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第2部 6章

39 幸福のかたちは

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 アリシアがアシェントへ移ってからひと月が経過した。
 その間レイヴンは視察へ行き、王領で5日過ごして帰ってきている。
 アリシアのいない旅路は淋しくて、少しも楽しくなかった。
 それでもレイヴンは、ぎりぎりまで笑顔を絶やさなかったアリシアを見習い、笑顔で領民や貴族たちとの交流を続けた。

 宿でレイヴンを待つ貴族たちは、やはり醜悪な笑顔を浮かべていた。
 レイヴンが1人で領地へ現れ、正妃は病でいつ王都へ戻るかわからない。レイヴンが側妃を迎えるのは最早必然である。
 野心を持つ者がこれを好機と捉えるのは当然のことだった。

 ただその中でもアリシアを気遣う言葉を掛けてくれる者はいた。
「妃殿下の回復を心よりお祈りしています」
 そう言ってくれる者たちは、本気でアリシアを案じているのだと感じられた。
 後々調べてみると、声を掛けてくれた者たちは中々子に恵まれず悩んだ時期があったようだ。レイヴンが知らないだけで同じ悩みを抱える女性はそれなりにいるのだろう。

 帰りの道では、貴族たちと過ごす時間は随分と短くなった。
 皆レイヴンの顔を見ると息を飲んで眼を逸らす。「随分とお疲れのようですので……」と言われて晩餐も早々に切り上げられた。
 鏡を見るとその理由はすぐにわかる。
 鏡の中には倒れる前のアリシアのように、酷い顔色をした自分の姿が映っていた。





 どうすれば良かったのだろう。

 レイヴンはそればかりを考えている。
 アリシアが子どもができずに苦しんでいるのはわかっていた。
 だけどレイヴンにできたのは、毎日抱くことと時間を稼ぐこと、それだけだ。
 もっと早い段階で王太子位を降りたいと願い出れば良かったのだろうか。

 レイヴンが身動きするとクシャリと紙が音を立てた。
 レイヴンはアリシアがアシェントへ移ってから毎日文を書いている。文はレオナルドを通じて公爵家の者の手でアリシアへ届けられる。
 返事はまだ一度も届いていない。
 文を読めるほど回復していないのだ。


 レイヴンは頭を抱えた。
 両手で髪を握り潰す。

 どうすれば良かったのかわからない。
 わかっていたのは、「側妃を娶りたくない」という自分の気持ちだけだ。
 その気持ちを最優先にして、アリシアを批判の矢面に立たせてしまった。
 それなら側妃を娶った方が良かったのだろうか。

 違う!そんなはずはない!!

 レイヴンは大きく頭を振った。

 側妃を1人娶っても子ができるとは限らない。1人娶ったらその後も次々と求められるだろう。
「側妃を迎えたくない」という言い分が使えなくなる。

 なぜ誰も考えないのか。
 子ができない原因は、アリシアではなくレイヴンにあるかもしれないのだ。
 そうしたら、何人側妃を娶っても同じことである。
 だけど原因がレイヴンにあると認められるのは、5人試した後だ。

 それじゃあ5人の側妃を迎えるのか?
 側妃の元へ向かうレイヴンを見送らせるのか。
 
 駄目だ!そんなことはさせられない……っ!!

 夢の中で見たアリシアの顔が蘇る。
 シーラの元へ向かうレイヴンを見送る淋し気な表情を確かに覚えていた。
 あんな思いは絶対にさせたくない……っ!!


――それじゃあ、相手が僕じゃなかったら……。

 嫌な考えが頭に浮かぶ。

 アリシアが懐妊すればレイヴンは側妃を娶らなくても良い。
 レイヴンに問題があるのなら、相手を変えれば良いのではないだろうか。
 
 ここで浮かぶのはジェイの顔だ。

 弟のジェイは、レイヴンと同じ金色の髪と青色の目をしている。
 レイヴンと同じマルグリットの子だから、ジェイの子が王位を継いでも問題はない。
 レイヴンとジェイも似ているのでどちらに似たとしても疑う者はいないだろう。
 そう、ジェイとアリシアが……。

 絶対に嫌だ!!

 レイヴンは叫びそうになった。
 
 アリシアが他の男と肌を重ねるなんて、絶対に嫌だ。
 もしそんなことになれば正気を保っていられないだろう。ジェイを殺してしまうかもしれない。
 だけど、それならそれを、アリシアに耐えさせるのか……?
 
 レイヴンは体を震わせた。

 もしアリシアがレイヴンを愛していなければ、レイヴンが側妃を抱いても気にしなかっただろう。
 以前のアリシアならば何も感じなかったはずだ。
 アリシアは、レイヴンを愛してくれているから苦しんでいる。

――それなら、想いを伝えない方が良かったのか……?
 
 レイヴンが想いを伝えたから、2人は想い合うことができた。
 だけどそれがアリシアを苦しめるのなら、レイヴンは苦しくても以前のままの方が良かったのかもしれない。
 
 想い合えた幸福と。
 苦しみを知らずにいられた幸福と。
 どちらのかたちが、アリシアには良かったのだろうか。



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