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第13話 真夜中の告白
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森の夜は、まるで沈黙そのもののように深かった。
枝葉の隙間から見える月光だけが、ふたりの行く道を照らしている。
アーロンとリシェルは駆け続け、やがて一面に霧が立ち込める谷を越え、小さな洞窟に身を寄せた。
「ここなら、追っ手も一時的に見失うはずだ」
息を整えるアーロンの衣服は、血と土で汚れ切っていた。
リシェルは無言でその腕の傷に触れ、安堵と痛みの入り混じった息をつく。
「また……怪我を」
「大したことではない」
「もう、こんな言葉を聞きたくありません」
リシェルは唇を引き結び、袖を裂いて包帯を作る。
手先が震えているのを悟られまいと、必死に視線を落とした。
アーロンは微笑んだように小さく息を吐いた。
「君の傷よりは軽い」
「わたくしは平気です」
「心の傷はそう簡単には癒えない」
静かな言葉が、洞窟の石壁に反響した。
リシェルは手の動きを止めた。
「……どうしてそんなことまで言えるのですか」
「見れば分かる。君は涙を流すより先に、自分を責める人だ」
「……違います」
「違わない。俺も前はそうだった。王の子として、誰にも心を預けなかった」
しばらくの沈黙のあと、火打石を擦る音が響く。
やがて小さな炎が灯り、暖かい光がふたりの間をゆっくり照らした。
揺れる炎が、アーロンの顔を照らす。影が頬を滑り、金の髪が火の色に染まった。
「リシェル。君に話しておくべきことがある」
一瞬、リシェルの胸に不安が走る。
「……何ですか」
アーロンは視線を落とした。
「俺は、母上を救えないかもしれない」
「そんなこと……!」
「礼拝堂で見ただろう。母上は勇敢だった。だが、王妃としての立場を捨てられない。兄上を裁くことは容易ではない。今、王都では母上の味方までもが静かに消されつつある」
リシェルの心が冷えていく。
「では、あの人はもう……」
「まだ希望はある。ただし、俺が王位を継ぐための証を手に入れなければならない。王族の血の証、それは王妃の隠し宝殿にある。王家の印璽だ」
「印璽……?」
「王の血を受け継ぐ者だけが開ける封印だ。俺がそれを手にすれば、兄上の偽りを全て暴ける。だが、そこに近づくには命が要る。城の地下に入り込むのは、君を巻き込むことと同義だ」
リシェルはアーロンの腕を掴んだ。
「なら、わたくしが助けます。城の構造は覚えています。王太子妃として、何度も歩かされました」
「危険すぎる」
「いいえ。危険は承知の上です」
決意を宿した瞳に、アーロンは言葉を失った。
炎の音だけが響く。
「……どうしてそこまで」
「あなたが諦めない限り、わたくしも進みます。誰に何を奪われても、もう逃げるのはいや。あなたが真実を掴もうとするなら、わたくしはそばでその光を見たい」
リシェルの声がかすれて震えた。
その一途さに、アーロンの胸が締めつけられる。
彼はゆっくりと手を伸ばし、彼女の頬に触れた。
火のぬくもりを帯びた指先は、かつてないほどやさしかった。
「君を見ていると、俺は弱くなる。戦うより、君の手を握りたくなる」
「それは……弱さではありません」
「そうか?」
「ええ。生きようとする力です」
言葉が燃えるように近づいていく。
気づけば、二人の距離は息が触れ合うほどになっていた。
リシェルの睫毛が震える。アーロンの胸の鼓動が、炎の音に重なった。
「アーロン……もし、あなたが王になったら、どんな国を作りますか」
「血や家柄に縛られず、誰もが誇りを選べる国を」
「それなら、きっと素敵な国になりますね」
「君が笑ってくれるなら、それで十分だ」
その時、外の風が強くなり、洞窟の入り口の火が大きく揺れた。
アーロンはリシェルの肩に手を回し、自分の外套で包む。
冷たい外気から守るように、彼女を胸に引き寄せた。
少しの間、何も言わなかった。
ただ互いの鼓動を確かめるように、静かに沈黙が流れる。
リシェルは頬を寄せ、衣の匂いを感じた。血と煙、そして守りたいという誓いの香り。
「リシェル……もし明日、俺が戻らなかったら」
「そんなこと言わないでください」
「言わせてくれ。もし戻らなかったら、村の北にある教会へ行け。母上の信頼を受けている神官がいる。きっと君を守ってくれる」
「だから、そんな前提で話すのはいやです」
リシェルの声が少し強くなった。
「あなたが戻らないなら、わたくしも行きません」
アーロンは驚いたように目を見開いたが、すぐにかすかな笑みを浮かべた。
「勝てないな、君には」
「勝ち負けではありません。……ただ、あなたに手を伸ばしても届かなくなるなんて、それだけは嫌なんです」
彼女の目に滲んだ涙を、アーロンの親指が拭った。
「泣くな。君は涙よりも、光で語る人だ」
ゆっくりと顔が近づく。
このまま時が止まればいい――そう思うほどに。
焚き火の炎が二人の間で揺らぎ、影のように重なった。
短く、触れるだけの口づけ。
けれど、それは約束よりも深く、祈りよりも真実だった。
唇を離したあと、リシェルは静かに笑った。
「これは――生きる証ですね」
「そうだ。俺たちはまだ生きている」
アーロンは彼女の髪を撫で、囁いた。
「だから、明日も必ず生きよう。共に」
彼の言葉の余韻が、暖かく洞窟に広がっていく。
外の風がやみ、夜明け前の静けさが訪れた。
ふたりは寄り添ったまま、わずかな眠りを取る。
その夢の中で、暗闇の奥からかすかな光が差す。
それは希望のようであり、未来への道標のようでもあった。
そして朝。
鳥の囀りが薄い霧を揺らす頃、アーロンは目を覚ました。
リシェルはその腕の中で静かに息をしている。
彼はそっと唇を寄せ、小さく呟いた。
「必ず、この手で奪われたものを取り戻す」
朝の光が洞窟に差し込み、闇を切り裂いた。
その光に導かれるように、王子は再び立ち上がった。
続く
枝葉の隙間から見える月光だけが、ふたりの行く道を照らしている。
アーロンとリシェルは駆け続け、やがて一面に霧が立ち込める谷を越え、小さな洞窟に身を寄せた。
「ここなら、追っ手も一時的に見失うはずだ」
息を整えるアーロンの衣服は、血と土で汚れ切っていた。
リシェルは無言でその腕の傷に触れ、安堵と痛みの入り混じった息をつく。
「また……怪我を」
「大したことではない」
「もう、こんな言葉を聞きたくありません」
リシェルは唇を引き結び、袖を裂いて包帯を作る。
手先が震えているのを悟られまいと、必死に視線を落とした。
アーロンは微笑んだように小さく息を吐いた。
「君の傷よりは軽い」
「わたくしは平気です」
「心の傷はそう簡単には癒えない」
静かな言葉が、洞窟の石壁に反響した。
リシェルは手の動きを止めた。
「……どうしてそんなことまで言えるのですか」
「見れば分かる。君は涙を流すより先に、自分を責める人だ」
「……違います」
「違わない。俺も前はそうだった。王の子として、誰にも心を預けなかった」
しばらくの沈黙のあと、火打石を擦る音が響く。
やがて小さな炎が灯り、暖かい光がふたりの間をゆっくり照らした。
揺れる炎が、アーロンの顔を照らす。影が頬を滑り、金の髪が火の色に染まった。
「リシェル。君に話しておくべきことがある」
一瞬、リシェルの胸に不安が走る。
「……何ですか」
アーロンは視線を落とした。
「俺は、母上を救えないかもしれない」
「そんなこと……!」
「礼拝堂で見ただろう。母上は勇敢だった。だが、王妃としての立場を捨てられない。兄上を裁くことは容易ではない。今、王都では母上の味方までもが静かに消されつつある」
リシェルの心が冷えていく。
「では、あの人はもう……」
「まだ希望はある。ただし、俺が王位を継ぐための証を手に入れなければならない。王族の血の証、それは王妃の隠し宝殿にある。王家の印璽だ」
「印璽……?」
「王の血を受け継ぐ者だけが開ける封印だ。俺がそれを手にすれば、兄上の偽りを全て暴ける。だが、そこに近づくには命が要る。城の地下に入り込むのは、君を巻き込むことと同義だ」
リシェルはアーロンの腕を掴んだ。
「なら、わたくしが助けます。城の構造は覚えています。王太子妃として、何度も歩かされました」
「危険すぎる」
「いいえ。危険は承知の上です」
決意を宿した瞳に、アーロンは言葉を失った。
炎の音だけが響く。
「……どうしてそこまで」
「あなたが諦めない限り、わたくしも進みます。誰に何を奪われても、もう逃げるのはいや。あなたが真実を掴もうとするなら、わたくしはそばでその光を見たい」
リシェルの声がかすれて震えた。
その一途さに、アーロンの胸が締めつけられる。
彼はゆっくりと手を伸ばし、彼女の頬に触れた。
火のぬくもりを帯びた指先は、かつてないほどやさしかった。
「君を見ていると、俺は弱くなる。戦うより、君の手を握りたくなる」
「それは……弱さではありません」
「そうか?」
「ええ。生きようとする力です」
言葉が燃えるように近づいていく。
気づけば、二人の距離は息が触れ合うほどになっていた。
リシェルの睫毛が震える。アーロンの胸の鼓動が、炎の音に重なった。
「アーロン……もし、あなたが王になったら、どんな国を作りますか」
「血や家柄に縛られず、誰もが誇りを選べる国を」
「それなら、きっと素敵な国になりますね」
「君が笑ってくれるなら、それで十分だ」
その時、外の風が強くなり、洞窟の入り口の火が大きく揺れた。
アーロンはリシェルの肩に手を回し、自分の外套で包む。
冷たい外気から守るように、彼女を胸に引き寄せた。
少しの間、何も言わなかった。
ただ互いの鼓動を確かめるように、静かに沈黙が流れる。
リシェルは頬を寄せ、衣の匂いを感じた。血と煙、そして守りたいという誓いの香り。
「リシェル……もし明日、俺が戻らなかったら」
「そんなこと言わないでください」
「言わせてくれ。もし戻らなかったら、村の北にある教会へ行け。母上の信頼を受けている神官がいる。きっと君を守ってくれる」
「だから、そんな前提で話すのはいやです」
リシェルの声が少し強くなった。
「あなたが戻らないなら、わたくしも行きません」
アーロンは驚いたように目を見開いたが、すぐにかすかな笑みを浮かべた。
「勝てないな、君には」
「勝ち負けではありません。……ただ、あなたに手を伸ばしても届かなくなるなんて、それだけは嫌なんです」
彼女の目に滲んだ涙を、アーロンの親指が拭った。
「泣くな。君は涙よりも、光で語る人だ」
ゆっくりと顔が近づく。
このまま時が止まればいい――そう思うほどに。
焚き火の炎が二人の間で揺らぎ、影のように重なった。
短く、触れるだけの口づけ。
けれど、それは約束よりも深く、祈りよりも真実だった。
唇を離したあと、リシェルは静かに笑った。
「これは――生きる証ですね」
「そうだ。俺たちはまだ生きている」
アーロンは彼女の髪を撫で、囁いた。
「だから、明日も必ず生きよう。共に」
彼の言葉の余韻が、暖かく洞窟に広がっていく。
外の風がやみ、夜明け前の静けさが訪れた。
ふたりは寄り添ったまま、わずかな眠りを取る。
その夢の中で、暗闇の奥からかすかな光が差す。
それは希望のようであり、未来への道標のようでもあった。
そして朝。
鳥の囀りが薄い霧を揺らす頃、アーロンは目を覚ました。
リシェルはその腕の中で静かに息をしている。
彼はそっと唇を寄せ、小さく呟いた。
「必ず、この手で奪われたものを取り戻す」
朝の光が洞窟に差し込み、闇を切り裂いた。
その光に導かれるように、王子は再び立ち上がった。
続く
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