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第31話 歪み【クララ視点】
神殿の祈祷場から戻ったとき、空はすでに藍色に染まりかけている。
かつて私が【選ばれた】日と、同じような空の色――ひどく寒くて、ひどく美しい、あの日の空。
私は部屋の扉を静かに閉じ、ゆっくりとベールを外し、そして髪が肩に落ちるのを確認する。息を吐くと、ほんの少し白くなる。
広場での祈りは、決して成功とは呼べなかった。
けれど、私ははっきりと見た。老女の震える手、子どもの澄んだ瞳、誰よりも純粋な信仰のかたち。
あれだけで、私には十分だった。
【あの女】――アリスに見せてやりたかった。
これが【本物】の祈りだと。嘘で塗り固めた顔では届かない、祈りの本質を。
私は鏡の前に立ち、自分の顔を見つめる。
――美しい。
目元にはかすかに疲れがあるが、それもまた神に選ばれた者としてふさわしい。
「ねぇ、神様……あなたは、まだ私を見てくれているのよね?」
部屋の奥にある小さな祭壇に、そっと祈りの言葉を投げる。
その瞬間、扉の下から――何かが、するりと滑り込んできた。
「……?」
一枚の封書。
差出人の名前はない。
宛名すら、書かれていなかった。
けれど――私の名を呼んでいる気がした。
私はその手紙を拾い、慎重に封を切った。
中にあったのは、ほんの数行の、震えるような筆跡。
――聖女クララへ
あなたの祈りに、涙を流した者がかつていました。
けれど、その祈りは一人の少女を焼き尽くし、命を奪った。
リリス=グレイヴ。
あの子は死んでいない。
そして――【あなた】も、選ばれてなどいなかった。
「……は?」
喉奥から、震えるような声が漏れる。
指先がかすかに震えている。今、自分の心がどんな形で揺れているのか、すぐには分からなかった。
「嘘……よね?」
誰かの悪戯か。それとも、神殿の中にまだ私を堕としたい者がいるというのか?
――リリスが……生きている?
そんなはずはない。
あの夜、確かに彼女は――【あの出来事】の中で、消えたはずじゃないか。
手紙を持つ手が震える。冷たい汗が背を伝い、ゆっくりと首筋まで這い上がってくる。
そして、その瞬間――耳元で、声がした。
『ねえ、クララ様――あなた、見てたんでしょ?』
「っ……!!」
全身が凍りついた。
誰もいない部屋。
閉ざされた窓。
扉の鍵も、かけてある。
なのに、確かに――リリスの声が、そこにあった。
『わたし、まだ【ここ】にいるの。あなたのすぐ近くに』
「やめて……っ、やめて……!」
思わず後ずさる。同時に足がもつれ、背後の椅子にぶつかって倒れそうになる。
倒れる寸前で鏡に手をつき、ようやく体勢を支える。
目の前には、鏡に映る自分の顔――いや、それはもう【私】じゃなかった。
鏡の中のクララが、笑っていた。
ひどく、ひどく静かな顔で。
口元だけが、歪んだ弧を描いていた。
「……違う、違う違うっ……」
かすれた声で、私は呟いた。
胸の奥に、冷たい石のような何かが沈んでいく。
「これは、呪いだわ……!」
誰の?神の?それとも――あの女の?
崩れかけた表情のまま、私はゆっくりと立ち上がる。目の奥に、微かな光が戻ってくる――それは、信仰の光ではない。
執着と、狂気と、疑念が渦巻いたかのように感じながら。
『私は生きているわよクララ様、だってアリスが――』
「黙れっ!!」
鏡に叫ぶ。
自分の声が跳ね返ってくる。
だがリリスの声はもう聞こえない。
ただ、静けさだけが残る。
息を荒くしたまま、ベールを手に取り、乱れた髪を無理に整える。震える手でピンを留めながら、私は鏡を睨んだ。
(アリス……あなたが、なにを隠しているのか……私は……必ず暴いてみせる)
たとえそれが、どんな罪深い事だろうと――鏡の中にいるのは、祈る女ではない。それは、狩る者の目。
そして、その視線の奥底に、まだ消えない怯えが揺れていた。
それでも、クララは祈りをやめなかった。
それがどんな結末になろうとも。
かつて私が【選ばれた】日と、同じような空の色――ひどく寒くて、ひどく美しい、あの日の空。
私は部屋の扉を静かに閉じ、ゆっくりとベールを外し、そして髪が肩に落ちるのを確認する。息を吐くと、ほんの少し白くなる。
広場での祈りは、決して成功とは呼べなかった。
けれど、私ははっきりと見た。老女の震える手、子どもの澄んだ瞳、誰よりも純粋な信仰のかたち。
あれだけで、私には十分だった。
【あの女】――アリスに見せてやりたかった。
これが【本物】の祈りだと。嘘で塗り固めた顔では届かない、祈りの本質を。
私は鏡の前に立ち、自分の顔を見つめる。
――美しい。
目元にはかすかに疲れがあるが、それもまた神に選ばれた者としてふさわしい。
「ねぇ、神様……あなたは、まだ私を見てくれているのよね?」
部屋の奥にある小さな祭壇に、そっと祈りの言葉を投げる。
その瞬間、扉の下から――何かが、するりと滑り込んできた。
「……?」
一枚の封書。
差出人の名前はない。
宛名すら、書かれていなかった。
けれど――私の名を呼んでいる気がした。
私はその手紙を拾い、慎重に封を切った。
中にあったのは、ほんの数行の、震えるような筆跡。
――聖女クララへ
あなたの祈りに、涙を流した者がかつていました。
けれど、その祈りは一人の少女を焼き尽くし、命を奪った。
リリス=グレイヴ。
あの子は死んでいない。
そして――【あなた】も、選ばれてなどいなかった。
「……は?」
喉奥から、震えるような声が漏れる。
指先がかすかに震えている。今、自分の心がどんな形で揺れているのか、すぐには分からなかった。
「嘘……よね?」
誰かの悪戯か。それとも、神殿の中にまだ私を堕としたい者がいるというのか?
――リリスが……生きている?
そんなはずはない。
あの夜、確かに彼女は――【あの出来事】の中で、消えたはずじゃないか。
手紙を持つ手が震える。冷たい汗が背を伝い、ゆっくりと首筋まで這い上がってくる。
そして、その瞬間――耳元で、声がした。
『ねえ、クララ様――あなた、見てたんでしょ?』
「っ……!!」
全身が凍りついた。
誰もいない部屋。
閉ざされた窓。
扉の鍵も、かけてある。
なのに、確かに――リリスの声が、そこにあった。
『わたし、まだ【ここ】にいるの。あなたのすぐ近くに』
「やめて……っ、やめて……!」
思わず後ずさる。同時に足がもつれ、背後の椅子にぶつかって倒れそうになる。
倒れる寸前で鏡に手をつき、ようやく体勢を支える。
目の前には、鏡に映る自分の顔――いや、それはもう【私】じゃなかった。
鏡の中のクララが、笑っていた。
ひどく、ひどく静かな顔で。
口元だけが、歪んだ弧を描いていた。
「……違う、違う違うっ……」
かすれた声で、私は呟いた。
胸の奥に、冷たい石のような何かが沈んでいく。
「これは、呪いだわ……!」
誰の?神の?それとも――あの女の?
崩れかけた表情のまま、私はゆっくりと立ち上がる。目の奥に、微かな光が戻ってくる――それは、信仰の光ではない。
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『私は生きているわよクララ様、だってアリスが――』
「黙れっ!!」
鏡に叫ぶ。
自分の声が跳ね返ってくる。
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ただ、静けさだけが残る。
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