悪役令嬢ダンキア、婚約破棄に「御意」と即答する。

ちゅんりー

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翌朝。

オルティス王国の王都は、爽やかな朝霧に包まれていた。

「ふう、良い汗をかきました」

ダンキアは額の汗を拭った。

彼女は日課の早朝ジョギングを終えたところだった。

「やはり知らない土地を走るのは楽しいですね。つい足が弾んで、少し遠くまで来てしまいましたが」

彼女は周囲を見回した。

そこは王都の美しい街並み……ではなかった。

空はどす黒い紫色に染まり、枯れた木々が不気味にうねっている。

足元の土は赤黒く、どこからともなく『ヒュ~ドロドロ』という効果音が聞こえてきそうな場所だ。

「あら?」

ダンキアは首を傾げた。

「王都の郊外に、こんな前衛的なデザインの公園があったなんて。ルーファス様の美的センスでしょうか?」

彼女はここが王都から数百キロ離れた『魔界との境界線』であることに気づいていない。

「少し遠くまで」のレベルが、音速移動していたせいで桁違いなのだ。

ふと、前方に巨大な建造物が見えた。

断崖絶壁の上にそびえ立つ、黒曜石で作られた古城。

尖塔は天を突き、周囲には雷雲が渦巻いている。

禍々しいオーラが漂うその城こそ、人類の敵『魔王』の居城であった。

だが、ダンキアの目には違って映った。

「まぁ! あれはもしや……!」

彼女は手を打った。

「ルーファス様が言っていた『隠れ家的な別荘』ですね!」

以前、ルーファスが「静かな場所で二人きりで過ごしたいね」と冗談めかして言っていたのを、彼女は真に受けていたのだ。

「なんと立派な物件。ただ、少し日当たりが悪そうですが……リフォームしがいがありそうです」

ダンキアは嬉々として城へ向かった。

「せっかくですし、サプライズで先に入って掃除をしておきましょう。彼も喜びますわ」

彼女は城門(高さ十メートルの鉄扉)の前に立った。

そこには、全身鎧に身を包み、青い炎を目に宿した『デュラハン(首なし騎士)』が門番として立っていた。

デュラハンは侵入者に気づき、自身の生首を脇に抱えながら剣を抜いた。

『汝、何用でここに来た……立ち去れ、さもなくば死を……』

重々しい念話が響く。

ダンキアはニッコリと挨拶した。

「おはようございます。管理人さんですか?」

『……は?』

「ご苦労様です。あ、その首、抱えていて重くないですか? 肩こりの原因になりますよ」

ダンキアは親切心で近づいた。

デュラハンは殺気を感じて剣を振り下ろした。

『死ねぇい!』

ヒュンッ!

魔剣がダンキアの脳天に迫る。

「危ないですよ」

パシッ。

ダンキアは白刃取り……ではなく、剣の腹を指で摘んで止めた。

「あら、錆びていますね。手入れが行き届いていません」

『な、なんだと……!? 我が魔剣を指先だけで!?』

「金属ごみは分別しないといけません」

ダンキアは指に力を込めた。

パキィィィィン!!

魔剣が飴細工のように砕け散る。

デュラハンが硬直した。

「それと、あなた自身の骨格矯正も必要ですね。首が外れているのは姿勢が悪い証拠です」

ダンキアはデュラハンの脇にある生首をひょいと取り上げた。

「一度、定位置に戻してみましょう」

『や、やめろ! それは俺の本体……!』

「はい、スポッとな」

彼女は生首をデュラハンの首の断面に強引にねじ込んだ。

グググッ……バキッ!

『ギャアアアアアア! 逆! 前後逆ゥゥゥゥ!』

「おや、ハマりが悪いですね。もっと力を入れて……」

ガンッ!

『グフッ……』

デュラハンは白目を剥いて沈黙した。

そのままどうと倒れる。

「ふう。お休み中でしたか。静かに通りましょう」

ダンキアは気絶した(あるいは二度死んだ)デュラハンを跨ぎ、城門を押し開けた。

ギギギギギ……。

重い扉が開くと、広大なエントランスホールが現れた。

中は荒れ放題だった。

蜘蛛の巣が張り巡らされ、床には骨が転がり、天井からはコウモリ(吸血コウモリ)がぶら下がっている。

「なんてこと……!」

ダンキアは眉をひそめた。

「埃だらけではありませんか! これではルーファス様がアレルギーを起こしてしまいます!」

彼女の主婦魂(?)に火がついた。

「大掃除決定です!」

ダンキアは袖をまくり上げた。

その時、天井から無数の黒い影が襲いかかってきた。

『キシャアアアア!』

吸血コウモリの大群だ。

鋭い牙で侵入者の血を吸おうと群がってくる。

「まあ、大きなハエですね。不衛生です!」

ダンキアはその場で深呼吸をした。

「肺活量トレーニング・応用技……『大旋風(サイクロン・ブレス)』!」

フゥゥゥゥゥゥゥッ!!

彼女が口から息を吹き出した瞬間。

ごうぅぅぅぅぅぅっ!!

ホールの中に台風のような暴風が発生した。

ただの呼吸である。

だが、その風圧は凄まじく、コウモリたちは木の葉のように舞い上がり、壁に叩きつけられた。

『ギョエェェェェ!』

さらに、床の骨や蜘蛛の巣、長年積もった埃までもが、一瞬にして吹き飛ばされ、ホールの隅に綺麗に積み重なった。

「よし、空気の入れ替え完了です」

ダンキアは満足げに頷いた。

「次は床拭きですね。雑巾がないので、あそこの布を使いましょう」

彼女が指差したのは、空中に浮遊していた『ゴースト』だった。

半透明の布切れのような姿をした悪霊だ。

『ヒヒヒ……生きた人間の魂を……』

ゴーストが忍び寄る。

ダンキアは素早く手を伸ばし、ゴーストの端を掴んだ。

「ちょうどいい質感です。マイクロファイバーでしょうか?」

『へ?』

ゴーストが素っ頓狂な声を上げる。

物理攻撃が無効なはずの霊体が、なぜかガッチリと掴まれている。

ダンキアの握力は、次元の壁すら超えて干渉する領域に達していたのだ。

「さあ、ピカピカにしますよ!」

彼女はゴーストを雑巾のように床に押し付け、猛烈なスピードで往復運動を始めた。

キュッキュッキュッキュッ!

『いやぁぁぁぁ! 目が回るぅぅぅ! 魂が削れるぅぅぅ!』

ゴーストの悲鳴が摩擦音にかき消される。

「そこ! 角の汚れが落ちていません!」

キュピーン!

数分後。

エントランスホールの床は、鏡のように輝いていた。

ゴーストは真っ白に燃え尽き、ただの白い布切れとなって床に落ちている。

「綺麗になりましたね」

ダンキアは額の汗を拭った。

「さて、次は奥の部屋です。主寝室があるはずですから」

彼女は廊下をスタスタと進んでいく。

その行く手に現れる魔物たち――スケルトン、ゾンビ、ガーゴイル。

彼らは全て、ダンキアの『家事代行』の餌食となった。

スケルトンは「カルシウム不足」と言われて粉砕され、骨粉として植木鉢の肥料にされた。

ゾンビは「泥汚れがひどい」と裏庭の池(硫酸の池)に放り込まれて洗濯された。

ガーゴイルは「置物の位置が悪い」と、風水的な観点から窓の外へ投げ捨てられた。

城内は阿鼻叫喚の地獄絵図……いや、ダンキアにとっては充実した清掃活動の場となっていた。

そしてついに。

彼女は最上階にある、巨大な両開きの扉の前に辿り着いた。

「ここがメインルームですね」

扉には髑髏の装飾が施され、禍々しい魔力が漏れ出している。

ダンキアは身だしなみを整えた。

「もしかしたら、先客(管理人)がいらっしゃるかもしれません。礼儀正しくいきましょう」

彼女はコンコン、とノックをした。

返事はない。

「失礼します」

ダンキアは扉を開けた。

ギィィィィィ……。

そこは、闇に包まれた広大な謁見の間だった。

部屋の奥、一段高い場所に玉座がある。

そこに座っていたのは、漆黒のマントを纏い、角を生やした男。

魔王ゼノン・ド・ルシファー。

彼は手に持ったワイングラス(中身は生き血)を揺らしながら、不敵な笑みを浮かべていた。

『よくぞここまで辿り着いた、人間よ……』

魔王の声が朗々と響く。

『我が城の精鋭たちを退け、単身でここに来るとは。貴様、勇者の末裔か?』

魔王は演出たっぷりに立ち上がり、圧倒的な魔力を解放した。

ビリビリと空気が震える。

普通の人間なら、そのプレッシャーだけでショック死するレベルだ。

だが、ダンキアはキョトンとしていた。

彼女は部屋の中を見渡し、そして魔王を見て、申し訳なさそうな顔をした。

「あ、すみません。まだ入居中の方がいらしたのですね」

『……ん?』

「不動産屋の手違いで、てっきり空き物件だとばかり。不法侵入してしまい申し訳ありません」

ダンキアは深々と頭を下げた。

『ふ、不動産屋……? 空き物件……?』

魔王の思考が停止する。

「お詫びに、玄関周りは掃除しておきましたので。あと、廊下の置物も整理整頓しておきました」

『掃除……? 整理整頓……?』

魔王は冷や汗を流した。

彼は感知魔法で城内の様子を見ていたのだ。

部下たちが一方的に蹂躙され、ゴミのように処理されていく様を。

あれを「掃除」と呼ぶのか?

こいつは本当に人間か?

「ところで、そちらの玉座。とても座り心地が良さそうですね」

ダンキアが玉座を指差した。

「実は私、腰痛持ちの父のために良い椅子を探していまして。もしよろしければ、少し試させて頂けませんか?」

『貴様……我に玉座を明け渡せと言うのか? この魔王ゼノンに対して!』

「魔王?」

ダンキアは首を傾げた。

「ああ、そういう設定のテーマパークなんですね! 凝ってますねぇ」

『設定……!?』

「では、アトラクションとして楽しませていただきます。私がその椅子に座れたら、景品がもらえるルールでよろしいですか?」

ダンキアがリュックを下ろし、戦闘態勢(ストレッチ)に入った。

魔王は悟った。

(やばい。こいつ、話が通じないタイプだ)

そして、本能が警鐘を鳴らしていた。

この女と戦ってはいけない。

戦えば、城が消滅する。

『ま、待て! 話を聞け!』

「問答無用! いざ、勝負です!」

「いや、だから待てと言って……!」

ダンキアが床を蹴った。

ドォォォォォン!!

王城の最上階で、人類最強の天然娘と、世界の支配者(笑)の、理不尽な鬼ごっこが始まろうとしていた。
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