……」
「時間はない。離れろ!」
アーロンが剣を振ると鎖が断たれた。鉄の音が床を転がり落ち、一瞬の静寂が訪れた。
リシェルはその手を掴み、引き寄せられるように立ち上がる。
煙に包まれる中、エドワードが怒声を上げた。
「裏切り者どもを捕えろっ!!」
だが、兵たちが動くより先に、爆ぜる音が再び走る。
アーロンの仲間が塔の外壁に火薬を仕掛けていた。
黒煙と炎が階段を塞ぎ、視界が開ける。
アーロンがリシェルの腰に腕を回した。
「飛べ!」
「え……え?」
次の瞬間、二人は崩れた壁の外へ躍り出た。
風が頬を裂き、世界が反転する。鳥のように自由で、同時に恐ろしくもあった。
地面が迫る直前、アーロンが盾を広げ、古代の魔導装置を起動させる。青い光が周囲を包み、風圧を柔らげた。
二人は小川の岸に転がり、泥と光の中に息を吐く。
「生きてる……?」
「君が俺の手を放さなかったからな」
笑みがこぼれた。
リシェルが涙を滲ませて答える。
「放すはずありません。あなたが導いてくれた道なのですから」
だが安堵も束の間、遠くの塔から鐘の音が再び響く。
「追っ手が来る。森へ!」
アーロンが手を引き、二人は濃い森へ駆け込んだ。
幾重にも枝が伸びる中を走り、やがて古い石橋の前で立ち止まる。
川面に映る二人の姿は、血と泥にまみれていたが、目の中には同じ光が宿っていた。
「これからどうなっても構いません。ただ、あなたとなら」
「違う。君を生かすために、これから戦う」
リシェルが微笑み、首を振る。
「あなたが生きることが、わたしの願いです。それなら、この手を離して」
「離すものか。俺の生きる理由は君だ」
その瞬間、煙を切るように声が響いた。
「そこだ、逃がすな!」
追手だ。
アーロンは再び剣を抜き、リシェルを背に庇う。
剣と剣がぶつかる音の中で、彼女はその背を見つめる。
――いつか、この背に並んで立てる日がくるのだろうか。
その思いのまま、彼女も短剣を抜いた。
アーロンが振り向き、わずかに頷いた。
二人は並び立つ。
月が雲を破り、光が差し込む。その光が、ふたりの姿を照らしていた。
かつて囚われの令嬢と孤高の王子だった二人が、今ここで同じ運命の道を歩き始めていた。
続く
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