王人

神田哲也(鉄骨)

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閑話

閑話 「英雄」

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~side ダーナ

 その気持ちに気が付いたのは、いつのことだったろう?

 その想いを自覚するのに、どれだけの日々が必要だったのだろう?

 私は……。





「フン! にゃんにゃのだ、あの男は!?」

 ある夜、私はそう愚痴をこぼしながら城の食堂で夕食をとっていた。
 私の愚痴に気が付いて苦笑をもらす同僚にも気付かず、私は用意された魚のフライを荒々しく箸で突き刺す。

 たっぷりの油でカラッと揚げられた金色の衣をまとった魚。
 魚の種類は日によって違うが、どれも香ばしくて、噛めば魚本来の香りが口の中に広がる。最近はジュージューという、フライを作っているはじけるような音を聞くだけで涎が口の中で溢れるようになってしまった。
 ちなみに豚肉や鶏肉をフライにしたものもあるが、私は魚一筋だ。

 私のお気に入りのこの魚のフライという料理は画期的だった。正に革新だ。
 アラン様に言わせれば「まだまだタルタルソースの出来が……」と納得できていないような口ぶりだったが、これはこれで十分美味しい。

 不機嫌に、だが好物を口にして口元が緩む、それをまた不機嫌に塗りなおす。そんな意味のわからないことを繰り返していると、不意に私の視界が影に入った。

「ダーナさん、なんだか荒れてますだね~」

 私に影を作ったのは机の反対側に立つメイドのヘラ。手のトレーの上には湯気のあがる器と水の入ったコップが載せられている。……チーズの焦げた香ばしい匂い。あれは多分ドリアとかいう新しい料理だろうか?
 彼女は私に声を掛けて、対面の席に座った。

「また、セアドさんのことですか~?」
「……む」

 ヘラの口から私の不機嫌の元となっているあの男の名が出る。

 あの男はことあるごとに私に話しかけてくる。
 ヘラヘラとニヤニヤと私に話しかけてきては、私の心を苛つかせる。
 周りの茶化すような態度にまた苛つく。
 今日だってそうだった。
 ……かといってあいつが話しかけてこなければそれはそれで気になる。何故か気になる。
 特に女と喋っているのを見ると心がざわつく、苛々する。
 そんなときは後ろから奴の頭をはたいてやるのだ。こう、スパーン! と。
 そして怒り出すあいつと私。そして夕飯のおかずをかけて勝負して勝つ私。
 いつものパターンだ。

 目の前に座る少女に目を移す。彼女はスプーンでドリアを口に運んでは幸せそうに笑みを浮かべている。ドリアが熱いのか、時たまホフホフと口を動かして顔を赤くしているのも可愛らしい。
 まあ、その下にある、机に乗せられている巨大な二つのものは全く可愛げがないがな……。本人に言わせれば「重くて肩がこるし、動きにくいだけですよ~。足元も見えずらいですし~」とのことだが、まったく私には縁のない悩みだ。決してうらやましくなどない。……本当の話だ。

「……お前は、幸せそうだにゃ」

 つい出てしまった私の言葉に、ヘラはキョトンとした表情で私を見つめた。
 そして嬉しそうな笑みをその幼さが残る顔に浮かべると「当たり前じゃないですか~」と答えた。

 私が何故と問う前にヘラはその理由を口にする。

「毎日おいしいものが食べられるますし~。アラン様は可愛いですし~。フィアス様は可愛いですし~。奥様は綺麗で優しいですし~。ヤン様はかっこいいですし~。職場のみんな仲がいいですし~。アラン様は可愛いですし~」

 ……アラン様のことが2回も出たぞ?

「そういえばアラン様が愚痴っていたにゃ。「ヘラさんに服を剥かれるんです……」とか。
 まああのアラン様のことだから問題にはしにゃいだろうが、使用人としてそれはどうにゃのだ?」

 そう聞いてみたが、ヘラは「あの怯えた表情がまた……いいんです~」と恍惚の表情を浮かべ、両手を頬にあててくねくねと体をくねらせている。
 私はヘラの恍惚としたその表情に引きながらもあの小さな主人の為「……程々にしてあげにゃよ」と、気休めにしかならないであろう言葉を彼女に伝えるのだった。





「では、これより敵性亜人、オークの討伐に向かう!」

 町の入口に整列した私たちにそう宣言するのは、このレイナル領の領主であるヤン様だ。

 先日、狩人が森の中でオークの群れと接触、対話を試みたが言葉も通じず攻撃されたとのことで、その報告を受け、今日の討伐隊が編成された。

 ちなみに敵性亜人というのはゴブリンやオーガ等の元からの害獣、敵性種族に加え、獣人や亜人種が何らかの理由で狂ってしまったりして、人に危害を加えるようになってしまった存在のことを言う。
 今回のオークは豚人族という種族が敵性亜人になってしまったものを基本的には指すのだが、本来の彼らは基本的に温厚で争いを好まず、農耕を得意とする心優しい種族で、自ら攻撃をしてくることは滅多にないもの達だ。

 昔から私たちはそうやって変わってしまったもの達を憑りつき人と呼んでいるが、何故そういった憑りつき人が生まれるのかはわかっていない。

 憑りつき人には生まれた時からそうな場合と、ある日突然憑りつき人になってしまう場合とがある。
 どちらも人間の血を長い間取り込まず、交配を獣人種、亜人種のみで何世代か行った場合に発生しやすいということを私たちは経験から知っている。だが、発生しやすいというだけで必ず発生するわけではない。学者がそれを解明しようとしているらしいが、発生する本当の原因がわかったと聞いたことはまだない。

 魔や邪が憑りつくから憑りつき人。
 魔や邪が憑りつくということは、それは元々魔や邪に近かったから。
 従って、魔や邪が憑りつきやすい獣人や亜人は穢れたもの達である。
 従って、魔や邪をはねのける人間種こそが神に祝福された、真の神の子である。
 これは神光教会の連中が言っていた言葉だ。

 憑りつき人となったものは害獣と一緒で討伐の対象となる。それも優先的に。
 憑りつき人となったものはその目に憎悪を滾らせ、獣ような短絡的な思考に陥り、本能のみで生きるようになってしまう。
 そして見た目も変化し、獣人ならばより獣に近く、亜人ならば醜悪になる場合が多い。そして力が強くなる。
 これが一番厄介な問題で、その種族の特色をより強くするのだ。正常な種族では太刀打ちできないほどに。

 憑りつき人となってしまっては、その他の正常なもの達との共存は不可能だ。
 兆候が出ればすぐにでも捕えられて隔離。完全に憑りつき人になった場合は即処分されるのが常だが、逃げたり、逃がしたりするものも多くはないが存在するのが実情で、特に母親が自分の産んだ子が憑りつき人でも処分できず、逃がしてしまう場合が多い。

 ……だが、レイナル城下では憑りつき人を見ることはなかったな。
 ミミラトル神様がそれを防いでくださっているという噂は本当なのかもしれない。



 木々の密集する地帯に入った。

「ここからは分隊で行動する。何かあったら狼煙と遠話の術で知らせるように。
 各隊距離を保ち、連携を忘れるな」

 上官はそう言うが、五感が人間種よりも優れている私の役目は先行してオークの群れを探すことだ。
 私は背負っていた荷を他の者に預け、一人森の中に進みいった。

 森の中の音や匂いに集中し、慎重に進むこと30分。

「……いたにゃ」

 木と木の間の目の先にオークが立っているのを発見した。

 オークは一体。
 大きな木の棍棒を手に持ち、涎を垂らすのをそのままに、しきりに鼻を鳴らして周囲を見渡していた。

 まだこちらに気付いてはいない。周りに他のオークはいない。
 これは、やれるか?

 私は一呼吸の間に考えを巡らせると、静かに短剣を構え、音を消して忍び寄った。

 頭を低くし、木や藪の影の中を移動する。
 呼吸を意識的に浅くして気配を殺す。
 一歩一歩、オークに近づく。

 あと五歩。
 オークまであと五歩の距離となった。
 私は息を飲み、短剣を握る手に力が入る。

 ……よし。

 深く息を吸い、息を止める。そして私は次の瞬間、足に力を入れて一気に駆けだした。
 刹那のうちに縮まる彼我の距離。  
 突然の物音に気づき、こちらに目を向けるオーク。

 だが、もう遅い!

 私は跳躍し、その太い首に短剣を突き刺して一気に掻っ切る。
 直後、赤黒い血が吹き出し、生臭いその臭いが辺りにまき散らされた。

 オークは声を出すこともできず、首を押さえてヨロヨロと足を彷徨わせると、周囲の木々を震わせて大きく倒れた。私はそれを見て暫くの間、短剣を構えたまま目を逸らさずにオークが完全にこと切れるのを待つが、動き出す気配はなかった。

「フー……」

 完全に死んだのだろう。
 私は息を吐き出して脱力すると腕を振り、短剣についた血を簡易的に飛ばす。

「さてと、隊に連絡するかにゃ」

 私はオークに近づきながら、懐から遠話の術具を取り出そうとした。
 しかし、そのときだった。

「にゃ!?」

 突如として盛り上がる足元。
 激しく舞い上がる落ち葉と土埃。
 オークが地面から現れたのだ。

 地面から突然飛び出してきたオークは凄まじい速度で棍棒ふるってきた。
 バランスを崩した私はかろうじて手に持った短剣で防ぐが、横なぎに振るわれたオークの棍棒の威力そのままに吹き飛ばされてしまう。
 なすすべもなく背後の木に叩きつけられる体。
 呼吸が飛び、意識が飛ぶ。
 防具の隙間から枝が刺さっただろう脇腹からは血が流れており、鋭い痛みを訴えていた。

 足に力を入れようとするが、力が入らない。
 呼吸を整えようとするが、逆に乱れるばかり。
 持っていた短剣は木に叩きつけられたときに手を離れ、見れば目の前数歩の距離に転がっていた。

 ……まずい。

 私は罠に嵌められたのだ。
 それは一体を囮に、隠れていたもう一体が仕留める。そんな単純なものだったのだろう。
 飛び出してきたオークは先に倒したオークよりも大きく、強大だった。
 オークは血走った目をこちらに向けると私が女だと認識したのかその口元を歪め、ドシンドシンと地面が揺れるような足取りでこちらに向かってきている。

 思うように動いてくれない体を動かし、必死で短剣に手を伸ばした。
 あと少し。あと手の平程の距離だった。

 短剣の柄に指がつくかと思ったその瞬間、私の側頭部に衝撃が走る。

「キャゥッ!?」

 その巨大な手で横殴りにされたであろう私の口からは悲鳴が飛び出し、再度吹き飛ばされた体は受け身を取ることもできず、地に転がった。
 揺れる視界と鈍痛。
 鉄の味が広がる口の中。
 私はもう動くことができなかった。

 オークは私の頭を鷲掴みにして持ち上げる。
 足が浮き、地面を探して彷徨うつま先。
 私はその腕に爪を立てて必死に抵抗するがびくともしない。

 ニヤリと口角を上げ、オークは残った片方の手を私の鎧の襟元にかけると、それを力任せに引きちぎった。

「……嫌ぁ!」

 かろうじて出た言葉は意味をなさず、強い衝撃と布や革が引きちぎられる音が辺りに響く。

 露わになる肌、胸、腹、そして――。

 オークのその一物は硬くそそり立っており、それは否が応でもこの先の展開を私に予見させるものだった。

「……ひっ! ……嫌ぁ!!」

 私は足をばたつかせ、頭をつかむ腕を必死で引っ掻く。
 しかしそれを意にも介せず、私の腰を掴むオーク。

 誰か、誰か助けて!

 頭に浮かぶのは、何故かあの男のことだった。
 軽薄そうで、頼りなくて、私を苛つかせるあの男。
 何故か目で追ってしまう、あの男。
 何故か無視できない、あの男。
 私に向けるあのまぶしい笑顔がすぐに目に浮かぶ、あの男。

「……セアドぉ!」

 私は叫んだ。
 幼子が親に助けを求めるように。
 ただ一人に助けを求めた。

 そして私のその必死な叫びが届いたのか次の瞬間、状況は一変することになる。

「プギィィィ!」

 オークの悲鳴が響き渡る。頭の圧力が消え、解放される体。
 うつ伏せの状態で倒れた私が見たのは、巨大なオークに槍を突き刺すあの男の姿だった。

「僕のダーナに……! 許さない!」

「プギィッ!」

 脇腹を刺された怒りで腕を振り回すオーク。
 その腕は槍の柄を折り、セアドに向かった。
 セアドがそれを躱そうとするには既に遅かった。
 折れた槍に気を取られたセアドは強烈な一撃を、鉄の鎧で覆われている肩に受ける。
 体の大きさが段違いなそれらを比べれば、セアドが吹き飛ぶのは当たり前のことだった。

「くそ!」

 だが硬い鉄の鎧のお蔭でさほどダメージを受けていないセアドはすぐに立ち上がり、腰の剣を抜いた。
 剣先をと鋭い視線をオークに向けるセアド。
 対してオークは落ちていた棍棒を拾いあげ、雄叫びをあげてセアドを威嚇した。

 駆け出すセアド。
 オークは迎え撃つように棍棒を振りかぶった。

「うおおおおお!」

 振り下ろされる棍棒を躱して切りつけるセアド。
 切りつけた脇腹からは鮮血が飛び散るが、その動きを鈍らせることはなく、オークは更に棍棒を振り回した。
 横なぎの一撃をしゃがんで避け、胸を突く。
 振りかぶって放たれるその一撃を受け流し、その腕を切りつける。
 振り回した腕を後退して躱し、ふとももを流し切る。
 しかしどの攻撃も厚い脂肪に守られたオークの肉の鎧を貫くことはできず、セアドは徐々に押されていった。

 呼吸を荒くし、動きが鈍くなったセアドは、オークの一撃を剣で受けることが多くなる。
 受けられても受けられても休むことなく無造作に棍棒をセアドの剣に叩きつけるオーク。

 その光景は長く続かなかった。

「ぐあっ!?」

 何度目かの一撃を受け吹き飛ばされる剣。

 そして体をくの字に、その強烈な一撃を体に受けるセアド。
 奇しくも私の方に転がされてきた彼は尚も立ち上がり、私を守るようにオークに立ちふさがった。

 それを見て顔を喜色の色に歪めるオークはわざとゆっくりこちらに近づいてくる。

「……ダーナ。君は僕が死んでも守る。
 だから、絶対に死んじゃだめだ!」

 振り向かず、そう声をかけるセアドに私は「私のことなど放って逃げろ!」と、そう口に出したいが口は思うように動いてくれず、ただ嗚咽が漏れるだけだった。

 私とセアドの前に立ち、こちらを見下ろすオークはとどめをさそうと棍棒を振りかぶった。
 巨大な棍棒が振り下ろされる。

 だが、その手と首が突然宙に舞った。

「……うわ!?」
「……にゃ!?」

 赤黒い血を吹き出し、前のめりに倒れるオーク。

 背後に立っていたのは、銀に煌めく大剣を振りぬいた姿の赤髪の男。
 ヤン様その人だった。

「大丈夫か!?」

 ヤン様の背後からこちらに駆けてくるのは救護を担当している術士。
 彼らは崩れ落ちるセアドと私に駆けより、応急措置を手早く施していく。

 私はどこか遠い所で行われているようなそれを眺めながら、ゆっくりと目を閉じた。





 気が付いたとき、私は知らない天井を見上げていた。
 片目は開かない。
 どうやら包帯を巻かれているようだ。

「気が付いたかい?」

 声の方向に顔を向けば、すぐ横に見知った男が私と同じようにベッドに横たわり、心配そうな瞳でこちらに顔を向けていた。
 私が頷くことで彼の問いに応えると「……良かった」と、彼は笑った。

「討伐は無事に終わったみたいだよ」
「……そうか」
「負傷者は僕らだけ」
「……そうか」
「……」
「……」

 彼は顔を天井に向けて呟く。

「……助けられなかったなぁ……」
「そんにゃことは……」
「いや、助けられなかったよ。僕は」

 彼は力なく笑った。

 だけど、彼は助けてくれた。
 もしあの時彼が来てくれなかったら、私は今どうなっていたか……。

「……僕はさ、英雄になりたかったんだよ」
「……英雄?」
「うん、ヤン様みたいな、ね」
「……そう、か」

「僕は……」

 彼がこちらを向く。その青い瞳は真剣で、私は何故かそれから目を逸らすことはできなかった。

「……僕は、君を助けられただろうか?」
「ああ」

「……僕は、君の助けになっただろうか?」
「ああ」

「……僕は」

 言葉の詰まる彼に私は声を掛ける。

「……もう、にゃにも言うにゃ」

 そう言って隣に寝る男の手をそっと握ると、彼は目を見開いて驚いた顔をしつつもそっと握り返してきた。
 あのオークの手とは違う、ゴツゴツとしながらも優しい男の手を握りながら私は彼の目を見て言った。

「……お前は。お前は私の英雄だよ。間違いにゃい」 

 そう言う私に彼は涙を浮かべ、「……ありがとう」と呟いた。

「……私も……ありがとう」

 赤くなっている顔を隠すこともせず、ただ見つめあう私たち。
 心に何か温かいものが広がっていくのがわかった。



 白い布が踊る小さな部屋の中、私と彼との何かが通じた。

 そんな気がした。
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