7 / 8
第07話 王弟の独白【ルーカス視点】
しおりを挟む
祭壇の間に残された余韻は、どこか現実味に欠けている。
それは熱狂の残り香であり、祝福のかたちをした虚無――人々が自らの手で作り上げ、信仰と歓喜を重ねて燃やした偶像の最後の熱のようなものだった。
ルーカス=アルヴィンは、その終わりの光景を誰よりも静かに見届けていた。式典が終わった後もなお、一人玉座の間を見下ろす席に腰掛け、沈黙の中で目を閉じている。
拍手も、讃美の声も、消えた。
だが、彼の脳裏にはまだ、一つの影が焼き付いて離れなかった。
――あの【少女】。
現れたばかりの、聖女候補。アリスと名乗ったあまりに整い過ぎた存在。
綺麗な顔立ちに柔らかな声音、聖女にふさわしい礼儀。その全てが完璧すぎるほどに練られていた。
だが――それだけではない。
(……妙だ)
ルーカスは元より、他者に執着することのない人間だった。
王の弟として生まれたルーカス=アルヴィンの人生は、最初から選ばれなかった側にあった。
王位継承権のためでも、名声のためでもなく、ただ【兄を支える】という名目のもとに、彼の人格と自由は無言で封じられてきた。
王族としての顔、弟としての立場、そのどちらでも、自分の“本音”など必要とされたことはない。
感情は切り捨てるもの、共感は隙になる、己の役割を果たすことだけが、存在を許される唯一の条件だった。
だから、彼は徹底して冷静だった。周囲に心を許さず、誰にも深入りしなかった。関心を持つべき対象すら、自分で選び、自分で距離を取っていた。
それが、ルーカスの生き方だった。
彼なりの、無傷で生き抜く術だった。
――だが。
あの【少女】は、違った。
アリスと名乗った、聖女候補――彼女の登場は、静かな水面に石を投げ込まれたような衝撃だった。しかも、それは誰も気づかないほどに滑らかで、静かで、なおかつ致命的だった。
彼女の所作は柔らかく、声音は澄んでいた。
まさに【神に選ばれし者】にふさわしい雰囲気。けれど、彼の目には――あまりにも整いすぎて見えた。
完璧に磨かれた言葉、振る舞い、視線、笑顔。
すべてが、【作られている】かのように。
まるで舞台の上に立つ役者のように、彼女は一分の隙もなく【聖女】を演じていた。
その異常なまでの完成度に、ルーカスの本能が引っかかった。
(……あれはまるで【仮面】だな)
彼は確信する。
あの柔らかな笑顔の奥に素の自分は存在していない。誰にも見せぬように、何かを奥深くに封じ込めた者の目。
「……あれは、何も知らない少女の目じゃないな」
小さく、思考の底から言葉が漏れる。
それは、自分でも驚くほど自然に出た声だった。まるで長年触れてきた【偽り】を、無意識に見抜いたかのように。
ルーカスは、そういう【仮面】を持つ人間に、敏感だった。
自分自身が、そうやって生きてきたからこそ。顔をつくり、心を隠し、誰にも悟られぬように本音を殺してきたからこそ。
だから彼にはわかってしまう、アリスという存在の、その完璧さの【異常さ】が。
そして、わかってしまったからこそ――目を逸らせなかった。
――あの目、他人を装いながらこちらを見透かしてくるような。その視線は、微笑の中に仕込まれた刃だった。
それは、戦場の斥候が見せる目だ。あるいは、深く傷ついた者だけが持つ誰にも近づかせない目。
……いや、もっと正確に言うならば、あれは、誰にも近づけないように仕組まれた、そんな目だった。
ルーカスは立ち上がる。厚い絨毯の上に、足音はほとんど響かない。
玉座の間の端、壁際の書棚へ向かう。そこにあるのは、彼自身のための記録帳。観察と分析――王族としての顔ではなく、【彼】として存在するための、唯一の領域。
引き出しから一冊のノートを取り出して白紙のページを開く。震える指で、静かにペンを走らせる。
――観察対象:聖女候補・アリス
……と書きかけて、手が止まった。
「さて……お前は……何者だ?」
低く、無意識の声が洩れる。宙に漂うその問いに、答える者はいない。
だが、彼の内側ではすでに確信が生まれていた。
アリスという存在は、神託が与えたなどという綺麗な言葉では説明できない。
彼女の奥底には、もっと深く、ねじれた【動機】がある。
それは──個人的で、極めて私的なもの。
憎しみの匂いがした。
血に濡れた、静かな怒りの気配。
それは、神に選ばれた少女という印象を容易く破壊していく。
そして、惹かれていることに気づく。
その不可解さに、その異質な冷たさに、そしてあの目の奥に潜む、決して他人には明かされない【熱】に。
彼女は何かを壊すために来た。
この聖域に、この国に。
……いや、自分に、かもしれない。
(俺と同じだ)
ふと、そう思った。
世界に背を向けて、ただ一つの感情だけを燃料に生きる者。仮面を被り、己の目的だけを信じて進む者。
どこか似ていると、思ってしまった。
それが間違いでも、妄想でも――この違和感が晴れるまでは、彼女の瞳をもう一度、見なければならない。
(もう一度、会いに行くとしよう)
ルーカス・アルヴィンは、静かにノートを閉じた。誰にも気づかれぬように、誰にも告げずに。その瞳の奥に、ゆるやかな探求の熱を宿しながら。
彼は、動き出す――仮面の裏側を暴くために。
それは熱狂の残り香であり、祝福のかたちをした虚無――人々が自らの手で作り上げ、信仰と歓喜を重ねて燃やした偶像の最後の熱のようなものだった。
ルーカス=アルヴィンは、その終わりの光景を誰よりも静かに見届けていた。式典が終わった後もなお、一人玉座の間を見下ろす席に腰掛け、沈黙の中で目を閉じている。
拍手も、讃美の声も、消えた。
だが、彼の脳裏にはまだ、一つの影が焼き付いて離れなかった。
――あの【少女】。
現れたばかりの、聖女候補。アリスと名乗ったあまりに整い過ぎた存在。
綺麗な顔立ちに柔らかな声音、聖女にふさわしい礼儀。その全てが完璧すぎるほどに練られていた。
だが――それだけではない。
(……妙だ)
ルーカスは元より、他者に執着することのない人間だった。
王の弟として生まれたルーカス=アルヴィンの人生は、最初から選ばれなかった側にあった。
王位継承権のためでも、名声のためでもなく、ただ【兄を支える】という名目のもとに、彼の人格と自由は無言で封じられてきた。
王族としての顔、弟としての立場、そのどちらでも、自分の“本音”など必要とされたことはない。
感情は切り捨てるもの、共感は隙になる、己の役割を果たすことだけが、存在を許される唯一の条件だった。
だから、彼は徹底して冷静だった。周囲に心を許さず、誰にも深入りしなかった。関心を持つべき対象すら、自分で選び、自分で距離を取っていた。
それが、ルーカスの生き方だった。
彼なりの、無傷で生き抜く術だった。
――だが。
あの【少女】は、違った。
アリスと名乗った、聖女候補――彼女の登場は、静かな水面に石を投げ込まれたような衝撃だった。しかも、それは誰も気づかないほどに滑らかで、静かで、なおかつ致命的だった。
彼女の所作は柔らかく、声音は澄んでいた。
まさに【神に選ばれし者】にふさわしい雰囲気。けれど、彼の目には――あまりにも整いすぎて見えた。
完璧に磨かれた言葉、振る舞い、視線、笑顔。
すべてが、【作られている】かのように。
まるで舞台の上に立つ役者のように、彼女は一分の隙もなく【聖女】を演じていた。
その異常なまでの完成度に、ルーカスの本能が引っかかった。
(……あれはまるで【仮面】だな)
彼は確信する。
あの柔らかな笑顔の奥に素の自分は存在していない。誰にも見せぬように、何かを奥深くに封じ込めた者の目。
「……あれは、何も知らない少女の目じゃないな」
小さく、思考の底から言葉が漏れる。
それは、自分でも驚くほど自然に出た声だった。まるで長年触れてきた【偽り】を、無意識に見抜いたかのように。
ルーカスは、そういう【仮面】を持つ人間に、敏感だった。
自分自身が、そうやって生きてきたからこそ。顔をつくり、心を隠し、誰にも悟られぬように本音を殺してきたからこそ。
だから彼にはわかってしまう、アリスという存在の、その完璧さの【異常さ】が。
そして、わかってしまったからこそ――目を逸らせなかった。
――あの目、他人を装いながらこちらを見透かしてくるような。その視線は、微笑の中に仕込まれた刃だった。
それは、戦場の斥候が見せる目だ。あるいは、深く傷ついた者だけが持つ誰にも近づかせない目。
……いや、もっと正確に言うならば、あれは、誰にも近づけないように仕組まれた、そんな目だった。
ルーカスは立ち上がる。厚い絨毯の上に、足音はほとんど響かない。
玉座の間の端、壁際の書棚へ向かう。そこにあるのは、彼自身のための記録帳。観察と分析――王族としての顔ではなく、【彼】として存在するための、唯一の領域。
引き出しから一冊のノートを取り出して白紙のページを開く。震える指で、静かにペンを走らせる。
――観察対象:聖女候補・アリス
……と書きかけて、手が止まった。
「さて……お前は……何者だ?」
低く、無意識の声が洩れる。宙に漂うその問いに、答える者はいない。
だが、彼の内側ではすでに確信が生まれていた。
アリスという存在は、神託が与えたなどという綺麗な言葉では説明できない。
彼女の奥底には、もっと深く、ねじれた【動機】がある。
それは──個人的で、極めて私的なもの。
憎しみの匂いがした。
血に濡れた、静かな怒りの気配。
それは、神に選ばれた少女という印象を容易く破壊していく。
そして、惹かれていることに気づく。
その不可解さに、その異質な冷たさに、そしてあの目の奥に潜む、決して他人には明かされない【熱】に。
彼女は何かを壊すために来た。
この聖域に、この国に。
……いや、自分に、かもしれない。
(俺と同じだ)
ふと、そう思った。
世界に背を向けて、ただ一つの感情だけを燃料に生きる者。仮面を被り、己の目的だけを信じて進む者。
どこか似ていると、思ってしまった。
それが間違いでも、妄想でも――この違和感が晴れるまでは、彼女の瞳をもう一度、見なければならない。
(もう一度、会いに行くとしよう)
ルーカス・アルヴィンは、静かにノートを閉じた。誰にも気づかれぬように、誰にも告げずに。その瞳の奥に、ゆるやかな探求の熱を宿しながら。
彼は、動き出す――仮面の裏側を暴くために。
0
あなたにおすすめの小説
(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。
キノア9g
BL
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。
気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。
木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。
色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。
ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。
捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。
彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。
少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──?
騎士×妖精
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
できるかぎり毎日? お話の予告と皆の裏話? のあがるインスタとYouTube
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
偽物勇者は愛を乞う
きっせつ
BL
ある日。異世界から本物の勇者が召喚された。
六年間、左目を失いながらも勇者として戦い続けたニルは偽物の烙印を押され、勇者パーティから追い出されてしまう。
偽物勇者として逃げるように人里離れた森の奥の小屋で隠遁生活をし始めたニル。悲嘆に暮れる…事はなく、勇者の重圧から解放された彼は没落人生を楽しもうとして居た矢先、何故か勇者パーティとして今も戦っている筈の騎士が彼の前に現れて……。
お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……
karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。
追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される
水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。
行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。
「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた!
聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。
「君は俺の宝だ」
冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。
これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。
義理の家族に虐げられている伯爵令息ですが、気にしてないので平気です。王子にも興味はありません。
竜鳴躍
BL
性格の悪い傲慢な王太子のどこが素敵なのか分かりません。王妃なんて一番めんどくさいポジションだと思います。僕は一応伯爵令息ですが、子どもの頃に両親が亡くなって叔父家族が伯爵家を相続したので、居候のようなものです。
あれこれめんどくさいです。
学校も身づくろいも適当でいいんです。僕は、僕の才能を使いたい人のために使います。
冴えない取り柄もないと思っていた主人公が、実は…。
主人公は虐げる人の知らないところで輝いています。
全てを知って後悔するのは…。
☆2022年6月29日 BL 1位ありがとうございます!一瞬でも嬉しいです!
☆2,022年7月7日 実は子どもが主人公の話を始めてます。
囚われの親指王子が瀕死の騎士を助けたら、王子さまでした。https://www.alphapolis.co.jp/novel/355043923/237646317
ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる
街風
ファンタジー
「お前を追放する!」
ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。
しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる