悪役令嬢ダンキア、婚約破棄に「御意」と即答する。

ちゅんりー

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王都から少し離れた場所にある『魔の森』。

そこは夜行性の魔物が跋扈する危険地帯であり、ベテラン冒険者ですら夜間の立ち入りを避ける場所だ。

だが現在、その森には楽しげなハミングが響いていた。

「フフフ~ン♪ 薬草、薬草……」

ダンキアである。

彼女は片手に『薬草図鑑(初心者向け)』を持ち、地面を這いつくばって草むらを探っていた。

背負ったリュックはパンパンに膨らんでいるが、彼女の足取りはスキップでもしそうなほど軽い。

「ありました! これがヒール草ですね!」

月明かりに照らされた緑色の草を見つけ、ダンキアは目を輝かせた。

ギルドで受けた依頼は『ヒール草の採取』。

報酬は一束につき銅貨十枚。

公爵令嬢だった頃の彼女にとって、銅貨など見たこともない端金だ。

だが今の彼女にとっては、自らの労働で得る尊い対価である。

「これを十束集めれば、今夜の宿代になりますわ。頑張りましょう」

彼女が手を伸ばした、その時。

ゴオオオオオッ……!

頭上から熱風が吹き下ろした。

「あら?」

ダンキアが顔を上げると、そこには巨大な影があった。

全長十メートルはあろうかという巨体。

硬質な赤い鱗に覆われた皮膚。

口からは炎を漏らし、凶悪な牙を剥き出しにしている。

一般的には『レッドドラゴン』と呼ばれる、Aランク相当の災害級モンスターだ。

しかし、ダンキアの目には違って映った。

「まぁ、大きなトカゲさん」

彼女はニコリと微笑んだ。

「こんばんは。夜更かしはお肌に毒ですよ?」

「グルルルッ……」

ドラゴンは獲物を前にして、喉を鳴らして威嚇した。

だが、目の前の小さな人間は怯えるどころか、興味津々といった様子で近づいてくる。

ドラゴンの本能が警鐘を鳴らした。

(こいつ、ヤバい)

しかし、ドラゴンとしてのプライドが逃走を許さない。

ドラゴンは大きく息を吸い込んだ。

「ギャオオオオオオッ!!」

鼓膜をつんざく咆哮と共に、口から灼熱のブレスを吐き出した。

狙いはダンキア……の足元にあるヒール草の群生地だ。

ボオッ!

一瞬にして草むらが炎に包まれる。

ダンキアはサッとバックステップで回避した。

「あっ」

彼女は燃え上がる草を見つめた。

そして、ゆっくりと視線をドラゴンに戻す。

その瞳から、ハイライトが消えていた。

「……私の」

「グルァ?」

「私の宿代が燃えました」

ダンキアの声は地を這うように低かった。

「銅貨百枚……美味しい串焼きと、ふかふかのベッドが……灰に……」

彼女は拳を握りしめた。

ボキボキッ。

指の関節が鳴る音が、咆哮よりも大きく響く。

「あなた、自然保護という概念をご存知ないのですか? それとも、私の労働を妨害するストライキ破りの回し者ですか?」

ドラゴンは後ずさりした。

この人間から発せられる殺気が、自分よりも遥かに強大で、濃密なものだと気づいたからだ。

「教育が必要ですわね」

ダンキアが地面を蹴った。

ドォン!

爆発音のような踏み込みと共に、彼女の姿がかき消える。

次の瞬間、ドラゴンの目の前に彼女がいた。

空中に浮いている。

いや、跳躍したのだ。

「めっ!!」

ダンキアは右手を振りかぶり、ドラゴンの鼻先に平手打ちを見舞った。

パーーーーーンッ!!

乾いた音が森中に木霊する。

ドラゴンの巨体が、まるでゴムボールのように弾け飛んだ。

バキバキバキッ!

太い木々を十本ほどなぎ倒し、ドラゴンは地面に激突して白目を剥いた。

ピクリとも動かない。

完全なる気絶だ。

ダンキアはふわりと着地し、埃を払った。

「ふう。つい力が入ってしまいました。でも、これで反省したでしょう」

彼女は倒れたドラゴンの元へ歩み寄る。

「さて、薬草は燃えてしまいましたが……手ぶらで帰るわけにはいきません」

ダンキアは腕組みをして考えた。

そして、ドラゴンの尻尾を掴んだ。

「このトカゲさん、結構大きいですし、皮くらいは売れるかもしれませんね。落とし前として、ギルドまで来てもらいましょう」

彼女は太さ一メートル以上ある尻尾を、買い物袋でも持つかのようにひょいと持ち上げた。

「よいしょ。さあ、行きますよトカゲさん」

ズルズルズル……。

森の地面に長い溝を作りながら、ダンキアは歩き出した。

背後で何かが崩れる音がしたが、気にしない。

こうして彼女は、初めての採取依頼(失敗)を終え、帰路についたのである。

***

翌朝。

冒険者ギルドの前は騒然としていた。

「おい、あれ見ろよ!」

「なんだあの大きさ……!」

「ドラゴンだ! レッドドラゴンが死んでるぞ!」

ギルドの入り口に、巨大な赤い山ができていたからだ。

その横で、ダンキアは受付の女性職員(眼鏡)と向き合っていた。

「おはようございます! 依頼の報告に来ました!」

職員は眼鏡をずらしたまま、口をパクパクさせている。

「あ、あのね……ダンキアちゃん」

「はい!」

「あなたが受けた依頼は『ヒール草の採取』よね?」

「はい。ですが、そこのトカゲさんが燃やしてしまいまして。代わりに本人を連れてきました。これで勘弁していただけませんか?」

「トカゲ……?」

職員は震える指でドラゴンを指差した。

「これ、レッドドラゴンよ。Aランクモンスター。一匹で国を滅ぼせる災害よ?」

「えっ」

ダンキアはきょとんとした。

「まさか。だって一発で気絶しましたよ? そんな弱い災害があるのですか?」

「一発……?」

職員は眩暈を覚えた。

周囲の冒険者たちもざわめき立つ。

「おい、あいつレッドドラゴンをワンパンだってよ……」

「嘘だろ……剣傷ひとつねえぞ」

「綺麗な顔してバケモノか……」

ダンキアは首を傾げた。

「あの、それで買い取っていただけるのでしょうか? 宿代がないと困るのですが」

「か、買い取るわよ! 素材だけで金貨五百枚は下らないわ!」

「金貨五百枚!?」

今度はダンキアが驚く番だった。

銅貨百枚の予定が、いきなり五千倍になったのだ。

「素晴らしい……! トカゲさん、あなた実は良い人(竜)だったのですね!」

ダンキアは気絶しているドラゴンの頬をペチペチと叩いた。

ドラゴンがうめき声を上げるが、彼女の笑顔を見て再び気絶したフリを決め込む。

「じゃあ、解体はギルドに任せるから、報酬の手続きをするわね。……はぁ」

職員は深い溜息をついた。

「あなた、Fランクって言ったわよね? もう昇格試験受けなさい。心臓に悪すぎるわ」

「昇格ですか? やった! これで強い魔物と戦えますね!」

「これ以上強いのと戦う気なの……?」

その時。

ギルドの二階から、一人の青年が降りてきた。

整った顔立ちに、銀色の髪。

身に纏う空気は冷ややかだが、その瞳は好奇心に輝いている。

隣国の第二王子にして、このギルドの総元締めでもあるルーファス・ド・オルティスだ。

彼は騒ぎを聞きつけ、バルコニーから様子を見ていたのだ。

「面白いね」

ルーファスは階段を降りながら、ダンキアに近づいた。

「君かい? そのドラゴンを『トカゲ』呼ばわりして引きずってきたのは」

ダンキアは振り返った。

「はい。はじめまして。新人のダンキアと申します。あなたは?」

「僕はルーファス。一応、ここの責任者みたいなものさ」

ルーファスはダンキアの手を取り、跪いて手の甲に口づけを落とそうとした。

貴族の礼儀だ。

だがダンキアは、サッと手を引っ込めた。

「あら、危ない」

「ん?」

「私の手に触れると危険です。昨夜、うっかり木をへし折ったまま手を洗っていませんので、ささくれが刺さるかもしれません」

「……」

ルーファスは固まった。

そして次の瞬間、肩を震わせて笑い出した。

「ふ、くくくっ……! あはははは!」

「何がおかしいのですか?」

「いや、最高だ。君のような女性は初めてだ」

ルーファスは涙を拭いながら立ち上がった。

「気に入った。ねえ、僕と結婚しない?」

「お断りします」

ダンキアは即答した。

「えっ、早いね」

「私は冒険者として生きると決めたのです。結婚などという墓場に入るつもりはありません」

「墓場……王族との結婚を墓場と言う令嬢は君くらいだよ」

「王族?」

ダンキアはまじまじとルーファスを見た。

「あなた、王子様なのですか?」

「そうだよ」

「うわぁ」

ダンキアは露骨に嫌そうな顔をして、二歩下がった。

「関わらないでください。王族アレルギーなんです」

「アレルギー!? ひどくない!?」

「元婚約者のせいで、キラキラした王子様を見ると蕁麻疹が出そうになります。では、報酬をいただいたら失礼しますね」

ダンキアはプイと顔を背け、受付カウンターへと戻っていった。

取り残されたルーファス。

呆気に取られていたが、その顔には満面の笑みが浮かんでいた。

「……あはは、振られた。秒殺だ」

彼はドラゴンの死体(気絶体)を見上げ、呟いた。

「でも、諦めないよ。あんなに強くて、見ていて飽きない生き物は他にいないからね」

ギルド中に響く悲鳴と歓声の中、新たなストーカー……もとい、求婚者が誕生した瞬間であった。
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