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こいつなら、絶対 前 〚早苗〛
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葵との生活は、幸福だけれど忍耐の日々だ。
自分がそういう対象に見られるなんて全く思っていない葵は、とにかく無防備。
俺がソファに座っていると寄ってきてちょこんと隣に腰掛けるし、湿った髪のままお風呂から出て来たりもする。
なんでも、いつも深夜に風呂に入っていたからドライヤーを使うことが許されていなかったらしい。
見かねてドライヤーを持ってきて乾かしてみたら、気持ちよさそうに目を細めるから思わずつむじにキスをした。
少し赤くなりながらも微笑む姿に押し倒そうと思ったのも一度や二度ではない。
首筋の傷痕の治療も俺がする。
少し大きめのパジャマ――おそらくニセモノのお下がり――のボタンを躊躇いなくぷちぷちと外し、首を露出させる姿は据え膳にしか見えない。
なんど見ても憎らしい傷痕が無ければ、きっと欲を抑えることはできなかった。
極めつけは、『抱き枕』。
初日に抱き枕と言って抱いて寝たし、次の日は冗談半分で誘ってみた。
真っ赤になって逡巡し、けれど恥ずかしがる方がおかしいかも、と聞こえてきそうな悩み顔で結局頷くからもう本当にどうしてやろうかと思った。
従順というかなんというか、流されやすすぎて心配になる。
そのくせ、志摩を見ていたような焦がれる視線は全然向けてこない。
はやく俺に堕ちればいいのに。
………本当、ちょろいんだか手ごわいんだか。
ニセモノとの戦いですっかり忘れていた懸念も、再燃した。
志摩。
どこまでもフェアな中学からの親友は、葵と一度話したいということまで俺に伝えてきた。
「一度葵に会って、話したい。いつもの方法で連絡して、来てくれるまで図書室で待つつもりだ。………いいか?」
いいか?なんて聞かれたら、嫌だとは言えない。
本当は、すごくすごく嫌だ。
まだ、葵の心がどこにあるのか、もう志摩への気持ちの整理がついたのかもわかっていないのに。
――仮に整理がついていたとしても、あれだけ焦がれていた男と話して、平静でいられるだろうか?
無理矢理にしまいこんだ恋心が、ふいに飛び出してきて胸をいっぱいにするのではないだろうか。
けれど、志摩に嫌だという権利は俺にはない。
せめて焦りは見せないようにして、ひとつ頷くしか、なかった。
✢
志摩と葵の様子を伺う毎日は、一週間ほどで終わりを告げた。
いつものように昼休みに出ていった志摩を見送り、シオとナベの追及を逸らしながら志摩の帰りを待って。
けれど、午後の授業が始まっても、志摩は戻ってこなかった。
――会えたのか。
いま、ふたりで、話しているのか。
図書室の光景を思い浮かべるだけでぎりぎりと胸が痛んで、きつく唇を噛み締めた。
志摩が戻ってきたのは、次の休み時間。
お前サボりかー、どこ行ってたんだよー、なんていうシオとナベの向こうの志摩を、何も言えずに見つめる。
少し目が赤い……泣いたのか。
「っはは!早苗、なんて顔してんだ!」
その志摩が、俺を見て弾けるように笑った。
なんて顔と言われても、………そんなひどい顔をしていただろうか?
少し顔を顰めたら、志摩が目配せして教室を出ていった。
間違いなく、葵の話だ。
聞きたくないことでも、目を背けることはできない。
ふたりにバレないように少し時間を置いて追いかければ、廊下で志摩が待っていた。
向かった先は、屋上。
始業のチャイムが鳴る中、晴れた空の下で志摩の後ろ姿を眺める。
屋上のフェンス越しに、いつも放課後を過ごすグラウンドと、その向こうの街並みが見える。
――葵も、教室に戻ったんだろうか。
沈黙の中、ただ、志摩の背中を見つめる。
男から見ても、見惚れる男だ。
すらりと伸びた背に、広い肩。
整った顔立ちなのに誰とでもきさくに、分け隔てなく接する。
男女関係なく告白され、断ってもその後も今まで通り接するから、こいつを悪くいうやつを見たことがない。
けれど、何人から告白されても、こいつが誰かと付き合うことはなかった。
「なんとなく違う気がする。」そんなふうにこぼした志摩が、きっと初めて惚れた相手。
――こいつなら、絶対、葵を幸せにできるだろう。
奥歯を噛み締めて目を伏せれば、頭がつよくはたかれた。
「あーくそ。そんな顔すんなよ。悔しーのは俺だろ。」
悔しいって、なんだ。
今日、葵と話したんじゃないのか。
そして――考えたくもない結果に、なったんじゃないのか。
「好きでしたって、言われたよ。」
ぽつりとこぼした志摩が、俺を見て眉を下げて笑う。
悲しいけど嬉しくて、切ないけど満足したような、色々な感情の詰まった微笑み。
「もともと、俺が馬鹿だったんだ。あんなに側にいたのに、気づかなかった。そんで、最低な間違いをして――だけど、葵は何も言わずに、俺の話を聞いてくれた。………そんで、好きだったなんて言ってもらえりゃ、……………充分だろ。」
自分に言い聞かすような言葉。
ほんのすこし声が震えているけど、にっと無理矢理に笑って。
その笑顔に、ぎしぎしと心が軋む。
――俺の招いたことだ。俺の、欲の、結果だ。
だから、俺はこいつに掛ける言葉のひとつも、持たない。
ただ、深く頭を下げるしか。
「やーめーろ。俺は満足してんだから。俺が馬鹿でフラレただけだ。………それに、応援するって、言ったろ。」
がしがしと乱雑に髪が乱され、もう一度頭がはたかれる。
でもやっぱくやしーから、これは八つ当たり。
そう言ってからりと笑った志摩に、目頭が熱くなった。
ほんとに、お人好しだ。
――ありがとう。ぜったい、大切にする。
喉が詰まって言葉にならなかったけど、強く、強く、誓った。
自分がそういう対象に見られるなんて全く思っていない葵は、とにかく無防備。
俺がソファに座っていると寄ってきてちょこんと隣に腰掛けるし、湿った髪のままお風呂から出て来たりもする。
なんでも、いつも深夜に風呂に入っていたからドライヤーを使うことが許されていなかったらしい。
見かねてドライヤーを持ってきて乾かしてみたら、気持ちよさそうに目を細めるから思わずつむじにキスをした。
少し赤くなりながらも微笑む姿に押し倒そうと思ったのも一度や二度ではない。
首筋の傷痕の治療も俺がする。
少し大きめのパジャマ――おそらくニセモノのお下がり――のボタンを躊躇いなくぷちぷちと外し、首を露出させる姿は据え膳にしか見えない。
なんど見ても憎らしい傷痕が無ければ、きっと欲を抑えることはできなかった。
極めつけは、『抱き枕』。
初日に抱き枕と言って抱いて寝たし、次の日は冗談半分で誘ってみた。
真っ赤になって逡巡し、けれど恥ずかしがる方がおかしいかも、と聞こえてきそうな悩み顔で結局頷くからもう本当にどうしてやろうかと思った。
従順というかなんというか、流されやすすぎて心配になる。
そのくせ、志摩を見ていたような焦がれる視線は全然向けてこない。
はやく俺に堕ちればいいのに。
………本当、ちょろいんだか手ごわいんだか。
ニセモノとの戦いですっかり忘れていた懸念も、再燃した。
志摩。
どこまでもフェアな中学からの親友は、葵と一度話したいということまで俺に伝えてきた。
「一度葵に会って、話したい。いつもの方法で連絡して、来てくれるまで図書室で待つつもりだ。………いいか?」
いいか?なんて聞かれたら、嫌だとは言えない。
本当は、すごくすごく嫌だ。
まだ、葵の心がどこにあるのか、もう志摩への気持ちの整理がついたのかもわかっていないのに。
――仮に整理がついていたとしても、あれだけ焦がれていた男と話して、平静でいられるだろうか?
無理矢理にしまいこんだ恋心が、ふいに飛び出してきて胸をいっぱいにするのではないだろうか。
けれど、志摩に嫌だという権利は俺にはない。
せめて焦りは見せないようにして、ひとつ頷くしか、なかった。
✢
志摩と葵の様子を伺う毎日は、一週間ほどで終わりを告げた。
いつものように昼休みに出ていった志摩を見送り、シオとナベの追及を逸らしながら志摩の帰りを待って。
けれど、午後の授業が始まっても、志摩は戻ってこなかった。
――会えたのか。
いま、ふたりで、話しているのか。
図書室の光景を思い浮かべるだけでぎりぎりと胸が痛んで、きつく唇を噛み締めた。
志摩が戻ってきたのは、次の休み時間。
お前サボりかー、どこ行ってたんだよー、なんていうシオとナベの向こうの志摩を、何も言えずに見つめる。
少し目が赤い……泣いたのか。
「っはは!早苗、なんて顔してんだ!」
その志摩が、俺を見て弾けるように笑った。
なんて顔と言われても、………そんなひどい顔をしていただろうか?
少し顔を顰めたら、志摩が目配せして教室を出ていった。
間違いなく、葵の話だ。
聞きたくないことでも、目を背けることはできない。
ふたりにバレないように少し時間を置いて追いかければ、廊下で志摩が待っていた。
向かった先は、屋上。
始業のチャイムが鳴る中、晴れた空の下で志摩の後ろ姿を眺める。
屋上のフェンス越しに、いつも放課後を過ごすグラウンドと、その向こうの街並みが見える。
――葵も、教室に戻ったんだろうか。
沈黙の中、ただ、志摩の背中を見つめる。
男から見ても、見惚れる男だ。
すらりと伸びた背に、広い肩。
整った顔立ちなのに誰とでもきさくに、分け隔てなく接する。
男女関係なく告白され、断ってもその後も今まで通り接するから、こいつを悪くいうやつを見たことがない。
けれど、何人から告白されても、こいつが誰かと付き合うことはなかった。
「なんとなく違う気がする。」そんなふうにこぼした志摩が、きっと初めて惚れた相手。
――こいつなら、絶対、葵を幸せにできるだろう。
奥歯を噛み締めて目を伏せれば、頭がつよくはたかれた。
「あーくそ。そんな顔すんなよ。悔しーのは俺だろ。」
悔しいって、なんだ。
今日、葵と話したんじゃないのか。
そして――考えたくもない結果に、なったんじゃないのか。
「好きでしたって、言われたよ。」
ぽつりとこぼした志摩が、俺を見て眉を下げて笑う。
悲しいけど嬉しくて、切ないけど満足したような、色々な感情の詰まった微笑み。
「もともと、俺が馬鹿だったんだ。あんなに側にいたのに、気づかなかった。そんで、最低な間違いをして――だけど、葵は何も言わずに、俺の話を聞いてくれた。………そんで、好きだったなんて言ってもらえりゃ、……………充分だろ。」
自分に言い聞かすような言葉。
ほんのすこし声が震えているけど、にっと無理矢理に笑って。
その笑顔に、ぎしぎしと心が軋む。
――俺の招いたことだ。俺の、欲の、結果だ。
だから、俺はこいつに掛ける言葉のひとつも、持たない。
ただ、深く頭を下げるしか。
「やーめーろ。俺は満足してんだから。俺が馬鹿でフラレただけだ。………それに、応援するって、言ったろ。」
がしがしと乱雑に髪が乱され、もう一度頭がはたかれる。
でもやっぱくやしーから、これは八つ当たり。
そう言ってからりと笑った志摩に、目頭が熱くなった。
ほんとに、お人好しだ。
――ありがとう。ぜったい、大切にする。
喉が詰まって言葉にならなかったけど、強く、強く、誓った。
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