誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜

山田空

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7話

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 食事を終えても、胸の熱はなかなか引かなかった。
 パンを一口かじるたび、スープを飲むたびに——
 この家に満ちる“静かな幸せ”が胸に染みていく。

 レオンは普段と変わらぬ淡々とした所作で皿を重ね、
 片づけをしようと立ち上がった。

「片づけは私が——」

「あっ……わたしも手伝います」

 思わず言うと、レオンがわずかに驚いたように目を瞬いた。

「エルナ様が?」

「はい。わたし……何もできませんけれど……」

 言いながら、胸の奥が少し痛んだ。
 領主館では、何も“させてもらえなかった”。

 娘は座っていればいい。
 娘は黙っていればいい。
 娘は家のために、美しくしていればいい。

 そんな扱いのまま生きてきた。

 だから“手伝わせてほしい”という言葉すら、震えた。

 レオンはしばらく黙ってエルナを見つめ——
 そしてゆっくり、首を横に振った。

「……いいえ。今日は、わたしがやります」

「で、でも……」

「エルナ様は“客”ではありません」

 その言葉に、エルナの心がふっと温かくなる。

 けれどレオンはそこで続きを口にした。

「ただ……今は、休んでください。  昨日まで、心が休める場所がなかったでしょう」

「……っ」

 胸が痛むほどに図星だった。

「休むことも、あなたにとって必要な“仕事”ですよ」

 その言葉の優しさに耐えきれず、エルナの視界がまた滲んだ。

「……っ、レオン……そんなふうに言われたら……」

「泣きます?」

「泣きません……!」

 慌てて言い返したものの、声が震えてしまう。

 レオンは小さく、ほんの小さく微笑んだ。

「でしたら、食後の紅茶を淹れさせてください」

「……わたし、飲みます」

「よかった。あなたのために淹れたかったので」

 さらりと言いながらも、耳がほんのり赤い。

 そのことに気づくと、エルナは思わず胸がくすぐったくなった。

 紅茶の香りが立ちのぼる。
 すこし甘い香り。
 疲れた心にふんわりと染みわたる、優しい匂い。

「砂糖は……」

「少しだけで」

 エルナの返事を聞いたレオンは、慎重に砂糖を一つだけ落とし、
 そっとカップをエルナの前へ置いた。

「熱いので、気をつけてください」

「……レオンは、本当に丁寧すぎます」

「あなたに雑な扱いができるわけがないでしょう」

 静かに、ためらいもなく言う。

 エルナは思わずカップを握ったまま固まった。

「……そういうことを、平然と言うのですね……」

「言ってはいけませんでしたか?」

「い、いけなくは……」

 そこまで口にした瞬間。

 レオンの表情がふっとやわらぎ、
 まるでほんの少しだけ胸を撫で下ろしたように見えた。

「よかった」

 その声の温度に、心臓が跳ねる。

 紅茶を口に含むと、驚くほど優しい味がした。
 胸の温かさと香りが混ざって、涙が出そうなほど。

「……美味しいです」

「よかった」

 その返事は、先ほどよりも柔らかかった。

 紅茶を飲み干すと、レオンがふと視線を外へ向けた。

「今日は、買い出しに行こうと思っています」

「買い出し……?」

「はい。あなたの生活に必要なものが、まだ足りないはずです」

 その“あなたの生活”という言い方に、また胸が震える。

「エルナ様が使いやすいものを、あなた自身に選んでほしい」

「わたしが……?」

「ええ。わたしが勝手に選ぶわけにはいきません」

 その慎重すぎる優しさが、かえって胸を締め付ける。

(こんな扱い……受けたことがない)

 人形として扱われた屋敷でもなく。
 冷たい婚約者のもとでもなく。
 この家には、確かに“わたし”が存在している。

「……レオン。わたし、本当にここにいていいのでしょうか」

 思わず口から零れた弱音に、レオンはすぐに向き直った。

「何度でも言います。
 ——あなたは、ここにいていい」

 その決意の強さに、ドキリとする。

 レオンはゆっくりと近づき、
 触れない距離で立ち止まった。

「エルナ様」

「……はい」

「あなたを幸せにできるように、わたしは努力します」

 その言葉が、
 “契約の夫”という線を、一瞬だけ越えかけた。

 エルナは胸に手を当て、呼吸を整えた。

 言葉にはできない気持ちが、
 どんどん胸の奥で膨らんでいく。

 レオンは軽く咳払いし、表情を整えて言った。

「……失礼しました。行きすぎましたね」

「い、いえ……その……」

 頬が熱い。
 レオンも視線を逸らしている。

 なんだか、朝なのに息が苦しくなるほど胸が熱い。

「準備ができたら声をかけてください。
 一緒に出かけましょう」

「……はい」

 レオンが部屋を出ていく。

 扉が閉まった瞬間——

 エルナはそっと胸元を押さえた。

(どうして……こんなに、胸が……)

 まだ始まったばかりの“契約生活”。

 なのに。

 レオンを見ると、胸が温かくて苦しくて——
 どうしようもなく、安心する。

(……レオンと過ごす一日が、楽しみだなんて)

 そんな感情は、生まれて初めてだった。
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