婚約破棄された悪役令嬢なのに、なぜか求婚される?

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
24 / 28

24

「……見すぎです」

私は手にしていた『現代魔導工学の基礎と応用』から顔を上げ、眉をひそめた。

場所は公爵邸の図書室。
私の聖域であり、最も心が落ち着く場所――のはずだった。

しかし、今日はソファの向かい側に、巨大なノイズ(アイザック様)が存在していた。
彼は本を読むわけでもなく、仕事をするわけでもなく、ただ頬杖をついて、じーっと私の顔を見つめているのだ。
かれこれ一時間も。

「……アイザック様。私の顔に何かついていますか? サンドイッチの具材でも?」

「いや。ただ、あまりにも愛おしくてな」

彼は甘く目を細めた。
先日、私が「契約更新(事実上のプロポーズ承諾)」をして以来、彼の溺愛ぶりは天井知らずに加速していた。
もはやリミッターが外れた暴走機関車だ。

「昨日の君の言葉……『貴方がいないと調子が狂う』。あれを思い出すだけで、白飯が三杯は食える」

「……忘れてください。あれは一時的な気の迷い、もしくは酸素不足による判断力の低下です」

「いいや、忘れない。俺の脳内の『ローゼン語録・永久保存版』に刻み込んだ」

「消去してください。容量の無駄です」

私が冷たくあしらっても、彼は嬉しそうに微笑むだけだ。
暖簾に腕押し。糠に釘。
この男に「羞恥心」や「遠慮」という概念はないらしい。

「ローゼン」

「なんですか」

「もう一度、言ってくれないか?」

「何をです?」

「『好きだ』と」

アイザック様は身を乗り出し、期待に満ちたキラキラした瞳(子犬のような、しかし奥底は肉食獣の目)を向けてきた。

「昨日、契約更新の際に言っただろう? でも、君はまだ明確に『好き』という単語を口にしていない」

「……必要ありません。契約行動で示したはずです」

「言葉が必要なんだ。俺の耳が欲している」

彼は駄々っ子のようになった。

「ほら、『アイザック様、大好き♡』と。一回だけでいいから」

「……お断りします。キャラ崩壊も甚だしいです」

「そこをなんとか! 追加料金払うから!」

「金の問題ではありません。プライドの問題です」

私はバッサリと切り捨て、再び本に視線を落とした。
『好き』?
そんな恥ずかしい言葉、言えるわけがない。
私の辞書にあるのは『効率』『利益』『合理的』といった言葉だけだ。
『愛』とか『恋』とか、そんな不確定で情緒的な概念は、私の口には合わない。

「……ちぇっ。ケチだな」

アイザック様は拗ねたように唇を尖らせたが、すぐにおかしな行動に出た。
彼は自分の席を立ち、私の座るソファへと移動してきたのだ。

「……近いです」

「本に集中している君も素敵だが、俺を無視するのは感心しないな」

彼は私の隣にぴったりとくっついて座り、私の肩に頭を乗せてきた。
重い。
そして、体温が高い。
彼の銀髪が私の頬をくすぐる。

「……離れてください。読書の妨げです」

「嫌だ。充電中だ」

彼は私の腰に手を回し、さらに密着してきた。
心臓の音が聞こえそうなくらい近い。

「……ねえ、ローゼン」

「……なんですか」

「俺のこと、嫌いか?」

低い、少しだけ不安げな声。
いつも自信満々な彼の、ふとした弱気なトーンに、私はページをめくる手を止めた。

(……卑怯だわ)

そんな声を出されたら、無視できないではないか。

私はため息をつき、本を閉じた。

「……嫌いなら、とっくにこの屋敷を出て行っています」

「じゃあ、好きか?」

「……」

「どっちなんだ? 俺は君が好きすぎて死にそうなのに、君は俺がいなくても平気なのか?」

彼は上目遣いで私を見上げた。
その瞳が、揺れている。

(……面倒くさい人)

公爵であり、騎士団長であり、国一番の実力者。
そんな男が、たかが一人の女の言葉に一喜一憂している。
非効率的で、愚かで……そして、どうしようもなく愛おしい。

私は観念した。
このまま彼を不安にさせておくのは、私の精神衛生上も良くない(罪悪感で胃が痛くなる)。

「……聞きなさい。一度しか言いませんよ」

「えっ!?」

アイザック様がガバッと顔を上げた。

私は視線を逸らし、本棚の隅を見つめながら、ボソボソと口を開いた。

「……貴方の顔は、鑑賞に値する造形美です」

「うん」

「貴方の財力は、私の快適な生活を維持するために必要不可欠です」

「うんうん」

「貴方の淹れる紅茶は、王城のパティシエよりも美味しいです」

「おう」

「そして……」

ここからが難関だ。
喉が詰まる。
顔が熱い。
心臓がうるさい。

私は深呼吸をして、意を決して言った。

「……貴方の隣にいると、心拍数が安定し、睡眠の質が向上し、精神的な充足感が得られます」

「……つまり?」

「……つまり、貴方の側にいるのは、私にとって……きょ、極めて効率的だと思いました」

最後の方は声が裏返ったかもしれない。
私は顔が沸騰しそうなのを感じて、持っていた本で顔を隠した。

「……以上です。もう喋りません」

沈黙。
長い、長い沈黙が流れた。

(……変なこと言ったかしら)
(やはり『効率的』なんて言葉、色気も何もないわよね……)

不安になって、本の隙間からチラリと様子を伺う。

すると。
アイザック様は、両手で顔を覆い、ソファに突っ伏していた。

「……アイザック様?」

「……だめだ」

くぐもった声。

「尊すぎて……死ぬ……」

「えっ」

彼はゆっくりと顔を上げた。
その顔は、熟れたトマトのように真っ赤だった。
普段のクールな「氷の公爵」の面影はどこにもない。

「『効率的』……! ああ、なんて君らしい、最高の愛の言葉なんだ……!」

「……褒めてます?」

「褒めている! 『愛してる』と言われるより、君のその不器用な分析結果の方が、俺の心臓を貫いた!」

彼は震える手で私の肩を掴んだ。

「ローゼン。君のその『微量なデレ』の破壊力……核兵器並みだぞ。わかっているのか?」

「……わかりません。離してください、暑いです」

「離さない! 一生このままでいい!」

アイザック様は私を抱きしめ、子供のように頭を擦り付けてきた。

「ああ、幸せだ……。君が俺を『必要』としてくれている。それだけで俺は、あと百年は戦える」

「……百年も生きるつもりですか。妖怪ですね」

「君と一緒なら、永遠の命も悪くない」

彼は顔を上げ、私の本を取り上げてテーブルに置いた。
そして、熱っぽい瞳で私を見つめた。

「ローゼン。……顔、赤いぞ」

「……西日のせいです」

「今は午前中だ」

「……室温が高いせいです」

「空調は完璧だ」

言い逃れができない。
私は唇を噛み、彼から目を逸らした。

「……うるさいです。黙ってください」

「照れている顔も可愛い」

「……っ!」

「もっと見せてくれ。君の新しい表情を」

アイザック様の顔が近づいてくる。
逃げ場はない。
彼の唇が、私の頬に、瞼に、そして唇に、雨のように降り注ぐ。

「……んっ……」

抵抗する気力も、理由もなかった。
彼が幸せそうで、私も(認めたくはないが)満たされているのだから。

「……追加料金、高いですよ」

キスの合間に、私が辛うじて呟くと、彼は破顔した。

「全財産でも、命でも払ってやる」

その日、図書室での読書は、結局1ページも進まなかった。
けれど、私たちは分厚い本の代わりに、互いの体温と鼓動を読み解くことに時間を費やした。

それは、どんな知識よりも深く、甘く、そして――効率的に、私たちの愛を深める時間となったのである。
感想 1

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう
恋愛
 王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。  磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。  その中心に、私は立っていた。  ――今日、この瞬間のために。 「エレノア・フォン・リーベルト嬢」  高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。

誘拐された公爵令嬢ですが、なぜか皇帝に溺愛されています』

富士山麓
恋愛
舞踏会で王太子から婚約破棄を告げられそうになった瞬間―― 目の前に現れたのは、馬に乗った仮面の皇帝だった。 そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。 一方、助けようともしなかった王太子は「無能」と嘲笑され、静かに失墜していく。 選ばれる側から、選ぶ側へ。 これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。

刺繍妻

拓海のり
恋愛
男爵令嬢メアリーは魔力も無くて、十五歳で寄り親の侯爵家に侍女見習いとして奉公に上がった。二十歳まで務めた後、同じ寄り子の子爵家に嫁に行ったが。九千字ぐらいのお話です。

聖女様と間違って召喚された腐女子ですが、申し訳ないので仕事します!

碧桜
恋愛
私は花園美月。20歳。派遣期間が終わり無職となった日、馴染の古書店で顔面偏差値高スペックなイケメンに出会う。さらに、そこで美少女が穴に吸い込まれそうになっていたのを助けようとして、私は古書店のイケメンと共に穴に落ちてしまい、異世界へ―。実は、聖女様として召喚されようとしてた美少女の代わりに、地味でオタクな私が間違って来てしまった! 落ちたその先の世界で出会ったのは、私の推しキャラと見た目だけそっくりな王(仮)や美貌の側近、そして古書店から一緒に穴に落ちたイケメンの彼は、騎士様だった。3人ともすごい美形なのに、みな癖強すぎ難ありなイケメンばかり。 オタクで人見知りしてしまう私だけど、元の世界へ戻れるまで2週間、タダでお世話になるのは申し訳ないから、お城でメイドさんをすることにした。平和にお給料分の仕事をして、異世界観光して、2週間後自分の家へ帰るつもりだったのに、ドラゴンや悪い魔法使いとか出てきて、異能を使うイケメンの彼らとともに戦うはめに。聖女様の召喚の邪魔をしてしまったので、美少女ではありませんが、地味で腐女子ですが出来る限り、精一杯頑張ります。 ついでに無愛想で苦手と思っていた彼は、なかなかいい奴だったみたい。これは、恋など始まってしまう予感でしょうか!? *カクヨムにて先に連載しているものを加筆・修正をおこなって掲載しております

自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~

浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。 本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。 ※2024.8.5 番外編を2話追加しました!

聖女解任ですか?畏まりました(はい、喜んでっ!)

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はマリア、職業は大聖女。ダグラス王国の聖女のトップだ。そんな私にある日災難(婚約者)が災難(難癖を付け)を呼び、聖女を解任された。やった〜っ!悩み事が全て無くなったから、2度と聖女の職には戻らないわよっ!? 元聖女がやっと手に入れた自由を満喫するお話しです。

すみっこ婚約破棄同盟〜王子様による婚約破棄のすみっこで〜

まりー
恋愛
   ある夜会で王子とその側近達の婚約破棄が行われた。腕に恋人をぶら下げて。所謂、王道断罪劇である。  でもこのお話の主役は麗しのヒロインでも、キラキラ王子でも、学園一の秀才や騎士団期待のホープでもない。これは王道のすみっこで行われた、弱小貴族と商人の子息たちの婚約破棄のお話である。 _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 「もう俺ら、恋なんてしない!」と言う小学生の息子の話を参考に書きました。登場人物の男子たちの頭は小学生レベルだと思って読んでください。    

「身分が違う」って言ったのはそっちでしょ?今さら泣いても遅いです

ほーみ
恋愛
 「お前のような平民と、未来を共にできるわけがない」  その言葉を最後に、彼は私を冷たく突き放した。  ──王都の学園で、私は彼と出会った。  彼の名はレオン・ハイゼル。王国の名門貴族家の嫡男であり、次期宰相候補とまで呼ばれる才子。  貧しい出自ながら奨学生として入学した私・リリアは、最初こそ彼に軽んじられていた。けれど成績で彼を追い抜き、共に課題をこなすうちに、いつしか惹かれ合うようになったのだ。