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ベルセルク王国と、新しく帝国領となったアデレード州の境界線。
そこには、かつてないほどに「みすぼらしい」軍勢が立ち並んでいました。
馬は痩せ細り、騎士たちの鎧は手入れ不足で錆びつき、掲げられた王家の旗は心なしか色あせて見えます。
その中心で、エドワード様が真っ赤な顔をして叫んでいました。
「ラインハルト! 卑怯者め、出てこい! 我が国の領土とマリーナを騙し取るとは、それでも一国の皇太子か!」
隣では、リリアンさんが日傘を差しながら、「そうですぅ! 泥棒さんですぅ!」と、学芸会のような声を上げています。
私は、城壁の上からその光景を眺め、深く、深ーいため息をつきました。
「……ラインハルト様。あの方々、往復の馬の餌代すら計算に入れずにここまでいらしたようですわね」
「マリーナ、君の言う通りだ。偵察部隊の報告によると、彼らは道中の村で『王太子の威光』を担保に食糧をツケで買い占めてきたらしい」
私の隣に立つラインハルト様は、呆れ果てたように肩をすくめました。
「……マリーナ。一応、彼らは『決闘』を申し込んできている。騎士としての誇りにかけて、私が出るべきだろうか?」
「いいえ、ラインハルト様。そのような『非生産的な行事』に、あなたの貴重な時間を使う必要はありませんわ」
私は、ルークに命じて巨大な拡声用魔導具(拡声器)を用意させました。
私は城壁の端に立ち、眼下の元婚約者に向けて、透き通るような、しかし冷徹な声を放ちました。
「エドワード様! そこから一歩でも我が領土に侵入すれば、それは『宣戦布告』と見なし、即座に損害賠償請求の手続きに入りますわよ!」
「マ、マリーナ! 貴様、まだそんな可愛げのないことを! 私はお前を救いに来たんだ! ラインハルトと決闘し、勝利して、お前を正当に取り戻す!」
「『取り戻す』? 失礼ね。私は落とし物でも備品でもありませんわ。……それよりエドワード様。決闘を申し込むのであれば、まずはこちらの『決闘執行見積書』をご確認いただけますか?」
私は城壁の上から、ひらひらと数枚の紙を落としました。
風に舞ってエドワード様の足元に落ちたそれを、彼は不審げに拾い上げました。
「な、なんだこれは……。……会場設営費、立ち会い人派遣料、救急魔導師待機費用……。……合計、金貨五百枚!?」
「ええ。帝国の皇太子を動かすのですもの。相応の経費がかかるのは当然でしょう? まさか、一国の王太子が『無償』で遊んでもらえるとお思いで?」
「こ、これは遊びではない! 神聖な決闘だぞ!」
「神聖だろうが世俗的だろうが、人が動けば金がかかるのですわ。……あ、言い忘れましたが。そちらに控えている騎士様たちへの『不払い賃金』の立て替え分も、上乗せしておきましたわよ」
その瞬間、エドワード様の背後にいた騎士たちが、ざわり、と揺れました。
「……な、何!? マリーナ様、今なんと仰いましたか!」
一人の騎士が、必死な形相で叫びました。
「あら、聞いていないのですか? アデレード公爵家が帝国に移籍する際、私は旧領内にいた騎士の方々の『未払い給与』をすべて正確に算出し、その債権を帝国側で買い取らせていただきました。……つまり、今あなたたちが戦おうとしている相手は、あなたの給料を支払ってくれる唯一の『雇い主(予定)』なのですわ」
「……な、なんだとぉぉぉ!?」
騎士たちが一斉に武器を降ろし、エドワード様を信じられないという目で見始めました。
「殿下! 我々の給料、マリーナ様が計算してくださっていたんですか!? 殿下が『リリアン様のドレス代に使っちゃったけど、騎士なら愛国心で耐えろ』って言った、あの給料を!」
「あ、いや……それは……! 後で払うつもりだったんだ!」
「嘘ですわ、エドワード様。あなたの隠し金庫には、もうネズミの親子が住める程度の残高しかございませんもの」
私は追い打ちをかけるように、にっこりと微笑みました。
「騎士の皆様! 今なら『中途採用キャンペーン』を実施中ですわ! 武器を捨ててこちら側へ来れば、未払い分を全額支給し、さらにホワイトな福利厚生をお約束いたします!」
「「「お、お供します! マリーナ教祖様ぁぁぁ!!」」」
次の瞬間、エドワード様を守るはずだった軍勢の九割が、一斉に城門の方へと駆け出しました。
「お、おい! 貴様ら、戻れ! 逆賊だぞ! 処刑だぞ!」
「殿下、処刑するにも人手がいるんですよ! さようなら、俺は今日から帝国の公務員になります!」
エドワード様の周りに残ったのは、呆然と立ち尽くす数名の側近と、相変わらず日傘を回しているリリアンさんだけでした。
「……ひどいですぅ、エドワード様ぁ。みんな、お金に目がくらむなんて……。愛があれば、霞を食べてでも戦えるはずなのにぃ」
「リリアン……。霞では、馬も人間も動かないんだ。……俺は、ようやくそれを知ったよ……」
エドワード様は、手元に残った「金貨五百枚の見積書」を握りしめ、ガクガクと膝を震わせました。
「……マリーナ。……お前は、どこまで私を惨めにすれば気が済むんだ」
「惨めにしているのは、私ではなく、あなたの『無計画さ』ですわ。……さあ、エドワード様。決闘の費用が払えないのであれば、速やかにお引き取りください。……不法占拠一分につき、罰金を追加させていただきますわよ?」
私は時計を見せつけるように、冷ややかに言い放ちました。
エドワード様は、もはや反論する力もなく、数人の従者に支えられながら、逃げるように去っていきました。
その背中は、かつての王太子の威厳など微塵も感じられない、ただの「破産寸前の男」のそれでした。
ラインハルト様が、私の肩を抱き寄せ、感心したようにため息をつきました。
「……マリーナ。剣を一振りもせずに、一国の軍勢を『買収』して解散させるとはね。君を戦場に出したら、三日で大陸が統一されてしまいそうだ」
「あら、ラインハルト様。武力行使はコストがかかりますもの。……経済的に屈服させるのが、一番の平和解決ですわ」
私はラインハルト様の胸に顔を埋め、その温もりに安心しました。
「ホワイトな帝国」の領土が、また少しだけ、血を流さずに広がった瞬間でした。
そこには、かつてないほどに「みすぼらしい」軍勢が立ち並んでいました。
馬は痩せ細り、騎士たちの鎧は手入れ不足で錆びつき、掲げられた王家の旗は心なしか色あせて見えます。
その中心で、エドワード様が真っ赤な顔をして叫んでいました。
「ラインハルト! 卑怯者め、出てこい! 我が国の領土とマリーナを騙し取るとは、それでも一国の皇太子か!」
隣では、リリアンさんが日傘を差しながら、「そうですぅ! 泥棒さんですぅ!」と、学芸会のような声を上げています。
私は、城壁の上からその光景を眺め、深く、深ーいため息をつきました。
「……ラインハルト様。あの方々、往復の馬の餌代すら計算に入れずにここまでいらしたようですわね」
「マリーナ、君の言う通りだ。偵察部隊の報告によると、彼らは道中の村で『王太子の威光』を担保に食糧をツケで買い占めてきたらしい」
私の隣に立つラインハルト様は、呆れ果てたように肩をすくめました。
「……マリーナ。一応、彼らは『決闘』を申し込んできている。騎士としての誇りにかけて、私が出るべきだろうか?」
「いいえ、ラインハルト様。そのような『非生産的な行事』に、あなたの貴重な時間を使う必要はありませんわ」
私は、ルークに命じて巨大な拡声用魔導具(拡声器)を用意させました。
私は城壁の端に立ち、眼下の元婚約者に向けて、透き通るような、しかし冷徹な声を放ちました。
「エドワード様! そこから一歩でも我が領土に侵入すれば、それは『宣戦布告』と見なし、即座に損害賠償請求の手続きに入りますわよ!」
「マ、マリーナ! 貴様、まだそんな可愛げのないことを! 私はお前を救いに来たんだ! ラインハルトと決闘し、勝利して、お前を正当に取り戻す!」
「『取り戻す』? 失礼ね。私は落とし物でも備品でもありませんわ。……それよりエドワード様。決闘を申し込むのであれば、まずはこちらの『決闘執行見積書』をご確認いただけますか?」
私は城壁の上から、ひらひらと数枚の紙を落としました。
風に舞ってエドワード様の足元に落ちたそれを、彼は不審げに拾い上げました。
「な、なんだこれは……。……会場設営費、立ち会い人派遣料、救急魔導師待機費用……。……合計、金貨五百枚!?」
「ええ。帝国の皇太子を動かすのですもの。相応の経費がかかるのは当然でしょう? まさか、一国の王太子が『無償』で遊んでもらえるとお思いで?」
「こ、これは遊びではない! 神聖な決闘だぞ!」
「神聖だろうが世俗的だろうが、人が動けば金がかかるのですわ。……あ、言い忘れましたが。そちらに控えている騎士様たちへの『不払い賃金』の立て替え分も、上乗せしておきましたわよ」
その瞬間、エドワード様の背後にいた騎士たちが、ざわり、と揺れました。
「……な、何!? マリーナ様、今なんと仰いましたか!」
一人の騎士が、必死な形相で叫びました。
「あら、聞いていないのですか? アデレード公爵家が帝国に移籍する際、私は旧領内にいた騎士の方々の『未払い給与』をすべて正確に算出し、その債権を帝国側で買い取らせていただきました。……つまり、今あなたたちが戦おうとしている相手は、あなたの給料を支払ってくれる唯一の『雇い主(予定)』なのですわ」
「……な、なんだとぉぉぉ!?」
騎士たちが一斉に武器を降ろし、エドワード様を信じられないという目で見始めました。
「殿下! 我々の給料、マリーナ様が計算してくださっていたんですか!? 殿下が『リリアン様のドレス代に使っちゃったけど、騎士なら愛国心で耐えろ』って言った、あの給料を!」
「あ、いや……それは……! 後で払うつもりだったんだ!」
「嘘ですわ、エドワード様。あなたの隠し金庫には、もうネズミの親子が住める程度の残高しかございませんもの」
私は追い打ちをかけるように、にっこりと微笑みました。
「騎士の皆様! 今なら『中途採用キャンペーン』を実施中ですわ! 武器を捨ててこちら側へ来れば、未払い分を全額支給し、さらにホワイトな福利厚生をお約束いたします!」
「「「お、お供します! マリーナ教祖様ぁぁぁ!!」」」
次の瞬間、エドワード様を守るはずだった軍勢の九割が、一斉に城門の方へと駆け出しました。
「お、おい! 貴様ら、戻れ! 逆賊だぞ! 処刑だぞ!」
「殿下、処刑するにも人手がいるんですよ! さようなら、俺は今日から帝国の公務員になります!」
エドワード様の周りに残ったのは、呆然と立ち尽くす数名の側近と、相変わらず日傘を回しているリリアンさんだけでした。
「……ひどいですぅ、エドワード様ぁ。みんな、お金に目がくらむなんて……。愛があれば、霞を食べてでも戦えるはずなのにぃ」
「リリアン……。霞では、馬も人間も動かないんだ。……俺は、ようやくそれを知ったよ……」
エドワード様は、手元に残った「金貨五百枚の見積書」を握りしめ、ガクガクと膝を震わせました。
「……マリーナ。……お前は、どこまで私を惨めにすれば気が済むんだ」
「惨めにしているのは、私ではなく、あなたの『無計画さ』ですわ。……さあ、エドワード様。決闘の費用が払えないのであれば、速やかにお引き取りください。……不法占拠一分につき、罰金を追加させていただきますわよ?」
私は時計を見せつけるように、冷ややかに言い放ちました。
エドワード様は、もはや反論する力もなく、数人の従者に支えられながら、逃げるように去っていきました。
その背中は、かつての王太子の威厳など微塵も感じられない、ただの「破産寸前の男」のそれでした。
ラインハルト様が、私の肩を抱き寄せ、感心したようにため息をつきました。
「……マリーナ。剣を一振りもせずに、一国の軍勢を『買収』して解散させるとはね。君を戦場に出したら、三日で大陸が統一されてしまいそうだ」
「あら、ラインハルト様。武力行使はコストがかかりますもの。……経済的に屈服させるのが、一番の平和解決ですわ」
私はラインハルト様の胸に顔を埋め、その温もりに安心しました。
「ホワイトな帝国」の領土が、また少しだけ、血を流さずに広がった瞬間でした。
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