最強の悪役令嬢、婚約破棄で逃げます!

パリパリかぷちーの

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「見てください、この赤い線! これが私の残業時間です! そして下の青い線、これが殿下の『実働時間』です! ほぼ横ばい、いえ、むしろマイナスに突入しています!」

カグヤの声が、静まり返った舞踏会場に朗々と響き渡る。

彼女が指し示すフリップ(アレンが満面の笑みで掲げている)には、衝撃的なグラフが描かれていた。

赤い線はエベレスト登山のごとく急上昇し、天井を突き破らんばかりの勢い。
対して青い線は、地を這うミミズのように低空飛行を続けている。

「な、なんだそのグラフは! 捏造だ!」

ヘリオスが叫ぶ。

「捏造ではありません。王宮の入退室記録および業務日誌に基づいた正確なデータです」

カグヤは冷徹に切り捨てた。

「皆様、ご存じでしょうか? 我が国の『輝かしい外交成果』の九割が、深夜二時から四時の間に作成された書類によって生み出されていることを!」

会場がざわめく。

「深夜二時……?」
「まさか、殿下が寝ている間に?」
「全部カグヤ嬢がやっていたのか……?」

「アレン、次のスライド!」

「御意」

アレンが華麗な手つきで紙をめくる。
そこには、『ヘリオス殿下の失言・ミス発生件数と、その尻拭いコスト』というタイトルと共に、円グラフが描かれていた。

「ご覧ください。この圧倒的な『オレンジ色の部分』。これは殿下が『マニュアルを読まずに勘で動いた』結果、発生したトラブルの割合です。全体の八十五パーセントを占めています!」

「ぐはっ……!」

ヘリオスが胸を押さえる。

「具体的な事例を挙げましょう。昨年の夏、隣国との『友好条約』締結の際、殿下は相手国の国鳥である『ハゲワシ』を『美味しそうなチキンですね』と評しました」

会場から「ヒッ……」という悲鳴が上がる。

「その直後、私が裏で『あれは我が国の最高級の賛辞です』と嘘の解説書をでっち上げ、さらに金貨五百枚相当の貢物を贈って揉み消しました。これが『チキン事件』の全貌です!」

「や、やめろ! その話は墓まで持っていく約束だろう!」

「約束? 雇用契約が破綻した今、守秘義務など存在しません!」

カグヤは指示棒でバンバンとフリップを叩いた。

「ミナ様、補足資料を!」

「はいっ! こちらが当時の『お詫び状(下書き)』ですぅ! カグヤ様の涙の跡がついてます!」

ミナが証拠品を客席に見せびらかして回る。

「なんてことだ……」
「我々はカグヤ嬢の犠牲の上に立っていたのか……」
「殿下、酷すぎる……」

会場の空気が、急速に「カグヤ同情ムード」へと傾いていく。
特に、日頃から激務に追われている文官や貴族たちの目には、涙すら浮かんでいた。

「衛兵! 衛兵は何をしている! こいつを摘み出せ!」

ヘリオスが狂乱して叫ぶ。
しかし、駆けつけた衛兵たちは、カグヤのプレゼンに釘付けになっていた。

「おい、見ろよあのグラフ……俺たちの勤務表より酷いぞ」
「カグヤ様、あんなに働いてたのか……」
「摘み出すなんてできねぇよ……」

「ええい、役立たずどもめ!」

ヘリオスが地団駄を踏む中、カグヤは最後のフリップを指示した。

「アレン、ラストよ!」

「はいよ。一番重要なやつだね」

めくられたフリップには、天秤の絵が描かれていた。
片方には『王太子妃の座』。
もう片方には『自由と睡眠』。

そして、『自由と睡眠』の方が圧倒的に重く、下がっている。

「結論を申し上げます」

カグヤはマイクを置き、生の声で語りかけた。

「私は計算しました。殿下の婚約者として生きるコストと、得られるリターンを。その結果、投資対効果(ROI)はマイナス一億パーセントであると判明しました」

シーン……。

「よって!」

カグヤは高らかに宣言した。

「私は本日をもって、王太子ヘリオス殿下との一切の関係を断ち切ります! これは『痴話喧嘩』ではありません! 『ブラック企業からの退職宣言』です!」

彼女はドレスの裾を翻し、ビシッとヘリオスを指差した。

「殿下! 貴方はもう大人です! 自分の尻は自分で拭いてください! 私は私の人生(スローライフ)を歩みます!」

その瞬間。

パチ……パチパチ……。

会場の隅から、拍手が聞こえた。
それは次第に広がり、大きくなり、やがて雷鳴のような喝采となってホールを揺るがした。

「ブラボー!」
「よく言った!」
「カグヤ嬢、万歳!」
「退職おめでとう!」

貴族たちが、文官たちが、そして他国の来賓たちが、スタンディングオベーションを送っている。
中には「私にもそのマニュアルを売ってくれ!」と叫ぶ他国の王族もいた。

「な、なんだこれは……」

ヘリオスは呆然と立ち尽くした。
自分が主役の舞台だったはずだ。
自分が喝采を浴びるはずだった。
なのに、今、会場中がカグヤを称えている。

「あ、ありえん……私は王太子だぞ……この国の未来だぞ……」

「その未来が暗いから、皆こうして喜んでいるのですよ」

アレンが横から囁いた。

「残念だったね、殿下。君は『天使』を求めたけど、彼女は『有能な悪魔』だった。手放したのが運の尽きさ」

アレンはカグヤの元へ歩み寄り、その肩を抱いた。

「さあ、カグヤ。プレゼンは成功だ。観客は君の味方だよ」

「……ふぅ。喉が渇いたわ」

カグヤは満足げに汗を拭った。
その顔は、十年の激務から解放された達成感に満ち溢れていた。

「待て……待ってくれ……!」

ヘリオスがふらふらと近づいてくる。

「嘘だろう? カグヤ……お前がいなくなったら、私はどうすれば……」

彼はカグヤの手を掴もうとした。
その手は震え、涙目になっていた。

「頼む……戻ってきてくれ……給料なら払う……休みもやる……だから……」

それは、プライドも何もかも捨てた、哀れな男の懇願だった。

カグヤは立ち止まり、ヘリオスを見下ろした。
一瞬、その瞳に同情のような色が浮かんだ――かに見えた。

しかし。

「お断りします」

カグヤはニコリと笑った。

「条件が変わりました。今の私の時給は、貴方の国家予算を超えていますので」

バッサリ。

カグヤはアレンの手を取り、背を向けた。

「行きましょう、アレン。ミナ様。ここは空気が悪いわ」

「御意、女王陛下」
「はいっ! 撤収ですぅ!」

三人は颯爽と歩き出す。
背後で、ヘリオスが「うわあああああん!」と子供のように泣き崩れる声が聞こえたが、誰も振り返らなかった。

会場は拍手と笑い声に包まれている。
それは、一人の女性が自らの手で「自由」を勝ち取った瞬間への、惜しみない賛辞だった。

だが。
まだ終わらない。
この騒動の火付け役の一人――ミナが、最後に特大の爆弾を落とそうとしていた。

「あ、そうだ!」

出口付近で、ミナが急に立ち止まった。

「どうしたの? ミナ様」

「忘れ物ですか?」

カグヤとアレンが振り返る。

ミナはクルリと向き直り、泣き崩れるヘリオスに向かって、とんでもないことを言い放ったのである。
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