悪役令嬢は、婚約破棄を「秒」で承諾する。

パリパリかぷちーの

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「では、まずこの『不要書類の山(ゴミ)』から処分します」

私が宣言すると同時に、執務室は戦場と化した。

「ちょ、待て! それは隣国の……!」

「三年前の儀礼的な挨拶状です。保管期限切れ。廃棄」

バサッ!

「ああっ! それは財務省からの……!」

「『予算が足りない』という定型文の愚痴です。具体的な数字がないので無価値。却下」

ポイッ!

「そ、その箱は……!」

「未開封のまま半年放置されたお茶菓子です。カビが生えています。バイオハザード認定。焼却処分」

ドサッ!

私は阿修羅のごとく書類と物品を分別し、ゴミ袋へと放り込んでいく。

宰相クライヴ様は、自分の城(ゴミ屋敷)が次々と解体されていく様を、呆然と眺めていた。

「……速い」

彼がポツリと漏らす。

「私の目が追いつかない……。君の手はいくつあるんだ?」

「二つです。ですが、無駄な動きを極限まで削ぎ落とせば、十人分の働きは可能です」

私は手を止めずに答えた。

「閣下、そちらのソファーで休んでいてください。目の下にクマが三匹ほど飼われていますよ」

「いや、しかし……客人に仕事をさせるわけには……」

「雇い主と従業員です。客ではありません」

私はピシャリと言い切り、次なるターゲットである「本棚」に向かった。

「あいうえお順? ナンセンスですね。使用頻度と関連案件ごとにカテゴリ分けします」

本を抜き出し、再配置する。

その動作に迷いはない。

なぜなら、私はこの部屋にある資料のほとんどを、アレクセイ殿下の代行業務で一度は目にしているからだ。

どこに何があるか、どの資料が重要でどれがゴミか、すべて頭に入っている。

「……信じられん」

クライヴ様がソファーに沈み込みながら、うわ言のように呟く。

「この部屋の整理だけで、部下たちは『一週間かかります』と言って逃げ出したんだぞ……」

「それは彼らの能力が低いのではなく、閣下の指示が抽象的だからです。『いい感じに片付けておけ』では動きようがありません。『この棚の資料を年代別に並べ替え、五年以上前のものは地下書庫へ』と具体的に指示すべきです」

「……耳が痛い」

「痛みを感じるなら正常です。改善の余地があります」

私は手を動かし続けた。

そして三時間後。

窓の外が白み始めた頃、執務室は見違えるような変貌を遂げていた。

床が見える。

机の上が光っている。

空気の澱みが消え、朝日が清々しく差し込んでいる。

「……終わりました」

私は最後のゴミ袋の口を縛り、額の汗を拭った。

「う、嘘だろう……?」

クライヴ様が立ち上がり、部屋を見渡す。

「私の机が……茶色い……? (※書類で埋もれていて色を忘れていた)」

「マホガニー製の立派な机ですね。磨いておきました」

「床に……絨毯が敷いてあったのか……?」

「ペルシャ絨毯ですね。埃を叩き出しておきました」

クライヴ様は、まるで魔法を見せられた子供のように、目を輝かせて震えている。

「素晴らしい……。君は魔法使いか?」

「いいえ、ただの効率厨です」

私は給湯室からワゴンを運んできた。

「お疲れでしょう。お茶が入りました」

コトッ、と音を立ててティーカップを置く。

漂うのは、最高級茶葉の芳醇な香り。

「……香りまで違う。いつもの茶葉と同じはずなのに」

「抽出温度と蒸らし時間を秒単位で調整しました。閣下は疲労が蓄積しているので、少し濃いめに、砂糖ではなくハチミツを加えてあります」

クライヴ様はカップを手に取り、一口飲んだ。

その瞬間、彼の「氷」の表情が、見る見るうちに溶けていく。

「……美味い」

ほう、と深い溜息。

「温かい……。五臓六腑に染み渡るとはこのことか……」

「お気に召したなら光栄です」

私は自分の分のお茶を飲みながら、手元のメモ帳を確認した。

「さて、整理整頓は終わりました。ここからが本題です」

「本題?」

「はい。今後の私の『雇用契約』についてです」

私は真顔で切り出した。

「私は現在、家出中かつ無一文です。住み込みでの労働を希望しますが、待遇についての詳細を詰めねばなりません」

「ああ、そうだった……」

クライヴ様は我に返り、居住まいを正した。

その瞳には、先ほどまでの疲れ切った色はなく、為政者としての鋭い光が戻っていた。

「改めて礼を言う、ベルンシュタイン嬢。君のおかげで助かった。……だが、疑問がある」

「何でしょう?」

「なぜ、君ほどの有能な人間が、あの『バカ王子(アレクセイ)』の元でくすぶっていた? 君ならもっとマシな男を選べただろうし、あるいは官僚として国を動かすこともできたはずだ」

彼はストレートに聞いてきた。

私はカップを置き、少しだけ自嘲気味に笑った。

「簡単な理由です。それが『義務』だったからです」

「義務?」

「はい。生家のため、王家のため。与えられた役割を完璧にこなすことこそが、私の存在意義だと刷り込まれていましたから」

そう。

前世の記憶はないが、私は昔から「期待に応えること」に特化して生きてきた。

自分の感情は二の次。まずは成果を。

それが私の生き方だった。

「ですが、昨日クビ(婚約破棄)になりまして。憑き物が落ちた気分です」

私は肩をすくめた。

「これからは、誰かのためではなく、自分の『安眠』と『定時退社』のために能力を使いたいと思います」

その言葉を聞いたクライヴ様は、しばらく私をじっと見つめていた。

値踏みするような、それでいて何かを探るような視線。

やがて、彼はフッと口元を緩めた。

「……面白い」

彼は立ち上がり、私に右手を差し出した。

「気に入った。君の望む条件をすべて呑もう。我が公爵家の全財産を投げ打ってでも、君を雇いたい」

「全財産はいりません。相場の二割増しと、三食昼寝付きで結構です」

私はその手を取った。

「交渉成立ですね、宰相閣下(ボス)」

ガッチリと握手が交わされる。

その手は意外と大きく、そして温かかった。

「ああ。よろしく頼む、私の『救世主』」

こうして、徹夜明けのテンションで結ばれた雇用契約。

しかし私はまだ知らなかった。

この握手が、単なる「上司と部下」の関係で終わらないことを。

そして、「氷の宰相」と呼ばれるこの男が、一度火がつくと(主に独占欲の面で)とんでもなく熱い男だということを。

「……あ、ところで閣下」

「なんだ?」

「そのシャツ、第三ボタンが取れかけています。気になりすぎて業務に支障が出るので、今すぐ縫い付けてもいいですか?」

「……君は、本当にお母さんみたいな人だな」

「お母さんではありません。有能な秘書です。針と糸、出しますね」

朝の光の中で、私たちは奇妙な共同生活(職場生活)の一歩を踏み出したのだった。
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