悪役令嬢ダンキア、婚約破棄に「御意」と即答する。

ちゅんりー

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王都の大通りを疾走すること数十分。

ダンキアは息一つ乱さず、バルト公爵家の正門前に到着していた。

通常、馬車で移動する距離を自身の足だけで、しかもヒールで駆け抜けたのだ。

門番たちが目を剥いて彼女を見つめる。

「お、お嬢様!? その格好は一体……!」

「ただいま戻りました。門を開ける手間は不要ですわ」

ダンキアは門番の制止を振り切り、閉まっている門の脇にある通用口をひらりと飛び越えた。

高さ三メートルはある鉄柵を、まるで小石をまたぐかのように。

「えっ」

門番の声が裏返る。

屋敷の玄関ホールに入ると、執事長のセバスチャンが血相を変えて飛んできた。

「お嬢様! なんですかその破廉恥な姿は! ドレスの裾がありませんぞ!」

「ええ、邪魔でしたので捨ててきました」

「捨て……!? あれは今季の新作、金貨百枚はする最高級品ですが!?」

「金額よりも機能性です。セバスチャン、お父様はどちら?」

「旦那様なら執務室におられますが……いや、それよりもおみ足を隠してくだされ!」

セバスチャンが慌てて自分の上着を脱ごうとするが、ダンキアはそれを手で制した。

「構いません。どうせこの家を出ていきますから」

「はい?」

ダンキアは執事の横をすり抜け、階段を二段飛ばしで駆け上がる。

目指すは二階の執務室……ではなく、自室だ。

まずは荷造りをしなければならない。

バンッ!

自室のドアを開け放ち、彼女はウォークインクローゼットへと飛び込んだ。

煌びやかなドレス、宝石、帽子。

それらには目もくれず、クローゼットの奥の床板を剥がす。

そこには、彼女が長年隠し持っていた『宝物』が眠っていた。

「ああ、私の愛しい子たち……!」

ダンキアが取り出したのは、無骨な革のリュックサック。

そして、ミスリル銀で作られた特注のナックルダスター(メリケンサック)。

さらには、重りが入ったリストバンドとアンクルウェイト(各十キロ)。

これらは全て、お忍びで街の鍛冶屋に通い、こっそりと作らせた特注品だ。

公爵令嬢としての生活では、これらを身につけることなど許されなかった。

だが今日からは違う。

「ふふふ、ようやく日の目を見せてあげられますわ」

ダンキアは嬉々としてドレスを脱ぎ捨てた。

代わりに身につけたのは、動きやすい革のパンツと、丈夫な麻のシャツ。

その上から防具を兼ねたベストを羽織り、手足にウェイトを装着する。

「うん、体が軽い」

総重量四十キロの装備を身につけているとは思えない軽やかさで、彼女はその場でシャドーボクシングを始めた。

シュッ、シュッ。

空気が裂ける音が部屋に響く。

「よし、準備完了です」

リュックに必要な着替えと小銭、そして非常食の干し肉を詰め込み、ダンキアは部屋を出た。

廊下に出ると、向こうから怒号が聞こえてきた。

「ダンキア! どこだ!」

赤ら顔でドスドスと歩いてくるのは、父親であるバルト公爵だ。

その後ろには、青ざめた母親とセバスチャンが続いている。

どうやら、王宮から早馬で知らせが届いたらしい。

あるいは、彼女の帰宅があまりに早すぎて、知らせの方が遅かったのかもしれないが。

「お父様、ちょうどよかった。ご挨拶に伺おうと思っていたところです」

「挨拶だと!? 貴様、王宮で何をしでかした! クラーク殿下から『婚約破棄』との連絡が入ったぞ!」

公爵が震える指でダンキアを指差す。

「しかも、貴様が殿下を突き飛ばし、会場を破壊して逃亡したと……! 我が家の恥さらしめ!」

「事実無根ですわ」

ダンキアは涼しい顔で答えた。

「突き飛ばしてはいません。扇子の風圧で転ばせただけです」

「それを突き飛ばしたと言うのだ!」

「それに会場の破壊といっても、ほんの少し壁と扉に通気口を作った程度。リフォーム代は請求書に含めておきます」

「ふ、ふざけるなっ!」

公爵の怒りは頂点に達していた。

彼はバルト家の当主として、王家との結びつきを何よりも重視してきた。

娘を王太子妃に据え、権力を盤石にする。

その長年の計画が、一夜にして水の泡となったのだ。

「貴様のようなふつつか者、もはや我が娘ではない! 勘当だ! 二度とバルト家の敷居を跨げると思うな!」

「ありがとうございます!」

ダンキアは満面の笑みで、深々と頭を下げた。

「え?」

予想外の反応に、公爵が固まる。

「ちょうど家出しようと思っていたのですが、勘当していただけるなら好都合。これで法的手続きもスムーズに進みますわね。感謝いたします、元お父様」

「な、な……」

「それでは、お元気で。お母様も、どうかご自愛くださいませ」

ダンキアは唖然とする両親に背を向け、廊下を歩き出した。

その背中には、一切の迷いがない。

あまりの潔さに、公爵は言葉を失った。

だが、すぐに我に返る。

ここで娘を逃がせば、王家への申し開きが立たない。

少なくとも、彼女を捕らえて王宮へ引き渡さねばならないのだ。

「ま、待て! 誰が行っていいと言った! 捕まえろ! 屋敷中の兵を集めろ!」

公爵の号令により、屋敷の警備兵たちがわらわらと集まってくる。

しかし、彼らはダンキアの姿を見て躊躇した。

普段の煌びやかな令嬢姿ではなく、歴戦の傭兵のようなオーラを放つ彼女に、本能的な恐怖を感じたのだ。

「どいてくださる? 急いでいますの」

ダンキアが一歩踏み出す。

「ひっ……」

兵士たちが道を開ける。

彼女は悠々と階段を下り、玄関ホールを抜けて外へ出た。

「逃がすな! 正門を閉めろ! 絶対に外に出すな!」

二階の窓から公爵が叫ぶ。

正門の前には、すでに十数人の衛兵が待ち構えていた。

そして、巨大な鉄製の門が、重々しい音を立てて閉ざされていく。

ガシャン!

カンヌキがかけられ、完全に封鎖された。

「お嬢様、お止まりください! これ以上は進めません!」

衛兵隊長が剣を構えずに説得を試みる。

彼らもまた、幼い頃から見てきたお嬢様に刃を向けるのは気が引けるのだ。

ダンキアは立ち止まり、閉ざされた門を見上げた。

黒鉄で作られた、高さ五メートルの堅牢な門。

攻城兵器でもなければ破れないと言われる、バルト家の自慢の防壁だ。

「困りましたね」

ダンキアは首を傾げた。

「これでは外に出られません」

「そうです! ですから、どうかお部屋にお戻りください!」

衛兵たちが安堵の表情を浮かべる。

しかし、次の瞬間。

ダンキアはリュックを地面に置いた。

そして、門の格子に両手をかけた。

「鍵を探すのも面倒ですね」

「は?」

「少々、失礼します」

彼女は深く息を吸い込み、全身の筋肉を連動させた。

ドレスの時には使えなかった背筋、大胸筋、そして上腕二頭筋が唸りを上げる。

「んんっ……ふんっ!」

ギチチチチ……!

耳障りな金属音が響き渡った。

衛兵たちの目の前で、信じられない光景が繰り広げられる。

黒鉄の格子が、まるで飴細工のようにぐにゃりと曲がり始めたのだ。

「なっ、ななな!?」

「あ、開かないなら、作ればいいのです」

ダンキアは更に力を込める。

ミシミシ、バキィッ!

鉄の棒が二本、根元からへし折れた。

人が一人、余裕で通れるだけの隙間……いや、穴が開く。

ダンキアは折れた鉄の棒をポイと投げ捨て、額の汗を拭った。

「ふう、少し錆びついていたのかしら? 手入れがなっていませんね」

錆びてなどいない。

先月メンテナンスしたばかりの最高強度の鉄だ。

衛兵たちは顎が外れそうなほど口を開け、言葉も出ない。

二階の窓から見ていた公爵は、あまりのショックに白目を剥いて気絶した。

「それでは皆様、お世話になりました!」

ダンキアはリュックを背負い直すと、自らがこじ開けた『出口』をくぐり抜けた。

自由だ。

遮るものは何もない。

彼女は夜の街道を駆け出した。

目指すは冒険者ギルド。

未知なる冒険と、心躍るバトルが待っている場所へ。

「さあ、まずはランク登録からですわね! Fランク? いいえ、目指すはSランクです!」

闇夜に彼女の笑い声が響く。

こうして、公爵令嬢ダンキアは実家を(物理的に)破壊して出奔した。

後に『鉄砕きの令嬢』として伝説になる冒険譚の、これが記念すべき第一歩であった。
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