婚約破棄される前に、帰らせていただきます!

パリパリかぷちーの

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「……なんだ、この紙の束は。嫌がらせなら、もう十分だろう」


王宮の廊下で、ジュリアンが力なく呟いた。
その手には、先ほどクロナが「お土産」として手渡した、辞書のように分厚い書類の束が握られている。


「嫌がらせだなんて、心外ですわ。それは私の『七年間の青春に対する清算見積書』……平たく言えば、慰謝料の請求書ですわよ」


クロナは、立ち止まって優雅に振り返った。
その手には、予備の算盤(そろばん)が握られている。


「慰謝料……? 婚約を解消したのは君の方だろう! 僕が請求される筋合いなど――」


「あら。殿下、一ページ目をご覧くださいな。そこには、殿下がリリィ様との密会のために、私の名義で私的に利用された馬車代、及び軽食代が、一円単位で記されていますわ」


ジュリアンが、震える指でページを捲った。


「『〇月〇日、秘密のピクニック用サンドイッチ代:金貨二枚』……『〇月〇日、愛の逃避行シミュレーション用馬車レンタル:金貨五枚』……なっ、なぜこんな細かいことまで知っているんだ!」


「我がロベール侯爵家の情報網を舐めないでいただきたいわ。……あ、三ページ目からは『代筆論文の正当な執筆報酬』が続きます。私の頭脳は、マリス王国の平均的な官僚十人分に相当しますので、時給換算すると……ふふ、恐ろしい額になりますわよ」


「時給……!? 婚約者同士の助け合いに、時給を請求するつもりか!」


「『助け合い』は、お互いに助け合うから成立する言葉ですわ。殿下から私へ、何か一つでも有益な提供がございましたかしら? 強いて言えば、反面教師としての素晴らしい教材費くらいですわね」


クロナがパチンと指を鳴らすと、サーシャが横から補足を入れた。


「お嬢様、十ページ目の『忍耐料』も忘れてはなりません。殿下の寒いポエムを真顔で聞き流すための精神的苦痛、及び表情筋の酷使に対する手当でございます」


「ああ、そうだったわね。サーシャ、よく気がついてくれたわ。殿下、その項目は特別割引を適用してありますが、それでも金貨五十枚ほど頂戴いたしますわ」


「ポエムを聞くのに金を取るのか!?」


ジュリアンの絶叫が廊下に響き渡る。
彼は必死にページを捲り続けた。だが、捲っても捲っても、終わりのない数字の羅列が続いている。


「……最終的な合計額は、いくらになるんだ」


「そうね……。殿下の現在の月額お小遣いを基準に換算しますと、おおよそ『百二十年分』といったところかしら」


「ひゃ、百年以上……!? そんなの、一生かかっても払えるわけがないだろう!」


「あら、ご安心なさい。殿下が払えないことは、最初から計算済みですわ」


クロナは、冷徹な微笑みを浮かべて一歩近づいた。


「ですので、その債権は既に『マリス王国財務局』、及び『隣国のゼクス公爵家』に譲渡いたしました。……殿下、明日からは私にではなく、国家と隣国に対して、文字通り『身を粉にして』働いて返していただきますのよ」


「債権譲渡……!? 君、勝手なことを!」


「勝手ではありませんわ。法的に正当な手続きです。……あ、言い忘れておりましたわね。リリィ様にも、同様の請求書を発送済みですわ。彼女の男爵家、今頃は家財道具の一つまで差し押さえの赤い紙が貼られている頃かしら?」


「リリィまで……! クロナ、君は、君という女は……!」


「感謝していただきたいくらいですわ。これで殿下とリリィ様は、ようやく『金銭という不浄なもの』に縛られない、清らかな愛を育めるのですもの。……まあ、食べるものに困って、愛を囁く気力があればの話ですけれど」


クロナは、ジュリアンの手から請求書をひったくると、彼の胸元にこれでもかと強く押し付けた。


「さあ、殿下。その紙の重みを、しっかりと心に刻んでくださいな。……それは、私が貴方に捧げて無駄にした時間の重さそのものですわ」


「クロナ……」


「では、私は失礼します。明日のパーティー、殿下の『情けない晴れ姿』を拝見するのを、心から楽しみにしておりますわね」


クロナは、今度こそ振り返らずに歩き出した。


背後でジュリアンが膝をつき、バラバラと請求書の紙が床に散らばる音が聞こえたが、彼女の心は驚くほど軽やかだった。


「お嬢様、百二十年分というのは、少し盛りすぎではありませんでしたか?」


「いいえ、サーシャ。利息を含めれば、むしろ安いくらいよ。……それに、あの王子が一生かけても返せないという絶望を知ること、それが最高の娯楽(エンターテインメント)だと思わない?」


「……本当にお嬢様、性格がよろしい……いえ、最高に合理的でいらっしゃいますわ」


「褒め言葉として受け取っておくわ。……さて、屋敷に帰って、ゼクス閣下への報告書を仕上げましょう。彼なら、この百二十年分の計算式を見て、きっとこう仰るわ。『効率が悪い、あと十年は上乗せできたはずだ』って」


クロナはクスクスと笑いながら、王宮の長い廊下を、光の方へと進んでいった。


彼女の計算によれば、明日という日は、彼女の人生における「最高益」を叩き出す記念すべき日になるはずだった。
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