婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。

パリパリかぷちーの

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国境での「シチュー戦争」から一週間。

グラン・ノワール公爵領は、いつにも増して活気に満ちていた。

「おい、新人! そっちの土嚢を運べ!」

「へい! ……あー、飯がうめぇ。給料が出るって最高だなぁ」

王国の元兵士たちは、私の目論見通り、驚くほど真面目な労働力として定着していた。

彼らはインフラ整備や農地の開拓に従事し、労働力不足は一気に解消された。

一方、敗北したアイゼン王国からは、莫大な賠償金(ジェラール殿下の個人資産および王家の隠し財産)が支払われた。

廃嫡されたジェラール殿下は、辺境の修道院へ幽閉されたという風の噂だ。

ミナ嬢も実家へ強制送還され、行儀見習いからやり直しさせられているらしい。

全ては解決した。

完璧なハッピーエンドだ。

だからこそ、私は決断しなければならなかった。

***

その日の夜、私はアイザック様の執務室を訪れた。

手には、一通の封筒を持っている。

「失礼します、ボス。……いえ、アイザック様」

「ん? どうした、改まって」

アイザック様は書類から顔を上げ、私を見て微笑んだ。

「仕事ならもう終わりだろう? これから晩酌でも……」

「いいえ。重要な決済案件がございます」

私はスタスタと机の前まで歩み寄ると、持っていた封筒を差し出した。

「これを」

「……なんだ?」

アイザック様が怪訝な顔で封筒を開ける。

中から出てきた書類のタイトルを見て、彼の表情が凍りついた。

『契約終了通知書 および 婚約破棄合意書』

「……カルル。これはどういう冗談だ?」

アイザック様の声が、久しぶりに「絶対零度」まで下がった。

部屋の空気がピリつく。

だが、私は怯まずに眼鏡の位置を直した。

「冗談ではありません。契約履行に基づく、正当な手続きです」

「説明しろ」

「はい。まず、私たちの『偽装婚約』の目的は二つでした。一つは、アイザック様に群がる有象無象の令嬢除け。もう一つは、私の元婚約者であるジェラール殿下からの防衛」

私は指を折って数えた。

「ジェラール殿下は失脚しました。防衛任務は完了です。そして、今回の戦争での勝利により、アイザック様の威光は近隣諸国に轟きました。もはや、貴方に軽々しく言い寄ってくる令嬢はいないでしょう」

「……それで?」

「つまり、私の『防波堤』としての役目は終わりました。これ以上、偽りの婚約を続ける必要性(メリット)は、貴方にはありません」

私は淡々と、しかし内心では心臓を早鐘のように鳴らしながら続けた。

「これからは、本当の意味で公爵夫人にふさわしい、家柄の良い、そして『愛せる』方を正式に探すべきです。私はただの『事務屋』ですから」

言いながら、胸がズキリと痛んだ。

この屋敷での生活は楽しかった。

アイザック様との仕事も、使用人たちとの交流も。

正直に言えば、離れたくない。

けれど、私は合理主義者だ。

「情」で居座り、いつか「やっぱり君はいらない」と言われるリスクを冒すくらいなら、功績があるうちに綺麗に退場(イグジット)するのが、最も賢い選択だ。

「……退職金については辞退いたします。これまでの報酬で十分に頂きましたので」

私は深々と頭を下げた。

「短い間でしたが、お世話になりました。引継ぎ書は明日までに作成し……」

ビリッ!!

乾いた音が、静寂を切り裂いた。

私が顔を上げると、アイザック様が、私の提出した書類を真っ二つに破いていた。

「……あ」

ビリビリビリッ!

彼は無言のまま、書類をさらに細かく引き裂き、紙吹雪のように空中に舞い上げ、ゴミ箱へ捨てた。

「……閣下? 書類の破棄は、承認プロセスのエラーですが」

「却下だ」

アイザック様が立ち上がり、机を回り込んで私の前に立った。

その瞳は、怒りに燃えているようで、どこか悲しげだった。

「誰が『終わり』と言った?」

「ですが、契約上の目的は……」

「目的? そんなものは最初からどうでもよかった!」

アイザック様が私の肩を掴んだ。

強い力だ。

「俺が欲しかったのは『防波堤』じゃない。……君だ、カルル」

「……え?」

「君は計算高いが、自分の感情の計算だけは下手くそだな」

彼は私の顔を覗き込んだ。

「俺がこの一ヶ月、君にどれだけ好意を示してきたと思っている? ドレスを贈り、毎日共に食事をし、君のために戦争までしたんだぞ?」

「それは……優秀な部下への福利厚生の一環かと……」

「違う! 男が女にする求愛行動だ!」

アイザック様が叫んだ。

その必死な様子に、私は目を丸くした。

「……求愛? 私に?」

「ああ、そうだ。俺は君に惚れている。君のその冷徹な眼鏡も、金にうるさい口も、仕事熱心な横顔も、全部だ」

彼は私を強く抱きしめた。

「君がいない執務室なんて、考えられない。君がいない人生なんて、ただの赤字決算だ」

「……っ」

その言葉は、どんな甘い愛の囁きよりも、私の心に深く刺さった。

「赤字決算」なんて。

私の価値観に合わせた、彼なりの最高の殺し文句だ。

「で、ですが……私は可愛げのない女ですよ? 色気もないし、すぐに説教をするし……」

「それがいい。俺には『イエスマン』の妻なんていらない。俺を叱り、支え、共に歩んでくれるパートナーが必要なんだ」

アイザック様は私の体を少し離し、真剣な眼差しで見つめてきた。

「カルル・フォン・アイゼン。……いや、未来のカルル・グラン・ノワール」

彼はポケットから、小さな箱を取り出した。

パカッ。

中には、大粒のブルーダイヤモンドが輝く指輪が入っていた。

私の瞳の色と同じ、透き通った青。

「契約更新の交渉をしたい」

「……条件は?」

私が震える声で尋ねると、彼は悪戯っぽく、しかし限りなく優しく微笑んだ。

「期間は、死ぬまで。給与は、俺の全財産と、俺の心。業務内容は、俺の妻として幸せになること。……どうだ? 割のいい話だと思うが」

私の目から、ポロリと涙がこぼれた。

計算機が壊れたみたいだ。

損得勘定なんて、もうどうでもいい。

「……条件、甘すぎますよ。経営者として失格です」

「君相手なら、いくらでも甘くするさ」

「……承認(アクセプト)、します」

私が頷くと、アイザック様は世界で一番幸せそうな顔をして、私の指に指輪を嵌めた。

「ありがとう、カルル」

彼は私を抱き上げ、くるくると回った。

「閣下! 目が回ります! 業務に支障が!」

「今日くらい休め! 明日は二人で休暇を取るぞ!」

「許可します!」

私たちは笑い合い、そして重なるように口づけを交わした。

契約書類はゴミ箱の中。

でも、私たちの間には、紙切れよりもずっと確かな「永久契約」が結ばれたのだった。

これでめでたしめでたし――と言いたいところだが。

私の「貧乏性」と「職業病」は、結婚式の準備において、さらなる騒動(コメディ)を巻き起こすことになる。

「結婚式? 無駄な出費は抑えましょう。招待状は手書きで、料理は自炊で……」

「待て待てカルル! 公爵家の結婚式だぞ!?」

幸せな戦いは、まだ続く。
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