123 / 142
3章 〜過去 正妃と側妃〜
57
しおりを挟む
その報せが届いたのは夕方だった。
執務室で侍従から聞いたカールは一言「そうか」と呟いた後席を立った。
侍従は当然カールが百合の宮へ向かったと思ったのだが、カールが向かったのはエリザベートの執務室だった。
カールを迎えたエリザベートは、その強張った表情から悪い報せだと悟った。部屋にいた侍女や補佐官たちを下がらせる。人払いが済むのを見届けたカールは低い声で告げた。
「ルイザが産気づいたそうだ」
「……っ!そうですか」
悪い報せというのは間違いだった。
王家にとってもカールにとっても御目出度い報せである。
ただエリザベートは声が震えないように気をつけなければいけなかった。
「これから百合の宮へ向かわれるのですね?」
だがそんな強がりはカールに見抜かれてしまったようだ。悲痛な表情をしたカールが机の向こうからまわり込んで来て抱き締められる。
「………すまない」
「何を謝られますの?喜ばしいことではありませんか」
エリザベートもカールの真意をわかっている。
だけど認めるわけにはいかない。
エリザベートも喜んでいるようにみせなくてはならないのだ。
エリザベートはいつ「生まれた」と告げられるのかと恐れていた。
そうではなく、こうして生まれる前に教えてくれたのだからそれだけでも有難いことだろう。
そうしてしばらくエリザベートを抱き締めていたカールが机に広げられた書類へ目をやった。
このままカールが去れば、エリザベートは何事もなかったように執務を再開するのだろう。何事もなかったように補佐官と会話を交わし、指示を出し、時には笑って……。
駄目だ、と思った。
辛い時でも感情を見せないのは王族として当然のことだが、今のエリザベートは心が壊れかけている。無理をしてどんな揺り返しがくるかわからない。
「……今日はもう良いだろう。後は任せて薔薇の宮へ戻ろう」
エリザベートは何を言われているのか分からなかった。
執務の時間はまだ残っているし、手元の書類もやりかけたままだ。今日中に目を通さなければならない書類もまだ残っている。
大体カールは百合の宮へ行くのだろう。
それがなぜ薔薇の宮へ戻ろうとしているのか。
「………百合の宮へ行かれるのでしょう?」
「出産には時間が掛かる。まだ良いだろう」
確かに産気づいたからといってすぐに生まれるわけではない。エリザベートもルイを産んだ時は何時間も苦しんだ。
だけどその時カールはすぐに駆けつけてくれて、エリザベートが産屋へ移るまで手を握ったり腰を擦ったりして傍に付いてくれていた。エリザベートが産屋へ移った後も、そわそわしながら薔薇の宮で生まれるのを待っていたはずだ。
「……ルイザ様も心細くされているのではないでしょうか」
「リーザは気にしなくて良い」
カールの断固とした声にエリザベートの心が揺れた。
「陛下はなぜ来ないのよ!!」
その頃百合の宮ではルイザが荒れていた。
結局懐妊がわかった日から今日まで一度もカールに会うことが出来なかった。だけど子が生まれるのだから、今日くらいは駆けつけてくれると思っていたのに。
「陣痛が始まったのは伝えてくれたのでしょう?!」
「勿論でございます。ですがお忙しい方ですので政務が片付かないのでしょう。最近は夜中まで執務をされていると聞いておりますし……」
「それに急いで駆けつけられましても陛下は産屋に入れませんし、外でお待ちいただくだけです」
ルイザに付いている侍医たちが必死に宥めている。
だけど懐妊がわかった日からカールが一度も訪ねて来ていないことを侍医たちも知っていた。
カールが忙しいのは間違いないが、その言い訳が白々しく聞こえるのは仕方がないだろう。ルイの時とあまりの違いに侍医たちも困惑している程だ。
だけど妊婦が興奮しすぎてあらぬ事故が起きては大事なので何とか落ち着かせなければならない。
侍医たちの背を嫌な汗が伝った。
エリザベートを薔薇の宮へ連れ帰ったカールが百合の宮へ向かったのは夜遅くなってからだった。
ベッドに入ったエリザベートが寝付いたのを見届け、馬車に乗り込む。
どうか王子であってくれ。
王子が生まれますようにーー。
百合の宮へ向かう道すがらカールは王子が生まれるようひたすら祈っていた。
執務室で侍従から聞いたカールは一言「そうか」と呟いた後席を立った。
侍従は当然カールが百合の宮へ向かったと思ったのだが、カールが向かったのはエリザベートの執務室だった。
カールを迎えたエリザベートは、その強張った表情から悪い報せだと悟った。部屋にいた侍女や補佐官たちを下がらせる。人払いが済むのを見届けたカールは低い声で告げた。
「ルイザが産気づいたそうだ」
「……っ!そうですか」
悪い報せというのは間違いだった。
王家にとってもカールにとっても御目出度い報せである。
ただエリザベートは声が震えないように気をつけなければいけなかった。
「これから百合の宮へ向かわれるのですね?」
だがそんな強がりはカールに見抜かれてしまったようだ。悲痛な表情をしたカールが机の向こうからまわり込んで来て抱き締められる。
「………すまない」
「何を謝られますの?喜ばしいことではありませんか」
エリザベートもカールの真意をわかっている。
だけど認めるわけにはいかない。
エリザベートも喜んでいるようにみせなくてはならないのだ。
エリザベートはいつ「生まれた」と告げられるのかと恐れていた。
そうではなく、こうして生まれる前に教えてくれたのだからそれだけでも有難いことだろう。
そうしてしばらくエリザベートを抱き締めていたカールが机に広げられた書類へ目をやった。
このままカールが去れば、エリザベートは何事もなかったように執務を再開するのだろう。何事もなかったように補佐官と会話を交わし、指示を出し、時には笑って……。
駄目だ、と思った。
辛い時でも感情を見せないのは王族として当然のことだが、今のエリザベートは心が壊れかけている。無理をしてどんな揺り返しがくるかわからない。
「……今日はもう良いだろう。後は任せて薔薇の宮へ戻ろう」
エリザベートは何を言われているのか分からなかった。
執務の時間はまだ残っているし、手元の書類もやりかけたままだ。今日中に目を通さなければならない書類もまだ残っている。
大体カールは百合の宮へ行くのだろう。
それがなぜ薔薇の宮へ戻ろうとしているのか。
「………百合の宮へ行かれるのでしょう?」
「出産には時間が掛かる。まだ良いだろう」
確かに産気づいたからといってすぐに生まれるわけではない。エリザベートもルイを産んだ時は何時間も苦しんだ。
だけどその時カールはすぐに駆けつけてくれて、エリザベートが産屋へ移るまで手を握ったり腰を擦ったりして傍に付いてくれていた。エリザベートが産屋へ移った後も、そわそわしながら薔薇の宮で生まれるのを待っていたはずだ。
「……ルイザ様も心細くされているのではないでしょうか」
「リーザは気にしなくて良い」
カールの断固とした声にエリザベートの心が揺れた。
「陛下はなぜ来ないのよ!!」
その頃百合の宮ではルイザが荒れていた。
結局懐妊がわかった日から今日まで一度もカールに会うことが出来なかった。だけど子が生まれるのだから、今日くらいは駆けつけてくれると思っていたのに。
「陣痛が始まったのは伝えてくれたのでしょう?!」
「勿論でございます。ですがお忙しい方ですので政務が片付かないのでしょう。最近は夜中まで執務をされていると聞いておりますし……」
「それに急いで駆けつけられましても陛下は産屋に入れませんし、外でお待ちいただくだけです」
ルイザに付いている侍医たちが必死に宥めている。
だけど懐妊がわかった日からカールが一度も訪ねて来ていないことを侍医たちも知っていた。
カールが忙しいのは間違いないが、その言い訳が白々しく聞こえるのは仕方がないだろう。ルイの時とあまりの違いに侍医たちも困惑している程だ。
だけど妊婦が興奮しすぎてあらぬ事故が起きては大事なので何とか落ち着かせなければならない。
侍医たちの背を嫌な汗が伝った。
エリザベートを薔薇の宮へ連れ帰ったカールが百合の宮へ向かったのは夜遅くなってからだった。
ベッドに入ったエリザベートが寝付いたのを見届け、馬車に乗り込む。
どうか王子であってくれ。
王子が生まれますようにーー。
百合の宮へ向かう道すがらカールは王子が生まれるようひたすら祈っていた。
66
あなたにおすすめの小説
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
【完結】あなたを忘れたい
やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。
そんな時、不幸が訪れる。
■□■
【毎日更新】毎日8時と18時更新です。
【完結保証】最終話まで書き終えています。
最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
「美しい女性(ヒト)、貴女は一体、誰なのですか?」・・・って、オメエの嫁だよ
猫枕
恋愛
家の事情で12才でウェスペル家に嫁いだイリス。
当時20才だった旦那ラドヤードは子供のイリスをまったく相手にせず、田舎の領地に閉じ込めてしまった。
それから4年、イリスの実家ルーチェンス家はウェスペル家への借金を返済し、負い目のなくなったイリスは婚姻の無効を訴える準備を着々と整えていた。
そんなある日、領地に視察にやってきた形だけの夫ラドヤードとばったり出くわしてしまう。
美しく成長した妻を目にしたラドヤードは一目でイリスに恋をする。
「美しいひとよ、貴女は一体誰なのですか?」
『・・・・オメエの嫁だよ』
執着されたらかなわんと、逃げるイリスの運命は?
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる