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2章

10 ジェーンという少女②

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 ジェーンのことは、お茶会などで顔を合わせていたので学園に入学する前から知っていた。
 だが、ジェーンは評判の悪い令嬢だった。

 姿勢が悪く、カテーシーをしていてもバランスが悪くて今にも倒れそうに見える。
 歩いていても重心がおかしなところにかかっていたり、足を引きずっているような時もある。
 そして何より粗相が多い。
 何もないところでよくつまずいたり物を落としたりして、他の令嬢たちから笑われていた。
 だからジェーンがお茶会に参加していても、話し掛けていく令嬢はいない。アリシアがいなければいつも一人でぽつんとしていただろう。

 アリシアは、ジェーンがいるといつも傍へ行って楽しそうに笑い合い、同じテーブルにつく。
 アリシアに取り入りたい令嬢は大勢いるので、アリシアがいるテーブルには令嬢たちが集まってくる。
 結果的にそのテーブルはいつも賑わっているので、ジェーンが1人きりで過ごしていることはなかった。

 アリシアに悪意のある者たちは、「あんな不格好な令嬢を傍に置くのは自分の引き立て役にしたいからだ」と陰口を言っていたけれど、アリシアが気にする様子を見せたことはない。

 12歳の頃だっただろうか。
 この日もレイヴンは、王宮の花園で開かれたマルグリット主催のお茶会にアリシアと参加していた。

 この日のアリシアは、クリーム色に薄い水色のフリルとレースがついたドレスを着ていた。
 パニエで膨らんだスカートにはスパンコールが施されていて、陽の光を反射してきらきらと輝いている。
 首飾りは小さなダイヤモンドが幾重にも連なったもので、こちらも陽の光を反射して輝いていた。
 
 アリシアとレイヴンはすぐに離れ、アリシアはジェーンと同じテーブルで隣り合って座る。
 他の令嬢たちは、いつもの様に同じテーブルの席を奪い合う。
 和やかな時間を過ごしていた時、「あっ!」という声と共にガシャン!という音が響いた。
 
「ごめんなさい、アリシア!本当にごめんなさい!」

 レイヴンが声の方を振り返ると、ジェーンが青くなって震えていた。
 粗相の多いジェーンが、いつもの様に紅茶のカップをひっくり返して、その紅茶がアリシアのドレスにかかったようだ。

「大丈夫よ、ジェーン。気にしないで」

 アリシアは平然としていて、怒っている様子も慌てている様子もない。
 他の令嬢たちは、青くなって震えるジェーンを見てクスクスと嗤っている。

 アリシアのドレスは裾の方が少し汚れただけだが、ジェーンの方が被害は大きく、ドレスは膝のあたりから大きなシミができていた。
 それでも公の場でドレスを汚すなど、アリシアに恥をかかせることになる。
 それがわかっているからジェーンはぶるぶると震えているのだ。

 そのジェーンを落ち着かせようとアリシアが必死に宥めている。

「本当に大丈夫よ、ジェーン。私は王宮に長くいるから、着替えのドレスを置いてあるの。だからすぐに着替えられるわ」

 それは本当のことだ。
 アリシアは妃教育の為に毎日王宮に来ているし、レイヴンのパートナーとしてパーティーに出ることもある。
 今では専用の部屋を与えられていて、予備のドレスや装飾品なども置かれている。
 裾が汚れたドレスのまま過ごすことはできないが、着替えることはできるのだ。

「それよりあなたは大丈夫?替えのドレスは持っていて?」

 気遣うアリシアにジェーンは首を横に振る。

「私のドレスで良ければ…」

「いいえ!そんなこと、とんでもないわ!」

 アリシアの申し出に慌てふためくジェーンの声が重なった。

「ジェーンは動揺しているし、今日はもう帰った方がいい。送っていくよ」

 いつの間にか2人の男性がアリシアとジェーンの傍にいた。
 レオナルドとロバートだ。
 ロバートが優しくジェーンに声をかけている。

「そうだね、その方が良いな。ジェーンのことは任せるよ」

 レオナルドにロバートが頷き返す。ロバートに促されて、ジェーンが立ち上がった。
 ジェーンのドレスは、膝から足元まで紅茶が伝ってシミになっている。

「アリシア、本当にごめんなさい」

「大丈夫よ、ジェーン。本当に気にしてないわ。気をつけて帰ってね。ロイ兄さま、ジェーンをよろしくね」

 アリシアを気にして何度も謝るジェーンをアリシアが優しく抱き締め、ロバートへ託す。
 ロバートは微笑んで頷くと、ジェーンをエスコートして花園を出て行った。
 レオナルドがアリシアにそっと囁く。

「ロバートに任せておけば大丈夫だよ。ロバートならジェーンにとって一番良い様にしてくれるさ」

 アリシアはいつもの笑顔だが、その目が思い詰めているようだった。
 そんなアリシアをレオナルドは一度抱き締め、着替える為に退出を促す。
 レオナルドにエスコートされて花園を出ていくアリシアの背をレイヴンは見送った。
 
 しばらくして戻ってきたアリシアは、先ほどとは全く違う装いだった。

 真っ赤なドレスに黒いレースの縁取り。スカートの裾の方に金色のシンプルな刺繍が入っている。
 首飾りは大きなロードライトガーネットが一つ。
 頬に沿って垂らされていたふわふわの巻き毛はアップにされていて、化粧も違っているようだ。

 エスコートしているレオナルドも、青色の上着が黒いものに変わっていた。
 レオナルドは執務棟の一室を既に与えられている。
 わざわざ着替えを取りに行ったのか。

 それまでおしゃべりしていた参加者たちは一様に息をのみ、絵の様に美しい2人の姿にくぎ付けになっていた。
 マルグリットさえ、「あらまあ」と言ったきり2人から目を離せないようだ。

 アリシアが周りを見渡し、空席があるテーブルに近づいた。

「ご一緒してもよろしいかしら?」

 にこやかに告げると、空席の隣に座っていた令嬢が立ち上がり、2人の為に席を作った。
「ありがとう」とレオナルドが微笑めば、令嬢は倒れそうなくらい顔を真っ赤にしていた。

「…場の支配の仕方を知っている兄妹ね」

 マルグリットの呟きがレイヴンの耳に入った。
 参加者たちは2人の周りに集まり、何とか会話に入ろうと躍起になっている。
 美しい兄妹は参加者の注目を集め、心を支配してジェーンの失態の記憶を消し去った。




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