婚約破棄、喜びのあまり側転してもよろしいでしょうか?

ちゅんりー

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「もう我慢なりませんわ! このままでは私は、王国の歴史に『不器用な聖女』として名を刻まれてしまいます!」


公爵邸の私室で、私は机を叩いて立ち上がった。
昨日の「真実追求」から一夜明け、街の瓦版には私の「秘められた善行」が面白おかしく書き立てられている。
中には『ベルベット嬢、実は涙で枕を濡らす日々?』という、恥ずかしさで悶絶死しそうな見出しまであった。


「お嬢様。落ち着いて、まずはこの温かいミルクでも召し上がってください。……『慈愛に満ちたお嬢様』にぴったりの、甘い蜂蜜入りでございます」


セバスチャンが、わざとらしく微笑みながらカップを置く。


「セバスチャン! 貴方まで私を揶揄うなんて! いいですか、私は今から街へ出て、本物の『悪行』を働いてまいりますわ。誰にも否定できない、圧倒的な横暴を見せつけてやるのです!」


「ほう。圧倒的な横暴、ですか。それは楽しみですね。護衛として、特等席で見守らせていただきましょう」


いつの間にか窓際に立っていたキース様が、ひらりと部屋に飛び込んできた。
最近、この方は玄関という概念を忘れてしまったのかしら。


「キース様! ついてくるのは勝手ですが、絶対に私の邪魔をしないでくださいまし。今日の私は、北風よりも冷酷ですわよ!」


私は漆黒の扇子を握り締め、意気揚々と街へ繰り出した。
狙うは、王都で一番人気のケーキ店。
ここで「全てのケーキを買い占めて、一般市民に一口も食べさせない」という、卑劣極まりない作戦を実行に移すためだ。


「オホホホ! 皆様、どいてちょうだい! この店のケーキ、端から端まで全部私が買い取りますわ! 一つ残らず、ですわよ!」


店に踏み込むなり、私は大声を上げた。
さあ、怯えなさい。怒りなさい。
「なんて強欲な令嬢だ!」と石を投げるがいいわ!


「……えっ? べ、ベルベット様? 本当に、全部買ってくださるんですか!?」


店主の男が、涙目で私を見つめてきた。
ふふん、絶望に打ちひしがれているようね。


「そうですわ! 金に物を言わせて、貴方の努力の結晶を独占して差し上げます! 悔しいでしょう? 悲しいでしょう?」


「あ、ありがとうございます……! 実は、急に大量のキャンセルが出て、このままだと店が潰れるところだったんです! これでお給料が払えます!」


「…………は?」


店主は私の手を取り、ブンブンと振り回した。
背後では、買い物を諦めようとしていた主婦たちが「さすがベルベット様!」「店の危機を救うために、あえて悪役を演じて買い占めてくださったのね!」と拍手喝采を送っている。


「ち、違いますわ! 私は皆様に嫌がらせを……!」


「いいえ、分かっていますわ。私たちが恥をかかないように、あえて強引に振る舞ってくださったのでしょう? なんてお優しい……っ!」


「やめて! その温かい目で見ないで!」


私は逃げるように店を飛び出した。
クソッ、偶然が重なりすぎだわ。
ならば次は、あそこの公園で一人寂しく遊んでいる子供に、恐怖を植え付けてやる!


私は公園の砂場で山を作っていた少年の前に、影を落とすように立った。


「おい、小僧。貴方が一生懸命作ったその山……。私が粉々に踏み潰して差し上げますわ! 悪役令嬢の力、思い知りなさい!」


私はヒールで、少年の砂山を無慈悲に踏み抜いた。
さあ、泣きなさい! 喚きなさい!


「……わあ! お姉ちゃん、すごい! そこに埋まってた、僕の大切な指輪を見つけてくれたんだね!」


「……指輪?」


見ると、私が踏み潰した砂の中から、キラリと光る銀の指輪が出てきていた。
少年はそれを握りしめ、顔を輝かせる。


「これ、お母さんの形見だったんだ! どこに行ったか分からなくて困ってたんだよ。お姉ちゃん、超能力者なの?」


「違うわ! 私はただの暴力的な女よ!」


「ありがとう、占い師のお姉ちゃん! 一生忘れないよ!」


少年は走って去っていった。
周囲で見守っていた街の人々が「ああ、あのお方は砂の中に隠れた遺失物すら見通すというのか……」「徳が高すぎて眩しいわ……」と、拝み始める始末だ。


「……ベルベット嬢。今の踏み込み、なかなかのフォームでしたよ。宝石探しの才能があるかもしれませんね」


キース様が、肩を震わせて笑いを堪えている。


「笑い事ではありませんわ! どうして!? どうして私が悪いことをしようとすると、世界がそれを『善行』に変換してしまうの!?」


私は地面に膝をつき、天を仰いだ。
もはや呪いだわ。私の「悪」という才能が、世界に拒絶されている。


「ベルベット嬢。貴女、気づいていないのですか? 貴女が本気で誰かを傷つけようと思って行動していないから、結果がこうなるのですよ」


キース様が隣に屈み込み、優しく私の頭を撫でた。


「貴女の根底にあるのは、いつだって誰かへの気遣いだ。だから、貴女の『悪役』は、いつの間にか人々を救う『ヒーロー』に変わってしまう」


「嫌ですわ……。私は、私は誰からも嫌われる、孤独な悪の華になりたいのに……」


「残念ですが、その願いだけは叶いそうにありませんね。……ほら、あっちを見てください。カトレア嬢が、貴女の『善行』をさらに広めようと、拡声魔法を持って走り回っていますよ」


「師匠ーー! 砂場の奇跡、今すぐ瓦版の号外にしますわねーー!」


遠くから聞こえる、元気すぎる弟子の声。
私はついに、その場に突っ伏した。


「……もう、引退どころか、隠居すら許されない気がしてきましたわ」


「いいじゃないですか。私が一生、貴女のその『偽りの悪』と『本物の善』に付き合って差し上げますから」


キース様の優しい声が、絶望に暮れる私の耳に届く。
勘違いの連鎖は、どうやら私の人生を思わぬ方向へと押し流していくようだ。


それでも、繋がれたキース様の手の温かさだけは、勘違いではないと信じたかった。
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