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「……ああ、なんと素晴らしい。鳥のさえずり、水のせせらぎ、そして何より……誰の視線も感じない、この完全なる孤独!」
学園を中退し、早朝の馬車に揺られること数時間。
私はついに、念願の「湖畔の隠居用別荘」へとたどり着いた。
目の前には、絵画のように美しい湖。
そして、古いけれど手入れの行き届いた、こぢんまりとした屋敷。
「これで、私の人生の目的は達成されましたわ。今日からは、誰の挙動も計算せず、ただ静かに本を読んで過ごすのです……」
私は、重いトランクを抱えて玄関の扉を開けようとした。
しかし、そこで私の「観察マニア」としての癖が、無意識に働いてしまった。
「……あら。この扉の取っ手。微かに……そう、体温の残滓を感じますわね。あと、この鍵穴の周りの傷。つい数分前に、金属製の何かを差し込んだような、鋭い擦れ跡がついていますわ」
嫌な予感が、背筋を駆け上がる。
私は、足元の砂利をじっと眺めた。
「……三点支持の足跡。一つは重装歩兵のような力強い踏み込み。もう一つは、爪先立ちで歩く、体重の軽い……変質者のような足取り。……セドリック様、サイラス様。そこにいらっしゃるのは分かっておりますわよ」
静まり返っていた別荘の庭が、一瞬で騒がしくなった。
「な、なにいぃぃぃ!? 気配を完全に殺して、庭の茂みと同化していたはずなのに!」
茂みの中から、枯れ葉を頭に乗せたセドリック様が飛び出してきた。
「……残念だね。光学的迷彩の魔導具を使って、風景に溶け込んでいたはずなんだが。君の網膜は、空間の僅かな歪みすら許さないのか」
屋根の影から、透明なマントを脱ぎ捨てたサイラス様が姿を現した。
「……貴方たち、なぜここにいますの? ここは、私が極秘裏に契約した、誰にも教えていないはずの場所ですわよ」
「師匠! 俺を甘く見ないでください! 師匠が不動産屋と交渉していた際、その吐息の向きと視線の角度から、俺が地図を割り出したのです!」
「僕は、君が注文したカーテンの生地の重さと、その配送料金から、逆算してこの座標を特定したよ」
……この人たち、やっぱり救いようがない。
「お帰りください。私は、誰とも関わらずに暮らすと決めたのですわ」
「お断りします! この周辺は、最近凶暴なクマが出るという『予測』が出ております! 俺がこの筋肉で、クマを素振り一万回の刑に処さねばなりません!」
「……クマなんて、今の季節はいませんわよ。……あ、セドリック様。今、貴方の後ろの木。貴方の殺気を感じて、小さなリスが驚いてどんぐりを落としましたわ。……あ、あと三秒で、貴方の頭を直撃しますわよ」
「えっ? どんぐ……ぐふっ!?」
見事に頭を直撃されたセドリック様が、その場に崩れ落ちた。
「ふふ。……マーリ、僕は君を『独り』にはさせないよ。君がこの湖畔で何回瞬きをし、何回呼吸をするのか……。僕はそれを、生涯をかけて観測し続ける義務があるんだ」
サイラス様が、眼鏡の奥で狂気的な愛……もとい、探究心を光らせた。
「……義務なんて、私が認めておりませんわ。……サイラス様、その足元。先ほどセドリック様が掘り返した跡に、足を取られますわよ。……あ、二秒。一秒。はい、どうぞ」
「おっと……わ、わわっ!?」
サイラス様は、私の忠告通りに(あるいは忠告があったせいで意識しすぎて)、派手に土の穴に足を突っ込み、転倒した。
「……はぁ。私の平穏な隠居生活、初日から土埃にまみれていますわね」
私は、倒れた二人を冷たい目で見下ろしながら、玄関の鍵を開けた。
「いいですか、お二人とも。勝手に庭にいるのは構いませんが、家の中には一歩も入れませんわよ。……あ、セドリック様。その鼻血、早く拭かないと、貴方の自慢の白いシャツに永久に落ちないシミが付きますわよ」
「……あ、本当だ! 師匠、どこまで俺の不摂生を見通しているのですか!」
「不摂生ではありません。ただの出血です。……サイラス様も、その泥だらけのローブで私の玄関マットを踏まないでくださる?」
私は、二人の絶叫と称賛の声を背中に受けながら、パタンと扉を閉めた。
……外からは「師匠ー!」「マーリ、窓から心拍数を測らせてくれ!」という声が聞こえてくる。
「……やれやれ。物理的に距離を置いても、この人たちは私の『因果律』に勝手に飛び込んでくるようですわね」
私は、ようやく手に入れた自分の部屋で、静かに紅茶を淹れた。
……窓の外、木の上にぶら下がって望遠鏡を構えているサイラス様の影が見えるけれど。
……そして、庭で「師匠の安全を守るための塹壕(ざんごう)」を掘り始めたセドリック様の音が響いているけれど。
「……まあ、いいでしょう。彼らの動きを予測することだけは、退屈しのぎにはなりそうですわ」
私は、自分の予測が「これからもこの騒々しさが続く」と告げているのを認めつつ、一口紅茶を啜った。
私の、新しい(そして全然静かじゃない)自由な生活が、今、始まったばかりだった。
学園を中退し、早朝の馬車に揺られること数時間。
私はついに、念願の「湖畔の隠居用別荘」へとたどり着いた。
目の前には、絵画のように美しい湖。
そして、古いけれど手入れの行き届いた、こぢんまりとした屋敷。
「これで、私の人生の目的は達成されましたわ。今日からは、誰の挙動も計算せず、ただ静かに本を読んで過ごすのです……」
私は、重いトランクを抱えて玄関の扉を開けようとした。
しかし、そこで私の「観察マニア」としての癖が、無意識に働いてしまった。
「……あら。この扉の取っ手。微かに……そう、体温の残滓を感じますわね。あと、この鍵穴の周りの傷。つい数分前に、金属製の何かを差し込んだような、鋭い擦れ跡がついていますわ」
嫌な予感が、背筋を駆け上がる。
私は、足元の砂利をじっと眺めた。
「……三点支持の足跡。一つは重装歩兵のような力強い踏み込み。もう一つは、爪先立ちで歩く、体重の軽い……変質者のような足取り。……セドリック様、サイラス様。そこにいらっしゃるのは分かっておりますわよ」
静まり返っていた別荘の庭が、一瞬で騒がしくなった。
「な、なにいぃぃぃ!? 気配を完全に殺して、庭の茂みと同化していたはずなのに!」
茂みの中から、枯れ葉を頭に乗せたセドリック様が飛び出してきた。
「……残念だね。光学的迷彩の魔導具を使って、風景に溶け込んでいたはずなんだが。君の網膜は、空間の僅かな歪みすら許さないのか」
屋根の影から、透明なマントを脱ぎ捨てたサイラス様が姿を現した。
「……貴方たち、なぜここにいますの? ここは、私が極秘裏に契約した、誰にも教えていないはずの場所ですわよ」
「師匠! 俺を甘く見ないでください! 師匠が不動産屋と交渉していた際、その吐息の向きと視線の角度から、俺が地図を割り出したのです!」
「僕は、君が注文したカーテンの生地の重さと、その配送料金から、逆算してこの座標を特定したよ」
……この人たち、やっぱり救いようがない。
「お帰りください。私は、誰とも関わらずに暮らすと決めたのですわ」
「お断りします! この周辺は、最近凶暴なクマが出るという『予測』が出ております! 俺がこの筋肉で、クマを素振り一万回の刑に処さねばなりません!」
「……クマなんて、今の季節はいませんわよ。……あ、セドリック様。今、貴方の後ろの木。貴方の殺気を感じて、小さなリスが驚いてどんぐりを落としましたわ。……あ、あと三秒で、貴方の頭を直撃しますわよ」
「えっ? どんぐ……ぐふっ!?」
見事に頭を直撃されたセドリック様が、その場に崩れ落ちた。
「ふふ。……マーリ、僕は君を『独り』にはさせないよ。君がこの湖畔で何回瞬きをし、何回呼吸をするのか……。僕はそれを、生涯をかけて観測し続ける義務があるんだ」
サイラス様が、眼鏡の奥で狂気的な愛……もとい、探究心を光らせた。
「……義務なんて、私が認めておりませんわ。……サイラス様、その足元。先ほどセドリック様が掘り返した跡に、足を取られますわよ。……あ、二秒。一秒。はい、どうぞ」
「おっと……わ、わわっ!?」
サイラス様は、私の忠告通りに(あるいは忠告があったせいで意識しすぎて)、派手に土の穴に足を突っ込み、転倒した。
「……はぁ。私の平穏な隠居生活、初日から土埃にまみれていますわね」
私は、倒れた二人を冷たい目で見下ろしながら、玄関の鍵を開けた。
「いいですか、お二人とも。勝手に庭にいるのは構いませんが、家の中には一歩も入れませんわよ。……あ、セドリック様。その鼻血、早く拭かないと、貴方の自慢の白いシャツに永久に落ちないシミが付きますわよ」
「……あ、本当だ! 師匠、どこまで俺の不摂生を見通しているのですか!」
「不摂生ではありません。ただの出血です。……サイラス様も、その泥だらけのローブで私の玄関マットを踏まないでくださる?」
私は、二人の絶叫と称賛の声を背中に受けながら、パタンと扉を閉めた。
……外からは「師匠ー!」「マーリ、窓から心拍数を測らせてくれ!」という声が聞こえてくる。
「……やれやれ。物理的に距離を置いても、この人たちは私の『因果律』に勝手に飛び込んでくるようですわね」
私は、ようやく手に入れた自分の部屋で、静かに紅茶を淹れた。
……窓の外、木の上にぶら下がって望遠鏡を構えているサイラス様の影が見えるけれど。
……そして、庭で「師匠の安全を守るための塹壕(ざんごう)」を掘り始めたセドリック様の音が響いているけれど。
「……まあ、いいでしょう。彼らの動きを予測することだけは、退屈しのぎにはなりそうですわ」
私は、自分の予測が「これからもこの騒々しさが続く」と告げているのを認めつつ、一口紅茶を啜った。
私の、新しい(そして全然静かじゃない)自由な生活が、今、始まったばかりだった。
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