揺り籠の計略

桃瀬わさび

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傘と付箋 後 〚葵〛

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月曜日の朝、折り畳み傘にささやかなお礼を添えて昇降口で待つ。
夕方でもいいような気もしたが、ロッカーに置いている傘であれば帰りに渡されても迷惑だろうから。
しばらくして何人かの友人とともに志摩がやってきた。
この学校で最も目立つ人たちだけど、志摩が一番目を惹く。
どうしてだか、知らない誰かの頭越しに見える志摩から目が離せなかった。

―――どうしよう、あの集団に話しかけるなんて、………無理だ。出直そう。放課後にでも渡せばいい。

「―――あおい?」

しまった。
じっと見すぎていたせいで、気づかれてしまった。
傘に目を留めた志摩が、集団から抜け出て駆け寄ってくる。
名前を呼ばれて、目を細めて見つめられて、胸のあたりがきゅうっとなった。

「あ、の…………。これ、ありがとう。助かった。」

なんとか言葉を絞り出せば、「いーのいーの、カメラ濡れたら困るでしょー、すごい雨だったけど大丈夫だった?」なんて返してくる。
そりゃお前だろー!集合場所にずぶ濡れで来たくせに!
そうやって友人たちが混ぜっ返すと、今度はうるせーなんてむくれた声。
くるくる変わる表情に、明るい笑顔に、見とれて。
―――この笑顔を、撮りたい。

「わざわざお礼まで、却ってわりーな。じゃあまた放課後。」

軽く手を挙げた志摩が去っても、そこに立ち竦んでいた。





放課後は、毎日グラウンドだ。
とにかく活動費のかかる写真部の大事な収入源が、他の部活の活動写真。
文化祭や体育祭、その部の試合の日などに日頃の練習風景なんかを販売すると、親御さんや生徒たちによく売れる。
だから、写真部に所属して写真の腕を確認された後、そこそこ使えると判断された俺は陸上部を撮ることになった。
屋外の部活は、光の調整が難しい。
そして走る相手を躍動感のまま写し取るのも、腕の見せどころ。
シャッタースピードを早く設定して流すように撮ったり、トラックのカーブあたりに陣取ってアングルを変えて撮影したり、ハイジャンプをあおりで写したり。

カメラに没頭してると、周りの雑音がすべて消える。
眼と指先にすべての神経を集中させて、ファインダーの向こうを透かし見る。
被写体の飛び散る汗すら見えるような集中のなかシャッターボタンに指を掛けたら、タイムを測る志摩とファインダー越しに目があった。

―――現像した写真は、ひどくブレていた。






昼休みは、愛想笑いに疲れた俺の休憩時間。
弟や妹のように綺麗には笑えなくても、せめて不快感を与えないようとする微笑みは、もはや顔に貼り付いた。
それでも、教室の中は息苦しくて、いつも図書室の裏でもそもそとパンを食べる。
晴れの日も雨の日も通用口に腰掛けて食べれば、天気や季節の移り変わりに心が落ち着いた。
ご飯を済ませたら、図書室へ。
借りていた本を返して、次の本を物色する。
ふと、1冊の本が棚からすこしはみ出てるのが気になった。装丁は好みだが、あまり読まないジャンル。
読んだことない作家の本だけど、面白いんだろうか?。

―――志摩は読んだのかな。

いつもの判断のため、本の裏表紙を開いて貸出記録を取り出す。
くるりと裏返して―――そこにふせんが貼ってあった。

『この本面白いよ。オススメがあったら教えてくれ。』

この字、知ってる。
すこし傾いた独特の字。―――志摩の字だ。
宛名も差出人もないただの付箋。それを大事に本に挟み、帰路についた。


その小説は、控えめに言って面白かった。
学校帰りに読み始めて、そのまま深夜まで読み耽ってしまうくらいに。
少年たちの冒険譚は、自分ではきっと借りなかった。
貸出記録の、付箋を取り出して、また眺める。
少し悩んで新しいノートにそれを貼り、横に本のタイトルを書いた。
明日返すとき、オススメの本を選んでおこう。





奇妙な文通は、それから始まった。
俺のオススメに対し、志摩が『オススメ、すげー面白かった。あの展開にはマジでびびった。次はこれ。面白いぜ。』とちょっとした感想を加えて返して来て以来、こちらも一言感想をつけて返す。
二三日に一度、ときには連日のそのやり取りは、すぐに俺の特別になった。
借りている本があるときでも図書室に行き、でっぱった本があればそれを借りる。
志摩の感想はいつも俺とは違った捉え方をしていて、面白い。
繊細で大胆な視点は、好きすぎて読み飽きた小説さえ新鮮に見せた。

―――ファインダー越しの彼は太陽みたいだけど、実はそんな一面もあるんだ。

そんな発見は、灰色の日々を明るく彩った。








合図とともに、志摩が走る。
たくさんのハードルを、勢いよく飛び越えて、風みたいに。

ゴールして、タイムを確認して、破顔する。




夏の陽射しの中輝くそれが、フィルムと心に灼きついた。


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