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プロローグ

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♦ ♦ ♦

 
 
 軍本部では、サーレンとイアンが外へ出て行くのを目撃され、二人が結ばれたのだと騒がれていた。実際はイアンの体調を心配したサーレンが嫌がるイアンの手を掴んで、外へ出て行った、が真実だが……「イアン少尉がサーレン将軍にホの字」という噂のせいで、「イアン少尉の恋が成就した」という尾びれが付いてしまい、軍本部は大騒ぎである。根も葉もない噂に憤慨した様子でレイモンドからこの話を訊いたサーレンはこれ以上噂が広がるのを恐れて軍の魔術師たちにイアンの事を調べてもらわなかった。レイモンドは今噂の火消しの為に動いている。それから、騎士団の魔術師へ相談しなかった理由は、「呪われている」と確証が持てない話をを兄と義母の耳に入れて心配させたくないというイアンの頼みから、王都から遠く離れる森の奥に住んでいる「森の魔女」の元へイアンとサーレンは足を運んだ。
 魔女というのは女性をイメージするが、「森の魔女」は女ではなく男だった。女の子しか産まないとされる魔女がなんの突然変異か男の子を産んだのだという。
 
 
 
 魔女の住む掘立小屋は、壁全面が収納棚となっていて、棚の中に大量の小瓶とボロボロな分厚い本、その隙間に無理矢理捻じ込まれた紙の束が入っていた。棚の重量制限を無視した収納で棚がくずれないものだ。重さで棚の板が歪んでしまっている。ここの主曰く「魔法で崩れずに済んでいる」。それならば、この小屋を魔法で新しく建て直せば良いのでは、と喉まで出かかったが、イアンはサーレンの緊迫した雰囲気に押されて口を閉ざした。
  
「男だからと言って、魔女の資格がないわけじゃない。だから、俺の事は魔女と呼べ」

「決して魔術師なんかと一緒にするなよ、あんなの手品だ」とは言った。とんがり帽子を深く被っていて表情が見えないが、見なくても口調で侮辱しているのは分かる。しかし、それを指摘出来る程、イアンは魔術師と魔女の違いが分からない。
 小屋に男三人。その中の二人は軍人で背丈も高ければ平均男性よりもガタイが良い。そんな男達が座っている長椅子と木製のテーブルは窮屈そうだ。
 魔女は長い脚を組んで、イアンに訊ねた。
 
「症状を教えてくれ」

 本人はどこも悪い所なんぞない、と思っているから答えずにいると隣のサーレンから話すように促され、イアンは嫌々答えた。

「締め付けられるような胸の痛みがある」
「食欲がない」
「寝つきが悪い」

 そう言い終わると否や、鼻先で笑う声が耳に入り、イアンは目の前の魔女を見た。口元がニヤついていて、どうやら馬鹿にされているようだ。いつもの能面顔でガン見するも、魔女はパン、と手を叩いて腹を抱えて笑った。

も出来るのに、無理に能面ヅラを作らなくて良いんだぞ……!」
「あぁいう顏ってなんだ?」
「しかも、無自覚……! 無自覚なのか!」

 ヒィヒィと笑いを引き攣りながら、額をテーブルにつけて笑う魔女に文句を言おうと口を開いたが、サーレンに遮られた。

「あぁいう顏の原因を知りたいんです」
「……白髪のあんたはどう思っているんだ?」
「呪いをかけられているのではないかと」

「呪いねぇ」と魔女は考え深げに顎を擦った。

「普段の彼は呆けるような人間ではないんです。そんな彼の様子がおかしいとなると、病気ではない、それならもう呪いしかないと」
「私は呆けてなんぞいません」とイアンは話に割って入ったがサーレンから「黙っていなさい」と強く言われ、口を噤んだ。
「──しかもこのように無自覚なんです」
「……思い当たる節が一つある」

「一つ確認なんだが」と魔女はサーレンの顔面で人差し指を立てた。
 
「本当に呆けてしまう事が多いんだな?」
「そうなんです。ぼーっとしている、というよりも……」

 コホン、とサーレンは咳払いをした。

「可笑しい話なんですが……私を見る目に熱が篭っているというか」

「何を言っているんだ」とイアンは戸惑った。
(いつ、どこで、誰が、誰を、熱が篭った目で見たって?)

 イアンは疑問符を浮かべる。サーレンの会話について行けないし、自分ではなく将軍が呪いをかけられているんじゃないか、と思った。
 
「イアン、君は無意識だろうが、ずっと私を目で追っているぞ」
「それは、熱じゃなくて、敵意だ」

 しん、と静まり返ってイアンは内心「しまった」と思った。「将軍に登り詰める」と口に出してはいたが、サーレンに対しての敵意、ライバル心を無表情の下に隠し通せていたのに、自分の口で言ってしまったのは、分が悪い。自分は王族ではあるが軍では貴族階級は関係なく、軍での階級全てが物を言う。ただの平軍人である自分が将軍に楯突いたとなると、下手をすれば除隊を命じられてしまう。
 しかしサーレンはまったく気にしていないようで、魔術師と話を続けた。

「どういった呪いがかけられていますか?」
「呪いは一切掛けられていないぜ」
「しかし、さっき思い当たる節があると」
「ある。良いから良く聞いてくれよ、お二人さん」

 魔女は席を立ち、まるで役者かのように両手を広げて見せた。口調は面白そうである。

「食欲がない、寝つきが悪い、胸が痛む、呆ける、それは全て──」

 ゴクリとイアンか、それともサーレンからか……唾を呑み込む音がした。
 やたらと溜めて、続きを言わない魔女に痺れを切らしてイアンが文句を言おうと口を開くも、魔女が「言うな」と右手を一周回す。不思議とイアンの唇は鉛が付いたかのように開かなかった。
 魔女は、大きく息を吸い込んで、
 
「ただの恋煩い! 黒髪のあんたは白髪の男に恋をしているから、目で追ってしまうし、無意識に彼を思い出しては食欲を失くし胸を痛め眠れないんだよ!」
「そんな筈は」
「そんな筈はあるんだ。白髪のあんただって、黒髪の男が自分を見る目が恋をする目だと一目見て気付いただろ?
 あんたはそれを否定したくて、医者に毒を盛られたせいだとか、魔女に呪いを賭けられているからだ、と言わせたかったんだろ? でも、俺は正直に言う。呪いをかけられた反応もなければ、魔術をかけられた痕跡もない。この男は見たまんま、あんたに恋しているんだ」
「何を言っているんだ! 俺は将軍に恋なんてしていない!」

 ついムキになって声を荒げてしまう──常に冷静に居ようと心掛けていたのに。

「あんたは、隙を見ては白髪のおっさんの横顔を見つめていたぞ」

(白髪のおっさんとは失礼だな──将軍相手だぞ)

「どうしてこういう話になっているんだ。ここは俺が呪いをかけられているかどうかを調べにきただけなんだろ?」
「結果、恋の病に罹っていたんだな。そりゃ医者にも治せねぇな」

 ケラケラ笑う魔女を見て、テーブルの上でつい拳を作ってしまう。一般人──と言っても魔女だが、殴りたい。
 イアンは席を立とうとしたが──サーレンの重い声で踏み留まった。
 
「すまない……君の想いに私は答えられない」

 申し訳なさそうに眉間に皺を寄せながら、瞼を閉じるサーレンの姿をイアンはゆっくりと首を右に向けた。
 何故将軍が謝っているのか……どうして俺は振られたんだ? 告白してもいないのに?
 
「魔女の媚薬を作ってやろうか?」

 魔女をイアンは睨み付ける。魔女は悪気なさそうに謝った。
 
「恋を忘れる薬も作れるぞ」 

 目の前にはニヤニヤ笑う魔女、隣には頭を下げるサーレン──……。
 
「俺は、本当に、将軍に恋をしていない」

 怒りを抑えるようにイアンはゆっくりと魔女に告げた。

「鈍すぎるだろ。あんたは白髪のおっさんを切なそうに見てたぞ」
「その呼び方は止めろ。この方はこの国の将軍だぞ」
「魔女は国に属さないから、どんな呼び方をしても良いんだよ」

 あぁ言えばこう言う魔女に「本当に恋していないっていうなら、将軍を十秒見つめてみろよ」とイアンは言われた。

「あんたがそこまで否定するなら、恋をしていないっていうなら、十秒見つめたら分かるだろうよ」
「何故俺がそんな事を」
「あんた、恋をした事ないだろ?」
「何故そんなプライベートな事を言わなきゃならないんだ」

 十七にもなるがイアンは初恋まだである。

(俺は将軍に惚れていないし、『恋』というもののせいで、亡き父親は人前で恥ずかしげもなく泣くような男になってしまったし、死に間際に俺の母親の名前を呼んで引き取った。それを間近で聞いていた兄上と義母母上はどんな気持ちだったか考えるだけで、父親に対して腹が立つ。どんな時でも傍に居たのは、兄上と母上なのに、この世に居ない女の名前を呼ぶなんて。
『恋』というものがろくでもないと思っている俺が、恋に落ちる訳がないだろ)

 そんな事を知らない魔女は、再度「白髪のおっさんを見つめろ」やってみろ、と挑発してくる。魔女を忌々しく思っていると肩を叩かれた。
 いつの間にかサーレンは顔を上げていた。

「十秒だけだよ。やってみよう」

 口調は優しいも、有無を言わせない強さがあってイアンは小さく頷いた。

(恐れる事はない。ただ十秒見つめれば良いだけだ。いつものように能面顔で……)

 イアンとサーレンは長椅子に跨って座り、真剣な面持ちで顔を見合わせた。──ふと、ネロペイン帝国で出会った可愛い少女を思い出した。名前を教えてくれなかった。笑うと周囲がパァっと明るくなって、たどたどしく喋る姿は愛嬌があって、小さくて……ジャスミンで作ってくれた花冠は、腐れないように加工保存を施して、寝室に飾ってある。毎晩、あの花冠を眺めている。
 あの月夜の星空の下で踊ったダンスは今まで踊ったダンスよりも楽しかった。

『おかあさまは、みてくれている?』
『もちろん』
『わんちゃんのおかあさまは?』
『見ているよ』

 嬉しそうに朗らかに笑って、『よかった、わんちゃんのおかあさんもみてくれているのね』
 俺の心配をしているのだと知って、胸が締め付けられた。
 いつまでも、愛らしい笑顔を見ていたいと思った。しかし、残酷にも遠くから奏でられる音楽が佳境に入り、終わりが近い事を知る。
 寂しく思いながら、見おろすと琥珀色の瞳と銀色の髪を靡かせた少女がこちらを見上げていた──……。
 
 ──目の前に、琥珀色の瞳がある。夕焼けのような、煎れたての紅茶のような色。そして、色白の肌に映える銀髪。



 ボヤけた視界が波を打ち、ゆっくりと元の形を形成する。
 いや、元から形なんて崩れていなかったのだ。俺の意識が、飛んでいただけだった。目の前の色を見て、自分の知っている色と重ねて、幸せを感じたあの場所に。
 
「大丈夫かい、イアン」

 心配気な琥珀色。

(あぁ──そんな目で俺を見ないで、くれ)
 
「────、お、れ、は」

 意識を取り戻したイアンの喉からヒュッと息を飲む音がした。それから、ガタっと椅子が揺れた。イアンは、銀髪──ではなく、白髪のサーレンから離れる為に後退った。琥珀色の瞳からも、遠ざかる為に。

(俺は恋をしていた。将軍ではなく──)
 
 そのまま長椅子から落ちて尻餅をついたイアンは呆然とした後に頭を抱え込んだ。

(俺は、ずっと、将軍を見ていたんだ。白髪が銀髪に見えていたから。近くだと瞳の色が間近で見えたから、あの少女を思い出していたのか)

 イアンの頭上に影が二つ。

「ほら、やっぱりあんたに恋してただろ?」
「この様子だと、自分の想いに気が付いたのかな」
「今まで身体を鍛える事に夢中で恋なんて知らないで、ここまで生きてきたんだろうな」
「……さっき言っていた恋を忘れる薬だけど、私が頼んだら作ってくれるかい?」
「良いぜ」
 
 ──頭上で魔女とサーレンの見当はずれな会話がイアンの耳に入ったが、イアンはそれ所じゃなかった。
 今まで恋をした事がなかったから、一人の子を思い出しては胸が痛くなるなんて知りもしなかった。寝室に飾った花冠を見て眠れないのは、花冠を見つめながら、あの少女を無意識に思い出しては胸を痛めていたからだ。ビーフシチューを目にした時、胸が痛くなり、食欲も失せ、何を食べても美味しく感じないのは、あの子に食べさせてあげたい、と思ったからだ。どうしてここに、あの子は居ないんだろう──俺が、あの子の家族の事を想って連れ出すのを止めたからだ。
 今のイアンには十一歳年下で六歳の少女が初恋の相手だという事に、ツッこむ余裕はなかった。
 
『恋』をしないと誓っていたイアンだったが、そんな誓いをした事を忘れ今この時、綺麗さっぱり忘れていた。

『恋』というものがこんなにも苦しいものだとは知らなかった。人を弱くしてしまうもの、だとは知っていたが、ここまで、恋した相手の顔を見られない事が苦しいなんて誰も教えてくれなかった。
 フト、幼い頃に母上が言っていた言葉を思い出す。
 
『本当に好きなら、監禁すれば良かったのよ』

 父親が、俺の母親に惚れていたけど、国王の側室になると言う重圧に潰されたくないと言った彼女の気持ちを汲んで、その気遣いののちに、母親は城を飛び出し行方をくらませた。孕ませられるような事はしたくせに。
 
『あの人に足りなかったのは、愛するヒトを監禁する、という決断力よ』
 
 ここで、ロイドが母親に向けた戒める表情を思い出せば良かったものの、義母が放った言葉だけイアンはひたすら思い出す。
 
(どうして、連れて帰らなかったんだろう──!!)
 俺が弱かったから決断が出来なかったんだ……!! あれ程、母上に肉体だけではなく精神も鍛えろ、と言われていたのに……!

(俺は、俺は、馬鹿だ……!)
  
 イアンは魔女から頭を杖で叩かれるまで、ずっと頭を抱えたまま魔女の小屋で過ごしたのだった。サーレン将軍はさっさと帰宅しており、外はどっぷり夜の中だった。
 


 こうして、イアンは遅すぎた初恋を体験し……八年後に拗れに拗れた『初恋』の相手と結婚をするのである。
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