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52/目まぐるしい日々

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 なんとなく体調が悪いまま、車のハンドルを握る。頭痛もするしお腹からも鈍い痛み。そういえば先月も先々月も遅れがちだった。今月に至っては予定日が二週間以上も過ぎているというのに来ないのだ、生理が。まさか、ひょっとして──などと考えているうちに三週間目に突入しそうな気配があり、慌てて家と職場から離れたドラッグストアで妊娠検査薬を購入した。とおやはきちんと避妊をしてくれるので大丈夫だとは思うけれど、万が一ということもある。不安な気持ちを誰にも話せないままの三週間は実に長かった。親友の葵は忙しいし、相談するのも気が引けた。瑞河さんには叱られそうだったし、樹李さんにはとおやと半同棲を開始してからしばらく会えていない。

 小さな小箱の包まれた紙袋を乱暴に通勤鞄に突っ込み、自宅アパートに到着。階段を上りきった所で、久しぶりに見る顔に思わず駆け寄ってしまった。

「樹李さんっ!」
「おーほたる! 久しぶりだな、どうしてた? 部屋は静かだったしさあ」
「ええと……実はとおやのマンションに住んでて」
「ほぉ~、なるなる!」

 今日はバイトが休みだと言うので、部屋に樹李さんを招き洗いざらいとおやとのことを話してしまった。夕食は宅配ピザを注文し、缶ビールも開けた。久しぶりに美味しいお酒だ。

「……それは別れて正解だよ、ほたる。あんたがまだ桃哉とうや君のこと好きってのもわからなくはないけど」
「……どうやったら嫌いになれるんでしょうかね」
「心底憎まなければ、離れられない?」
「迫られたら……拒絶できる自信がなくて」

 憎いと思ったことは何度かあった。けれど結局は流されてしまう。憎いと思っても、とおやと交わることは嫌ではなかった。自分でも嫌になってしまう。

「新しい恋愛が薬になりそうだけどねえ。ほたる自身がさあ、桃哉君が他の女とセックスするのが許せないって思ってる以上は難しそうだよね。意外と独占欲強いのね、あんた」
「独占欲というか……相手が相手なので」
「ぶりっ子の? 榎木って言ったっけ?」
「はい……」
「嫌いな女が元彼とセックスするのはちょっとなぁ~。別れた直後なら余計にモヤモヤするわ」

 とおやの為に退職するつもりだと話していた榎木さん。ということは彼女本人はいずれは彼と結婚するつもりでいるのかもしれない。そんなの、心から祝福出来るわけがない。

「はぁ……。あの、樹李さん、実はこれ……」
「ん? 検査薬? あの子、あんたの中に出したわけ!?」
「いえ、違うんです! 避妊はちゃんとしてて、でも生理がこなくて……不安で、保険というか」
「今から使ってみなよ」
「いいんですか?」
「一人で使うよりいいだろ?」
「はい……」

 箱を開けて白いスティックを取り出し、そのままトイレへと向かう。初めて使うものだから入念に使用方法の説明文を読む。ドキドキしながら使用する────陽性を現すラインは浮き出てこなかった。

「よかった……」

 胸を撫で下ろし、樹李さんに報告をすると彼女も安心した様子だったけれど、一度婦人科に行くべきだと忠告された。

「二週間も遅れてるんじゃ、正常とは言えないよ?」
「先月から遅れがちで」
「ほたる、生理痛も酷いって言ってたよな? まとめて病院で診てもらいなよ。いい婦人科紹介するから」
「ありがとうございます」


 勧めてもらった婦人科を早速ネットで予約し、土曜日に診察を受けた。身体に異常はなかったけれど、ストレスの影響が大きい可能性があるとのことだった。このところ仕事のストレスも大きかったし、頭痛が酷く痛み止めに頼ることも多かった。低用量ピルを処方してもらい、しばらく服用して様子を見ることになった。





 二ヶ月が過ぎ、間もなく四月になろうかという頃。榎木 ノアがあっさりと退職した。わたしに相談してきた直後、退職願を出していたらしい。とおやとの関係の進展具合は頻繁に報告してきたくせに、退職のことは一度も話してこなかった。因みにわたしは、あれからとおやと全く連絡を取っていない。

「桃哉君と一緒に住みたいんですよね~! 最近料理も練習してて、上手くなったんです」

「彼とのセックス、本当に気持ち良くて大好きで。あんな人、今までいなかったです~」

 などと語り、彼女は笑顔で会社から姿を消した。それを喜ぶ人間が多かったのは言うまでもない。



 榎木さんの退職の報告が会社にとっては遅かったらしく、求人募集をかけるのに間に合わなかったらしい。会社的には高卒の榎木さんの仕事ぶりに関心はしていなかったようで、今後は大卒の求人しかかけたくないらしい──と、人事課に同期のいる瑞河さんが話していた。
 榎木さんが退職した影響はあまりなかったが、この四月から同じ課の蝶野係長が数年外部に出向することになった。重ねてその半月後、産休に入る女性社員が一人。お陰でうちの課は目の回るような忙しさの日々。毎日のように残業があり、休日出勤をしなければならない日も度々あった。

 三月末に婦人科で処方してもらった低用量ピルは、三ヶ月分まとめて処方して貰っていたのでかなり助かっていた。病院に行く間もないのだ。ゴールデンウィークも殆どを寝過ごし、忙しすぎて散らかった部屋の片付けも出来ないまま、気がつけば梅雨に突入していた。


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