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「……ちょっと、カトレア様。その目はなんですの?」
私は、公爵家の庭に置かれた特等席の長椅子から、冷ややかな視線を投げた。
目の前では、カトレア様が一生懸命に「悪役令嬢らしい表情」を作っている。
「えっ!? だ、ダメでしょうか……? 自分では、かなり『不敬な輩を塵のごとく見下す目』をしているつもりだったのですが……」
「いいえ、全然ダメですわ。それは『お腹が空いて倒れそうな仔犬』の目です。そんな潤んだ瞳で見つめられて、誰が恐怖を感じるとお思い?」
私は扇子をバチンと閉じ、立ち上がった。
引退して悠々自適の隠居生活を送るはずが、なぜか私は、元ヒロインを「悪役令嬢」へとプロデュースする羽目になっている。
これも一種のボランティアかしら。いや、単なる私の教育欲の暴走かもしれないわ。
「いいかしら。悪役の目つきというのは、視線で相手を斬り殺すような鋭さが必要なのです。瞳孔を少し開き、顎を三ミリ上げ、相手の眉間ではなく『足元の泥』を見るような気持ちで視線を落とすのよ」
「足元の……泥……。こうですか?」
カトレア様が再び表情を作る。
今度は少しだけ、目つきが険しくなった。……が。
「惜しいですわね。でも、まだ口元に『あ、今日のランチは何かしら』という浮ついた煩悩が見え隠れしていますわ」
「ひぇっ、見抜かれてる!? さすが師匠ですわ! 隠し通せませんわ!」
カトレア様はガバッと頭を下げて、再びメモを取り始めた。
この方の向上心だけは、本当に本物だわ。なぜそれを、セドリック様を射止めるための自分磨きに使わなかったのか、甚だ疑問ですけれど。
「お嬢様、お疲れのご様子ですね。こちら、カトレア様のためにご用意した『悪役令嬢用・特製毒入り(風)ハーブティー』でございます」
セバスチャンが、黒い液体(ただの濃いベリーティー)を運んできた。
最近、うちの使用人たちもノリが良すぎて困る。
「あら、ありがとう。……さあ、カトレア様。三日後にプルメリア伯爵夫人のお茶会がありますわ。そこが貴女のデビュー戦ですわよ」
「デビュー戦……! ついに実戦ですのね!」
カトレア様がゴクリと唾を呑み込んだ。
プルメリア伯爵夫人の茶会といえば、社交界でも指折りの「腹の探り合い」で有名な場所。
かつての私なら、あそこで数人の令嬢を言葉のナイフで泣かせていたものだ。
「貴女には、そこで『改心してしおらしくなったヒロイン』ではなく、『ベルベットに魂を売った闇の堕天使』として振る舞っていただきます」
「闇の堕天使! なんて素敵な響きでしょう……! でも師匠、私にそんな高度な真似が……」
「大丈夫ですわ。貴女がやるべきことは三つだけ。一つ、お茶が冷めていても文句を言わず『あら、私への歓迎はこの程度の温度なの?』と皮肉ること。二つ、扇子の開閉音を常に一定のリムズで響かせること」
「そして三つ目は?」
私は、彼女の耳元に顔を寄せ、悪魔の囁きのように告げた。
「三つ目。セドリック王子の話題が出たら、鼻で笑って『どなたかしら、その影の薄い方は?』と言い放つのですわ」
「……っ! それは、それは最高にスカッとしそうですわ!」
カトレア様の瞳に、今まで見たこともないような邪悪な(でもキラキラした)光が宿った。
よし、いい目だわ。その目なら、伯爵夫人の厳しい査定もくぐり抜けられる。
「お嬢様、一つ確認してもよろしいでしょうか」
セバスチャンが、空になったティーカップを片付けながら尋ねてきた。
「なんですの、セバスチャン」
「お嬢様は、カトレア様を育てて、一体何を目指していらっしゃるのですか? もはやこれは教育というより……プロデュース事業に近い気がいたしますが」
「……あら。そう言われれば、そうですわね」
私は扇子を顎に当てて考え込んだ。
自分の代わりを作るため? それとも、王宮を混乱させて楽しむため?
いいえ、たぶん、もっと単純な理由だわ。
「……面白そうだからですわ」
「左様でございますか。実にローズウッド家らしいお答えで。安心いたしました」
セバスチャンは満足げに一礼して去っていった。
そう、私は今、第二の人生を楽しんでいるのだ。
自分が悪役として舞台に立つのではなく、演出家(プロデューサー)として新しい悪役を世に送り出す。
(……ふふ。王宮の皆様、震えて待っているといいわ。私が育てた『最強のヒロイン・オブ・ヴィラン』が、貴方たちの常識をぶち壊しに行くのですから!)
私は思わず、本日何度目かの高笑いを上げそうになった。
しかし、横でカトレア様が「オホ、オホホ……」と練習しているのを見て、ふと冷静になる。
「カトレア様。その『オホ』の入りがまだ甘いわ! もっと横隔膜から声を出しなさい!」
「はいっ、師匠! オホォォォォ!」
「声が大きすぎると言ったでしょう! 近所迷惑ですわよ!」
私のプロデューサー道は、どうやら前途多難のようだった。
そんな騒がしい午後、屋敷の門前に一人の騎士がやってきたことに、私たちはまだ気づいていなかった。
その騎士は、不機嫌そうな顔で、しかしどこか期待に満ちた瞳で屋敷を見上げていた。
銀色の髪を風になびかせたその男……キース様の手には、何やら「公式な招待状」が握られていた。
私は、公爵家の庭に置かれた特等席の長椅子から、冷ややかな視線を投げた。
目の前では、カトレア様が一生懸命に「悪役令嬢らしい表情」を作っている。
「えっ!? だ、ダメでしょうか……? 自分では、かなり『不敬な輩を塵のごとく見下す目』をしているつもりだったのですが……」
「いいえ、全然ダメですわ。それは『お腹が空いて倒れそうな仔犬』の目です。そんな潤んだ瞳で見つめられて、誰が恐怖を感じるとお思い?」
私は扇子をバチンと閉じ、立ち上がった。
引退して悠々自適の隠居生活を送るはずが、なぜか私は、元ヒロインを「悪役令嬢」へとプロデュースする羽目になっている。
これも一種のボランティアかしら。いや、単なる私の教育欲の暴走かもしれないわ。
「いいかしら。悪役の目つきというのは、視線で相手を斬り殺すような鋭さが必要なのです。瞳孔を少し開き、顎を三ミリ上げ、相手の眉間ではなく『足元の泥』を見るような気持ちで視線を落とすのよ」
「足元の……泥……。こうですか?」
カトレア様が再び表情を作る。
今度は少しだけ、目つきが険しくなった。……が。
「惜しいですわね。でも、まだ口元に『あ、今日のランチは何かしら』という浮ついた煩悩が見え隠れしていますわ」
「ひぇっ、見抜かれてる!? さすが師匠ですわ! 隠し通せませんわ!」
カトレア様はガバッと頭を下げて、再びメモを取り始めた。
この方の向上心だけは、本当に本物だわ。なぜそれを、セドリック様を射止めるための自分磨きに使わなかったのか、甚だ疑問ですけれど。
「お嬢様、お疲れのご様子ですね。こちら、カトレア様のためにご用意した『悪役令嬢用・特製毒入り(風)ハーブティー』でございます」
セバスチャンが、黒い液体(ただの濃いベリーティー)を運んできた。
最近、うちの使用人たちもノリが良すぎて困る。
「あら、ありがとう。……さあ、カトレア様。三日後にプルメリア伯爵夫人のお茶会がありますわ。そこが貴女のデビュー戦ですわよ」
「デビュー戦……! ついに実戦ですのね!」
カトレア様がゴクリと唾を呑み込んだ。
プルメリア伯爵夫人の茶会といえば、社交界でも指折りの「腹の探り合い」で有名な場所。
かつての私なら、あそこで数人の令嬢を言葉のナイフで泣かせていたものだ。
「貴女には、そこで『改心してしおらしくなったヒロイン』ではなく、『ベルベットに魂を売った闇の堕天使』として振る舞っていただきます」
「闇の堕天使! なんて素敵な響きでしょう……! でも師匠、私にそんな高度な真似が……」
「大丈夫ですわ。貴女がやるべきことは三つだけ。一つ、お茶が冷めていても文句を言わず『あら、私への歓迎はこの程度の温度なの?』と皮肉ること。二つ、扇子の開閉音を常に一定のリムズで響かせること」
「そして三つ目は?」
私は、彼女の耳元に顔を寄せ、悪魔の囁きのように告げた。
「三つ目。セドリック王子の話題が出たら、鼻で笑って『どなたかしら、その影の薄い方は?』と言い放つのですわ」
「……っ! それは、それは最高にスカッとしそうですわ!」
カトレア様の瞳に、今まで見たこともないような邪悪な(でもキラキラした)光が宿った。
よし、いい目だわ。その目なら、伯爵夫人の厳しい査定もくぐり抜けられる。
「お嬢様、一つ確認してもよろしいでしょうか」
セバスチャンが、空になったティーカップを片付けながら尋ねてきた。
「なんですの、セバスチャン」
「お嬢様は、カトレア様を育てて、一体何を目指していらっしゃるのですか? もはやこれは教育というより……プロデュース事業に近い気がいたしますが」
「……あら。そう言われれば、そうですわね」
私は扇子を顎に当てて考え込んだ。
自分の代わりを作るため? それとも、王宮を混乱させて楽しむため?
いいえ、たぶん、もっと単純な理由だわ。
「……面白そうだからですわ」
「左様でございますか。実にローズウッド家らしいお答えで。安心いたしました」
セバスチャンは満足げに一礼して去っていった。
そう、私は今、第二の人生を楽しんでいるのだ。
自分が悪役として舞台に立つのではなく、演出家(プロデューサー)として新しい悪役を世に送り出す。
(……ふふ。王宮の皆様、震えて待っているといいわ。私が育てた『最強のヒロイン・オブ・ヴィラン』が、貴方たちの常識をぶち壊しに行くのですから!)
私は思わず、本日何度目かの高笑いを上げそうになった。
しかし、横でカトレア様が「オホ、オホホ……」と練習しているのを見て、ふと冷静になる。
「カトレア様。その『オホ』の入りがまだ甘いわ! もっと横隔膜から声を出しなさい!」
「はいっ、師匠! オホォォォォ!」
「声が大きすぎると言ったでしょう! 近所迷惑ですわよ!」
私のプロデューサー道は、どうやら前途多難のようだった。
そんな騒がしい午後、屋敷の門前に一人の騎士がやってきたことに、私たちはまだ気づいていなかった。
その騎士は、不機嫌そうな顔で、しかしどこか期待に満ちた瞳で屋敷を見上げていた。
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