婚約破棄されたので、心置きなく殿下×騎士を推します!

パリパリかぷちーの

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王都に戻って数日後。

宰相執務室は、戦場のような忙しさに包まれていた。

「アイビー、例の辺境伯の尋問記録の整理は終わったか?」

「はい、閣下。現在、関係者リストとの照合作業に入っています」

「よし。次は押収した裏帳簿の解読だ。急げ」

「イエッサー!」

私は羽ペンを高速で走らせ、書類の山と格闘していた。

あの「ミシェル嬢天然爆弾事件」の後、辺境伯とその一味は一網打尽にされた。

私は「偶然現場に居合わせて機転を利かせた功労者」として、少しだけボーナスが出た(現物支給:最高級のインクセット)。

平和な日常が戻ってきた……と言いたいところだが。

「……あの、失礼します」

書類を抱えた一人の青年文官が、私のデスクに近づいてきた。

線の細い、眼鏡をかけた真面目そうな青年だ。

名前は確か、資料室のジュリアン。

「はい、何でしょうか?」

「その……先日の報告書、拝見しました。アイビー様の考察、素晴らしかったです」

「え? あ、ありがとうございます」

私は愛想笑いを浮かべた。

報告書には、もちろんBL要素は排除してある。

だが、彼は周囲を気にしながら、声を潜めて続けた。

「特に……『主犯格の男が、部下に対して異常なまでの執着を見せていた』という記述……あれは、もしかして『共依存関係』を示唆されているのでしょうか?」

「!!」

私の手が止まる。

顔を上げると、ジュリアン君の眼鏡の奥の瞳が、熱っぽく輝いていた。

「実は僕……以前からアイビー様の視点に、シンパシーを感じておりまして」

「シンパシー……?」

「はい。その……男性同士の、言葉にできない熱い絆……と申しますか」

(……同志だ)

私の直感が告げた。

この男、こっち側の人間だ!

しかも貴重な「腐男子」!

「ジュリアン様……あなた、もしや『三日月堂』の常連ではありませんか?」

私が小声で尋ねると、彼は顔を赤らめて頷いた。

「は、はい! 実は僕、『名無しの剣士』先生のファンでして!」

「嘘!? 私、『名無しの剣士』先生の新作『騎士団長の秘密のレッスン』持ってるわよ! まだ未開封の保存用が!」

「本当ですか!? あ、あの幻の初版限定版ですか!?」

「ええ、ええ! なんなら貸しましょうか? その代わり、あなたの持ってる『宮廷魔術師の憂鬱』と交換で!」

「ぜひ! ぜひお願いします!」

盛り上がってしまった。

仕事中だということも、ここが宰相執務室だということも忘れ、私たちは手を取り合って「同志」の再会(初対面だけど)を喜んだ。

「いやぁ、まさか職場に語れる相手がいるなんて!」

「僕もです! アイビー様とは美味しいお酒が飲めそうです!」

キャッキャと盛り上がる私たち。

しかし。

室内の気温が、急速に下がっていくことに気づくのが遅れた。

「……楽しそうだな」

地獄の底から響くような低音。

ビクリとして振り返ると、キース閣下が私の背後に立っていた。

その顔は笑顔だ。

完璧な、そして一切目が笑っていない、凍てつくような笑顔。

「あ、閣下……。い、いえ、これはその、資料の貸し借りの話を……」

「ほう。資料、か」

キース閣下は、私とジュリアン君が握り合っていた手(友情のシェイクハンド)を冷ややかに見下ろした。

「勤務中に『個人的な資料』の交換会とは、随分と余裕があるようだな」

「ヒッ……!」

ジュリアン君が青ざめて飛び退いた。

「も、申し訳ございません宰相閣下! すぐに業務に戻ります!」

彼は脱兎のごとく逃げ去っていった。

残されたのは私一人。

「……あー、その、閣下? 彼とはただの……」

「ただの?」

「趣味の話で盛り上がっていただけで……」

「……随分と親密そうだったな」

キース閣下は私をデスクと自分の体の間に閉じ込めた。

いわゆる「机ドン」だ。

逃げ場がない。

「手まで握り合って。……あんなひ弱な文官が好みか?」

「え?」

閣下の声に、棘がある。

そして、明らかに不機嫌だ。

私は瞬時に脳内コンピューターを稼働させた。

(なぜ怒っている? サボっていたから? いや、それだけじゃない。この不機嫌さは……嫉妬?)

嫉妬。

その単語が浮かんだ瞬間、私はハッとした。

(そうか! 閣下はジュリアン君のことが気になっていたんだわ!)

私のBL脳が弾き出した結論はこうだ。

1.キース閣下はジュリアン君(線の細い受けタイプ)に目をつけていた。
2.しかし、私が彼と親しく話しているのを見て、「俺の狙っている男に手を出すな」と嫉妬した。
3.つまり、閣下はジュリアン君を独占したいのだ!

「……なるほど、読めました」

私はポンと手を打った。

「閣下、ご安心ください。私と彼は、決してそういう関係ではありません」

「……当たり前だ」

「私たちはただの『同志』です。恋愛感情は皆無です。ですから、閣下の恋路を邪魔するつもりはありませんよ」

私はニッコリと微笑んで、親指を立てた。

「ジュリアン君なら、確かに可愛らしい顔立ちですし、閣下の『攻め』の気質とも相性がいいと思います。私、応援しますよ! 仲を取り持ちましょうか?」

「…………は?」

キース閣下の顔が凍りついた。

数秒の沈黙の後。

彼はゆっくりと眼鏡を外し、デスクに置いた。

そして、私の両頬を大きな手で挟んで、ぐいっと顔を近づけた。

「……アイビー」

「は、はい?」

「お前のその歪んだ脳みそを、一度解剖してみたいものだな」

「えっ、猟奇的!」

「誰が……誰が、あんな男に興味があると言った」

閣下の吐息がかかる距離。

アイスブルーの瞳が、怒りと、そして別の熱を帯びて私を射抜く。

「私が不愉快なのは、お前が……」

言いかけて、閣下は口を噤んだ。

そして、深いため息をつくと、私の額にコツンと自分の額を押し付けた。

「!?」

「……鈍感なのも罪だぞ、この馬鹿」

「か、閣下……?」

熱い。

額から伝わる熱が、体温が、ダイレクトに響く。

心臓が早鐘を打つ。

これは何のイベントだ?

お仕置き? それとも?

「……他の男と、あまり親しげにするな」

低い声で囁かれる。

「お前は私の部下だ。私の許可なく、他の男の手を握ることは許さん」

「そ、それは……業務命令ですか?」

「……そうだ。独占契約だと思え」

閣下はそう言うと、パッと私から離れた。

耳が、赤い。

間違いなく、真っ赤だ。

私は呆然と立ち尽くした。

(今の……何?)

独占契約。

他の男と親しくするな。

それを、あんな顔で、あんな声で。

私の脳内変換機能が、バグを起こしてショート寸前だ。

(えっ、待って。これって、もしかして……私のことを……?)

いやいやいや。

そんなはずはない。

相手はあの「氷の宰相」だ。

きっと、優秀な部下(便利な手駒)を他部署に引き抜かれるのを警戒しただけだろう。

そう、人材確保の一環だ。

「……さあ、仕事に戻れ。今日は残業だ」

キース閣下は眼鏡をかけ直し、いつもの冷徹な表情でデスクに戻っていった。

でも。

書類をめくる指先が少し震えているのを、私は見逃さなかった。

「……はい、閣下」

私は椅子に座り直した。

胸のドキドキが収まらない。

エリック殿下とルーカス様を見ている時の「萌え」とは違う、甘くて苦しい感覚。

(……調子が狂うわね)

私は自分の頬をパシパシと叩いた。

惑わされるな、私。

私は腐女子。観察者。壁の花。

主人公(ヒロイン)になるなんて、ガラじゃないんだから!

そう自分に言い聞かせるけれど。

視線の端に映るキース閣下の横顔が、いつもより格好良く見えてしまって、ペンが進まない午後のひとときだった。
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