悪役令嬢ダンキア、婚約破棄に「御意」と即答する。

ちゅんりー

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「いざ、尋常に!」

ダンキアの掛け声と共に、彼女の姿が消えた。

いや、消えたのではない。

あまりの初速に、魔王ゼノンの動体視力が追いつかなかったのだ。

『は!?』

ゼノンが瞬きをした次の瞬間、彼の目の前にはダンキアの拳があった。

寸止めである。

鼻先数ミリのところでピタリと静止した拳から、凄まじい風圧が発生する。

ドォォォォン!!

その風圧だけで、ゼノンの背後にあったステンドグラスが粉々に砕け散った。

『ヒッ……』

ゼノンの喉から、情けない音が漏れる。

「おや、動きませんね」

ダンキアは拳を下ろした。

「てっきり、『瞬間移動(テレポート)』や『残像拳』で回避されると思っていました。アトラクションの難易度はイージーモードでしたか?」

『き、貴様……いきなり何を……』

ゼノンは冷や汗ダラダラで後ずさる。

もし今の拳が当たっていたら、魔王の首は胴体からサヨナラしていただろう。

「では、次は魔法攻撃のターンですね? さあ、どうぞ! 派手な演出をお願いします!」

ダンキアがワクワクした顔で手を広げる。

ゼノンはプライドを傷つけられ、怒りで顔を歪めた。

『おのれ……人間ごときが、この魔王を舐めるなよ!』

彼は右手を掲げ、漆黒の魔力を収束させる。

『味わうがいい! 全てを焼き尽くす地獄の業火……ヘル・インフェルノ!!』

ボウッ!!

ゼノンの手から、城をも飲み込むほどの巨大な黒炎が放たれた。

熱量は溶岩の数千倍。

触れれば骨すら残らない最強の攻撃魔法だ。

ダンキアは「まあ!」と声を上げた。

「すごい! 最新のプロジェクションマッピングですか? 熱気まで再現するなんて!」

彼女は迫り来る黒炎に向かって、フゥーッと息を吹きかけた。

誕生日のロウソクを消すように。

ヒュォォォッ!

「あ」

『え?』

黒炎が消えた。

ただの呼吸で。

「消えてしまいました。火力が弱かったのでしょうか? ガス欠ですか?」

『な、な……馬鹿な……我が最強魔法が……』

ゼノンは呆然とする。

「もっと頑張ってください! お客様を楽しませるのがキャストの仕事でしょう?」

『ふ、ふざけるな! ならばこれはどうだ! 絶対防御障壁(アブソリュート・バリア)!!』

ゼノンは自身の周囲に、ダイヤモンドよりも硬い魔力の壁を展開した。

物理、魔法、あらゆる干渉を遮断する無敵の盾だ。

「防御ですか。では、強度テストをさせていただきます」

ダンキアは人差し指を立てた。

「トン」

パリーンッ!!

小気味よい音がした。

ダンキアが軽く指で突いただけで、絶対防御障壁がガラス細工のように砕け散ったのだ。

『ヒィィィィィ!!』

ゼノンが悲鳴を上げて玉座の後ろに隠れる。

「あら、脆いですね。強化ガラスどころか、飴細工レベルです」

ダンキアは玉座に近づく。

「さあ、次はどうしますか? 空を飛んで逃げますか? それとも変身して第二形態になりますか?」

『こ、来ないでくれぇぇぇ!』

魔王の威厳は崩壊していた。

彼は涙目になりながら叫んだ。

『私が悪かった! 謝る! だから暴力はやめてくれ!』

「暴力? 人聞きの悪い。これはスキンシップです」

ダンキアは玉座の肘掛けを握りつぶした(ミシミシッ)。

ゼノンは震え上がった。

『わ、分かった! 貴様の勝ちだ! この城も、世界の半分もやるから、命だけは助けてくれ!』

ゼノンはその場に土下座した。

魔族の頂点に立つ男が、一人の人間の少女の前にひれ伏した瞬間である。

ダンキアは満足げに頷いた。

「なるほど、降参イベントですね。クリアおめでとうございます、私」

彼女は拍手をした。

「では、景品としてこのお城を頂戴いたします」

『は、はい……どうぞ……』

「ですが、問題があります」

ダンキアは腕組みをした。

「私はここを別荘として使う予定なのですが、広すぎて管理が大変そうです。掃除、洗濯、庭の手入れ……一人では手が回りません」

彼女はチラリとゼノンを見た。

「あなたは、ここに住んでいるのですよね?」

『は、はい。創業以来三千年間、ずっと……』

「なら、勝手が分かっているはずです」

ダンキアは懐から一枚の紙を取り出した。

元々はクラーク王子に叩きつける予定だった『借用書』の裏紙だ。

「契約を結びましょう」

『け、契約……? まさか、魂の契約か?』

「いいえ、雇用契約です」

ダンキアはペンを取り出し、サラサラと条件を書き込んでいく。

「あなたは今日から、この別荘の『管理人』として働いていただきます」

『か、管理人?』

「はい。主な業務は、城内の清掃、魔物たちのしつけ、そして私が遊びに来た際のおもてなしです」

『魔王の私が……掃除係……?』

「不服ですか?」

ダンキアが空のペットボトルを握りつぶすように、玉座の装飾(純金製)を握りつぶした。

『やります!! 喜んでやらせていただきます!!』

ゼノンは即答した。

「よろしい。では、家賃についてですが」

『や、家賃?』

「当然でしょう。私の所有物となったこの城に住み続けるのですから、相応の対価を支払っていただきます」

『そ、そんな……ここは私の実家なのだが……』

「何か言いましたか?」

『いいえ! 払います! いくらでも!』

「金貨で月々五十枚。払えない場合は、体で払っていただきます」

『体で!?』

ゼノンは顔を赤らめたが、ダンキアの目は真剣だった。

「マグロ漁船に乗るか、鉱山で働くか、選ばせてあげますよ」

『払います! 部下の給料をカットしてでも払います!』

こうして、歴史的な調印式が行われた。

『魔王城譲渡契約書』および『建物賃貸借契約書』。

署名欄には、涙で滲んだゼノンのサインが記された。

「契約成立ですね。よろしくお願いします、管理人さん」

ダンキアはゼノンに手を差し出した。

ゼノンは恐る恐るその手を握り返した。

(握力で骨が砕けるかと思った……)

「さて、私はそろそろ戻らないと。ルーファス様がお待ちですので」

ダンキアは時計(体内時計)を確認した。

「あ、そうだ。最後に一つ」

彼女は帰り際に振り返った。

「庭にいるドラゴンですが、放し飼いは危ないので繋いでおいてくださいね。あと、スケルトンたちは骨粗鬆症のようなので、牛乳を飲ませてあげてください」

『……はい、仰せのままに……オーナー』

ダンキアが去った後。

広大な玉座の間に、魔王の啜り泣く声が響き渡った。

『ううう……怖かった……お母ちゃん……』

彼は誓った。

二度と人間界に手を出さないと。

そして、いつかあの悪魔(ダンキア)が来た時のために、城中をピカピカに磨き上げておこうと。

***

城を出たダンキアは、スキップで山を下っていた。

「良い物件が手に入りました! しかも家賃収入付き!」

彼女はルンルン気分だ。

「ルーファス様に報告したら、きっと褒めてくださるわ!」

しかし、彼女は気づいていなかった。

この契約により、魔王軍が実質的に解体され、世界に恒久的な平和が訪れてしまったことを。

勇者が旅立つ前に、ラスボスが賃貸管理人に転職してしまったのである。

麓に戻ると、ルーファスが青ざめた顔で待っていた。

「ダンキア! どこに行っていたんだ! 探したよ!」

「ああ、ルーファス様。少しお散歩をして、素敵な別荘を見つけてきました」

「別荘? この辺りにそんなものは……」

「ええ、少し高台にある黒いお城です。持ち主の方がとても親切で、安く譲っていただきました」

ルーファスは北の方角を見た。

そこには、不気味な魔王城が見える。

まさか。

いや、まさか。

「……ダンキア。その持ち主って、角が生えていなかったかい?」

「はい! 立派な角でした。コスプレがお好きなユニークな方でしたよ」

ルーファスは天を仰いだ。

(魔王だ……彼女、散歩のついでに魔王をカツアゲしてきたんだ……)

彼は深く溜息をつき、そして優しく微笑んだ。

「そうか。君が気に入ったなら良かったよ」

もう驚かない。

彼は心に決めていた。

この規格外の婚約者を受け入れると決めた時から、常識などという言葉は辞書から捨てたのだ。

「では、帰りましょうか。今日はとびきり美味しいスイーツを用意してあるんだ」

「本当ですか! 大好きです、ルーファス様!」

「スイーツが? それとも僕が?」

「もちろん、スイーツが!」

「……そこは嘘でも僕と言ってほしかったな」

二人の笑い声が、平和になった空に響く。

その背後で、魔王城から白旗が掲げられているのを、彼らはまだ知らない。
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