断罪された悪役令嬢、「地獄へ落ちろ」と言われました。

ちゅんりー

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王都の喧騒が遠ざかり、街道の左右には見渡す限りの緑が広がり始めた。


馬車の窓から顔を出せば、鼻先をくすぐるのは排気ガスや馬糞の入り混じった都会の匂いではなく、澄んだ土と草の香りだ。


「ああ……なんていい匂い。これよ、これが『自由』の香りだわ!」


私は大きく深呼吸をして、座席にどっかと背を預けた。


「お嬢様、はしたないですよ。そんなに身を乗り出したら危ないですし、何より公爵令嬢としての矜持を……」


「アンナ、さっきからそればっかりね。いい? 今の私は『婚約破棄されて追放された、かわいそうな元お嬢様』なのよ? そんな人間が優雅に背筋を伸ばして座っていたら、かえって不自然じゃない」


「……開き直り方がプロの域ですね」


アンナは呆れたように肩をすくめたが、その手は手際よくトランクから銀の食器を取り出している。


「それよりアンナ、お腹が空かない? さっきの朝食からもう二時間も経っているわ」


「お嬢様、さっき馬車に乗る直前に、あんなに大きなクロワッサンを三つも食べたじゃないですか」


「あれは準備運動。本番はこれからよ。さあ、昨日買った『最新式魔導コンロ』の出番だわ!」


私は座席の下に押し込んでいた木箱を引っ張り出し、その上に小さな魔導コンロを設置した。


「お、お嬢様!? 揺れる馬車の中で火を使うつもりですか!? 火事になったらどうするんですか!」


「大丈夫よ、これは最新の『防振・耐火機能』付きだもの。ちょっとやそっとの揺れじゃお湯すらこぼれないわ。ほら、見てちょうだい」


私はコンロのスイッチを入れ、フライパンをセットした。


取り出したのは、王都でも指折りの精肉店で手に入れた、厚さ三センチはある特大のベーコンだ。


ジュー、という心地よい音とともに、脂の焼ける香ばしい匂いが馬車の中に充満する。


「うわぁ……いい音。この音を聞くだけで、これまでの妃教育のストレスが溶けていくわ……」


「……確かに、いい匂いですね。お腹が鳴りそうです」


アンナも抵抗を諦めたのか、ナイフとフォークを構えて私の手元を凝視している。


私はベーコンの隣で、これまた厳選した濃厚なチーズを溶かし、たっぷりのペッパーを振りかけた。


「さあ、王都特注のハードパンに挟んで……『さらば王都! 自由万歳サンド』の完成よ!」


私は熱々のサンドイッチを半分に割り、アンナに差し出した。


「いただきます、お嬢様。……んんっ!? 美味しい……! ベーコンの塩気とチーズのコクが、全粒粉のパンと完璧に調和しています!」


「でしょう? 王宮の食事は見た目ばかり綺麗で、味が薄くて物足りなかったもの。やっぱり、ガツンとくる脂と塩分こそが人生の潤滑油だわ」


私たちが夢中でサンドイッチを頬張っていると、不意に馬車が速度を落とした。


御者台の小窓が開き、初老の御者が顔を覗かせる。


「あの、お嬢様。……失礼ですが、あまりにもいい匂いがしてくるもので。何事かと思いまして」


「あら、ごめんなさいね。お腹が空いたから、ちょっと調理をしていたの。……良かったら、あなたも一口いかが?」


「えっ!? い、いいんですか? 私はしがない御者で……」


「遠慮はいらないわ。この馬車の中では、私がルールよ。美味しいものを共有するのは、北の地へ行くための団結力を高める重要な儀式なんだから」


私は余ったベーコンを多めに挟んだサンドイッチを、御者の男性に手渡した。


「……旨いっ! こんなに旨いサンドイッチ、生涯で初めてです! お嬢様、私は誓います。どんな雪道だろうと、魔物が出ようと、命懸けであなたを北の地までお送りします!」


「頼もしいわね。期待しているわよ」


御者は感激に震えながら再び馬を走らせた。心なしか、馬車の速度が上がった気がする。


窓の外を流れる景色は、徐々に険しい山道へと変わっていく。


「お嬢様、これから先は宿場町も少なくなります。北の地までは、あと二週間はかかるかと」


「二週間……。最高じゃない。毎日、新しい料理の実験ができるわね」


私はコンロの火を消し、満足げに胃袋をさすった。


王都にいた頃の私は、常に誰かの視線を気にし、望まない役割を演じ続けていた。


「ミュー、笑い方が下品だ」「ミュー、もっと淑女らしく歩け」


そんな言葉を浴びせてくる王子は、もうここにはいない。


あるのは、美味しい食べ物と、気心の知れた仲間。そして、広大な自由だけ。


「ねえ、アンナ。私、今が人生で一番幸せかもしれないわ」


「お嬢様……。まだ追放の旅が始まったばかりですよ? これからもっと寒くなりますし、死神と噂される辺境伯様との対面も待っているんですから」


「死神ねぇ。どんなに怖い顔をしていても、お腹は空くはずよ。……よし、決めたわ。辺境伯様には、私の最高傑作の料理を食べさせて、胃袋をがっちり掴んでやるんだから!」


私は拳を握り、遠くに見える雪を頂いた山々を見据えた。


悪役令嬢としての断罪? 王都からの追放?


それがどうした。


私の行く道には、いつだって芳醇なソースの香りと、溢れんばかりの希望が満ちているのだ。


馬車は、軽快な音を立てて北へと進んでいく。


私は再び、心地よい揺れに身を任せ、次の献立を考えながら深い眠りに落ちていった。
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