婚約破棄された悪役令嬢なのに、なぜか求婚される?

パリパリかぷちーの

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「……見すぎです」

私は手にしていた『現代魔導工学の基礎と応用』から顔を上げ、眉をひそめた。

場所は公爵邸の図書室。
私の聖域であり、最も心が落ち着く場所――のはずだった。

しかし、今日はソファの向かい側に、巨大なノイズ(アイザック様)が存在していた。
彼は本を読むわけでもなく、仕事をするわけでもなく、ただ頬杖をついて、じーっと私の顔を見つめているのだ。
かれこれ一時間も。

「……アイザック様。私の顔に何かついていますか? サンドイッチの具材でも?」

「いや。ただ、あまりにも愛おしくてな」

彼は甘く目を細めた。
先日、私が「契約更新(事実上のプロポーズ承諾)」をして以来、彼の溺愛ぶりは天井知らずに加速していた。
もはやリミッターが外れた暴走機関車だ。

「昨日の君の言葉……『貴方がいないと調子が狂う』。あれを思い出すだけで、白飯が三杯は食える」

「……忘れてください。あれは一時的な気の迷い、もしくは酸素不足による判断力の低下です」

「いいや、忘れない。俺の脳内の『ローゼン語録・永久保存版』に刻み込んだ」

「消去してください。容量の無駄です」

私が冷たくあしらっても、彼は嬉しそうに微笑むだけだ。
暖簾に腕押し。糠に釘。
この男に「羞恥心」や「遠慮」という概念はないらしい。

「ローゼン」

「なんですか」

「もう一度、言ってくれないか?」

「何をです?」

「『好きだ』と」

アイザック様は身を乗り出し、期待に満ちたキラキラした瞳(子犬のような、しかし奥底は肉食獣の目)を向けてきた。

「昨日、契約更新の際に言っただろう? でも、君はまだ明確に『好き』という単語を口にしていない」

「……必要ありません。契約行動で示したはずです」

「言葉が必要なんだ。俺の耳が欲している」

彼は駄々っ子のようになった。

「ほら、『アイザック様、大好き♡』と。一回だけでいいから」

「……お断りします。キャラ崩壊も甚だしいです」

「そこをなんとか! 追加料金払うから!」

「金の問題ではありません。プライドの問題です」

私はバッサリと切り捨て、再び本に視線を落とした。
『好き』?
そんな恥ずかしい言葉、言えるわけがない。
私の辞書にあるのは『効率』『利益』『合理的』といった言葉だけだ。
『愛』とか『恋』とか、そんな不確定で情緒的な概念は、私の口には合わない。

「……ちぇっ。ケチだな」

アイザック様は拗ねたように唇を尖らせたが、すぐにおかしな行動に出た。
彼は自分の席を立ち、私の座るソファへと移動してきたのだ。

「……近いです」

「本に集中している君も素敵だが、俺を無視するのは感心しないな」

彼は私の隣にぴったりとくっついて座り、私の肩に頭を乗せてきた。
重い。
そして、体温が高い。
彼の銀髪が私の頬をくすぐる。

「……離れてください。読書の妨げです」

「嫌だ。充電中だ」

彼は私の腰に手を回し、さらに密着してきた。
心臓の音が聞こえそうなくらい近い。

「……ねえ、ローゼン」

「……なんですか」

「俺のこと、嫌いか?」

低い、少しだけ不安げな声。
いつも自信満々な彼の、ふとした弱気なトーンに、私はページをめくる手を止めた。

(……卑怯だわ)

そんな声を出されたら、無視できないではないか。

私はため息をつき、本を閉じた。

「……嫌いなら、とっくにこの屋敷を出て行っています」

「じゃあ、好きか?」

「……」

「どっちなんだ? 俺は君が好きすぎて死にそうなのに、君は俺がいなくても平気なのか?」

彼は上目遣いで私を見上げた。
その瞳が、揺れている。

(……面倒くさい人)

公爵であり、騎士団長であり、国一番の実力者。
そんな男が、たかが一人の女の言葉に一喜一憂している。
非効率的で、愚かで……そして、どうしようもなく愛おしい。

私は観念した。
このまま彼を不安にさせておくのは、私の精神衛生上も良くない(罪悪感で胃が痛くなる)。

「……聞きなさい。一度しか言いませんよ」

「えっ!?」

アイザック様がガバッと顔を上げた。

私は視線を逸らし、本棚の隅を見つめながら、ボソボソと口を開いた。

「……貴方の顔は、鑑賞に値する造形美です」

「うん」

「貴方の財力は、私の快適な生活を維持するために必要不可欠です」

「うんうん」

「貴方の淹れる紅茶は、王城のパティシエよりも美味しいです」

「おう」

「そして……」

ここからが難関だ。
喉が詰まる。
顔が熱い。
心臓がうるさい。

私は深呼吸をして、意を決して言った。

「……貴方の隣にいると、心拍数が安定し、睡眠の質が向上し、精神的な充足感が得られます」

「……つまり?」

「……つまり、貴方の側にいるのは、私にとって……きょ、極めて効率的だと思いました」

最後の方は声が裏返ったかもしれない。
私は顔が沸騰しそうなのを感じて、持っていた本で顔を隠した。

「……以上です。もう喋りません」

沈黙。
長い、長い沈黙が流れた。

(……変なこと言ったかしら)
(やはり『効率的』なんて言葉、色気も何もないわよね……)

不安になって、本の隙間からチラリと様子を伺う。

すると。
アイザック様は、両手で顔を覆い、ソファに突っ伏していた。

「……アイザック様?」

「……だめだ」

くぐもった声。

「尊すぎて……死ぬ……」

「えっ」

彼はゆっくりと顔を上げた。
その顔は、熟れたトマトのように真っ赤だった。
普段のクールな「氷の公爵」の面影はどこにもない。

「『効率的』……! ああ、なんて君らしい、最高の愛の言葉なんだ……!」

「……褒めてます?」

「褒めている! 『愛してる』と言われるより、君のその不器用な分析結果の方が、俺の心臓を貫いた!」

彼は震える手で私の肩を掴んだ。

「ローゼン。君のその『微量なデレ』の破壊力……核兵器並みだぞ。わかっているのか?」

「……わかりません。離してください、暑いです」

「離さない! 一生このままでいい!」

アイザック様は私を抱きしめ、子供のように頭を擦り付けてきた。

「ああ、幸せだ……。君が俺を『必要』としてくれている。それだけで俺は、あと百年は戦える」

「……百年も生きるつもりですか。妖怪ですね」

「君と一緒なら、永遠の命も悪くない」

彼は顔を上げ、私の本を取り上げてテーブルに置いた。
そして、熱っぽい瞳で私を見つめた。

「ローゼン。……顔、赤いぞ」

「……西日のせいです」

「今は午前中だ」

「……室温が高いせいです」

「空調は完璧だ」

言い逃れができない。
私は唇を噛み、彼から目を逸らした。

「……うるさいです。黙ってください」

「照れている顔も可愛い」

「……っ!」

「もっと見せてくれ。君の新しい表情を」

アイザック様の顔が近づいてくる。
逃げ場はない。
彼の唇が、私の頬に、瞼に、そして唇に、雨のように降り注ぐ。

「……んっ……」

抵抗する気力も、理由もなかった。
彼が幸せそうで、私も(認めたくはないが)満たされているのだから。

「……追加料金、高いですよ」

キスの合間に、私が辛うじて呟くと、彼は破顔した。

「全財産でも、命でも払ってやる」

その日、図書室での読書は、結局1ページも進まなかった。
けれど、私たちは分厚い本の代わりに、互いの体温と鼓動を読み解くことに時間を費やした。

それは、どんな知識よりも深く、甘く、そして――効率的に、私たちの愛を深める時間となったのである。
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