悪役令嬢ダンキア、婚約破棄に「御意」と即答する。

ちゅんりー

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隣国オルティス王国。

その王宮にある大広間は、今夜、絢爛豪華な光に包まれていた。

シャンデリアの輝き、貴婦人たちの宝石、そして芳醇なワインの香り。

ルーファス主催の夜会とあって、国内外から多くの有力者が集まっている。

その中心で、一組の男女が注目を集めていた。

「……ルーファス様」

「なんだい? 僕の愛しいプリンセス」

「その呼び方は止めてください。寒気がして鳥肌が立ち、ドレスが破れそうです」

にこやかに囁き合うのは、主催者のルーファスと、そのパートナーであるダンキアだ。

今日のダンキアは、いつもの冒険者スタイルではない。

ルーファスが用意した、深紅のイブニングドレスを身に纏っている。

背中が大きく開いた大胆なデザインだが、彼女の鍛え上げられた広背筋が美しく映え、周囲の貴族たちを魅了していた。

「素晴らしいよ、ダンキア。君の筋肉……じゃなかった、美しさは会場一番だ」

「お世辞は結構です。それより約束の料理はどこですか?」

ダンキアの視線は、周囲の貴族ではなく、壁際に並べられたビュッフェ台に釘付けだった。

ローストビーフの山。

七面鳥の丸焼き。

そして、巨大なチョコレートファウンテン。

「あとでゆっくり食べられるよ。まずは挨拶とダンスだ」

ルーファスは苦笑しながら、彼女の手を引いてホールの中央へと進む。

音楽が始まる。

優雅なワルツだ。

「踊れるかい?」

「淑女教育の一環で叩き込まれましたから。ステップだけは完璧です」

ダンキアはスカートの裾を少し持ち上げ、華麗にステップを踏み出した。

その動きはあまりに鋭く、かつ正確だった。

タン、タン、タンッ!

床を蹴る音が、他のペアより少し重い気がするが、見た目は優雅そのものだ。

「おっと」

ルーファスが小さく声を上げる。

「ダンキア、もう少し力を抜いてくれないか? 僕の手が万力で締められているようだ」

「あら、失礼。緊張していたもので」

「君が緊張? まさか」

「ええ。もしステップを間違えたら、恥ずかしさのあまり床を踏み抜いてしまいそうで」

「物理的に穴を開けるのはやめてね」

二人は軽口を叩きながら回転する。

その姿は、傍目には仲睦まじい恋人同士にしか見えない。

だが、そんな華やかな空気を切り裂くような視線があった。

会場の隅。

ウェイターの格好をした男が、鋭い目でダンキアを睨んでいる。

(あの女か……ルーファス殿下をたぶらかしたという、隣国の悪女は)

男は懐に手をやった。

彼は、ルーファスを快く思わない国内の反対派閥が雇った暗殺者である。

「殿下の評判を落とす『異国の毒婦』を排除せよ」

それが依頼内容だった。

(隙だらけだ。ドレス姿の女など、俺のナイフの前では無防備な肉塊に過ぎない)

暗殺者はトレイにワイングラスを乗せ、人混みに紛れて近づいていく。

ダンスが終わり、ルーファスが拍手に包まれる瞬間。

それが決行の合図だ。

ジャン、ジャーン♪

曲が終わる。

「ありがとう、最高のダンスだったよ」

ルーファスがダンキアの手の甲にキスをしようと屈んだ、その時。

「失礼いたします、お飲み物をどうぞ」

ウェイターが二人の間に割って入った。

そして、トレイの下から猛毒を塗った短剣を抜き放つ。

「死ねぇっ! 毒婦!」

叫び声と共に、刃がダンキアの腹部へと突き出された。

周囲から悲鳴が上がる。

ルーファスが反応する。

だが、体勢が悪い。間に合わない。

「ダンキア!」

短剣の切っ先が、ダンキアのみぞおちに深々と突き刺さった。

――はずだった。

ガギィィィィィィィンッ!!

会場中に、凄まじい金属音が響き渡った。

それはまるで、ハンマーで分厚い鉄板を叩いたような音だった。

「……え?」

暗殺者の手が痺れる。

短剣を見ると、刃が根元からひしゃげていた。

「な、なんだ……?」

暗殺者はダンキアの腹を見た。

ドレスは破れている。

だが、そこから血は流れていない。

見えたのは、白くなめらかな肌だけだ。

「き、貴様……ドレスの下に鉄板を仕込んでいるのか!?」

暗殺者が叫ぶ。

会場の貴族たちもざわめいた。

「鉄板?」

「ドレスの下に鎧を?」

「なんて用心深い令嬢だ……」

ダンキアは、破れたドレスの穴から腹部を覗き込み、ムッとした顔をした。

「失礼な。鉄板など入っていません」

「嘘をつけ! 生身の人間が刃物を通さないわけがない!」

「いいえ、生身です」

ダンキアは自分の腹をポンと叩いた。

「これは『腹直筋』です」

「は……?」

「毎日の腹筋三千回と、呼吸法によるインナーマッスルの強化。瞬時に筋肉を収縮させ、鋼鉄以上の硬度を実現しました。いわゆる『腹筋ガード』ですね」

「ふ、腹筋……ガード……?」

暗殺者の脳が理解を拒否した。

腹筋でナイフを止める?

しかも、刃がひしゃげるほどの硬さで?

「そんな馬鹿なァァァ!!」

暗殺者は錯乱し、折れた短剣を捨てて予備のナイフを取り出した。

「死ね! 死ね! 化け物め!」

キンッ! カンッ! ギンッ!

彼は狂ったようにダンキアの首、胸、わき腹を突き刺した。

だが、その全てが硬質な音を立てて弾かれる。

「僧帽筋ガード!」

「大胸筋バリア!」

「広背筋シールド!」

ダンキアは一歩も動かず、筋肉の部位名を叫びながら全ての攻撃を受けきった。

最後には、暗殺者の持っていた全てのナイフが鉄屑と化した。

「はぁ……はぁ……な、なんだお前は……」

暗殺者がへたり込む。

ダンキアは呆れたようにため息をついた。

「もう終わりですか? 食事の邪魔なのですが」

「ひぃっ……!」

「それに、このドレス。ルーファス様からいただいた大切なものです。それを穴だらけにするなんて」

ダンキアの目に怒りの炎が宿る。

「弁償していただきます。体で」

「か、体で……?」

「ええ。ちょうど人手が足りていないようですから、皿洗いでもして働いて返しなさい」

ダンキアは暗殺者の襟首を掴み、軽々と持ち上げた。

「そぉれ」

ブンッ!

彼女は暗殺者を、会場の端にある厨房の入り口に向けて投げ飛ばした。

ズドォォォォン!!

暗殺者は美しい放物線を描き、厨房の中に吸い込まれていった。

奥から「なんだ!?」「空から人が!」という料理人たちの悲鳴が聞こえる。

「ふう、片付きました」

ダンキアはドレスの埃を払った。

会場はシーンと静まり返っている。

ルーファスが、引きつった笑みを浮かべて近づいてきた。

「……ダンキア」

「はい?」

「君、本当に鉄板を入れてないの?」

「入れてませんよ。触ってみますか?」

ダンキアが腹を突き出す。

ルーファスが恐る恐る触れると、そこはカチカチに硬いが、確かに人肌の温かさがあった。

「……すごいね。ダイヤモンドみたいだ」

「褒め言葉として受け取っておきます。それよりルーファス様」

「なんだい?」

「ドレスが破れてしまいました。これでは食事がしにくいです」

「いや、逆じゃないかな? 破れたおかげでお腹いっぱい食べても苦しくないと思うけど」

「あ、確かに!」

ダンキアはポンと手を打った。

「では、遠慮なく」

彼女は満面の笑みでビュッフェ台へと突撃していった。

「ローストビーフ、全種類くださいな! あ、そのターキーも一羽まるごと!」

もりもりと肉を皿に盛るその姿は、襲撃を受けた直後とは思えないほど豪快だった。

周囲の貴族たちは、恐怖と畏敬の念を込めて彼女を見つめた。

「あの方……ただ者ではないわ」

「鉄の女だ……」

「いや、筋肉の聖女様かもしれん」

こうして、ダンキアの異名は『鉄砕きの令嬢』から『鋼鉄の腹筋を持つ女』へと進化(悪化)した。

ルーファスは、そんな彼女の背中を見ながら、愛おしそうに呟いた。

「やっぱり君は最高だ。絶対に逃がさないよ」

彼は確信していた。

この女性となら、どんな修羅場も笑顔で(物理的に)乗り越えられると。

しかし、平穏な食事の時間は長くは続かない。

会場の入り口付近で、新たな騒ぎが起きていた。

「どいて! 私を誰だと思ってるの!」

甲高い声。

聞き覚えのある、癇に障る声だ。

ダンキアが肉を頬張りながら振り返ると、そこにいたのは。

「……あら?」

元婚約者クラーク王子の新しい恋人、ミーナであった。

なぜ彼女がここに?

そして、彼女の後ろには、見知らぬ屈強な男たちが控えている。

「見つけたわよ、ダンキアお姉様!」

ミーナがビシッと指を差す。

その指先は震えていたが、目はどこか狂気を帯びていた。

波乱の第二幕が、今上がろうとしていた。
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