王人

神田哲也(鉄骨)

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5巻

5-2

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 戻ってきて早々、動揺しきりの俺の話を聞いたカサシスは、なんでもないことのように言った。

「あー、それはあれや」
「何か、知ってるのか?」

 フラン姉ちゃんがあんな……俺を婚約者だなんて言った、その理由を。

「あれや。フラン姉ちゃんは多分、光の騎士団をけんせいしたいんやと思うで」
「牽制……? 確かに、光の騎士団に入隊したくないって言ってたけど」
「だからや。婚約者がおるって言っとけば、光の騎士団も無理やり入隊させるなんてできへんもん。俺のとこにも、同じような話が来たで? それも三人から」
「もしかして、ベルさんと、リーゼと、ミモザ? ってか三人て、カサシスはすごいな」
「何言ってんねん。そんなん、本心やないに決まっとるやん。流石さすがに団長のフラン姉ちゃん差し置いて、アランには頼めなかっただけやで。ま、精霊の乙女に言い寄られるんも、悪い気はせえへんけどな」

 カサシスの言うように、フラン姉ちゃんは光の騎士団に入りたくないがために、俺に婚約者役をやるように言ったのだろう。
 でも、それならそうとはっきり言ってくれればいいのに。

「……ん? てことは、俺、あの三人からも?」
「だから、そう言っとるやん。ほんまモテモテやな、アラン」
「まじっすか」

 衝撃の事実。考えないようにして、話題を変える。

「それにしても、もう光の騎士団がこの街に来ているってことだよな」
「来とるのはせんけんたいやな。なんでも、あの戦いをていさつたいが見とったらしいで? そんで、すぐに報告あげたんやろ」
「近くにいたんなら、ほんと手伝ってくれればよかったのに……」
「ま、光の騎士団やし、戦力の期待はできへんかったやろ。教主様になんかあったら、えらいことやしな」
「……まあね」

 理屈はわかるけど、に落ちない。もやもやした気持ちを抱えたまま、その日は床にいた。


   †


 翌日、俺はベルドザルム家へとおもむいた。
 約束した通り、フラン姉ちゃんの婚約者として一緒の馬車に乗る。
 カサシス達は、俺達とは別の馬車で後をついてきた。多分こんなところでも、気を遣ってくれたんだろうなあ。
 がたごとと揺れる馬車で向かい合わせに座る俺とフラン姉ちゃん。彼女はなんだか緊張しているみたいだ。

「フラン姉ちゃん」
「な、なな何よ?」
「そのドレス、綺麗だね。よく似合ってる」
「は?」

 フラン姉ちゃんの着ているドレスは、空のように真っ青だった。
 装飾は控えめながら、さりげなくほどこされたしゅうとフリルは、日に照らされた雲のように白い。
 俺は自分の言葉にフラン姉ちゃんが照れると思っていた。それで緊張がほぐれるならいいなと考え、わざと少し台詞せりふを吐いたのだ。もちろん、本心からの内容ではあるが。
 フラン姉ちゃんは少しの間、呆けていた。

「ふ、ふふふ……。あはは……あははははは!」

 しかし突然笑い出したフラン姉ちゃんに、今度は俺が呆けてしまう。
 あれ? なんだか思っていた反応と違うぞ?


 もっとこう、顔を赤くするとか、うつむくとか、そんなふうになると思っていたのに。

「フフフ、アランもそんな言葉を言うようになったのね」

 彼女は目尻に指を当て、涙をく。

「あー、まあ、ね」
あいにくだけど、その手の言葉は言われ慣れてるのよ」
「そっか。残念」

 フラン姉ちゃんを照れさせるという俺のたくらみは、見事に失敗したわけだ。
 だけど、本来の目的である、彼女の緊張をほぐすということには成功したように思う。

「ごめんね。昨日はいきなり婚約者だなんて言われて、混乱したでしょう?」
「うん。まったくだよ」
「ごめんってば」
「それで? やっぱり光の騎士団への牽制なんだ? 光の騎士団に入る許可をもらったって話だったけど、それってつまり勧誘ってことでしょ?」
「いえ、まだはっきりと誘われたわけじゃないけれど、入るように勧められるのはまず間違いないと思ったから、先に言ったのよ、婚約者がいますって」
「それで、相手はなんて?」
「特に何も? 多分こう言われて断られることなんて、珍しい話じゃないんじゃないかしら?」
「で、今日連れて来いって言われたんだ」
「そこまでは求められなかったけどね。アランが言った通り、牽制ってことよ」
「そっか」

 馬車の進むスピードが落ちてきた。そろそろ到着するのだろう。
 俺は窓から顔を出し、前方を見る。

「あれ、門から人が出てきた。出迎えかな?」
「ああ、多分そうね。今日の式典の前にベルドザルム侯爵がアラン達に挨拶をしたいとか、そういうことじゃないかしら? ほら、貴方あなた達、まだ侯爵にお会いしていないでしょ?」
「ベルさんの父親ってことだよね。うん。確かにまだだった」
「流石に今回の戦いの功労者に顔合わせもせず式典はできないでしょうから、先にお礼を言いたいってことだと思うわよ」

 ベルドザルム侯爵家は葡萄畑に囲まれていた。
 これから収穫なのだろう。植えられている葡萄の木はたわわな実を豊富につけている。
 敷地内にある倉庫の中には、大きな樽がいくつも見えた。あの樽で葡萄酒を作るのかもしれない。
 いくにんもの使用人が門の前に並び、俺達の乗る馬車を出迎えた。
 門の前に立って両手を広げているのは、かっぷくのいい壮年の男性。使用人とは違う、上等な紳士服を着ている。ベルさんと同じ、濃い茶色の髪だ。
 隣にはベルさんが立ち、男性と同じようにこちらに視線を向けている。
 きっと、あの男性がベルさんの父親、ベルドザルム侯爵に違いない。
 地面に降り立った俺達に使用人達が一斉に頭を下げ、ベルドザルム侯爵は大きな声で、言い放った。

「よくぞいらっしゃった! パウーラの英雄よ!」


 俺達はベルドザルム家の応接室に案内され、葡萄酒を振る舞われた。
 昨年作ったというこの葡萄酒は、つうに言わせると若くて深みがないそうだが、俺にとってはあっさりした、爽やかないい味だ。
 俺の向かい側に座ったベルドザルム侯爵は、にこやかにグラスを傾ける。

「今年の葡萄酒は、かなり期待ができそうなのですよ」
「ほほー。葡萄王と言われとるアンタが言うんなら、相当なもんやろなあ」

 カサシスは相手が侯爵でも普段通りだ。まぁ、サージカント家のほうが大きい家なのだから当然か。

「ははは、私が王などと恐れ多い。まあ、今年の葡萄は例年並みではあったんですが……」
「例年並みなのに、かなり期待できるんですか?」
「ふふふふ。そうです、昨日までは例年並みでした……。ですが、あの精霊の奇跡の後、なんと葡萄の粒が、今までになく良いものになっていたんです! それもこれも、皆さんのおかげです。このパウーラを救ってくださり、本当にありがとうございました」

 そう言って、ベルドザルム侯爵とその隣に座るベルさんは頭を下げる。

「私からも御礼申し上げます。ありがとうございました」

 ベルドザルム侯爵が言うには、精霊達が戦いで荒れた大地を回復させるという奇跡を起こしたことで、もともと育っていた葡萄の実まで良質になったのだとか。
 しかも俺達がフレイムオーガを倒した場所には、ひときわ大きな葡萄の木が生えてすぐに実をつけたそうだ。
 試しに食べてみたところ、甘さの中にほのかな酸っぱさを備えた、生食でも十分においしい葡萄だったとのこと。
 先祖の悲願が叶ったと言う侯爵の笑顔には、心からの喜びが溢れていた。
 そうしてお礼をされた後、俺達はベルドザルム侯爵家の前にある石畳の広場に案内された。
 今日の式典会場はここらしい。
 もう少しすれば、広場は収穫された葡萄でいっぱいになるそうだ。街の人が総出で葡萄酒作りに参加するのは圧巻だと、いつか読んだ旅行誌にも書いてあったっけ。
 やがて、広場は式典に参加する人で溢れ返るようになった。
 式典には、パウーラの騎士、兵士、街の名士。そして今回の騒動で共に戦った、ダオスタの騎士団や冒険者達が参加している。
 葡萄酒の注がれた杯を一斉に掲げて、死者へと祈りを捧げ、また勝利を祝う。それは終始どこかおごそかな雰囲気で行われた。

「この戦で、友人を、家族を失った者も多いだろう。私達は懸命に戦い、傷ついた。だが、今はこうして、杯を共にしている。この地で作られた葡萄酒を手にしている。かぐわしい香りをぐことができる。美しい色を見ることも、味わうこともできる。なんと幸せなことか。我らは勝った。そう、我らは勝ったのだ! あの亜人共に! 皆も見たであろう、精霊の姿を、奇跡を! 皆でたたえようではないか! 炎の巨人を打ち倒した、英雄達を!」

 厳粛な雰囲気は一転、ベルドザルム侯爵の言葉で皆の気持ちは高揚していく。
 壇上へと促された俺はその熱気にあてられて、逆上のぼせたようになった。
 俺のことを……俺達のことを英雄だと呼ぶ声が一層大きくなる。
 また、同時に精霊の乙女への称賛も声高に叫ばれた。
 この日、俺は勝利に導いた立役者として、パウーラの英雄という名を授けられ、多くの人々に祝福されたのだった。


 式典が終わった俺達は、侯爵に連れられて再び応接室にやってきた。
 部屋の中で待っていたのは、銀の鎧を着た二人の騎士だ。
 その顔に見覚えはない。俺と同じ、黒髪の若い二人。キースとイエンと名乗った彼らは、光の騎士だった。
 キース達は先遣隊で、二日後に行われるパウーラでの正式な式典に参加した後、さらにダオスタに向かうそうだ。

「では、あなたがフランチェスカ様の、婚約者という……?」
「そしてそちらの精霊の乙女達の婚約者は、帝国のサージカント家のカサシス様、ですか」
「ええ。そうです」
「そうや」

 俺とカサシスはそう答え、フラン姉ちゃん、ベルさんにリーゼ、そしてミモザは静かに口を閉ざしている。
 そのような設定になっています――などとは言えない。

「私とアランは幼い頃から家族ぐるみで付き合いがあるのです。お疑いになるのですか?」
「いえ、そのようなことは」
「ただ、まさかフランチェスカ様のお相手が、あのレイナル家のご子息だとは思わなかったもので」

 苦笑しながら返すキースとイエンに家名を言い当てられ、少し驚く。

「俺のことを知ってるのですか?」
「もちろんです」

 精霊を呼び出し、奇跡を起こした精霊の乙女。その乙女達を神光教会に取り込むためにこの二人は来た。そう思っていた。
 だけど二人の騎士は、意外にもそれほどフラン姉ちゃん達にしつしてはいないようだ。

「アラン・ファー・レイナル様。たびは亜人の群れの中に身を投じ、カサシス様や仲間と共に炎の巨人を打ち倒したとか」
「まさに英雄と呼ぶにふさわしいご活躍。まるで物語の中の勇者のようですね」
「お父上はこの国の英雄、ヤン様。そして、お母上は、宮廷法術師として数多くの法術を開発されたマリア様であられる。アラン様ご自身も、結界や治癒術などに精通しているとうかがっています。さらにはレイナル領で産出される虹石の権利を我が物とすることもなく、多くの獣人を受け入れているそうですね」

 キースとイエンの称賛の言葉は止まらない。

「どうでしょう、貴方様のお力を世界のために役立ててみては?」
「アラン様がすでに多くの人々をお救いになっているのは我々も承知です。しかし、より多くの方を救うために、神の御名のもとに――光の騎士団に入ってみてはいかがでしょう? 世界の救いのために、私達と共に!」
「アラン様を光の騎士団にお迎えすること。それこそが我らが神より与えられしこのパウーラでの使命。いや、運命!」
「光の騎士団に入り、神の御下で人を救っていくことこそがアラン様の神命なのです!」

 そう。二人は精霊の乙女ではなく、むしろ俺を勧誘してきた。それも、がっつり。
 彼らはうちの事情にやけに詳しかった。
 まあ、光の騎士団に所属する者の出身国は様々だと聞く。ここグラントラム王国出身の騎士がいてもおかしくないだろう。
 隣に座るフラン姉ちゃんは予想と違う展開に困惑しつつも、静かに成り行きを見守っている。ベルさん達三人は、顔を見合わせるばかりだ。
 使命。運命。宿命。神命。彼らはそんな言葉を使って、俺が光の騎士団に入るのは定めだと言った。が、そんなことを言われても、正直困る。
 助け舟を出してくれたのは、カサシスだった。

「まあまあ、お二人とも。アランかて、そんなまくし立てられてもすぐには答えられんやろ。考える時間も必要や。ここは少し時間をおいたらどうや?」

 しかし、二人は易々とは引き下がらない。

「こうやって私達がアラン様とお会いできたのも、神のお導きあってのことなのですよ」
「いや、だからって、この場で返事はできへんやろ。アランにも色々と都合っちゅうもんがあんねん。いったん落ち着こうや。な?」
「アラン様は光の騎士団に入るべき人なのです!」

 カサシスがなだめるが、二人はなかなか気持ちを変えなかった。
 なんだか、神様を出されてしまうと何も言えなくなるな。ここで無下に断ったら、まるでこっちが悪いみたいじゃないか。
 とはいえ、何人かの神様に実際に会ったことのある俺としては、どうにも彼らが言っていることを素直に受け入れられない。
「こうあるべき」「こうするしかない」――これは人を縛る言葉だ。
 俺がレイナル領の城の地下で救い出したミミ様ことミミラトル神も、精霊樹に寄り添っていたアリス様ことエエカリアリス神も、ついこの間ダオスタでお会いしたオメテクトル神も、俺を縛るようなことは言わなかった。

「まあまあ、そうかもしれんけども。仮にアランが入りたい思うてるとしても時間は必要やで? アランにだって立場があるんや。うちの兄貴やって、入る入らん決めるんに、えらい時間かけとったなあ」
「……あの、ハロルド様もですか」

 深く頷くカサシスに感謝しながら、俺もやっとのことで言葉を返す。

「カサシスの言う通り、考える時間をもらえますか? 幸い、お二人もあとでダオスタにいらっしゃるのですから、返事はそのときに」
「……まあ、そういうことでしたら、今は引きましょう。ですが、次にお会いするときには、良いお返事をいただけると期待しておりますよ」
「……前向きに検討します」

 まるで政治家のような物言いだと自分でも思ったが、二人は納得したらしかった。俺のことを諦めたわけではないみたいだけど……。

「そういえば、ハロルド様もこちらに向かっているのですよ。なかなか普段はお会いできないでしょうし、この機会に面会されてはいかがですか」
「うぇっ!? 兄貴もこっち来るんか!?」
「もちろんです。ハロルド様は教主様随伴騎士の筆頭でございますから」
「そっかあ。……ほな、会っとくかな」
「ハロルド様もきっとお喜びになるかと」
「さよか」
「ええ。きっと」

 ベルドザルム侯爵が二人を伴い、退室する。
 彼らが去った部屋の中で、俺達は一斉に息を吐き出すのだった。

「あれが光の騎士、かあ」
「噂通りの強引さねえ」
「うちの兄貴もあれにやられたクチやからなあ」

 俺とフラン姉ちゃんがぐったりして言うと、カサシスも疲れたような表情になる。

「最近はあまり評判も良くないですからね」

 ベルさんも、苦笑しながらそう言った。

「でも、やはり、彼らはフランチェスカ様を狙っているですね。たとえ結婚までの短い間だったとしても、藍華騎士団団長で精霊の乙女でもあるフランチェスカ様が入団すれば、光の騎士団の評判が上がるですから」
「え? ミモザ、それはどういうこと?」

 首を傾げ、ミモザに説明を求めるリーゼ。

「だって、フランチェスカ様の婚約者であるアランが光の騎士団に入れば、必然的にフランチェスカ様も光の騎士団に入団することになると思うですよ? 光の騎士となったアランは命じられることになるです。フランチェスカ様を光の騎士団に入れろって。あの人達の態度からして、多分断っても断っても言い続けるですよ。そしてアランはそれに負けるのです」
「いや、それは考えすぎじゃないの?」
「いえ、リーゼ。ミモザさんの言う通りですわ。考えてごらんなさい。フランチェスカ様をお救いしたあの夜のことを。アランはわたくし達の勢いに負け、あの装いになったのですよ」
「……あー」

 リーゼは一瞬動きを止めた後、納得したような顔になった。
 俺としても、反論できないのが悲しいところだ。けれど、あの場面で女装したのはやむを得ずというか、背に腹は代えられないというか……。

「あの装い? なんのことや?」
「それはですね、カサシス様――」
「なんでもない! なんでもない! そ、それよりもカサシス、お兄さんに会うんだろ? 準備とかしなくていいのか!?」

 話が変な方向に行きそうだったので、俺は慌ててみんなの会話に口を挟んだ。
 カサシスはいぶかしげな顔で俺を見やったが、何かを察したらしく、口元に嫌な笑みを浮かべるのだった。

「……ほーん。まあ確かに、兄貴のこともあるしなあ。せやかて、そないに急がんくてもなあ」
「い、いやいや! ほ、ほら、カサシスも色々と忙しいだろ!? だから今日ははこれで失礼しよう! な!?」
「うーん……まあ、忙しいんは確かやけど、ほら、俺も一応ベル達と婚約者なわけやし、もうちょい親交深めても……」
「い、いいから! そういうの、ほんといいから! じゃ、じゃあみんな! 俺達はこれで!!」
「あっ!? ちょ、アラン!? そない押すなや」

 俺はカサシスの抗議をスルーし、フラン姉ちゃんと他の皆の何か言いたそうな視線を無視して、ベルドザルム家を後にしたのだった。
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