悪役令嬢ダンキア、婚約破棄に「御意」と即答する。

ちゅんりー

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オルティス王国の王城、東棟の廊下。

そこは普段、静寂に包まれた場所であるはずだった。

「姉御! もっと負荷をください!」

「まだまだです、シルヴィア。体幹がブレていますよ!」

ドスッ! バキッ! ズドン!

ダンキアと、新弟子(兼・隣国の王女)シルヴィアによる、熱血トレーニングが行われていた。

シルヴィアは背中に巨大な岩(庭石)を背負い、空気椅子で耐えている。

その岩の上には、なぜかケルベロスのポチが座り、さらにその上でダンキアが優雅に紅茶を飲んでいた。

「ぐぬぬ……! 重い……ですが、筋肉が喜んでいます!」

「その調子です。ポチ、バランスを崩さないように」

『ワン!』

通りがかるメイドたちが、見なかったことにして足早に去っていく。

その様子を、柱の陰から見つめる人影があった。

ルーファスである。

彼は深い溜息をついた。

(……最近、ダンキアとの時間がない)

原因は明白だ。

新しく加わったシルヴィアと、ペットのポチ。

そしてダンキア自身の筋肉愛。

これらが鉄壁の布陣となり、ルーファスが入り込む隙がないのだ。

(僕はこのまま、ただの『スポンサー兼・胃薬常用者』で終わるのか?)

否。

彼は王族だ。

欲しいものは手に入れる。

たとえ相手が、ドラゴンを平手打ちで倒す天然娘だとしても。

「ダンキア」

ルーファスは決意を固め、二人の元へ歩み寄った。

「はい? どうされました、ルーファス様?」

ダンキアが岩の上から飛び降りる。

着地の衝撃で床が少し沈んだが、誰も気にしない。

「少し、二人で話がしたいんだ。……重要な話がある」

「重要? まさか、夕食のメニュー変更ですか? タンパク質が減るのですか?」

「違うよ。もっと大事なことだ。こっちへ来てくれ」

ルーファスはダンキアの手首を掴み、強引に歩き出した。

「あ、姉御?」

シルヴィアが声をかけるが、ルーファスは振り返らずに言った。

「シルヴィア、君はそのままあと一時間キープだ。動いたら破門だよ」

「イエッサー!」

***

連れてこられたのは、月明かりが差し込む静かなバルコニーだった。

夜風が心地よい。

「綺麗な月ですね。鉄球のようにまん丸です」

ダンキアがロマンチックのかけらもない感想を述べる。

ルーファスは彼女に向き直った。

「ダンキア」

「はい」

「君はこの国に来て、楽しんでくれているかい?」

「ええ、とても! ご飯は美味しいですし、迷宮は更地にできましたし、弟子もできました。充実した筋肉ライフです」

「……僕のことは?」

「え?」

「僕との生活は、どうだい?」

ルーファスが一歩近づく。

ダンキアは首を傾げた。

「快適です。ルーファス様は、私の要望を全て叶えてくださいますから。最高のパトロンです」

「パトロン……」

ルーファスはガクリと肩を落とした。

やはり、金づる扱いか。

いや、彼女に悪気がないのは分かっている。

だからこそ、タチが悪い。

言葉で言っても伝わらないなら、行動で示すしかない。

ルーファスはダンキアを壁際まで追い詰めた。

「ル、ルーファス様?」

ダンキアが後ずさる。

背中が石壁に当たる。

逃げ場はない。

ドンッ!

ルーファスはダンキアの顔の横に手をついた。

いわゆる『壁ドン』である。

至近距離。

整った顔立ちの王子が、熱っぽい瞳で見つめてくる。

乙女なら心臓が止まるシチュエーションだ。

しかし、ダンキアの反応は違った。

彼女は真剣な顔で、ルーファスの手元を凝視した。

「……なるほど」

「え?」

「その角度、いいですね。上腕三頭筋と広背筋を連動させ、壁に圧力をかけています。これは新しいアイソメトリック・トレーニング(静的筋力強化)ですか?」

「違う」

「では、壁の強度チェックですか? ここ、少し脆くなっていますから、叩くと崩れますよ?」

「違う!」

ルーファスは叫びたくなった。

なぜ伝わらない。

なぜ筋肉に変換される。

「ダンキア、僕を見てくれ。壁じゃなくて、僕を」

ルーファスはもう片方の手もつき、彼女を両腕の中に閉じ込めた。

逃がさない。

「僕は君が欲しいと言っているんだ。戦力としてでも、珍獣としてでもなく……一人の女性として」

「……」

ダンキアが瞬きをする。

「女性として……?」

「そう。初めて会った時から、君に惹かれていた。君の強さも、優しさも、そのどうしようもない鈍感さも、全て愛おしい」

ルーファスの顔が近づく。

吐息がかかる距離。

ダンキアの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。

(あれ?)

彼女は自分の胸に手を当てた。

(脈拍が乱れている? 呼吸が浅い? 体温が上昇している?)

これは……まさか。

「ルーファス様、離れてください!」

ダンキアが叫んだ。

「ど、どうしたんだい?」

「不整脈です! あるいは自律神経の乱れか、何らかの未知のウイルスに感染した可能性があります!」

「はぁ?」

「胸が苦しいのです! 顔が熱い! これは危険な兆候です。隔離が必要です!」

ダンキアは慌てふためいた。

これまで、どんな強敵を前にしても冷静だった彼女が、顔を真っ赤にして狼狽えている。

その様子を見て、ルーファスは吹き出した。

「ふっ……くくく」

「笑い事ではありません! 命に関わるかもしれません!」

「ああ、命に関わるね。それは『恋の病』というやつだから」

「恋の……病?」

ダンキアが固まる。

「薬はないよ。僕を受け入れるしか治らない」

ルーファスは優しく微笑み、ダンキアの頬に触れた。

「嫌かい? 僕が触れるのは」

「い、嫌では……ありません」

ダンキアはおずおずと答えた。

「むしろ……その、心地よいと言いますか……もっと触れてほしいと、筋肉が申しております」

「筋肉が?」

「はい。私の大胸筋が、あなたを求めて震えているのです」

「……まあ、いいか。君らしい表現だ」

ルーファスは満足した。

ようやく、ほんの少しだけ想いが通じた気がしたからだ。

彼はゆっくりと顔を近づけ、口づけを――

「殿下ァァァァァァ!!」

その時。

空気を読まない絶叫と共に、伝令の兵士がバルコニーに飛び込んできた。

「大変です! 一大事です!」

「……」

ルーファスは凍りついたような笑顔で振り返った。

「なんだい? もし『猫が木から降りられない』程度の報告だったら、君を投石機で飛ばすけど」

「ひぃっ! ち、違います! 戦争です!」

兵士は青ざめた顔で叫んだ。

「国境付近に、アルカディア王国の大軍が集結しています! その数、およそ五万!」

「五万?」

ルーファスとダンキアが顔を見合わせる。

「はい! 先頭には『ダンキア奪還』の旗が掲げられています! 率いているのはクラーク王太子!」

「クラーク様が……?」

ダンキアは驚いた。

「手紙の返事を書かなかったから、直接催促に来たのでしょうか?」

「いや、これは侵略行為だね」

ルーファスの瞳から甘い色が消え、冷徹な指揮官の光が宿る。

「五万の軍勢か。本気で国を潰してでも、君を取り戻す気らしい」

「迷惑な話です。そんな暇があるなら書類の一つでも片付ければいいのに」

ダンキアは呆れたように肩をすくめた。

「どうする? ダンキア」

ルーファスが問う。

「僕が出るか? それとも……」

ダンキアはニヤリと笑った。

その笑顔は、恋する乙女のものではなく、獲物を見つけた猛獣のそれだった。

「ちょうどいいタイミングです」

彼女はコキコキと指を鳴らした。

「先ほどの『不整脈』のせいで、体に余計なエネルギーが溜まっていました。発散場所が必要だと思っていたところです」

「……クラーク王子に同情するよ」

「行きましょう、ルーファス様。ポチとシルヴィアも連れて。私の平穏な筋肉ライフを脅かす害虫は、徹底的に駆除(お掃除)させていただきます!」

ダンキアはドレスの裾をまくり上げ、バルコニーの手すりに足をかけた。

「まずは準備運動に、国境まで走ります!」

「待って、馬車を使って! お願いだから!」

愛の告白(未遂)から一転、事態は風雲急を告げる。

元婚約者率いる五万の大軍 vs 筋肉令嬢とその愉快な仲間たち。

勝負の行方は、戦う前から明白であった。
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