婚約破棄ですって!? 実はただの無自覚天然なだけです。

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
10 / 28

10

しおりを挟む
お皿の上で、ローストビーフが神々しい輝きを放っている。
厚めに切られた端っこの部分は、脂が甘く、焦げた香辛料が鼻をくすぐる。
私はフォークを構え、まさに至福の一口を運ぼうとしていた。

「いい加減にしろ、ギルバート卿! そこをどけと言っているのだ!」

背後でセドリック殿下が吠えている。
だが、私の視界にはギルバート卿の広い背中しか映っていない。
彼は一歩も動かず、文字通り鉄壁の守りを固めていた。

「お断りします、殿下。現在、ポンド嬢は国益に関わる重要な『栄養摂取』の最中です。これを妨害することは、騎士団法第百八条『重要参考人の生存権保護』に抵触する恐れがあります」

「そんな法律があるか! 貴様、自分の立場を忘れたのか!」

「いいえ。騎士団長として、不審な殺気から民間人を守っているだけです。……殿下、今のあなたは、その手に持った扇子が武器に見えるほど殺気立っておられる」

ギルバート卿の言葉とともに、周囲の空気がピキピキと音を立てて凍り始める。
私の背中越しに冷気が伝わってくるが、ローストビーフが冷めてしまうのは困る。
私はもぐもぐと肉を噛み締めながら、卿の腰に手を回した。

「……ポンド? どうした、急に甘えて……」

「……卿、寒いので。もう少し冷気を絞っていただけますか。お肉の脂が固まってしまいます」

「…………。すまない、配慮が足りなかった」

ギルバート卿がシュンとして冷気を引っ込める。
その隙を突いて、セドリック殿下が横から顔を突き出してきた。

「ポンド! ギルバート卿に守られていい気になっているようだが、貴様の悪行はリリィがすべて証言している! 今すぐここで跪いて謝罪しろ!」

「謝罪、ですか……」

私はようやく肉を飲み込み、殿下をじっと見つめた。
殿下の鼻の頭に、先ほどのリリィ様のドレスと同じサツマイモのような色の粉がついている。
どうやら、怒鳴りすぎて何かを吸い込んだらしい。

「殿下。謝罪をするのは構いませんが、その前に鼻の頭を拭かれた方がよろしいかと。……非常に、『秋の味覚』を感じさせるお顔立ちになっています」

「なっ……何の話だ! リリィ、私の顔に何かついているか?」

「……ええと、殿下。その、サツマイモの粉のようなものが少々……」

リリィ様がバツが悪そうに囁く。
殿下は顔を真っ赤にして鼻をこすったが、それで粉が広がり、さらに面白いことになった。

「ええい、もういい! ギルバート卿、私は王命として命ずる! その女を今すぐ捕らえ、地下牢へ連行せよ!」

会場に緊張が走った。
いくら騎士団長といえど、王子の命令は重い。
だが、ギルバート卿は冷たい笑みを浮かべ、懐から一通の書状を取り出した。

「残念ながら、殿下。私はすでに国王陛下より『ポンド・フォン・マーガリンの身辺警護および素行調査』に関する全権を委任されております。陛下の裁可がない限り、誰一人として彼女に指一本触れさせることはできません」

「父上が……!? そんなはずはない! 父上はポンドのことを疎ましく思っていたはずだ!」

「……陛下は、ポンド嬢の『無欲さ』と『予測不能な行動』が、停滞した社交界に新しい風を吹き込むと評価しておられます。……まあ、主に『面白いから見ていろ』と仰っていましたが」

お父様と国王様は、昔からの飲み友達だ。
おそらく、私が婚約破棄されたという報告を聞いて、面白い見世物小屋でも始まったと思われたのだろう。
陛下も陛下で、なかなかの性格をしていらっしゃる。

「というわけで、殿下。彼女を連行したければ、陛下を説得してくることです。それまでは……私の背後が、彼女の聖域です」

ギルバート卿が私の肩を抱き寄せ、ぐいと自分の方へ引き寄せた。
甲冑の冷たさと、その中にある彼の体温が交互に伝わってくる。
私は、その腕の中で、最後の一切れのローストビーフを口に放り込んだ。

「……卿、ご馳走様でした。美味しかったです」

「……ああ。まだ足りないなら、次は向こうのデザートコーナーへ行くか」

「はい。あちらのアイスクリーム、溶ける前に救出しなければなりません」

私たちは、呆然と立ち尽くす殿下とリリィ様を置き去りにして、優雅に歩き出した。
ギルバート卿は、まるで巨大な防波堤のように、押し寄せる貴族たちの好奇な視線をすべて跳ね返していく。

「ポンド。……君は、本当に怖くないのか? 殿下に目をつけられれば、公爵家としても立場が悪くなるかもしれないぞ」

「……そうですね。おやつが減らされるなら死活問題ですが。……でも、卿がいてくださるのでしょう?」

私は、ふと見上げて言った。
別に深い意味はない。ただ、彼が「守る」と言ったから、それを信じただけだ。

「…………っ」

ギルバート卿が、不意に足を止めた。
彼の顔が、見る見るうちに真っ赤に染まっていく。
甲冑からミシミシと音がしている。……もしかして、また氷を出す準備だろうか。

「……卿? 顔が赤いですよ。熱でもあるのですか?」

「……うるさい。……君が、そんな無防備なことを言うからだ。……行くぞ、アイスクリームが逃げる」

ギルバート卿は、私の手をぎゅっと握りしめ、早足で歩き出した。
その歩幅は少し大きかったが、私は必死についていった。
泥沼令嬢の護衛騎士様は、どうやら鉄壁のガードの裏に、驚くほど脆い防壁を隠し持っているらしい。

「……あ、卿。今の握り方、少し力が強すぎます。私の手が、マシュマロのようになってしまいます」

「……すまん。……だが、離さない」

その不器用な優しさが、少しだけ心地よかった。
アイスクリームの甘さを想像しながら、私は彼に引かれるまま、華やかな夜会を突き進んでいった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

婚約破棄されたショックですっ転び記憶喪失になったので、第二の人生を歩みたいと思います

ととせ
恋愛
「本日この時をもってアリシア・レンホルムとの婚約を解消する」 公爵令嬢アリシアは反論する気力もなくその場を立ち去ろうとするが…見事にすっ転び、記憶喪失になってしまう。 本当に思い出せないのよね。貴方たち、誰ですか? 元婚約者の王子? 私、婚約してたんですか? 義理の妹に取られた? 別にいいです。知ったこっちゃないので。 不遇な立場も過去も忘れてしまったので、心機一転新しい人生を歩みます! この作品は小説家になろうでも掲載しています

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される

さら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。 慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。 だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。 「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」 そう言って真剣な瞳で求婚してきて!? 王妃も兄王子たちも立ちはだかる。 「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた

夏菜しの
恋愛
 幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。  彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。  そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。  彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。  いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。  のらりくらりと躱すがもう限界。  いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。  彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。  これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?  エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。

《完結》戦利品にされた公爵令嬢

ヴァンドール
恋愛
戦いの《戦利品》として公爵邸に連れて行かれた公爵令嬢の運命は?

処理中です...