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第07話 王弟の独白【ルーカス視点】
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祭壇の間に残された余韻は、どこか現実味に欠けている。
それは熱狂の残り香であり、祝福のかたちをした虚無――人々が自らの手で作り上げ、信仰と歓喜を重ねて燃やした偶像の最後の熱のようなものだった。
ルーカス=アルヴィンは、その終わりの光景を誰よりも静かに見届けていた。式典が終わった後もなお、一人玉座の間を見下ろす席に腰掛け、沈黙の中で目を閉じている。
拍手も、讃美の声も、消えた。
だが、彼の脳裏にはまだ、一つの影が焼き付いて離れなかった。
――あの【少女】。
現れたばかりの、聖女候補。アリスと名乗ったあまりに整い過ぎた存在。
綺麗な顔立ちに柔らかな声音、聖女にふさわしい礼儀。その全てが完璧すぎるほどに練られていた。
だが――それだけではない。
(……妙だ)
ルーカスは元より、他者に執着することのない人間だった。
王の弟として生まれたルーカス=アルヴィンの人生は、最初から選ばれなかった側にあった。
王位継承権のためでも、名声のためでもなく、ただ【兄を支える】という名目のもとに、彼の人格と自由は無言で封じられてきた。
王族としての顔、弟としての立場、そのどちらでも、自分の“本音”など必要とされたことはない。
感情は切り捨てるもの、共感は隙になる、己の役割を果たすことだけが、存在を許される唯一の条件だった。
だから、彼は徹底して冷静だった。周囲に心を許さず、誰にも深入りしなかった。関心を持つべき対象すら、自分で選び、自分で距離を取っていた。
それが、ルーカスの生き方だった。
彼なりの、無傷で生き抜く術だった。
――だが。
あの【少女】は、違った。
アリスと名乗った、聖女候補――彼女の登場は、静かな水面に石を投げ込まれたような衝撃だった。しかも、それは誰も気づかないほどに滑らかで、静かで、なおかつ致命的だった。
彼女の所作は柔らかく、声音は澄んでいた。
まさに【神に選ばれし者】にふさわしい雰囲気。けれど、彼の目には――あまりにも整いすぎて見えた。
完璧に磨かれた言葉、振る舞い、視線、笑顔。
すべてが、【作られている】かのように。
まるで舞台の上に立つ役者のように、彼女は一分の隙もなく【聖女】を演じていた。
その異常なまでの完成度に、ルーカスの本能が引っかかった。
(……あれはまるで【仮面】だな)
彼は確信する。
あの柔らかな笑顔の奥に素の自分は存在していない。誰にも見せぬように、何かを奥深くに封じ込めた者の目。
「……あれは、何も知らない少女の目じゃないな」
小さく、思考の底から言葉が漏れる。
それは、自分でも驚くほど自然に出た声だった。まるで長年触れてきた【偽り】を、無意識に見抜いたかのように。
ルーカスは、そういう【仮面】を持つ人間に、敏感だった。
自分自身が、そうやって生きてきたからこそ。顔をつくり、心を隠し、誰にも悟られぬように本音を殺してきたからこそ。
だから彼にはわかってしまう、アリスという存在の、その完璧さの【異常さ】が。
そして、わかってしまったからこそ――目を逸らせなかった。
――あの目、他人を装いながらこちらを見透かしてくるような。その視線は、微笑の中に仕込まれた刃だった。
それは、戦場の斥候が見せる目だ。あるいは、深く傷ついた者だけが持つ誰にも近づかせない目。
……いや、もっと正確に言うならば、あれは、誰にも近づけないように仕組まれた、そんな目だった。
ルーカスは立ち上がる。厚い絨毯の上に、足音はほとんど響かない。
玉座の間の端、壁際の書棚へ向かう。そこにあるのは、彼自身のための記録帳。観察と分析――王族としての顔ではなく、【彼】として存在するための、唯一の領域。
引き出しから一冊のノートを取り出して白紙のページを開く。震える指で、静かにペンを走らせる。
――観察対象:聖女候補・アリス
……と書きかけて、手が止まった。
「さて……お前は……何者だ?」
低く、無意識の声が洩れる。宙に漂うその問いに、答える者はいない。
だが、彼の内側ではすでに確信が生まれていた。
アリスという存在は、神託が与えたなどという綺麗な言葉では説明できない。
彼女の奥底には、もっと深く、ねじれた【動機】がある。
それは──個人的で、極めて私的なもの。
憎しみの匂いがした。
血に濡れた、静かな怒りの気配。
それは、神に選ばれた少女という印象を容易く破壊していく。
そして、惹かれていることに気づく。
その不可解さに、その異質な冷たさに、そしてあの目の奥に潜む、決して他人には明かされない【熱】に。
彼女は何かを壊すために来た。
この聖域に、この国に。
……いや、自分に、かもしれない。
(俺と同じだ)
ふと、そう思った。
世界に背を向けて、ただ一つの感情だけを燃料に生きる者。仮面を被り、己の目的だけを信じて進む者。
どこか似ていると、思ってしまった。
それが間違いでも、妄想でも――この違和感が晴れるまでは、彼女の瞳をもう一度、見なければならない。
(もう一度、会いに行くとしよう)
ルーカス・アルヴィンは、静かにノートを閉じた。誰にも気づかれぬように、誰にも告げずに。その瞳の奥に、ゆるやかな探求の熱を宿しながら。
彼は、動き出す――仮面の裏側を暴くために。
それは熱狂の残り香であり、祝福のかたちをした虚無――人々が自らの手で作り上げ、信仰と歓喜を重ねて燃やした偶像の最後の熱のようなものだった。
ルーカス=アルヴィンは、その終わりの光景を誰よりも静かに見届けていた。式典が終わった後もなお、一人玉座の間を見下ろす席に腰掛け、沈黙の中で目を閉じている。
拍手も、讃美の声も、消えた。
だが、彼の脳裏にはまだ、一つの影が焼き付いて離れなかった。
――あの【少女】。
現れたばかりの、聖女候補。アリスと名乗ったあまりに整い過ぎた存在。
綺麗な顔立ちに柔らかな声音、聖女にふさわしい礼儀。その全てが完璧すぎるほどに練られていた。
だが――それだけではない。
(……妙だ)
ルーカスは元より、他者に執着することのない人間だった。
王の弟として生まれたルーカス=アルヴィンの人生は、最初から選ばれなかった側にあった。
王位継承権のためでも、名声のためでもなく、ただ【兄を支える】という名目のもとに、彼の人格と自由は無言で封じられてきた。
王族としての顔、弟としての立場、そのどちらでも、自分の“本音”など必要とされたことはない。
感情は切り捨てるもの、共感は隙になる、己の役割を果たすことだけが、存在を許される唯一の条件だった。
だから、彼は徹底して冷静だった。周囲に心を許さず、誰にも深入りしなかった。関心を持つべき対象すら、自分で選び、自分で距離を取っていた。
それが、ルーカスの生き方だった。
彼なりの、無傷で生き抜く術だった。
――だが。
あの【少女】は、違った。
アリスと名乗った、聖女候補――彼女の登場は、静かな水面に石を投げ込まれたような衝撃だった。しかも、それは誰も気づかないほどに滑らかで、静かで、なおかつ致命的だった。
彼女の所作は柔らかく、声音は澄んでいた。
まさに【神に選ばれし者】にふさわしい雰囲気。けれど、彼の目には――あまりにも整いすぎて見えた。
完璧に磨かれた言葉、振る舞い、視線、笑顔。
すべてが、【作られている】かのように。
まるで舞台の上に立つ役者のように、彼女は一分の隙もなく【聖女】を演じていた。
その異常なまでの完成度に、ルーカスの本能が引っかかった。
(……あれはまるで【仮面】だな)
彼は確信する。
あの柔らかな笑顔の奥に素の自分は存在していない。誰にも見せぬように、何かを奥深くに封じ込めた者の目。
「……あれは、何も知らない少女の目じゃないな」
小さく、思考の底から言葉が漏れる。
それは、自分でも驚くほど自然に出た声だった。まるで長年触れてきた【偽り】を、無意識に見抜いたかのように。
ルーカスは、そういう【仮面】を持つ人間に、敏感だった。
自分自身が、そうやって生きてきたからこそ。顔をつくり、心を隠し、誰にも悟られぬように本音を殺してきたからこそ。
だから彼にはわかってしまう、アリスという存在の、その完璧さの【異常さ】が。
そして、わかってしまったからこそ――目を逸らせなかった。
――あの目、他人を装いながらこちらを見透かしてくるような。その視線は、微笑の中に仕込まれた刃だった。
それは、戦場の斥候が見せる目だ。あるいは、深く傷ついた者だけが持つ誰にも近づかせない目。
……いや、もっと正確に言うならば、あれは、誰にも近づけないように仕組まれた、そんな目だった。
ルーカスは立ち上がる。厚い絨毯の上に、足音はほとんど響かない。
玉座の間の端、壁際の書棚へ向かう。そこにあるのは、彼自身のための記録帳。観察と分析――王族としての顔ではなく、【彼】として存在するための、唯一の領域。
引き出しから一冊のノートを取り出して白紙のページを開く。震える指で、静かにペンを走らせる。
――観察対象:聖女候補・アリス
……と書きかけて、手が止まった。
「さて……お前は……何者だ?」
低く、無意識の声が洩れる。宙に漂うその問いに、答える者はいない。
だが、彼の内側ではすでに確信が生まれていた。
アリスという存在は、神託が与えたなどという綺麗な言葉では説明できない。
彼女の奥底には、もっと深く、ねじれた【動機】がある。
それは──個人的で、極めて私的なもの。
憎しみの匂いがした。
血に濡れた、静かな怒りの気配。
それは、神に選ばれた少女という印象を容易く破壊していく。
そして、惹かれていることに気づく。
その不可解さに、その異質な冷たさに、そしてあの目の奥に潜む、決して他人には明かされない【熱】に。
彼女は何かを壊すために来た。
この聖域に、この国に。
……いや、自分に、かもしれない。
(俺と同じだ)
ふと、そう思った。
世界に背を向けて、ただ一つの感情だけを燃料に生きる者。仮面を被り、己の目的だけを信じて進む者。
どこか似ていると、思ってしまった。
それが間違いでも、妄想でも――この違和感が晴れるまでは、彼女の瞳をもう一度、見なければならない。
(もう一度、会いに行くとしよう)
ルーカス・アルヴィンは、静かにノートを閉じた。誰にも気づかれぬように、誰にも告げずに。その瞳の奥に、ゆるやかな探求の熱を宿しながら。
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