王人

神田哲也(鉄骨)

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7-05

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 木と石の牢獄。
 私はここをそう称呼している。
 正式名称はミルヴァレーゼ宮殿という。
 異称は輝く青の宮殿。
 優美で絢爛、贅沢を極めたそこは、この世に並び立つものはないと人は賛美する。
 ここにはなんでもある。
 国内外の宝、食べもの、人。
 希少といわれる、ドラゴンの骨でさえも。
 ここは世界の中心である。
 あらゆる情報が集まり、指示すれば何もかもがその通りに動くのだ。
 私の名はギリェルモ・ヴァルク・サージカント。
 この木と石の牢獄の主である。

「……当主。カサシスが帰還いたしました」

 息子であるエドゥアルドがまどろみにあった私に声をかけ、覚醒する。

「カサシス? ……ああ、確かお前の妾腹の。奴には確か隣のグラントラム、レイナル領への手引きと、介入を命じていたはず」
「はい。その報告に参ったと。英雄の息子を連れて」
「ふむ」

 体を起こそうとすれば自然とエドゥアルドの手が背中を支え、実によどみなく視界は上がる。

「お会いになりますか?」
「そうだな」

 そう応えれば、エドゥアルドは私を支えていた手に更に力を込める。
 しかし私はただ手を小さく動かしてそれを制する。

「いや、何故息子なのだ?」
「……それは」
「あれには確か、英雄か、若しくはその妻である法術士の女を連れてくるよう言いつけておいたはずではなかったか?」
「……カサシスが言うには、英雄はまだグラントラム国内の砦に援軍として赴いた後、行方不明となり、レイナル領には戻っていないとのこと。またその妻はそれに代わり、自領の安定に努めていて離れられないらしく。代理としてその息子、アランというそうですが、それを連れてきたと」
「話にならぬ」

 切って捨てる。
 私が出した指示の、その結果ではないからだ。

「私の指示は絶対だ。二通りもの選択肢を与えていたというのに、それではない者を連れてきただと? わきまえておらぬ。そのようなものに時間を割く必要はない」
「ですが、当主」
「待たせておけ」
「……承知しました」

 そうして起こした体を再び後ろへ沈める。
 エドゥアルドが立ち去る音を見送ると、私は目を瞑った。
 胸の苛立ちを抑えようと。
 カサシス……。

「冒険者になっただと? ……忌々しい」

 あやつは幼少の頃から異質であった。
 誰よりも活発で、誰よりも聡明。決してこのサージカントのしきたりに囚われなんだ。
 いくら贅沢に溺れさせても、それに浸かるようなことはない。
 どれだけ孤独にさせても、目から力は失われない。
 血と肉に狂わせようと、サージカントに歯向かった貴族の粛清に参加させたりもした。
 だが、奴は変わらなかった。
 いや、変わったやもしれぬ。表面上は私に媚び諂うように、やがて恐れているかのように。
 だが、いくら叩き潰しても、その本質に陰りはなかった。
 奴の本質とは、純粋なまでの『渇望』。
 私にはないものだ。
 私は贅沢に溺れた。身を包む衣服、食事、ありとあらゆる道具、住居。清潔で美しい、一流の職人が仕上げた逸品に。
 故にこの宮殿の外に興味は湧かなくなった。
 子供心にそれは刻まれた、宮殿の外のものは、内のものよりも劣っているという事実。
 だがそれらの優れたものは、私を孤独にした。
 物心ついたときから、常に人は周囲にいた。
 だがそれは侍る者達であって、媚び諂う者であって、敵であって、対等のものではなかった。
 両親は私が生まれた後、見向きもしなくなった。母は男に溺れ、父は政争に明け暮れていた。
 敬うべきものはなく、それらだけがあり、私には心の内を曝け出せる相手など皆無だった。
 他者をこの手で粛清したときも、ただベッドで塞ぎこんでいたに過ぎない。
 あのときの吐き気を催した想いは、柔らかな毛布の仲に沈んだ。
 苦しみだけが私の中に根付き、やがて苛むようになるのに時間はかからなかった。
 だが、それらは過ぎたことだ。
 誰もが言うのだ。私のことを。

『偉大なるサージカントの主』

 そう。
 私はサージカントの主。サージカントは我であった。
 畢生の事柄はサージカントを存続させること。サージカントを体現することにあり。
 帝国の王など歯牙にもかけぬほどの富と権力を持つ
 故に、私の命令は絶対なのだ。
 何者も、私の眠りを妨げることはない。
 そのはずだった。

「貴方が、ギリェルモ・ヴァルク・サージカントですか」

 突然聞こえてきた声に、意識は覚醒する。

「……誰だ」

 静かに声を発する。動じるようなことはない。
 こんなことは、今までに何度も逢着している。
 望むことのない出会いであることは確かだ。
 また、暗殺者か。それとも……。
 ゆっくりと瞼を持ち上げるとそこにいたのは、黒髪の青年であった。
 艶のある黒髪に、凛とした顔形の整った青年だった。
 その脇には白く輝く毛並みの狼なのか。
 腰ほどの高さの体躯の狼は、奴の護衛なのだろう。
 少なくとも暗殺者ではない。表情を見る限り、何か取引をしにきたわけでもないだろう。

「名乗れ。私の顔をただ見に来たわけでもなかろう」

 威を込める。
 大抵のものは、これで私に跪くはずである。

「俺の名前はアラン。アラン・ファー・レイナルです。この名前に聞き覚えがあるはずです」
「……ほう」

 だが跪かなかった。堂々とした態度、真っ直ぐな瞳。
 これが例の英雄の息子か。

「それで? ここは私の私室だ。許可のないものは勿論、許可のあるものでさえそうそう立ち入れる場所ではない」

 英雄の息子は悪びれもせずに言った。

「いえ、あまりにも待たせられるので、こちらから赴いただけのことですよ」

 その言葉に怒りが篭もっているのを見て取れた。
 この私を前にして、なかなかに面白い小童だ。
 私は自らの髭を撫で、問いかけた。

「それほどの用件か?」
「それほどの用件です」
「では、聞こう」
「ありがとうございます」

 さて、何を話すのか。
 だが十中八九、レイナル領のグラントラムからの離反計画のことだろう。
 計画はうまくいったと報告があった。
 まずはグラントラム内の英雄に不満を持つ貴族どもを懐柔し、まとめあげた。
 英雄には味方も多かったが、敵もまた多かった。
 英雄は武力で貴族となった成り上がりだからだ。
 くだらないことだが、旧来の貴族というものの多くはそれを嫌う。
 尤も、あの英雄は領経営もなかなかのものだったらしく、ただただ過酷だとされた土地で様々なものを見つけては資金に換えていったのだが。
 特にあの虹石は格別のものだろう。
 あれのお陰でレイナル領の名はグラントラム国内に留まらず、周辺各国にも轟いた。
 さらに、その鉱山を国に譲渡するという行為で、国王の印象もあがり、多額の財を得た。
 まさに彗星の如く現れた男だ。
 だが、その活躍ゆえに旧来の貴族からは蛇蝎のごとく嫌われた。
 不満は大きくなり、サロンでは奴への不満が常に噴出していたのだという。
 グラントラム内で起きた獣人どもの大逃亡もまた、それに拍車をかけた。
 失った労働力。何の被害もないレイナル領。
 人は他人の成功を羨み、恨むものだ。
 それはこの私も例外ではない。
 だから、欲しいと思ったのだ。
 私はこれまで、望むままに手に入れてきた。これからもそうであるべきだ。
 追い詰められたレイナル領は、サージカントのものとなるだろう。
 寄る辺無き人は、大きな庇護を得たがるものだ。
 その怒りは強がっているだけだ。

「では、言わせていただきます」
「ふむ」

 アランは目を閉じ、深く息を吸い込んでから吐く。
 開かれた目には、強い決意が見て取れた。
 大方、サージカントの傘下には下るが、心は屈しないなどと、戯言を放つつもりなのだろう。
 なんとも面白みの無い答えだ。
 放たれた言葉は、私の予想だにしないものだった。

「――ふざけるなよ。レイナル領は誰のものにもならない」

 明らかな敵意。
 暖かだったはずの室内が急に冷え込んだかと思うほどの。

「貴様、誰に向かってその言葉を向けているのか、わかっているのだろうな」

 だが、そんなものは私を挫くものに成り得はしない。
 我は王。我はサージカントなのだ。
 小童の殺気など、軽く受け流せよう。
 姿勢を直すことなく、威圧を強める。
 凡人ならば間違いなく跪く。優秀なものならば、怯む。

「サージカントは帝国の要。帝国の盾であり、矛であり、文化だ。この世で皇帝に並ぶ力を持つのが私だ。わかっておろうな? その私に対し、先の言葉をもう一度申してみるがいい。その先のことを、よく考えてからな」

 そして、利に聡いものは、頭を床に擦り付けるのだ。
 しかし小童はそのどの行動もとらなかった。

「とぼけるな。全部わかっているはずだ」
「何を言って――」
「もう一度言っておく」

 不敬にも、言葉は言葉で塞がれた。

「レイナル領は誰のものにもならない。そして、カサシスも」

 そうして、奴の姿は消えていった。
 まるで闇に掻き消えるかのように。

「俺たちは、好きにさせてもらう」

 そんな言葉を残して。
 部屋の窓は、扉は閉まったままだ。
 そのどれもが開いたような形跡はない。
 静かになった部屋の中で、先ほどの一連のことを思い出す。
 近くに用意されていた酒を一口含むと、芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
 夢ではなかった。
 肘掛に手をかけ、立ち上がろうとしたとき、ノックの音が響いた。
 続いて聞こえてきたのは、聞きなれた身内の声。

「失礼します。当主。来客が」
「来客? それよりも、カサシスとレイナルの小童はどうした?」
「カサシスとレイナル? あやつらならもう一時間以上も前に立ち去りましたが」
「……そうか」
「それで来客なのですが」
「ふむ」

 エドゥアルドの注げた相手。それは――。

「ヤン・ファー・レイナル、と名乗っております」

 一週間後。派遣された我が家の家臣が逃げ帰ったことによりレイナルの告げたことが真であったと知る。
 私はそれを受け、忌まわしいが奴らの支援をすることを決定した。
 約束は約束。賭けは賭けだ。それを違えることは、サージカントの名を汚すことになる。
 私の名はギリェルモ・ヴァルク・サージカント。
 この木と石の牢獄から世界を操りし、支配するものである。
 彼の地には、その威光は届かない。
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