王人

神田哲也(鉄骨)

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閑話

閑話 「フランの剣修行」

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~side フラン~

「もう、やってられない!」

 私は思わず叫んでしまう。

 何がやってられないかって、剣の修行のことじゃない。
 剣の修行を進められないことがやってられないのだ。

 お父様が剣の修行を認めてくれたのはいいけど、まず準備に時間がかかった。
 私はお父様から直接剣を習えるのだと思ったのだけれども、お父様も忙しいみたいでそれは叶わぬことだった。
 色々と師事できる人物を探していたのだけど、なかなかこれという人が見つからなくて、結局近衛騎士団の元訓練官にお願いすることになった。

 騎士団の元訓練官で今はお年の為に引退していらっしゃる方だったけど、当時は鬼教官と恐れられていた人みたいでお父様も頭が上がらないみたい。
 私もまだ訓練を数えるほどしか受けていないけど、言葉の節々にどこか逆らえないものを感じている。

 訓練の内容は実践形式の組み手がほとんどで、その他の基礎的なことは自分で素振りなりなんなりして鍛えなさいということらしい。

 そういえば、アランもよく家で素振りとかしていたわね。

 実際私は厳しいくらいが丁度いいと思っていたからそれはいいんだけど、問題は社交界にデビューしてしまったせいで色んなお付き合いをしなければならなくなったこと。
 中の良いお友達の家に行くのはいいんだけど、それ以外の会ったこともないような貴族からのお誘いというのが、本当に鬱陶しい。
 お陰で剣の修行はなかなかできないし、ヤーデル―ド家のように息子と私をくっつけたがっている貴族が頻繁にお誘いの手紙を送ってきたり……。

「ああっ、もう!!!」
「お、お嬢様、お気を静めてください」

 ……そんなに怖い顔をしていたのかしら? いつものように私宛の手紙を届けにきたメイドが怯えながら私に訴える。

「それで? 今日の手紙はどこの家からのお誘いかしら?」

 私は手紙を手にとり、差出人のサインへと目を移す。

「ケイシール? 聞かない名前ね」

 ケイシール家はアランの家と同じように先の戦争で手柄を立て、爵位をいただいた家とのことだった。
 お父様の元部下にあたる人だそうで、娘の社交界デビューの為、今回お誘いの手紙を寄越したらしい。

「お断りするわけには……、いかないわよね。いいわ、返事の手紙を今書くから待ってて」
「はい、お嬢様」

 ペンを片手に机に向かう私は、頬杖をついてため息をひとつこぼす。

 ……また、剣の修行ができないじゃないの。



 パーティー当日。
 私はアランからもらった藍色のリボンを髪の毛に結び、同じ色のドレスを身に纏ってケイシール家へと赴いた。

 髪を整え、馬車のタラップから降りた私はレンガで舗装された地面へ下り立つ。
 煉瓦で舗装された道に向いていた顔を上げ、ケイシール家を見て私は驚いた。

「ここ……、アランの家……」

 そう、ケイシール家はアラン達が住んでいた家を買い取り、そこに引っ越してきていた。

 その控えめな門構えの向こうには色とりどりの花が咲き誇り、綺麗な水を湛える小さな池には魚が放たれていた。よくアランやアランのお父様が釣りをしていたっけ。
 あの生意気な犬と走り回った芝生の中庭には綺麗な花々とアランが剣を打ち付けていた樫の木。よくアランと背比べをしていた石柱につけられた印もかすれてしまっていたけど、そのままだった。

「アランの家を、何勝手に使っているのよ」

 一人呟く私。
 別にケイシール家の人たちが悪いわけでもなんでもないのに、私はイラついていた。

 ……ここにはもう、アランはいない。

 あの別れの日以来、私はこの場所に来ることはなかった。来たくなかった。
 ここに来れば思い出してしまう。ここにアランがいないことを。
 そして泣いてしまう。あの日のように。私は強くなるって、そう決めたのに。



 私の鬱屈とした思いとは裏腹にパーティーは恙無く進んで、パーティ会場は懇談の場となっている。
 冒頭で紹介されたグレタ・ケイシール嬢は綺麗な栗色の髪を肩で切り揃えた、そばかすがチャームポイントの子犬のような子だった。
 挨拶をしに行ったとき、彼女は緊張していたのかものすごい早口に自己紹介された。私は苦笑して「自分が主役のパーティは緊張するものですが、頑張ってくださいね」と声をかけてみたけれど、私の声は届いていたのかしら?

 その後、知り合いに挨拶をしたり適当にしながら過ごしている私の目に、嫌なものが映った。

 ヒルボリ・ヤーデルード。

 なんで、あいつがここにいるの?

 前にアランを散々に貶してくれたあのときのことはまだ覚えてる。
 というか、毎月毎月懲りもせず手紙を出してくるんだもの。しかも「成り上がりではない本物の貴族、ヒルボリ・ヤーデルードより」とわざわざ添えて。
 忘れたいのに忘れられない……。最悪よ!
 勿論、全部手紙は捨てているわ。一応、中身だけは流し読みしているけどね。

 私はできるだけヒルボリには近づかないように気をつけながら挨拶をして回ることにしたけど、幸いにもあいつはどこかのご子息と話し込んでいて、こちらに気づくことはなかった。

 壁を背に、ボーイから受け取った冷たい果実水を口に含む。
 柑橘系の果汁を絞って蜂蜜を加えたこの飲み物は、ささくれ立った私を癒すように全身に染み渡っていった。

「少し、疲れたわね」

 つい独り言が出てしまったけど、誰にも聞かれていないと思う。
 こうやってパーティの中で休憩ができるようになったのもつい最近のことで、最初の頃は大変だった。
 どこで気を抜いてもいいのか、どんな人とどんな会話をすればいいのか、事前に家庭教師やお父様に聞いていたとはいえわからないことだらけ。最初から最後まで緊張しっぱなしだった。
 今ではこんな風に休憩して会場全体を見渡すこともできるようになっているけど、慣れってすごいわね。

 そういえば、ヒルボリは何処にいったのかしら?

 ふと気になってパーティ会場を見渡すと、すぐにヒルボリの姿を見つけることができた。どうやらグレタ嬢と話しているようだけど、なんだか様子がおかしい。
 また何か不愉快なことを言っているのかしら? と思って二人の会話が聞こえるところまで移動すると、一部始終を聞いていたであろう人がわざわざ教えてくれた。
 やっぱり、ヒルボリお得意の成り上がり批判をグレタに向かってしていたらしい。
 気も小さいらしく、ヒルボリに対して萎縮してしまっているその姿は、ただでさえ小さいグレタの体をさらに小さく見せていた。

 全く、貴族の品格だなんだって、うるさいのよ。自分はオークの子供みたいなくせに!

「……い、今、僕のことをけなしたやつは誰だ!?」

 突然ヒルボリが喚いたけど、どうしたのかしら?
 ……? ……なんだか、周囲の目が私に集まっているような気がするわね。

「き、君、……凄いこと言うね」

 困惑した私に、隣に立っていた同年代くらいの男子が私に声をかけてきた。

「……凄いって? わけがわからないわ」
「いや、君言ってたじゃないか。その、オークみたいだとかなんとか……」

 オドオドと話すその男子の言葉に、周囲の人たちはウンウンと頷いている。

「……声に、出しちゃってた?」

 私の問いに対して、またしてもウンウンと首を縦に振る周囲だった。



 周りの視線を辿って私を見つけたヒルボリは、先の言葉を発したであろう私を見て、怒りと驚きと戸惑いを隠せないようだった。

「フ、フランチェスカ、君も来ていたのかい?」
「ええ」
「そ、そうだったんだね。と、ところで今、僕のことをその、悪く言った奴がいたんだけど、き、君は知らないかい?」
「知らないわ」
「そ、そうか、ならいいんだけど。……そうだよな、君が僕のことを、そんなふうに言うわけがないもんな」
「そんなふうって?」
「い、いや、僕のことを、その……オークだとか言っている声が聞こえてね」
「いえ、間違いないわ。私が言ったのよ。貴方がオークみたいだって」
「な、な、な……」
「別に悪口を言った覚えはないもの。私は見たままをそのまま表現しただけよ。
 ……ああ、ごめんなさい。もしあれが悪口だと感じてしまったのなら謝るわ。そうね、ごめんなさい。オークに失礼だったわね。オークだって自分や番を守る為に戦うもの。
 さっきから聞いていれば、戦争で成り上がった野蛮な人間? 貴方の言う成り上がり達がこの国を守ったからこそ貴方の家も守られているのに、なんで気がつかないのかしら? ちなみに貴方の家は戦争に行ったの?」
「ぼ、僕の家は由緒ある家だから、戦いに出る必要なんてないんだ! そそれに、し、下々のものが僕の家のような由緒ある本当の貴族を守るのは当たり前のことだ!」
「貴方、本気で言ってる?」
「あ、当たり前のことを言って、何が悪いんだ!?」

 私は呆れてため息をつく。

「……外見だけじゃなくて、頭の中までオークみたいね」

「ぼ、僕を、おおお、オークなんてけだものなんかと一緒にするなぁ!」

 ヒルボリの顔はどんどん真っ赤になっていっている。
 首周りがぴったりなシャツのせいかしら? それとも妊婦のようなお腹のせい?
 どちらにしてもうるさくて見苦しいわ。

「け、決闘だ!」
「いいわよ」

 ヒルボリが何故か私に決闘を申し込んできたので私は即座に了承した。

「ほ、本気だぞ!? 負けたほうは、勝ったほうの言うことを何でも聞くんだぞ!?」
「いいわよ」
「ぜ、絶対だからな!?」
「だから、いいって言ってるじゃない。私が勝ったらグレタに心から謝るのを忘れないでね」

 あっさりと応じられるとは思っていなかったヒルボリの顔には青筋が浮かんでいる。さっきから赤くなったり青くなったり、忙しいことね。
 残念ながら決闘を今さら無かったことになんてできるはずもない。私達の周りには大勢の証人がいるんだもの。



「私はこの練習用の剣を使うから、貴方は好きな武器を使えばいいわ。なんなら真剣でもいいわよ?」

 私はいつも修行に使っている木剣を侍女に持ってこさせ、ヒルボリは大人が使うような大きさの木剣を手に取った。

「い、いいい今さら謝っても遅いんだからな! で、でも心が広い俺は、頼み方次第では許してやらないこともなな、ないぞ!?」

 よくアランやあの犬と遊んでいた中庭に場所を移した私達の周囲には大勢のギャラリーが集っている。
 そしてまだ何も始っていないのに、ヒルボリは額に汗をかいてハアハアと呼吸を荒くしていた。
 剣を持つ手もプルプルと震えていて、まるで老人みたい。

「貴方こそ、すみませんでしたって謝れば、恥をかかずに済むかも知れないわよ? 尤も、グレタが許しても私は許さないけれど」

 私は剣を構え、冷静にヒルボリの動きに集中する。

「お姉さま……わたくしの為に……」

 グレタ嬢が頬を赤く染めて何やら不吉なことを言っている気がするけど、気にしたらまずい気がするから、気にしないことにする。

 私はいつもの練習を思い出し、剣の切っ先を真っ直ぐヒロボリに向けて様子を伺った。

 あいつが選んだ剣は大人用の木剣で、明らかに身の丈にあっていない。
 剣先は地面に落ちているし、何もしていないのに、もう息があがってる。

 勝てる。楽勝かも。

 そういった気持ちが僅かに出てきたけど、私はすぐに自分を諌めた。
 先生の言葉を思い出す。「油断こそが最大の敵と知れ」「自分の間合いと相手の間合いを見極めろ」「冷静に相手の動きを見ろ」「自分に何が出来て、何が出来ないのかを自覚しろ」
 私はヒルボリの全体を、そして私とヒルボリの周囲を広く意識して射抜くような思いで観察する。

 なんの脈絡もなく、奇声を発しながらこちらにドタドタと重い足取り迫るヒルボリ。
 必死の形相で剣を振るってくるけど、ノロノロとした木剣は私には当たらない。

 あ、やっぱり楽勝かも?

 二度三度とヒルボリの木剣は振られるけど、無理に当たろうとしなければ当たる気がしない。
 大降りの上段からの打ち下ろし……のつもりなんでしょうけど、私を見ていないから動く必要もない感じね。
 初めての実戦みたいなものだったからって、少しでも慎重にやろうとした私が馬鹿みたい。

 もう、終わらせるわ。

 私はヒルボリの手に打ち込んで木剣を落とさせ、そのまま足を後ろから払って尻餅をつかせる。そして目の前に剣の切っ先を突きつけてあげた。

「で、まだ続ける?」
「……ま、参った……」
「なんて言ったの? 聞こえないわ」
「参った」
「もう絶対に馬鹿にしません。は?」
「……も、もう絶対に馬鹿にしま……せん……」

 俯いて少し小さな声だったけど、少なくともグレタには聞こえたかしらね?
 ヒルボリはボーイに支えられて立ち上がると私に背を向けて、ヨタヨタとこの場から逃げようとしている。
 私はそんな彼の背中に向けてこう言った。

「ああ、そういえば負けたほうは勝ったほうの言うことをなんでも聞かなきゃならないって言ってたわね?」

 私は歩みを止めたヒルボリに勝者の権利を突きつけた。

「もう、私に手紙を書かないでくれる? 迷惑なの」





 ヒルボリを打ち負かせてスッキリした私は心おきなく剣の修行に打ち込むことにしようとした。
 あの決闘のことは子供同士のことだからと大きな話にはなっていないみたい。ヒルボリも何も言っていないみたいだしね。

 あんなことをしてしまったから、私へのお誘いの手紙も減るかしら? そうすれば、もっと剣の修行ができるかも!?
 と、思っていたの……だけれど。

「お嬢様、グレタ様達がいらしておりますが」
「グレタ? 今行くわ」

 約束なんてしていたかしら? と思いながら応接室に行くと、グレタ嬢の他に数人の若い貴族の娘が揃っていた。
 皆、この間の騒ぎの時に見かけた子達だ。

 私が部屋に入るや否や、その中心に立っているグレタ嬢が口を開く。

「お姉さま、私達、昨日のお姉さまの姿に感動いたしました。あのヤーデルードをああも美しくやっつけてしまうなんて!」

 お、お姉さま? 私はあなたの姉になった覚えはないのだけれど……? それにグレタ嬢はいいとして、他の人たちは何なの?

「お姉さま、私達、一生お姉さまについていきます!」

「……え゛?」

 その後、妙な取り巻きがつくようになり、更に剣の修行がままならないことになってしまう私だった……。
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