13 / 28
13
しおりを挟む
「……完璧ですわ、マリーナ様。今夜のあなたは、帝国のどの宝石よりも眩しく輝いておられます」
専属秘書官のルークが、感動に震える声でそう言いました。
鏡の中に映るのは、漆黒の夜空を切り取ったようなシルクのドレスを纏い、ラインハルト様から贈られた「青き月明かり」という名の巨大なサファイアを首元に飾った私の姿です。
かつての私は、事務作業のしやすさだけを考えた、地味で実用的な格好ばかりでした。
ですが、今の私は「ノイシュタット帝国の次期王太子妃」という、最も重要な役職(ポジション)に就こうとしています。
「マリーナ、準備はいいかい? 会場では君を一目見ようと、近隣諸国の大使たちが首を長くして待っているよ」
ラインハルト様が、完璧な正装で現れました。
彼は私の手を取り、うっとりとした表情でその甲に唇を寄せます。
「ラインハルト様。あまり見つめないでくださいませ。……心拍数が上がり、冷静な社交プロトコルを忘れてしまいそうですわ」
「ハハッ、計算機である君をバグらせることができるのは、私だけの特権だね」
私たちは腕を組み、帝国最大の晩餐会会場へと足を踏み入れました。
扉が開かれた瞬間、それまでの喧騒が嘘のように静まり返ります。
次の瞬間、割れんばかりの拍手と、驚嘆の溜息が会場を埋め尽くしました。
「……あの方が、噂の『奇跡の秘書官』か!」
「なんと美しい。……いや、その瞳の奥にある理知的な光。あれこそが帝国を救った智恵の源か」
招待客たちの称賛の声を浴びながら、私は完璧な歩調でレッドカーペットを進みます。
その群衆の中に、数人の「不自然に表情を強張らせた男たち」が混じっていることに、私はすぐに気づきました。
(……あら。あの方々のマントの裏地、ベルセルク王国の諜報員専用の隠し紋章が見えておりますわね。相変わらず詰めが甘いですこと)
私はラインハルト様にだけ聞こえる声で囁きました。
「ラインハルト様。あそこの柱の影に三名、それからテラス付近に二名。……元婚約者様が送り込んだ『視察団(スパイ)』がいらしていますわ」
「気づいていたか。……あえて泳がせてある。君がいかに幸せで、いかに美しく、そしていかにこの国で重用されているか。……それを余さずエドワードに報告させるためにな」
「まあ。ラインハルト様も、なかなかの策士でいらっしゃいますわね」
私たちは中央の壇上に登り、帝国を代表する貴族や大使たちと、次々に言葉を交わしていきました。
「マリーナ様、我が国との関税撤廃案、本当に素晴らしいものでした! おかげで流通コストが二割削減されましたよ!」
「お褒めいただき光栄です、ボルツ大使。……ですが、物流ルートにまだ三箇所のボトルネックがございます。後ほど、修正案をお送りいたしますわ」
「……パーティーの最中に仕事の話を!? さすがです、一生ついていきます!」
社交をこなしながら、私はチラリと例のスパイたちに視線を送りました。
彼らは、私が優雅に笑いながらも、同時に五カ国の大使と異なる言語で貿易の専門的な交渉を進めている様子を見て、愕然としていました。
「……信じられん。王国では『社交も満足にできない陰気な事務女』と言われていたあの令嬢が……これほどまでのカリスマ性を……」
「……それにあのラインハルト殿下。……まるで壊れ物を扱うかのような、あんな愛おしげな目は誰にも見せたことがないはずだ……」
スパイたちが震える手でメモを取るのを確認し、私は満足げにワインを口にしました。
(……存分に、エドワード様に伝えてくださいませ。……あなたが捨てたのは、ただの『便利な道具』ではなく、世界を動かす『女神』だったのだと)
パーティーが最高潮に達した頃、ラインハルト様が私の腰を引き寄せ、会場全体に宣言しました。
「皆様に紹介しよう。……私の唯一のパートナーであり、未来の皇后。マリーナ・フォン・アデレードだ。……彼女を侮辱することは、ノイシュタット帝国そのものを敵に回すと心得よ」
地を這うような重厚な声。
会場は静まり返り、次の瞬間、地響きのような歓声が上がりました。
一方で。
ベルセルク王国の薄暗い王城では、エドワード様がスパイからの第一報を受け取っていました。
「……なに? マリーナが、ラインハルトと……婚約……?」
「はい。……マリーナ様は、まるで夜空の星のように輝いておられました。……帝国中の貴族が彼女を崇拝し、ラインハルト殿下は彼女の影を追うことすら誇りに思っている様子で……」
「……嘘だ。マリーナは、俺がいないと何もできないはずだ! あいつは俺を愛していたはずだぁ!」
「いいえ、殿下。……彼女が愛していたのは『仕事』と『正確な帳簿』、そして自分を正当に評価してくれる『ラインハルト様』だけのようです」
エドワード様は、手元にあったリリアンさんの「算数ドリル(全問不正解)」を握りつぶし、その場に崩れ落ちました。
「マリーナぁぁぁ! 頼む、戻ってきてくれ! もうリリアンに『九九』を教えるのは限界なんだぁぁ!」
彼の叫びは、もはや誰の耳にも届きません。
私はラインハルト様と手を取り合い、新しい時代の扉を、力強く押し開いたのですから。
専属秘書官のルークが、感動に震える声でそう言いました。
鏡の中に映るのは、漆黒の夜空を切り取ったようなシルクのドレスを纏い、ラインハルト様から贈られた「青き月明かり」という名の巨大なサファイアを首元に飾った私の姿です。
かつての私は、事務作業のしやすさだけを考えた、地味で実用的な格好ばかりでした。
ですが、今の私は「ノイシュタット帝国の次期王太子妃」という、最も重要な役職(ポジション)に就こうとしています。
「マリーナ、準備はいいかい? 会場では君を一目見ようと、近隣諸国の大使たちが首を長くして待っているよ」
ラインハルト様が、完璧な正装で現れました。
彼は私の手を取り、うっとりとした表情でその甲に唇を寄せます。
「ラインハルト様。あまり見つめないでくださいませ。……心拍数が上がり、冷静な社交プロトコルを忘れてしまいそうですわ」
「ハハッ、計算機である君をバグらせることができるのは、私だけの特権だね」
私たちは腕を組み、帝国最大の晩餐会会場へと足を踏み入れました。
扉が開かれた瞬間、それまでの喧騒が嘘のように静まり返ります。
次の瞬間、割れんばかりの拍手と、驚嘆の溜息が会場を埋め尽くしました。
「……あの方が、噂の『奇跡の秘書官』か!」
「なんと美しい。……いや、その瞳の奥にある理知的な光。あれこそが帝国を救った智恵の源か」
招待客たちの称賛の声を浴びながら、私は完璧な歩調でレッドカーペットを進みます。
その群衆の中に、数人の「不自然に表情を強張らせた男たち」が混じっていることに、私はすぐに気づきました。
(……あら。あの方々のマントの裏地、ベルセルク王国の諜報員専用の隠し紋章が見えておりますわね。相変わらず詰めが甘いですこと)
私はラインハルト様にだけ聞こえる声で囁きました。
「ラインハルト様。あそこの柱の影に三名、それからテラス付近に二名。……元婚約者様が送り込んだ『視察団(スパイ)』がいらしていますわ」
「気づいていたか。……あえて泳がせてある。君がいかに幸せで、いかに美しく、そしていかにこの国で重用されているか。……それを余さずエドワードに報告させるためにな」
「まあ。ラインハルト様も、なかなかの策士でいらっしゃいますわね」
私たちは中央の壇上に登り、帝国を代表する貴族や大使たちと、次々に言葉を交わしていきました。
「マリーナ様、我が国との関税撤廃案、本当に素晴らしいものでした! おかげで流通コストが二割削減されましたよ!」
「お褒めいただき光栄です、ボルツ大使。……ですが、物流ルートにまだ三箇所のボトルネックがございます。後ほど、修正案をお送りいたしますわ」
「……パーティーの最中に仕事の話を!? さすがです、一生ついていきます!」
社交をこなしながら、私はチラリと例のスパイたちに視線を送りました。
彼らは、私が優雅に笑いながらも、同時に五カ国の大使と異なる言語で貿易の専門的な交渉を進めている様子を見て、愕然としていました。
「……信じられん。王国では『社交も満足にできない陰気な事務女』と言われていたあの令嬢が……これほどまでのカリスマ性を……」
「……それにあのラインハルト殿下。……まるで壊れ物を扱うかのような、あんな愛おしげな目は誰にも見せたことがないはずだ……」
スパイたちが震える手でメモを取るのを確認し、私は満足げにワインを口にしました。
(……存分に、エドワード様に伝えてくださいませ。……あなたが捨てたのは、ただの『便利な道具』ではなく、世界を動かす『女神』だったのだと)
パーティーが最高潮に達した頃、ラインハルト様が私の腰を引き寄せ、会場全体に宣言しました。
「皆様に紹介しよう。……私の唯一のパートナーであり、未来の皇后。マリーナ・フォン・アデレードだ。……彼女を侮辱することは、ノイシュタット帝国そのものを敵に回すと心得よ」
地を這うような重厚な声。
会場は静まり返り、次の瞬間、地響きのような歓声が上がりました。
一方で。
ベルセルク王国の薄暗い王城では、エドワード様がスパイからの第一報を受け取っていました。
「……なに? マリーナが、ラインハルトと……婚約……?」
「はい。……マリーナ様は、まるで夜空の星のように輝いておられました。……帝国中の貴族が彼女を崇拝し、ラインハルト殿下は彼女の影を追うことすら誇りに思っている様子で……」
「……嘘だ。マリーナは、俺がいないと何もできないはずだ! あいつは俺を愛していたはずだぁ!」
「いいえ、殿下。……彼女が愛していたのは『仕事』と『正確な帳簿』、そして自分を正当に評価してくれる『ラインハルト様』だけのようです」
エドワード様は、手元にあったリリアンさんの「算数ドリル(全問不正解)」を握りつぶし、その場に崩れ落ちました。
「マリーナぁぁぁ! 頼む、戻ってきてくれ! もうリリアンに『九九』を教えるのは限界なんだぁぁ!」
彼の叫びは、もはや誰の耳にも届きません。
私はラインハルト様と手を取り合い、新しい時代の扉を、力強く押し開いたのですから。
0
あなたにおすすめの小説
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
白い結婚をご希望ですか? 良いですよ。私はジャガイモと筋肉を育てますので!
松本雀
恋愛
「……いいか、エルゼ。あらかじめ言っておくが、私は君を愛するつもりはない」
「願ったり叶ったりです! 実は私、国境警備隊に幼馴染の恋人がいまして。この結婚が決まった時、二人で『体は売っても心は売らない』って涙ながらに誓い合ったんです。閣下が愛してくださらないなら、私の貞操も守られます! ありがとうございます、公爵閣下!」
「……こいびと?」
◆
「君を愛するつもりはない」
冷徹な公爵ギルベルトが新婚初夜に放った非情な宣告。しかし、新妻エルゼの反応は意外なものだった。
「よかった! 実は私、国境警備隊に恋人がいるんです!」
利害が一致したとばかりに秒速で就寝するエルゼ。彼女の目的は、愛なき結婚生活を隠れ蓑に、恋人への想いを込めた「究極のジャガイモ」を育てることだった!
公爵家の庭園を勝手に耕し、プロテインを肥料にするエルゼに、最初は呆れていたギルベルト。だが、彼女のあまりにフリーダムな振る舞いと、恋人への一途(?)な情熱を目の当たりにするうち、冷徹だった彼の心(と筋肉)に異変が起き始めて……!?
婚約破棄から50年後
あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。
そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。
二度目の子育て~我が子を可愛がったら溺愛されました
三園 七詩
恋愛
私は一人娘の優里亜の母親だった。
優里亜は幼い頃から体が弱く病院でほとんどの時間を過ごしていた。
優里亜は本が好きでよく私にも本の話をしてくれた。
そんな優里亜の病状が悪化して幼くして亡くなってしまう。
絶望に打ちひしがれている時事件に巻き込まれ私も命を落とした。
そして気がつくと娘の優里亜が大好きだった本の世界に入り込んでいた。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ】悪妃は余暇を楽しむ
ごろごろみかん。
恋愛
「こちら、離縁届です。私と、離縁してくださいませ、陛下」
ある日、悪妃と名高いクレメンティーナが夫に渡したのは、離縁届だった。彼女はにっこりと笑って言う。
「先日、あなた方の真実の愛を拝見させていただきまして……有難いことに目が覚めましたわ。ですので、王妃、やめさせていただこうかと」
何せ、あれだけ見せつけてくれたのである。ショックついでに前世の記憶を取り戻して、千年の恋も瞬間冷凍された。
都合のいい女は本日で卒業。
今後は、余暇を楽しむとしましょう。
吹っ切れた悪妃は身辺整理を終えると早々に城を出て行ってしまった。
謹んで、婚約破棄をお受けいたします。
パリパリかぷちーの
恋愛
きつい目つきと素直でない性格から『悪役令嬢』と噂される公爵令嬢マーブル。彼女は、王太子ジュリアンの婚約者であったが、王子の新たな恋人である男爵令嬢クララの策略により、夜会の場で大勢の貴族たちの前で婚約を破棄されてしまう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる