悪役令嬢ダンキア、婚約破棄に「御意」と即答する。

ちゅんりー

文字の大きさ
10 / 28

10

しおりを挟む
「見つけたわよ、ダンキアお姉様!」

金切り声が、優雅なワルツの余韻をかき消した。

大広間の入り口に立っていたのは、桃色のふわふわしたドレスを着た小柄な少女、ミーナである。

彼女の背後には、いかにも柄の悪そうな屈強な男たちが十名ほど控えていた。

「あら?」

ダンキアは七面鳥のモモ肉を片手に振り返った。

口元についたソースをナプキンで拭いながら、首をかしげる。

「ミーナ様ではありませんか。奇遇ですね。あなたも筋肉増量キャンペーン中ですか?」

「違います! あなたを捕まえに来たのよ!」

ミーナはビシッとダンキアを指差した。

「クラーク殿下が仰っていたわ。『ダンキアは隣国へ逃亡し、あることないこと吹き込んで同情を引こうとしている』って! だから私が連れ戻しに来てあげたのよ!」

会場がざわめく。

「連れ戻す?」

「そうよ! これ以上、殿下の顔に泥を塗るのはやめて! 大人しく国に帰って、修道院に入るのよ!」

ミーナは勝ち誇った顔をした。

彼女は自分を「正義のヒロイン」だと信じて疑っていない。

悪役令嬢を成敗し、愛する王子を救う。

そのシナリオに酔いしれていた。

しかし、ダンキアの反応は薄かった。

「修道院ですか。あそこは食事が質素だと聞いています。タンパク質が不足するのでお断りします」

「なっ……! そんな理由で!?」

「筋肉にとって栄養は命です。それよりミーナ様、わざわざ隣国まで来るなんて、随分と体力がつきましたね。以前は階段を数段上るだけで息切れしていたのに」

「う、うるさいわね! 馬車で来たに決まってるでしょ!」

ミーナは地団駄を踏んだ。

「もういいわ! 話が通じないなら力ずくよ! やっておしまいなさい!」

彼女の号令で、後ろに控えていた男たちが前に出た。

彼らはミーナが実家の財力で雇った傭兵団『黒き牙』の荒くれ者たちだ。

「へへっ、相手は女一人か。楽な仕事だぜ」

「綺麗な顔してやがる。手荒な真似はしたくねえが、恨むなよ」

男たちが武器を構え、ジリジリと包囲網を狭めてくる。

ルーファスが前に出ようとした。

「僕の客人に無礼な……衛兵!」

「お待ちください、ルーファス様」

ダンキアが彼を手で制した。

「食後の運動にはちょうど良いです。それに、彼らの立ち方……見てください」

「立ち方?」

「重心が浮いています。あれではタックル一つで転びますよ」

ダンキアは食べかけの七面鳥をルーファスに預けた。

「少しの間、私のターキーを持っていてください。冷めないうちに終わらせますので」

「……分かった。味わって待っているよ」

ルーファスは苦笑して下がった。

ダンキアはドレスの裾を再び持ち上げ(すでに破れているので動きやすい)、男たちの前に進み出た。

「では、参ります」

「ナメやがって! かかれぇ!」

先頭の男が剣を振りかぶり、襲いかかった。

速い。一般人なら反応できない速度だ。

だが。

「遅いです」

ダンキアはその場から一歩も動かず、上半身だけをスッと逸らした。

ブンッ!

剣が空を切る。

「隙だらけですよ」

彼女は男の懐に滑り込み、軽く掌底を押し当てた。

「ふんっ」

ドォォォン!!

「ぐはぁっ!?」

男の体が砲弾のように吹き飛んだ。

背後にいた仲間三人を巻き込み、ビュッフェのテーブルの下へと転がっていく。

「なっ……!?」

残った男たちが動きを止める。

「次の方、どうぞ。グループレッスンでも構いませんよ」

ダンキアはニッコリと微笑み、手招きをした。

「ち、畜生! 囲んで叩け!」

残りの六人が一斉に飛びかかる。

剣、槍、斧。

あらゆる方向からの同時攻撃。

しかし、ダンキアにとってはスローモーション映像を見ているようなものだった。

「はい、右足の踏み込みが甘い」

彼女は斧を避けると同時に、男の足を軽く蹴払った。男は自転しながら転倒。

「槍はもっと腰で突かないと」

突き出された槍の穂先を素手で掴み、強引に奪い取ると、槍の柄で男の頭をポカリと叩く。

「剣筋がブレています」

振り下ろされた剣を指先(デコピン)で弾き、軌道を逸らす。男は勢い余って隣の仲間の顔面を殴ってしまった。

ドカッ! バキッ! ズドン!

わずか数十秒。

大広間の床には、ピクピクと痙攣する男たちの山が築かれていた。

「ふう。皆様、基礎体力が足りませんね。明日からランニングと言いますか、走り込みを推奨します」

ダンキアは息一つ乱さず、優雅にカーテシーをした。

会場からは拍手すら起きない。

あまりの圧倒的な光景に、全員が言葉を失っていたのだ。

ただ一人、ミーナを除いて。

「ひ……ひぃぃ……」

ミーナは腰を抜かしてへたり込んでいた。

顔面は蒼白で、涙と鼻水で化粧が崩れている。

「な、なによそれ……人間じゃない……」

「失礼ですね。努力の結晶です」

ダンキアはミーナの方へ歩み寄った。

「く、来るな! 来ないで!」

ミーナは這いずって後退する。

「私をどうする気!? またいじめる気でしょ! 学園の時みたいに!」

その言葉に、ダンキアの足が止まった。

「いじめる?」

ダンキアは首を傾げた。

そして、何かを納得したようにポンと手を打った。

「ああ、なるほど。そういうことでしたか」

「え?」

「あなたは『いじめられた』と言いますが、それは私の指導が厳しすぎた、という意味ではなく……『物足りなかった』ということなのですね?」

「はあ!?」

ミーナの声が裏返る。

ダンキアの思考回路は、常に筋肉とポジティブ変換で構成されている。

彼女の解釈はこうだ。

『私が手加減しすぎたせいで、ミーナ様は成長の実感を得られず、それを不満(いじめ)として訴えているのだ』

「申し訳ありません、ミーナ様。私の配慮が足りませんでした」

ダンキアは慈愛に満ちた(ミーナには悪魔に見える)笑顔で言った。

「あなたはもっと強くなりたかったのですね。自分の足で立ち、男に頼らず生きていける強さを求めていた。だからこそ、こうして私を追いかけてきた」

「ち、違う! 全然違う!」

「遠慮なさらないで。その熱意、確かに受け取りました」

ダンキアが、ゴゴゴ……というオーラを背負いながら一歩踏み出す。

「今ここで、特別補習を行いましょう。まずはスクワット一万回からです」

「い、一万……!?」

「大丈夫、私が補助します。立てなくなったら、私が無理やり立たせて差し上げますから」

「ひぃぃぃぃぃ!!」

ミーナの恐怖許容量が限界を超えた。

彼女は火事場の馬鹿力で立ち上がり、脱兎のごとく駆け出した。

「嫌ぁぁぁぁ! 殺されるぅぅぅ!!」

「あっ、待ってください! フォームが乱れていますよ!」

「来るなぁぁぁぁ!!」

ミーナは大広間の出口へ向かって全力疾走した。

その速度は、過去最高記録を更新していただろう。

ドレスの裾をまくり上げ、なりふり構わず逃げていく彼女の姿は、ある意味で清々しかった。

「……行ってしまわれました」

ダンキアは残念そうに見送った。

「やはりスタミナ不足ですね。逃げ足だけは速いのですが」

「いや、素晴らしい逃げ足だったよ」

ルーファスが背後から声をかけた。

手には、まだ温かい七面鳥がある。

「あの子、君を見て本能で悟ったんだね。『これには勝てない』って」

「勝負などしていませんよ。私はただ、友情を育もうとしただけです」

「それが一番怖いんだよ」

ルーファスは笑いながら七面鳥を返した。

「さあ、邪魔者はいなくなった。食事の続きといこうか」

「はい!」

ダンキアは嬉々として肉にかぶりついた。

会場の貴族たちも、ようやく呪縛が解けたようにざわめき始める。

「聞いたか? あの方、襲撃者を素手で……」

「しかも、慈悲深い心で指導までしようとしていたぞ」

「やはり聖女だ……筋肉の……」

こうして、ミーナの襲撃は失敗に終わった。

しかし、これは単なる前哨戦に過ぎない。

逃げ帰ったミーナが、ある『禁断の場所』へ迷い込むことで、事態は思わぬ方向へと転がっていくことになる。

だが、今のダンキアはまだ知らない。

彼女の興味は、目の前のデザートタワーをどう攻略するか、という一点に注がれていた。

「ルーファス様、あのケーキの塔、下から抜いたら崩れますか?」

「ジェンガじゃないんだから、上から取ってね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

巻き戻される運命 ~私は王太子妃になり誰かに突き落とされ死んだ、そうしたら何故か三歳の子どもに戻っていた~

アキナヌカ
恋愛
私(わたくし)レティ・アマンド・アルメニアはこの国の第一王子と結婚した、でも彼は私のことを愛さずに仕事だけを押しつけた。そうして私は形だけの王太子妃になり、やがて側室の誰かにバルコニーから突き落とされて死んだ。でも、気がついたら私は三歳の子どもに戻っていた。

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

【完結】仕事を放棄した結果、私は幸せになれました。

キーノ
恋愛
 わたくしは乙女ゲームの悪役令嬢みたいですわ。悪役令嬢に転生したと言った方がラノベあるある的に良いでしょうか。  ですが、ゲーム内でヒロイン達が語られる用な悪事を働いたことなどありません。王子に嫉妬? そのような無駄な事に時間をかまけている時間はわたくしにはありませんでしたのに。  だってわたくし、週4回は王太子妃教育に王妃教育、週3回で王妃様とのお茶会。お茶会や教育が終わったら王太子妃の公務、王子殿下がサボっているお陰で回ってくる公務に、王子の管轄する領の嘆願書の整頓やら収益やら税の計算やらで、わたくし、ちっとも自由時間がありませんでしたのよ。  こんなに忙しい私が、最後は冤罪にて処刑ですって? 学園にすら通えて無いのに、すべてのルートで私は処刑されてしまうと解った今、わたくしは全ての仕事を放棄して、冤罪で処刑されるその時まで、推しと穏やかに過ごしますわ。 ※さくっと読める悪役令嬢モノです。 2月14~15日に全話、投稿完了。 感想、誤字、脱字など受け付けます。  沢山のエールにお気に入り登録、ありがとうございます。現在執筆中の新作の励みになります。初期作品のほうも見てもらえて感無量です! 恋愛23位にまで上げて頂き、感謝いたします。

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい

高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。 だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。 クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。 ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。 【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】

大好きなあなたが「嫌い」と言うから「私もです」と微笑みました。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
私はずっと、貴方のことが好きなのです。 でも貴方は私を嫌っています。 だから、私は命を懸けて今日も嘘を吐くのです。 貴方が心置きなく私を嫌っていられるように。 貴方を「嫌い」なのだと告げるのです。

口は禍の元・・・後悔する王様は王妃様を口説く

ひとみん
恋愛
王命で王太子アルヴィンとの結婚が決まってしまった美しいフィオナ。 逃走すら許さない周囲の鉄壁の護りに諦めた彼女は、偶然王太子の会話を聞いてしまう。 「跡継ぎができれば離縁してもかまわないだろう」「互いの不貞でも理由にすればいい」 誰がこんな奴とやってけるかっ!と怒り炸裂のフィオナ。子供が出来たら即離婚を胸に王太子に言い放った。 「必要最低限の夫婦生活で済ませたいと思います」 だが一目見てフィオナに惚れてしまったアルヴィン。 妻が初恋で絶対に別れたくない夫と、こんなクズ夫とすぐに別れたい妻とのすれ違いラブストーリー。 ご都合主義満載です!

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

処理中です...