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「……温度、九十二・五度。蒸らし時間は三分十二秒。茶葉の対流速度は、理論値通り。完璧な抽出工程ですわ」
私は、魔導熱源機を用いて精密に管理されたポットを見つめ、満足げに頷きました。
ここは、外壁塗装も終わり(一部、王子の指紋がペンキに埋もれていますが)、すっかり「要塞」兼「快適な我が家」へと進化した別荘のテラスです。
初夏の風が通り抜けるこの場所は、空気抵抗と日照時間の計算上、ティータイムに最も適したスポットと言えます。
「相変わらず、茶を淹れる様子が精密機器の起動実験のようだな、セリーナ嬢」
テラスの椅子に、これ以上ないほど優雅に腰掛けているのはレオナード殿下です。
彼は、私が差し出したカップを受け取り、その香りを深く吸い込みました。
「失礼な。茶葉に含まれるカテキンとアミノ酸の抽出を最適化しているだけですわ。殿下、その一口で、私の精密な計算を無駄にしないでくださいましね?」
「ふっ……。プレッシャーが凄いな。だが、この香りは……確かに、我が国の王宮で最高の茶師が淹れるものよりも、雑味がなくて澄んでいる」
レオナード殿下が一口含み、その切れ長な目を細めました。
その仕草があまりに絵になりすぎて、背景にバラの花でも咲きそうな勢いですが、私は冷静にスコーンにクロテッドクリームを塗りつけます。
「当然ですわ。水に含まれる不純物を魔導フィルターで除去し、茶葉の酸化具合に合わせて火力を秒単位で調整しておりますもの。美味しさとは、適切な化学反応の結果に過ぎませんわ」
「君が言うと、ロマンもへったくれもないな。……だが、不思議だ。論理だの効率だのと、可愛げのない言葉を並べ立てる君の淹れた茶が、これほどまでに『優しい』味がするのはなぜだろうな」
「それは、殿下の味覚センサーが私の毒舌で麻痺しているからではないかしら?」
「ははは! それもあるかもしれん」
レオナード殿下は声を上げて笑いました。
「氷の王子」などという二つ名が、今の彼には全く似合いません。
「……殿下。一つ、伺ってもよろしいかしら?」
「何かな? 追加のライセンス料の話以外なら、何でも答えよう」
「殿下の国……ヴァレンタイン王国では、殿下はもっとこう、近寄りがたく、感情を凍らせたような方だと聞き及んでおりました。ですが、ここで私が見ている殿下は、どう贔屓目に見ても『笑い上戸の物好き』にしか見えませんわ。この矛盾をどう説明なさるおつもり?」
私は紅茶を一口飲み、鋭い視線を彼に向けました。
データの不一致は、合理主義者として見過ごせません。
「……矛盾、か。確かにそうだな」
レオナード殿下は、カップを置いて、遠くの森を見つめました。
「私の国では、王子は常に『正解』であることを求められる。弱さを見せず、無駄を削ぎ落とし、完璧な氷の像であること。……だが、君に会って、考えが変わった」
「私に? 私の何が、殿下の完璧主義を壊したと言うのです」
「君だよ。君は『無駄を省く』と言いながら、誰よりも泥だらけになって壁を塗り、誰も見向きもしない村の経済を救おうとしている。君の合理主義の根底には、いつも『自分の足で立ち、自分の人生を肯定する』という、泥臭いほどの熱がある」
レオナード殿下が私に向き直りました。
「それを見ていると、氷の像でいるのが馬鹿らしくなってね。君が毒を吐くたびに、私の周りの凍りついた空気が、心地よく溶けていくのを感じるんだ」
「…………」
突然の、真っ直ぐすぎる肯定。
計算外。全くの計算外ですわ!
私の脳内の論理回路が、一瞬でオーバーヒートを起こしそうになります。
「……で、殿下。今の発言は、公爵令嬢に対する過剰な情緒的アプローチ……つまり、ナンパと受け取ってもよろしいのかしら? その場合、私の返答次第では、国際問題に発展する可能性もありますけれど?」
「ナンパ、か。ふむ、否定はしない。私は、君という『合理的で、予測不能で、世界で一番面白い女性』に、どうしようもなく惹かれている自覚があるからな」
レオナード殿下は、楽しげに目を細めて私を覗き込んできました。
「なっ……! じ、自覚があるなら、もっとこう、婉曲的な表現というものがあるでしょう! 殿下、貴族の嗜みである『花に例えた愛の告白』の授業はサボられたのですか!?」
「君には、花よりも『理論』の方が通じるかと思ってね」
「通じませんわ! 私の理論に『王子の気まぐれな好意』という変数は組み込まれておりませんの!」
私は顔を真っ赤にして(これはテラスの気温上昇のせいですわ!)、勢いよく立ち上がりました。
「お茶は終わりですわ! これ以上の会話は、私の業務効率を著しく低下させます! 殿下、さっさと自分の領地へ帰って、溜まっているであろう公務を爆速で片付けてきてくださいまし!」
「……くく、分かったよ。また追い出されてしまったな」
レオナード殿下は名残惜しそうに立ち上がると、私の手を取り、その甲に軽く唇を落としました。
「では、また明日。……明日の『入館料』は、何がいいかな? 君が驚くような、珍しい魔導触媒でも探してこよう」
「……高級な魔石なら、いつでも歓迎いたしますわよ!」
殿下が馬に乗って去っていく背中を見送りながら、私は自分の頬が熱いことに気づきました。
「お嬢様、またしても敗北ですわね」
ベティが、いつの間にか後ろに立ってニヤニヤしていました。
「敗北!? 何の事かしら。私は彼を物理的に追い払ったのですから、戦略的勝利ですわ!」
「顔が真っ赤な勝利宣言なんて、聞いたことがありませんわよ?」
「……ベティ。あなた、給料五パーセントカットされたいのかしら?」
「ひえっ! ごめんなさいお嬢様! 後片付けは私がやりますから!」
私はテラスを後にし、自室へ逃げ込むように戻りました。
合理性。効率。論理。
私の人生を支えるそれらが、たった一人の「氷の王子」の笑顔によって、ガラガラと崩れ去っていく。
「……まったく。毒を盛られたのは、私の方かもしれませんわね」
私は鏡に映った、自分の妙に上機嫌な顔を睨みつけました。
この熱を冷却するための計算式は、残念ながら、どの専門書にも載っていませんでした。
私は、魔導熱源機を用いて精密に管理されたポットを見つめ、満足げに頷きました。
ここは、外壁塗装も終わり(一部、王子の指紋がペンキに埋もれていますが)、すっかり「要塞」兼「快適な我が家」へと進化した別荘のテラスです。
初夏の風が通り抜けるこの場所は、空気抵抗と日照時間の計算上、ティータイムに最も適したスポットと言えます。
「相変わらず、茶を淹れる様子が精密機器の起動実験のようだな、セリーナ嬢」
テラスの椅子に、これ以上ないほど優雅に腰掛けているのはレオナード殿下です。
彼は、私が差し出したカップを受け取り、その香りを深く吸い込みました。
「失礼な。茶葉に含まれるカテキンとアミノ酸の抽出を最適化しているだけですわ。殿下、その一口で、私の精密な計算を無駄にしないでくださいましね?」
「ふっ……。プレッシャーが凄いな。だが、この香りは……確かに、我が国の王宮で最高の茶師が淹れるものよりも、雑味がなくて澄んでいる」
レオナード殿下が一口含み、その切れ長な目を細めました。
その仕草があまりに絵になりすぎて、背景にバラの花でも咲きそうな勢いですが、私は冷静にスコーンにクロテッドクリームを塗りつけます。
「当然ですわ。水に含まれる不純物を魔導フィルターで除去し、茶葉の酸化具合に合わせて火力を秒単位で調整しておりますもの。美味しさとは、適切な化学反応の結果に過ぎませんわ」
「君が言うと、ロマンもへったくれもないな。……だが、不思議だ。論理だの効率だのと、可愛げのない言葉を並べ立てる君の淹れた茶が、これほどまでに『優しい』味がするのはなぜだろうな」
「それは、殿下の味覚センサーが私の毒舌で麻痺しているからではないかしら?」
「ははは! それもあるかもしれん」
レオナード殿下は声を上げて笑いました。
「氷の王子」などという二つ名が、今の彼には全く似合いません。
「……殿下。一つ、伺ってもよろしいかしら?」
「何かな? 追加のライセンス料の話以外なら、何でも答えよう」
「殿下の国……ヴァレンタイン王国では、殿下はもっとこう、近寄りがたく、感情を凍らせたような方だと聞き及んでおりました。ですが、ここで私が見ている殿下は、どう贔屓目に見ても『笑い上戸の物好き』にしか見えませんわ。この矛盾をどう説明なさるおつもり?」
私は紅茶を一口飲み、鋭い視線を彼に向けました。
データの不一致は、合理主義者として見過ごせません。
「……矛盾、か。確かにそうだな」
レオナード殿下は、カップを置いて、遠くの森を見つめました。
「私の国では、王子は常に『正解』であることを求められる。弱さを見せず、無駄を削ぎ落とし、完璧な氷の像であること。……だが、君に会って、考えが変わった」
「私に? 私の何が、殿下の完璧主義を壊したと言うのです」
「君だよ。君は『無駄を省く』と言いながら、誰よりも泥だらけになって壁を塗り、誰も見向きもしない村の経済を救おうとしている。君の合理主義の根底には、いつも『自分の足で立ち、自分の人生を肯定する』という、泥臭いほどの熱がある」
レオナード殿下が私に向き直りました。
「それを見ていると、氷の像でいるのが馬鹿らしくなってね。君が毒を吐くたびに、私の周りの凍りついた空気が、心地よく溶けていくのを感じるんだ」
「…………」
突然の、真っ直ぐすぎる肯定。
計算外。全くの計算外ですわ!
私の脳内の論理回路が、一瞬でオーバーヒートを起こしそうになります。
「……で、殿下。今の発言は、公爵令嬢に対する過剰な情緒的アプローチ……つまり、ナンパと受け取ってもよろしいのかしら? その場合、私の返答次第では、国際問題に発展する可能性もありますけれど?」
「ナンパ、か。ふむ、否定はしない。私は、君という『合理的で、予測不能で、世界で一番面白い女性』に、どうしようもなく惹かれている自覚があるからな」
レオナード殿下は、楽しげに目を細めて私を覗き込んできました。
「なっ……! じ、自覚があるなら、もっとこう、婉曲的な表現というものがあるでしょう! 殿下、貴族の嗜みである『花に例えた愛の告白』の授業はサボられたのですか!?」
「君には、花よりも『理論』の方が通じるかと思ってね」
「通じませんわ! 私の理論に『王子の気まぐれな好意』という変数は組み込まれておりませんの!」
私は顔を真っ赤にして(これはテラスの気温上昇のせいですわ!)、勢いよく立ち上がりました。
「お茶は終わりですわ! これ以上の会話は、私の業務効率を著しく低下させます! 殿下、さっさと自分の領地へ帰って、溜まっているであろう公務を爆速で片付けてきてくださいまし!」
「……くく、分かったよ。また追い出されてしまったな」
レオナード殿下は名残惜しそうに立ち上がると、私の手を取り、その甲に軽く唇を落としました。
「では、また明日。……明日の『入館料』は、何がいいかな? 君が驚くような、珍しい魔導触媒でも探してこよう」
「……高級な魔石なら、いつでも歓迎いたしますわよ!」
殿下が馬に乗って去っていく背中を見送りながら、私は自分の頬が熱いことに気づきました。
「お嬢様、またしても敗北ですわね」
ベティが、いつの間にか後ろに立ってニヤニヤしていました。
「敗北!? 何の事かしら。私は彼を物理的に追い払ったのですから、戦略的勝利ですわ!」
「顔が真っ赤な勝利宣言なんて、聞いたことがありませんわよ?」
「……ベティ。あなた、給料五パーセントカットされたいのかしら?」
「ひえっ! ごめんなさいお嬢様! 後片付けは私がやりますから!」
私はテラスを後にし、自室へ逃げ込むように戻りました。
合理性。効率。論理。
私の人生を支えるそれらが、たった一人の「氷の王子」の笑顔によって、ガラガラと崩れ去っていく。
「……まったく。毒を盛られたのは、私の方かもしれませんわね」
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