2 / 8
第02話 記録にない死、消された存在
しおりを挟む
王都には、できるだけ目立たぬように入った。
国境警備の副団長という立場は、本来ならばこれほど容易に本拠地を離れられるものではない。
だが、日頃から俺が築き上げてきた【貸し】と裏で手を回した僅かな繋がりが数日の猶予を与えてくれていた。
それは、この忌まわしい事実の裏側を暴くための、決して譲れぬ時間だった。
騎士団の正式な用務ではなく、個人的な理由での滞在。
表向きは休暇として処理されたが、その目的はただ一つ──リリスを殺した者への復讐だ。
そのためには情報を色々と集めなければならないと思った。
王都の喧騒は国境の冷たい風とは異なる、しかし同じくらい俺の心をざわつかせる偽りの平穏を纏っていた。
まず最初に訪れたのは、中央管理局の文書課だった。
出張管理局──表向きは行政記録の保管部署だが、裏では王家に関わる秘匿された記録や、神殿関連の【未整理文書】という名の【不都合な真実】も抱えている。
澱んだ空気と古びた紙の匂いが満ちる、薄暗い一室。
受付の眼鏡をかけた男に階級も名も伏せて入室を促すと、奥の小部屋で別の中年男が顔を上げた。
彼は俺の顔を見るなり、一瞬だけ目を見開いたがすぐに諦めたような顔で小さく頷いた。
「……久しいな、副団長殿」
声には、過去の因縁と、面倒事を予期する響きが混じっていた。
「ああ、時間はない……要件は一つ。妹の死亡記録を確認したい」
「妹……君に妹など──……ああ。あの子か。リリス嬢」
男の目の奥が、ほんのわずかだけ濁った。
思い出そうとするふりをして、すでに知っている顔をしてきた。
それは単なる業務上の知識ではない、何かを隠蔽する側の人間特有の覚悟のような澱みだった。
「頼む、全記録を見せてくれ。診断書、神託、召喚状、何でもいい……リリス=グレイヴに関する、ありとあらゆる文書を」
「……」
彼は大きな溜息をつき、古びた鉄製の鍵を取り出した。
重く鈍い音を立てて、分厚い扉の奥に保管された記録の山へと向かう。
──が、記録はすぐには出てこなかった。
何枚もの分厚い台帳をめくり、埃を払い、古い書物を手繰る。
男の額には、いつしか焦りの汗が滲んでいた。
やがて、彼は青ざめた顔でこちらを振り返る。
「死亡診断書、なし。提出されていない。死亡届自体も……ああ、あったが『破棄済』だ」
「破棄、だと?」
俺の声は、低く喉の奥で唸る。
心臓が鉛のように重く沈んでいく。
破棄という言葉の裏にある、明確な悪意。
「正確には、【抹消依頼】が出されている。家族欄も空白になっているし、遺体は神殿にて焼却とあるが……その記録も妙に曖昧だ。まるで、誰かが意図的に、彼女の存在ごと帳簿から消し去ろうとしたかのようだ」
俺はその言葉を聞いた瞬間、拳を握りしめた。
指の関節が白く浮き上がり、爪が手のひらに食い込む。
抑えようとしたが、声が少しだけ震えているのが分かる。
怒りではない。
それは、根源的な恐怖と、この世の全てに対する剥き出しの憎悪だ。
「本人の死を証明するものが、何も残っていないのか」
「……いや。彼女が生きていたという記録すら妙に少ない。特に、聖女候補に選ばれて以降の王都での記録は……ほとんど皆無だ」
リリスは確かに生きていた――幼い頃から奇跡の兆候を持ち、地元の神官たちに【神に触れられた子】と呼ばれていた。
それは、俺自身がこの目で幾度となく見てきた、揺るぎない真実だ。
俺の目の前で、乾いた土から花の芽を咲かせ、病に苦しむ者に癒しの光を与えた。
彼女のその微笑みは、何よりも清らかで、この世の闇を照らす光だった。
あれが【奇跡】でなくて、何だと言うんだ?
どうして、それを【なかった事】にできる?
だが今、その【存在】が、この王都の文書上では不自然なほど希薄だった。
まるで、最初からそこにいなかったかのように。
彼女が所属していた神殿の記録に目を通すと、信託候補の一覧表があった。
古めかしい羊皮紙に、達筆な文字で記された神聖な記録。
そこには、確かに【聖女候補筆頭】の文字が。
しかし、その最終候補者の名を目にした瞬間、俺の全身は凍り付いた。
──《聖女候補筆頭:クララ=フォンテーヌ》
俺は眉を寄せ、別の記録を探った。
隣に置かれていた、半年ほど前の下書き台帳。
そこには、擦れた文字で、別の名前が記されていた。
──《聖女候補筆頭:リリス=グレイヴ》
「……書き換えられている」
声が、凍てつく静寂の中で響く。
最初の筆頭候補は、紛れもなくリリスだったのだ。
だが、最終的な正式記録には、クララの名しか残されていない。
しかも、筆跡の癖から見てこの二つの記録は明らかに同一人物によって記されている。意図的な改竄。
「こんなあからさまな事が、どうして通る?どうして、誰も疑問に思わない?」
文書課の男は、苦い顔をして肩をすくめた。
その疲弊しきった顔には、この世界の理不尽を長年見てきた諦念が刻まれている。
「【神託】に触れた記録は、基本的に上からの命令で修正される。王家と神殿の意思があれば、帳簿は容易く書き換えられる……まあ、最近は特に【奇跡の子】の登場に騒いでいてね。新たな聖女候補クララ嬢は、まさにその象徴だ。君の妹のことなど、誰も覚えていないのかもな」
「覚えて、いない?」
記録が消されるということは、存在ごと『なかったこと』にされるということだ。
それは、ただの行政の怠慢ではない。
ここまで徹底的に隠されているのは、明らかに誰かの『意志』が働いている。
リリスの生きた痕跡を、この世界から抹殺しようとする、悪意に満ちた意志が。
「リリスの名を、世界から消そうとした誰かがいる」
口に出してみて、背筋が凍るような感覚に襲われた。
俺の最も大切な妹の、その全てを。
リリスの名を。存在を。記憶を。痕跡を。
誰かが、意図的に、執拗に【奪った】のだ。
国境警備の副団長という立場は、本来ならばこれほど容易に本拠地を離れられるものではない。
だが、日頃から俺が築き上げてきた【貸し】と裏で手を回した僅かな繋がりが数日の猶予を与えてくれていた。
それは、この忌まわしい事実の裏側を暴くための、決して譲れぬ時間だった。
騎士団の正式な用務ではなく、個人的な理由での滞在。
表向きは休暇として処理されたが、その目的はただ一つ──リリスを殺した者への復讐だ。
そのためには情報を色々と集めなければならないと思った。
王都の喧騒は国境の冷たい風とは異なる、しかし同じくらい俺の心をざわつかせる偽りの平穏を纏っていた。
まず最初に訪れたのは、中央管理局の文書課だった。
出張管理局──表向きは行政記録の保管部署だが、裏では王家に関わる秘匿された記録や、神殿関連の【未整理文書】という名の【不都合な真実】も抱えている。
澱んだ空気と古びた紙の匂いが満ちる、薄暗い一室。
受付の眼鏡をかけた男に階級も名も伏せて入室を促すと、奥の小部屋で別の中年男が顔を上げた。
彼は俺の顔を見るなり、一瞬だけ目を見開いたがすぐに諦めたような顔で小さく頷いた。
「……久しいな、副団長殿」
声には、過去の因縁と、面倒事を予期する響きが混じっていた。
「ああ、時間はない……要件は一つ。妹の死亡記録を確認したい」
「妹……君に妹など──……ああ。あの子か。リリス嬢」
男の目の奥が、ほんのわずかだけ濁った。
思い出そうとするふりをして、すでに知っている顔をしてきた。
それは単なる業務上の知識ではない、何かを隠蔽する側の人間特有の覚悟のような澱みだった。
「頼む、全記録を見せてくれ。診断書、神託、召喚状、何でもいい……リリス=グレイヴに関する、ありとあらゆる文書を」
「……」
彼は大きな溜息をつき、古びた鉄製の鍵を取り出した。
重く鈍い音を立てて、分厚い扉の奥に保管された記録の山へと向かう。
──が、記録はすぐには出てこなかった。
何枚もの分厚い台帳をめくり、埃を払い、古い書物を手繰る。
男の額には、いつしか焦りの汗が滲んでいた。
やがて、彼は青ざめた顔でこちらを振り返る。
「死亡診断書、なし。提出されていない。死亡届自体も……ああ、あったが『破棄済』だ」
「破棄、だと?」
俺の声は、低く喉の奥で唸る。
心臓が鉛のように重く沈んでいく。
破棄という言葉の裏にある、明確な悪意。
「正確には、【抹消依頼】が出されている。家族欄も空白になっているし、遺体は神殿にて焼却とあるが……その記録も妙に曖昧だ。まるで、誰かが意図的に、彼女の存在ごと帳簿から消し去ろうとしたかのようだ」
俺はその言葉を聞いた瞬間、拳を握りしめた。
指の関節が白く浮き上がり、爪が手のひらに食い込む。
抑えようとしたが、声が少しだけ震えているのが分かる。
怒りではない。
それは、根源的な恐怖と、この世の全てに対する剥き出しの憎悪だ。
「本人の死を証明するものが、何も残っていないのか」
「……いや。彼女が生きていたという記録すら妙に少ない。特に、聖女候補に選ばれて以降の王都での記録は……ほとんど皆無だ」
リリスは確かに生きていた――幼い頃から奇跡の兆候を持ち、地元の神官たちに【神に触れられた子】と呼ばれていた。
それは、俺自身がこの目で幾度となく見てきた、揺るぎない真実だ。
俺の目の前で、乾いた土から花の芽を咲かせ、病に苦しむ者に癒しの光を与えた。
彼女のその微笑みは、何よりも清らかで、この世の闇を照らす光だった。
あれが【奇跡】でなくて、何だと言うんだ?
どうして、それを【なかった事】にできる?
だが今、その【存在】が、この王都の文書上では不自然なほど希薄だった。
まるで、最初からそこにいなかったかのように。
彼女が所属していた神殿の記録に目を通すと、信託候補の一覧表があった。
古めかしい羊皮紙に、達筆な文字で記された神聖な記録。
そこには、確かに【聖女候補筆頭】の文字が。
しかし、その最終候補者の名を目にした瞬間、俺の全身は凍り付いた。
──《聖女候補筆頭:クララ=フォンテーヌ》
俺は眉を寄せ、別の記録を探った。
隣に置かれていた、半年ほど前の下書き台帳。
そこには、擦れた文字で、別の名前が記されていた。
──《聖女候補筆頭:リリス=グレイヴ》
「……書き換えられている」
声が、凍てつく静寂の中で響く。
最初の筆頭候補は、紛れもなくリリスだったのだ。
だが、最終的な正式記録には、クララの名しか残されていない。
しかも、筆跡の癖から見てこの二つの記録は明らかに同一人物によって記されている。意図的な改竄。
「こんなあからさまな事が、どうして通る?どうして、誰も疑問に思わない?」
文書課の男は、苦い顔をして肩をすくめた。
その疲弊しきった顔には、この世界の理不尽を長年見てきた諦念が刻まれている。
「【神託】に触れた記録は、基本的に上からの命令で修正される。王家と神殿の意思があれば、帳簿は容易く書き換えられる……まあ、最近は特に【奇跡の子】の登場に騒いでいてね。新たな聖女候補クララ嬢は、まさにその象徴だ。君の妹のことなど、誰も覚えていないのかもな」
「覚えて、いない?」
記録が消されるということは、存在ごと『なかったこと』にされるということだ。
それは、ただの行政の怠慢ではない。
ここまで徹底的に隠されているのは、明らかに誰かの『意志』が働いている。
リリスの生きた痕跡を、この世界から抹殺しようとする、悪意に満ちた意志が。
「リリスの名を、世界から消そうとした誰かがいる」
口に出してみて、背筋が凍るような感覚に襲われた。
俺の最も大切な妹の、その全てを。
リリスの名を。存在を。記憶を。痕跡を。
誰かが、意図的に、執拗に【奪った】のだ。
1
あなたにおすすめの小説
(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。
キノア9g
BL
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。
気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。
木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。
色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。
ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。
捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。
彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。
少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──?
騎士×妖精
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
できるかぎり毎日? お話の予告と皆の裏話? のあがるインスタとYouTube
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
偽物勇者は愛を乞う
きっせつ
BL
ある日。異世界から本物の勇者が召喚された。
六年間、左目を失いながらも勇者として戦い続けたニルは偽物の烙印を押され、勇者パーティから追い出されてしまう。
偽物勇者として逃げるように人里離れた森の奥の小屋で隠遁生活をし始めたニル。悲嘆に暮れる…事はなく、勇者の重圧から解放された彼は没落人生を楽しもうとして居た矢先、何故か勇者パーティとして今も戦っている筈の騎士が彼の前に現れて……。
お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……
karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。
追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される
水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。
行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。
「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた!
聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。
「君は俺の宝だ」
冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。
これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。
義理の家族に虐げられている伯爵令息ですが、気にしてないので平気です。王子にも興味はありません。
竜鳴躍
BL
性格の悪い傲慢な王太子のどこが素敵なのか分かりません。王妃なんて一番めんどくさいポジションだと思います。僕は一応伯爵令息ですが、子どもの頃に両親が亡くなって叔父家族が伯爵家を相続したので、居候のようなものです。
あれこれめんどくさいです。
学校も身づくろいも適当でいいんです。僕は、僕の才能を使いたい人のために使います。
冴えない取り柄もないと思っていた主人公が、実は…。
主人公は虐げる人の知らないところで輝いています。
全てを知って後悔するのは…。
☆2022年6月29日 BL 1位ありがとうございます!一瞬でも嬉しいです!
☆2,022年7月7日 実は子どもが主人公の話を始めてます。
囚われの親指王子が瀕死の騎士を助けたら、王子さまでした。https://www.alphapolis.co.jp/novel/355043923/237646317
ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる
街風
ファンタジー
「お前を追放する!」
ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。
しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる