最強の悪役令嬢、婚約破棄で逃げます!

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
25 / 28

25

しおりを挟む
「……アレン、それは?」

夜風に揺れる馬車の荷台。
月明かりに照らされたダイヤモンドの指輪は、ヘリオスが投げつけられた安物とは違い、吸い込まれるような輝きを放っていた。

「見れば分かるだろう? 婚約指輪だ」

アレンは真剣な眼差しで私を見つめた。
その瞳には、いつもの飄々とした光はなく、燃えるような熱が宿っている。

「……誰への?」

「ここに君以外に、僕が指輪を贈りたい相手がいるかい?」

「後ろで寝かけているミナ様がいるわよ」

「むにゃ……ヘリオス様のあほぅ……」

「彼女は論外だ」

アレンは苦笑し、私の手を取った。

「カグヤ。僕と結婚してほしい」

ドキン。

心臓が大きく跳ねた。
予想外だ。
私の計算では、彼との関係は「利害の一致したビジネスパートナー」止まりのはずだった。
せいぜい「愛人契約」か「長期雇用契約」だろうと思っていたのに。

「……却下します」

私は動揺を隠すために、反射的に拒否した。

「理由は?」

「非効率だからよ。結婚なんて、面倒な親戚付き合いと、家事と、出産と育児の義務が発生するだけの『人生の墓場』よ。私は自由なニートになりたいの」

「君ならそう言うと思ったよ」

アレンは怯(ひる)まなかった。
むしろ、楽しそうに笑みを深めた。

「だから、提案がある。これは普通の結婚じゃない。『永久就職』兼『相互利益供与契約』だ」

「……詳しく説明して」

「条件1。君の主な業務は『公爵夫人として存在すること』のみ。家事、育児、親戚付き合いは全て使用人および僕が担当する」

「……ほう」

「条件2。君には『週休三日』を保証する。その間は誰にも邪魔されず、好きなだけ寝ていい。もちろん、最高級の寝具と温泉付きだ」

「……悪くないわね」

「条件3。君の『安眠』を妨げる敵は、僕が全力で排除する。たとえそれが国王であろうと、隣国の皇帝であろうとね」

アレンは私の指先を優しく撫でた。

「そして条件4。……僕は君を愛している。君が隣にいないと、僕の『心の安寧(パフォーマンス)』が維持できない。だから、僕のために一生そばにいてほしい」

「……っ」

ズルイ。
最後の条件は、反則だ。
そんなことを言われたら、どんな論理的な反論も無力化されてしまう。

私は顔が熱くなるのを感じた。
計算機が壊れたみたいだ。
損得勘定(ROI)が弾き出せない。
ただ、胸の奥が満たされていく感覚だけがある。

「……週休三日じゃ、足りないわ」

私は震える声で、精一杯の強がりを言った。

「え?」

「公爵夫人の公務は激務よ。夜会への出席、領内の視察、そして貴方の相手。……ストレス係数を考慮すると、休みが足りない」

私は彼を見上げ、ふてぶてしく言い放った。

「週休四日なら、考えてあげる」

アレンは一瞬きょとんとしたが、すぐに破顔した。

「……ははっ! 強欲だなあ」

「嫌なら、この話は無かったことに……」

「いいや、交渉成立だ」

アレンは私の左手を取り、薬指に指輪を滑り込ませた。
サイズは驚くほどぴったりだった。

「契約成立。これで君は、スターダスト公爵家の『永久名誉ニート』兼『最愛の妻』だ」

「……肩書きが長いのよ」

文句を言いながらも、私は指輪を見つめた。
綺麗だ。
星空よりも、宝石よりも。
この指輪が、私と彼を繋ぐ「鎖」なら、悪くないかもしれない。

「カグヤ」

アレンが顔を近づけてくる。
逃げ場はない。
いや、逃げる気もなかった。

「……契約の印(サイン)を」

唇が触れ合う。
柔らかく、温かい感触。
王宮での義務的なキスとは違う、甘くて優しい、とろけるような口づけ。

(……ああ、ダメだわ)

私は目を閉じた。
思考が溶けていく。
合理性も、効率も、どうでもよくなる。

この瞬間、私はついに認めた。
私はこの男に「堕ちた」のだと。
深淵なる沼の底へ。もう二度と這い上がれない場所へ。

「……きゃあああああっ!」

突然、背後から悲鳴が上がった。

「!?」

私たちがバッと離れると、ミナが両手で顔を覆いながら(指の隙間からガッツリ見ながら)叫んでいた。

「し、刺激が強すぎますぅ! 見てはいけないものを見てしまいましたぁ! でももっとやってくださいぃ!」

「……起きてたの、ミナ様」

私は顔を真っ赤にして睨んだ。

「最初から起きてましたよぉ! 『週休三日』のあたりからニヤニヤが止まりませんでした!」

「……記憶を消去するわ。アレン、何か鈍器を」

「物騒だなあ。ここは祝砲ということにしておこうよ」

アレンは笑いながら、私を抱き寄せた。

「さあ、行こうか。我が愛しの妻よ。西の国が待っている」

「ええ。……覚悟しておきなさいよ、旦那様。私は高くつくわよ?」

「望むところだ」

馬車は再び走り出す。
月明かりの下、私たちは寄り添いながら、新しい未来へと進んでいった。

この時の私は、まだ知らなかった。
「週休四日」の約束が、西の国に着いた瞬間に「解釈の違い」で揉めることになることや、
アレンの領地で待ち受ける「姑(しゅうとめ)」ならぬ「頑固な家老」たちが、私に新たな試練を与えてくることを。

でも、まあいい。
隣にはこの「有能な執事(夫)」がいる。
そして後ろには「騒がしい弟子(ミナ)」がいる。

退屈はしなさそうだ。

「……ふあぁ」

私は大きなあくびをした。

「眠いの?」

「ええ。安心したら、急に……」

「寝ていいよ。着くまで膝を貸してあげる」

「……そうさせてもらうわ。おやすみ……アレン」

私は彼の膝に頭を預け、深い眠りへと落ちていった。
夢は見なかった。
だって、現実の方がずっと幸せで、面白おかしいのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

婚約者が私のことをゴリラと言っていたので、距離を置くことにしました

相馬香子
恋愛
ある日、クローネは婚約者であるレアルと彼の友人たちの会話を盗み聞きしてしまう。 ――男らしい? ゴリラ? クローネに対するレアルの言葉にショックを受けた彼女は、レアルに絶交を突きつけるのだった。 デリカシーゼロ男と男装女子の織り成す、勘違い系ラブコメディです。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

私ってわがまま傲慢令嬢なんですか?

山科ひさき
恋愛
政略的に結ばれた婚約とはいえ、婚約者のアランとはそれなりにうまくやれていると思っていた。けれどある日、メアリはアランが自分のことを「わがままで傲慢」だと友人に話している場面に居合わせてしまう。話を聞いていると、なぜかアランはこの婚約がメアリのわがままで結ばれたものだと誤解しているようで……。

一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。

木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」 結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。 彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。 身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。 こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。 マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。 「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」 一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。 それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。 それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。 夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

処理中です...