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「……お嬢様。少々、不愉快な『泥』が玄関先にこびりついております」
セバスチャンが、銀盆に載せた一枚のカードを、まるで汚物でも見るような目で見つめていた。
公爵邸の優雅な午後のひととき。
カトレア様がジュリアン様への「差し入れ(という名の重圧)」を選んでいた平和な時間は、その一枚のカードによって切り裂かれた。
「泥? あら、セバスチャン。我が家の庭師は優秀ですわよ。そんな不始末をするはずが……」
私はカードを手に取り、そこに刻まれた紋章を見た瞬間、扇子をパチンと閉じた。
ヴァンダル侯爵。
王国内でも指折りの財力を誇るが、その金の出どころは常に黒い噂が絶えない男だ。
そして何より……私の「悪役令嬢」としての美学において、最も相容れない「下劣な小悪党」である。
「ベルベット嬢。……お久しぶりですな。婚約破棄され、実家で大人しくしているかと思えば、相変わらず賑やかにやっておられるようで」
許可も得ずに応接室へ踏み込んできたのは、脂ぎった顔に卑屈な笑みを浮かべた中年の男だった。
彼の背後には、これまた人相の悪い私兵たちが数人控えている。
「ヴァンダル侯爵。……貴方、私の実家の敷居を跨ぐには、少しばかり魂の不潔さが過ぎるのではないかしら? 入り口で聖水でも浴びていらしたらどう?」
私は脚を組み、極上のソファに深く腰掛けた。
これぞ、本物の不敬を前にした時の「女王の構え」である。
「相変わらず口が減らない女だ。……だが、その余裕もいつまで続くかな? 貴女が王宮にいた頃、こっそりと動かしていた『裏予算』の記録……。あれが私の手元にあると言ったら、どうするね?」
ヴァンダル侯爵が、懐から一束の汚れた書類を取り出した。
私はそれを見て、思わず失笑してしまった。
「裏予算? まあ、人聞きが悪いわ。あれは私が、無能な役人たちが垂れ流していた赤字を、独断で有意義な事業に転換した『ベルベット基金』ですわよ。何か問題でも?」
「問題は大ありだ! 公文書の改ざん、予算の横領……。これだけの証拠があれば、ローズウッド公爵家といえど無傷では済まない。……どうだ? この記録を公にされたくなければ、我が家の事業に公爵家の名前を貸してもらおうか」
絵に描いたような脅迫。
あまりに安っぽく、あまりにひねりのない悪行に、私は心底がっかりしてしまった。
「……ねえ、侯爵。貴方、自分が『悪役』を演じているつもりかしら?」
私は立ち上がり、ゆっくりと彼に歩み寄った。
私の影が、怯えたように揺れる侯爵の顔を覆う。
「教えて差し上げますわ。本当の『悪』というのは、そんな汚い書類で誰かを脅すことではありません。相手に絶望すら感じさせず、微笑みながらその首を真綿で締めるような……芸術的なまでの優雅さが必要なのですわよ」
「な、何を……」
「貴方のやっていることは、ただの『強請り』。悪役としての矜持も、演出のこだわりも、何一つ感じられませんわ。そんな泥臭いやり方で私を屈服させられるとお思い?」
私は、彼の持っていた書類を指先でつまみ上げ、そのまま暖炉の火の中へと放り込んだ。
「貴様! 何をする!」
「安心なさい。そんなコピー、何枚焼いても同じですわ。……それより、侯爵。貴方こそ、自分の足元を気にした方がよろしくてよ?」
私は、控えていたキース様に視線を送った。
キース様はいつの間にか、侯爵の背後に立っていた私兵たちを、物音ひとつ立てずに制圧していた。
「ヴァンダル侯爵。貴方がここへ来る一時間前、貴方の邸宅には騎士団の強制捜査が入りました。貴方が長年隠蔽してきた脱税、および密輸の証拠は、すでにベルベット嬢……いえ、我が騎士団の手によって押収されています」
キース様が、冷徹な声で宣告する。
「な、なんだと……!? なぜだ、証拠は完璧に隠滅していたはずだ!」
「完璧? 笑わせないでくださいまし」
私は扇子で口元を隠し、本日一番の、冷酷で美しい高笑いを上げた。
「オホ、オホホホホ! 私が王宮で『裏予算』を動かしていた時、貴方の不自然な金の動きに気づかないとでもお思い? 私は貴方が自滅する最高の瞬間を、舞台袖でずっと待っていたのですわよ」
私は侯爵の耳元で、死神の囁きのように告げた。
「貴方は、私の『最後のお遊戯』の、ただの舞台装置に過ぎませんの。……さあ、セバスチャン。この汚らわしい『泥』を、今すぐ衛兵所に掃き出しておしまいなさい!」
「畏まりました。粗大ゴミとして、迅速に処理させていただきます」
セバスチャンが侯爵の襟首を掴み、引きずっていく。
「離せ! ベルベット、貴様、タダで済むと思うなよ!」という叫び声が、廊下の向こうへ消えていった。
静まり返った応接室。
私は深く息を吐き、ソファーに崩れるように座った。
「……ふう。やっぱり、本物の悪党を相手にするのは、疲れが倍増しますわね。演技に熱が入りすぎて、少し喉が枯れてしまいましたわ」
「お疲れ様です、ベルベット嬢。……見事な『悪役』っぷりでしたよ。あそこまで完膚なきまでに叩き潰すとは」
キース様が、温かい紅茶を淹れて私の前に置いた。
「あら。私はただ、彼の『美しくない悪行』を正して差し上げただけですわ。……キース様、私、怖かったかしら?」
私は少しだけ上目遣いで、彼を見上げた。
キース様は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに優しく私の頭を撫でた。
「いいえ。誰よりも気高く、誰よりも正義感に溢れた……最高の『悪役令嬢』でしたよ」
「……正義感なんて、余計な一言ですわ」
私は顔を赤くしながら、差し出された紅茶を啜った。
これで、全ての障害は取り除かれた。
私の「悪役令嬢」としての物語は、いよいよ最高のクライマックスへと向かっていく。
窓の外では、カトレア様がジュリアン様に「今の私の立ち振る舞い、悪役っぽかったでしょうか!?」と興奮気味に報告している声が聞こえる。
「……さあ。いよいよ幕引きの時間ですわね、キース様」
「ええ。最高のハッピーエンドを、貴女と共に」
私は立ち上がり、窓の外に広がる夕焼けを見つめた。
明日、この国で一番の、騒がしくて幸せな「悪役の散り際」を見せてやるために。
セバスチャンが、銀盆に載せた一枚のカードを、まるで汚物でも見るような目で見つめていた。
公爵邸の優雅な午後のひととき。
カトレア様がジュリアン様への「差し入れ(という名の重圧)」を選んでいた平和な時間は、その一枚のカードによって切り裂かれた。
「泥? あら、セバスチャン。我が家の庭師は優秀ですわよ。そんな不始末をするはずが……」
私はカードを手に取り、そこに刻まれた紋章を見た瞬間、扇子をパチンと閉じた。
ヴァンダル侯爵。
王国内でも指折りの財力を誇るが、その金の出どころは常に黒い噂が絶えない男だ。
そして何より……私の「悪役令嬢」としての美学において、最も相容れない「下劣な小悪党」である。
「ベルベット嬢。……お久しぶりですな。婚約破棄され、実家で大人しくしているかと思えば、相変わらず賑やかにやっておられるようで」
許可も得ずに応接室へ踏み込んできたのは、脂ぎった顔に卑屈な笑みを浮かべた中年の男だった。
彼の背後には、これまた人相の悪い私兵たちが数人控えている。
「ヴァンダル侯爵。……貴方、私の実家の敷居を跨ぐには、少しばかり魂の不潔さが過ぎるのではないかしら? 入り口で聖水でも浴びていらしたらどう?」
私は脚を組み、極上のソファに深く腰掛けた。
これぞ、本物の不敬を前にした時の「女王の構え」である。
「相変わらず口が減らない女だ。……だが、その余裕もいつまで続くかな? 貴女が王宮にいた頃、こっそりと動かしていた『裏予算』の記録……。あれが私の手元にあると言ったら、どうするね?」
ヴァンダル侯爵が、懐から一束の汚れた書類を取り出した。
私はそれを見て、思わず失笑してしまった。
「裏予算? まあ、人聞きが悪いわ。あれは私が、無能な役人たちが垂れ流していた赤字を、独断で有意義な事業に転換した『ベルベット基金』ですわよ。何か問題でも?」
「問題は大ありだ! 公文書の改ざん、予算の横領……。これだけの証拠があれば、ローズウッド公爵家といえど無傷では済まない。……どうだ? この記録を公にされたくなければ、我が家の事業に公爵家の名前を貸してもらおうか」
絵に描いたような脅迫。
あまりに安っぽく、あまりにひねりのない悪行に、私は心底がっかりしてしまった。
「……ねえ、侯爵。貴方、自分が『悪役』を演じているつもりかしら?」
私は立ち上がり、ゆっくりと彼に歩み寄った。
私の影が、怯えたように揺れる侯爵の顔を覆う。
「教えて差し上げますわ。本当の『悪』というのは、そんな汚い書類で誰かを脅すことではありません。相手に絶望すら感じさせず、微笑みながらその首を真綿で締めるような……芸術的なまでの優雅さが必要なのですわよ」
「な、何を……」
「貴方のやっていることは、ただの『強請り』。悪役としての矜持も、演出のこだわりも、何一つ感じられませんわ。そんな泥臭いやり方で私を屈服させられるとお思い?」
私は、彼の持っていた書類を指先でつまみ上げ、そのまま暖炉の火の中へと放り込んだ。
「貴様! 何をする!」
「安心なさい。そんなコピー、何枚焼いても同じですわ。……それより、侯爵。貴方こそ、自分の足元を気にした方がよろしくてよ?」
私は、控えていたキース様に視線を送った。
キース様はいつの間にか、侯爵の背後に立っていた私兵たちを、物音ひとつ立てずに制圧していた。
「ヴァンダル侯爵。貴方がここへ来る一時間前、貴方の邸宅には騎士団の強制捜査が入りました。貴方が長年隠蔽してきた脱税、および密輸の証拠は、すでにベルベット嬢……いえ、我が騎士団の手によって押収されています」
キース様が、冷徹な声で宣告する。
「な、なんだと……!? なぜだ、証拠は完璧に隠滅していたはずだ!」
「完璧? 笑わせないでくださいまし」
私は扇子で口元を隠し、本日一番の、冷酷で美しい高笑いを上げた。
「オホ、オホホホホ! 私が王宮で『裏予算』を動かしていた時、貴方の不自然な金の動きに気づかないとでもお思い? 私は貴方が自滅する最高の瞬間を、舞台袖でずっと待っていたのですわよ」
私は侯爵の耳元で、死神の囁きのように告げた。
「貴方は、私の『最後のお遊戯』の、ただの舞台装置に過ぎませんの。……さあ、セバスチャン。この汚らわしい『泥』を、今すぐ衛兵所に掃き出しておしまいなさい!」
「畏まりました。粗大ゴミとして、迅速に処理させていただきます」
セバスチャンが侯爵の襟首を掴み、引きずっていく。
「離せ! ベルベット、貴様、タダで済むと思うなよ!」という叫び声が、廊下の向こうへ消えていった。
静まり返った応接室。
私は深く息を吐き、ソファーに崩れるように座った。
「……ふう。やっぱり、本物の悪党を相手にするのは、疲れが倍増しますわね。演技に熱が入りすぎて、少し喉が枯れてしまいましたわ」
「お疲れ様です、ベルベット嬢。……見事な『悪役』っぷりでしたよ。あそこまで完膚なきまでに叩き潰すとは」
キース様が、温かい紅茶を淹れて私の前に置いた。
「あら。私はただ、彼の『美しくない悪行』を正して差し上げただけですわ。……キース様、私、怖かったかしら?」
私は少しだけ上目遣いで、彼を見上げた。
キース様は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに優しく私の頭を撫でた。
「いいえ。誰よりも気高く、誰よりも正義感に溢れた……最高の『悪役令嬢』でしたよ」
「……正義感なんて、余計な一言ですわ」
私は顔を赤くしながら、差し出された紅茶を啜った。
これで、全ての障害は取り除かれた。
私の「悪役令嬢」としての物語は、いよいよ最高のクライマックスへと向かっていく。
窓の外では、カトレア様がジュリアン様に「今の私の立ち振る舞い、悪役っぽかったでしょうか!?」と興奮気味に報告している声が聞こえる。
「……さあ。いよいよ幕引きの時間ですわね、キース様」
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