婚約破棄、喜びのあまり側転してもよろしいでしょうか?

ちゅんりー

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「……キース様からの手紙? 嫌な予感しかしませんわね」


私は、セバスチャンが差し出した手紙を、まるで爆発物でも扱うような手つきで受け取った。
王子の側近であり、常に冷静沈着なキース様。
そんな彼が、婚約破棄されて追放された私に、一体何の用だと言うのか。


封を切ると、そこには彼の性格をそのまま表したかのような、整然とした、しかしどこか力強い文字が並んでいた。


『ベルベット嬢へ。貴女が王宮を去ってから、まだ数時間しか経っておりませんが、報告すべき事態が発生しました。カトレア嬢が「師匠の後を追って、私も悪役の道を極めます」と宣言し、現在、王宮の庭園で高笑いの練習を始めています。殿下は頭を抱えておられます。……正直に申し上げまして、貴女がいないと王宮が非常に「騒がしく」なりました。また、近いうちに連絡を差し上げます。追伸、サンドイッチは口に合いましたか?』


「……なんですの、これ。ただの活動報告(カオス)じゃないの!」


私は手紙をバサリと机に置いた。
カトレア様、あの方、本当にヒロインを辞めるつもりらしい。
しかもキース様、なんだか楽しんでいらっしゃらないかしら?


「お嬢様、いかがなさいましたか? 顔が赤いようですが……。もしや王子への未練が?」


セバスチャンが心配そうに覗き込んでくる。


「そんなもの、一ミリもありませんわ! それより、私は決めたのです。今日から私は『悪役令嬢』を廃業しますのよ!」


「廃業……でございますか?」


「ええ。これからは、誰の目も気にせず、ただの『自由な公爵令嬢』として生きていくのです。わざわざ嫌味を言う必要も、高圧的な態度を取る必要もありません。私は、清らかで、穏やかで、日向ぼっこが大好きな乙女になりますわ!」


私は両手を胸の前で組み、キラキラとした瞳(のつもり)で天井を見上げた。
そうだ。悪役なんて、もう疲れたのだ。
これからは平穏な余生を過ごすのだ。


「……左様でございますか。では、早速その『清らかな乙女』として、朝食を召し上がりますか?」


「ええ、お願いしますわ。セバスチャン、とってもお上品な紅茶を淹れてくださる?」


私は背筋を伸ばし、一歩一歩、しなやかに食堂へと向かった。
しかし、身体に染み付いた「悪役」の癖は、そう簡単に抜けるものではなかった。


食堂の椅子に座る際、私は無意識にドレスの裾をバサリと激しく払い、ドカッと優雅に(?)腰を下ろした。


「……お嬢様。その座り方は、どちらかというと『玉座に君臨する魔王』のようでございますが」


「あら、失礼。つい癖で。次はもっと、羽毛が舞い降りるように座りますわ」


私は気を取り直し、運ばれてきたスープに手を付けた。
スプーンを口に運ぶ際も、つい「この味を評価してやるわ」と言わんばかりの鋭い視線をシェフに投げかけてしまう。


「……お、お嬢様? スープがお口に合いませんか?」


料理長が震えながら飛んできた。


「いいえ。とっても美味しいわよ。……そうね、このコクは、まるで北の海で遭難した時に見つけた一筋の光のような……」


「……お嬢様。それは先ほどのセドリック王子の比喩に影響されすぎでは?」


セバスチャンにツッコまれ、私はハッとした。
いけない。普通の令嬢は、スープを飲んで詩的な(そして不穏な)感想は述べない。


「と、とにかく! 今日から私は、普通の令嬢として過ごすのです! まずは庭園でお花と会話でもしてきますわ!」


私は逃げるようにして庭園へ出た。
そこには色とりどりのバラが咲き誇っている。


「あら、綺麗なバラですこと。……でも、この赤さは血の色に似ていて、なんだか心が昂りますわね。今すぐこのバラを千切って、誰かの足元に投げ捨てたい衝動が……」


「お嬢様! 廃業はどうなりましたか!」


背後からセバスチャンの鋭い指摘が飛ぶ。


「む、無理ですわ! 三年間も毎日『どうすれば悪役らしく見えるか』を考え続けてきたのよ!? もはや細胞レベルで悪役令嬢が染み付いているのですわ!」


私は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
普通の令嬢って、一体どうやって笑っていたかしら。
「オホホホ」ではなく、「ふふふ」?
そんなの、肺活量が足りなくて酸欠になりそうだわ。


「ベルベット! 何をしている、そんなところで!」


そこへ、父・バルガスがやってきた。
彼は私の姿を見るなり、ガッカリしたように肩を落とした。


「なんだその覇気のない姿は! さっきの『悪の道を行く』宣言はどうしたんだ! 今すぐ立って、私を睨みつけてみろ!」


「お父様、わたくし、普通の令嬢になりたいのです。お淑やかで、目立たない存在に……」


「馬鹿を言え! 我がローズウッド公爵家で目立たないなど、死ぬより辛いぞ! ほら、見てみろ。兄貴たちが『悪の作戦会議』と称して、新しいパーティーの企画を立てているぞ!」


見れば、テラスの方で兄様たちが「どうすれば最も傲慢に見える招待状を送れるか」を真剣に話し合っている。
この家には、私の味方しかいないけれど……「普通」を目指す味方は一人もいなかった。


「……はあ。どうやら、廃業への道は険しいようですわね」


私は立ち上がり、服についた土を払った。
その動作すら、どこか優雅で威圧的になってしまう。


「仕方ありませんわ。今日はもう、普通の令嬢ごっこは諦めます。セバスチャン、キース様への返信の準備を。……こう書くのですわ。『王宮のカオスは私の知ったことではありません。でも、その高笑いの練習、録音して送ってくださらない?』と!」


「……畏まりました。毒のある返信、お嬢様らしくて安心いたしました」


私はふいっと顔を背け、再び屋敷の中へと戻った。
まだ、自由になった実感は薄い。
けれど、この騒がしい実家で過ごすうちに、私は自分なりの「新しい悪役(?)」の形を見つけていくことになるのだろう。


そんなことを考えながら、私は再び、無意識に扉を蹴るようにして開けたのだった。
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