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番外編・処罰の後
13 処罰の後(7-②)
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目覚めてからどれくらい経ったのか、扉が開いてマーサが入って来た。
マーサがエミリーを主人と思っているとは思わないが、決められた時間に主人を起こすのも侍女の仕事の1つなのだ。
昨日の夜もマーサは1人でエミリーの部屋へ来た。
1人で湯浴みの支度をするよう指示したマーサは、疲れ果てた様子のエミリーに溜息を吐くと諦めたように世話をしてくれた。
そんな態度でも今この邸でエミリーの相手をしてくれる使用人はマーサだけである。
「お目覚めでしたか」
マーサがベッドへ近づくと、エミリーは既に起きていた。
起こす手間が省けたことよりも、大人しくしているエミリーに不審が募る。
エミリーは甘やかされた我儘令嬢だ。
起きているならすぐに世話をしろと呼びつけるはずだし、気に入らなければ癇癪を起す。
エミリーに侍る侍女はエミリーの機嫌に敏感で上手く機嫌を取っていた。エミリーに気に入られ、侯爵夫妻に取り入る為にはそれくらいの機転が必要なのだ。
だけどマーサはエミリーに気に入られる必要がない。エミリーの機嫌を取るつもりは欠片もなかった。
それでも昨日は色々なことがあった、
流石に自分の置かれた状況が変わったことに気がついたはずだ。
それにマーサはエミリーが食堂で見せた表情が気になっていた。
「おはよう、マーサ」
「おはようございます」
起き上がったエミリーへマーサがそつなく頭を下げる。
気に入らなくてもロバートにエミリーの面倒を見るよう申し付けられたのだ。
ロバートはジェーンの従兄だけれど、侯爵家の血筋ではない。それでもその優秀さは知れ渡っている。サンドラに可愛がられていたし、ジェーンとも仲が良い。
この荒廃した侯爵家を救ってくれるロバートに逆らうつもりはなかった。
「それでは洗顔の準備をなさってください」
マーサは淡々と告げる。
ロバートに申し付けられたのは、エミリーが自分のことをできるようになるよう教えること。
昨日の夜はつい情に絆されて湯浴みの世話をしてしまったけれど、本来ならそれも自分でさせるべきことだ。
マーサはこれ以上の情を掛けるつもりはなかった。
エミリーは素直にベッドを降りる。
そして何気ない様子でマーサに問い掛けた。
「昨日のことだけど…。お義姉様は作法の先生に教えられたことを披露して、お母様に褒められていたのよね?」
瞬間、マーサの顔が強張った。
エミリーが食堂での話をしていることは間違いない。
何を企んでいるのか、嫌な予感がする。
だけどエミリーにはそんなつもりはなかった。
マーサの様子に気付かず、話し続ける。
その時のジェーンがどんな気持ちだったのか、知りたくなったのだ。
「私はそんなことをしたことがないの。できないことはしなくて良いって思ってたから。だからお義姉様はその時どんな気持ちだったのかなって思って」
その言葉を聞いたマーサは驚いた。
浴室へ向かおうとするエミリーの後姿をじっと見つめる。
僅かに見える横顔からは悪意が感じられない。本当に知らないことを訊いてみただけのようだ。
エミリーが言ったことをマーサは考える。
確かにエミリーが何かを成し遂げ、褒められているところなど見たことがない。
デミオンもアンジュも、エミリーがすることは何でも「可愛い」と言っていた。
家庭教師が何かを教えても、エミリーが「嫌だ」と言うとそれはしなくて良くなった。家庭教師が注意をするとエミリーは泣き喚き、家庭教師が辞めさせられる。
これまでのエミリーはできないことややりたくないことはやらなくて良かったのだ。
できなかったことができるようになる達成感を知らず、成長を褒められたことがない。
マーサは昨日のことを思い出す。
エミリーは自分で顔を洗うのも服を着るのも初めてだった。
マーサはエミリーが水を溜めるのを見ていて、入れ過ぎだと思っていた。重い物を持ったことのないエミリーが運べるはずがない。
だけどマーサは何も言わずにただ見ていた。
失敗しても構わないと思っていたからだ。
そして思った通り、エミリーは桶をひっくり返して水を被った。
惨めな思いをしたエミリーが、癇癪を起すのもわかっていた。
わかっていたけれど、そのままにしておいた。エミリーがそのままでいても、マーサは何も困らない。
ジェーンへの仕打ちを見ていたマーサはいい気味だとすら思っていた。
だけど本当にそうだろうか。
マーサがロバートに申し付けられたのは、エミリーが自分のことができるようになるよう指導することだ。
昨日のあれは指導とは言えない。
マーサは申し付けられた職務を放棄していた。
「申し訳ありませんでした」
急に頭を下げたマーサに、エミリーはきょとんとした顔をした。
何を謝られているのかわからないのだろう。
マーサもそれを説明するつもりはなかった。
「昨日は自分で顔を洗われたのですね」
エミリーが食堂へ来た時、胸元や袖が濡れていた。
マーサに放っておかれたエミリーは、部屋を出る為に1人で言われたことを実践したのだ。
「桶に水を溜めて運ぶことができたのですね。頑張られましたね」
マーサが微笑んで告げると、エミリーの頬が赤く染まる。
そんなことでも初めて褒められたのだ。
「今日は私が見ていますから、やってみせて下さい」
「え、ええ…っ!」
エミリーが嬉しそうに浴室へ入っていく。
昨日とは明らかに違っていた。
マーサがエミリーを主人と思っているとは思わないが、決められた時間に主人を起こすのも侍女の仕事の1つなのだ。
昨日の夜もマーサは1人でエミリーの部屋へ来た。
1人で湯浴みの支度をするよう指示したマーサは、疲れ果てた様子のエミリーに溜息を吐くと諦めたように世話をしてくれた。
そんな態度でも今この邸でエミリーの相手をしてくれる使用人はマーサだけである。
「お目覚めでしたか」
マーサがベッドへ近づくと、エミリーは既に起きていた。
起こす手間が省けたことよりも、大人しくしているエミリーに不審が募る。
エミリーは甘やかされた我儘令嬢だ。
起きているならすぐに世話をしろと呼びつけるはずだし、気に入らなければ癇癪を起す。
エミリーに侍る侍女はエミリーの機嫌に敏感で上手く機嫌を取っていた。エミリーに気に入られ、侯爵夫妻に取り入る為にはそれくらいの機転が必要なのだ。
だけどマーサはエミリーに気に入られる必要がない。エミリーの機嫌を取るつもりは欠片もなかった。
それでも昨日は色々なことがあった、
流石に自分の置かれた状況が変わったことに気がついたはずだ。
それにマーサはエミリーが食堂で見せた表情が気になっていた。
「おはよう、マーサ」
「おはようございます」
起き上がったエミリーへマーサがそつなく頭を下げる。
気に入らなくてもロバートにエミリーの面倒を見るよう申し付けられたのだ。
ロバートはジェーンの従兄だけれど、侯爵家の血筋ではない。それでもその優秀さは知れ渡っている。サンドラに可愛がられていたし、ジェーンとも仲が良い。
この荒廃した侯爵家を救ってくれるロバートに逆らうつもりはなかった。
「それでは洗顔の準備をなさってください」
マーサは淡々と告げる。
ロバートに申し付けられたのは、エミリーが自分のことをできるようになるよう教えること。
昨日の夜はつい情に絆されて湯浴みの世話をしてしまったけれど、本来ならそれも自分でさせるべきことだ。
マーサはこれ以上の情を掛けるつもりはなかった。
エミリーは素直にベッドを降りる。
そして何気ない様子でマーサに問い掛けた。
「昨日のことだけど…。お義姉様は作法の先生に教えられたことを披露して、お母様に褒められていたのよね?」
瞬間、マーサの顔が強張った。
エミリーが食堂での話をしていることは間違いない。
何を企んでいるのか、嫌な予感がする。
だけどエミリーにはそんなつもりはなかった。
マーサの様子に気付かず、話し続ける。
その時のジェーンがどんな気持ちだったのか、知りたくなったのだ。
「私はそんなことをしたことがないの。できないことはしなくて良いって思ってたから。だからお義姉様はその時どんな気持ちだったのかなって思って」
その言葉を聞いたマーサは驚いた。
浴室へ向かおうとするエミリーの後姿をじっと見つめる。
僅かに見える横顔からは悪意が感じられない。本当に知らないことを訊いてみただけのようだ。
エミリーが言ったことをマーサは考える。
確かにエミリーが何かを成し遂げ、褒められているところなど見たことがない。
デミオンもアンジュも、エミリーがすることは何でも「可愛い」と言っていた。
家庭教師が何かを教えても、エミリーが「嫌だ」と言うとそれはしなくて良くなった。家庭教師が注意をするとエミリーは泣き喚き、家庭教師が辞めさせられる。
これまでのエミリーはできないことややりたくないことはやらなくて良かったのだ。
できなかったことができるようになる達成感を知らず、成長を褒められたことがない。
マーサは昨日のことを思い出す。
エミリーは自分で顔を洗うのも服を着るのも初めてだった。
マーサはエミリーが水を溜めるのを見ていて、入れ過ぎだと思っていた。重い物を持ったことのないエミリーが運べるはずがない。
だけどマーサは何も言わずにただ見ていた。
失敗しても構わないと思っていたからだ。
そして思った通り、エミリーは桶をひっくり返して水を被った。
惨めな思いをしたエミリーが、癇癪を起すのもわかっていた。
わかっていたけれど、そのままにしておいた。エミリーがそのままでいても、マーサは何も困らない。
ジェーンへの仕打ちを見ていたマーサはいい気味だとすら思っていた。
だけど本当にそうだろうか。
マーサがロバートに申し付けられたのは、エミリーが自分のことができるようになるよう指導することだ。
昨日のあれは指導とは言えない。
マーサは申し付けられた職務を放棄していた。
「申し訳ありませんでした」
急に頭を下げたマーサに、エミリーはきょとんとした顔をした。
何を謝られているのかわからないのだろう。
マーサもそれを説明するつもりはなかった。
「昨日は自分で顔を洗われたのですね」
エミリーが食堂へ来た時、胸元や袖が濡れていた。
マーサに放っておかれたエミリーは、部屋を出る為に1人で言われたことを実践したのだ。
「桶に水を溜めて運ぶことができたのですね。頑張られましたね」
マーサが微笑んで告げると、エミリーの頬が赤く染まる。
そんなことでも初めて褒められたのだ。
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エミリーが嬉しそうに浴室へ入っていく。
昨日とは明らかに違っていた。
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