婚約破棄されたので、心置きなく殿下×騎士を推します!

パリパリかぷちーの

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「……書類の提出が遅い」

「申し訳ございません、閣下」

「お茶がぬるい。淹れ直せ」

「直ちに」

翌日の宰相執務室は、シベリアのような寒さに包まれていた。

キース閣下は朝から不機嫌モード全開で、私に対して当たりが強い。

昨夜の「修羅場」――エリック殿下のプロポーズを閣下が阻止し、「この女は俺のものだ」と宣言したあの一件。

あれ以来、私たちはまともに会話をしていなかった。

(なんなのよ、もう……)

私は給湯室でポットにお湯を注ぎながら、ため息をついた。

あの後、殿下は閣下に凄まれてすごすごと退散し、私も「頭を冷やせ」と帰宅させられた。

そして今日。

閣下は何事もなかったかのように振る舞っているが、明らかに様子がおかしい。

目が合わないのだ。

私を見ようとせず、用事がある時も書類越しに指示を飛ばしてくるだけ。

(『俺のもの』宣言は、やっぱり弟への牽制だったのね。勢いで言っちゃって、今は後悔してるんだわ)

私は自分の中でそう結論づけた。

期待してはいけない。

傷つくのは自分だ。

私は「鋼のメンタルを持つ腐女子」の仮面を被り直し、冷めきらないお茶を持って執務室に戻った。

「失礼します。お茶をお持ちしました」

「……そこに置け」

閣下は視線を上げずに言った。

その時、ノックの音が響いた。

「入れ」

入ってきたのは、式部官だった。

「宰相閣下。隣国・ドラグーン帝国からの使節団が到着されました。謁見の間へご案内しております」

「分かった。すぐに行く」

閣下は立ち上がり、燕尾服の襟を正した。

そして、チラリと私を見た。

「アイビー。お前も来い」

「え? 私もですか?」

「記録係が必要だ。それに……」

閣下は少し言い淀んでから、そっぽを向いて付け足した。

「……私の目の届く範囲にいろ」

ボソリと言われたその言葉に、胸がトクリと跳ねる。

(またそうやって……! 無自覚タラシめ!)

私は顔が赤くなるのを必死に隠して、「イエッサー!」と敬礼した。



謁見の間。

豪奢な扉が開くと、そこにはすでに国王陛下とエリック殿下、そして護衛のルーカス様が並んでいた。

私たちも末席に控える。

「ドラグーン帝国使節団、入室!」

ファンファーレと共に現れたのは、息を呑むような美貌の二人組だった。

「お初にお目にかかります。ドラグーン帝国第二皇子、カイン・ドラグーンと申します」

先頭に立つのは、燃えるような赤髪と野性的な金色の瞳を持つ青年。

長身で、鍛え上げられた肉体が軍服の上からでも分かる。

「同じく、補佐官のアベルです」

その斜め後ろに控えるのは、対照的な銀髪の青年。

冷ややかな美貌と、どこか憂いを帯びた紫の瞳。

そして特筆すべきは、二人の距離感だ。

カイン皇子が堂々と胸を張って歩くのに対し、アベル補佐官は常に半歩下がって彼に従っている。

だが、その視線は常に皇子の背中に注がれ、皇子が少し躓きそうになった瞬間、アベルの手が素早く伸びて支えたのだ。

「……ッ!」

私の腐女子センサーが、けたたましいアラームを鳴らした。

(な、なにあれ……!)

私は懐からメモ帳を取り出し、速記を開始した。

(赤と銀! 野性×知性! しかも『皇子と従者』ではなく『皇子と補佐官』! 対等なようでいて主従、主従なようでいて……依存関係!?)

私のスランプは、一瞬で消し飛んだ。

乾いた大地に雨が降るように、新たな「萌え」が私の中に染み渡っていく。

「ようこそ、遠路はるばる」

エリック殿下が代表して挨拶に立つ。

「我が国との友好のため、心より歓迎する」

「感謝します、王太子殿下」

カイン皇子がニカッと笑い、握手を求めた。

その豪快な笑顔。

対して、エリック殿下の爽やかな王子様スマイル。

(うわぁ……画面が眩しい……イケメンの飽和状態……)

私がハァハァと荒い息を吐きながら観察していると、横から冷気が漂ってきた。

「……アイビー」

キース閣下だ。

氷点下の視線が、私を見下ろしている。

「お前、鼻の下が伸びているぞ」

「はっ! し、失礼しました。あまりに美しい兄弟愛に見惚れてしまいまして」

「兄弟?」

「ええ。あのお二人、顔立ちは違いますが骨格が似ています。恐らく異母兄弟か、あるいは血の繋がらない義兄弟……後者ならさらに燃えますね」

「……なぜお前は、そうやってすぐに男同士をくっつけたがる」

閣下は不機嫌そうに舌打ちをした。

「私の前で、他の男を品定めするなと言ったはずだが」

「えっ、これは品定めではなく『取材』です。仕事の一環です」

「私の仕事に、BL小説の執筆は含まれていない」

閣下は私の腕を掴み、グイと自分の方へ引き寄せた。

「きゃっ」

「……こっちを見ろ」

耳元で囁かれる。

「あんな野蛮な男たちより、私の方が……」

言いかけて、閣下はハッとしたように口を噤んだ。

そして、パッと私を離した。

「……なんでもない。記録を続けろ」

(え? 今、なんて言おうとしたの?)

『私の方がいい男だ』?

まさか。あのプライドの高い閣下が、そんな子供じみた張り合い方をするはずがない。

(聞き間違いね。きっと『私の方が地位が高い』とか言おうとしたのよ)

私は気を取り直して、再び使節団の方へ向き直った。

カイン皇子とエリック殿下が談笑している。

その背後で、アベル補佐官とルーカス様が視線を交わしていた。

無言の視線。

騎士と補佐官。

互いに「主を守る者」としてのシンパシーを感じているのだろうか。

(このクロスオーバーも美味しいわね……『忠誠』という名の鎖に繋がれた男たちの宴……ふふふ)

妄想が捗る。

その時だった。

私の視界の端で、アベル補佐官が奇妙な動きをした。

彼はエリック殿下の方を一瞬だけ見て、口元を歪めたのだ。

それは、獲物を狙う蛇のような、冷たく粘着質な笑みだった。

(……ん?)

違和感。

ただの友好的な視察団にしては、彼の視線には「熱」以外の何かが混じっている気がする。

『殺気』?

いや、もっとねっとりとした……『欲望』?

その夜。

歓迎の晩餐会が開かれた。

私はキース閣下のパートナーとして(当然のようにドレスアップさせられて)参加していた。

「おいしいですね、このお肉」

「食べ過ぎだ。コルセットが弾けるぞ」

「失礼な。これは余力を残しているんです」

閣下と軽口を叩きながらも、私の目は常にカイン皇子とアベル補佐官を追っていた。

彼らはエリック殿下のテーブルに招かれ、親しげに酒を酌み交わしている。

「エリック殿下は、噂通りの美丈夫でいらっしゃる」

アベル補佐官が、とろけるような声で言った。

「我が国の皇帝も、殿下のような『愛らしい』方を好まれますよ」

「ははは、それは光栄だね」

殿下は気づいていない。

「愛らしい」という言葉の響きに含まれた、不穏なニュアンスに。

(……怪しい)

私は一口サイズのパイを口に放り込みながら、目を細めた。

あの補佐官、完全に殿下を「ロックオン」している。

でも、その視線は政治的なものではなく、もっと個人的な……私の知っているジャンルに近い気がする。

「……閣下」

私は小声でキース閣下に話しかけた。

「あのアベル補佐官、少し変です」

「ほう? お前の『腐った目』にはどう映る?」

「殿下を見る目が、まるで『極上の食材』を見る料理人のようです。……あるいは、『新作のフィギュア』を手に入れたいコレクターの目」

キース閣下の表情から、ふっと笑みが消えた。

彼はグラスを揺らしながら、鋭い視線をアベルに向けた。

「……同感だ。我が国の諜報員からも、ドラグーン帝国の一部で『王族の誘拐』を企てている過激派がいるとの報告がある」

「誘拐……?」

「ああ。美しいものを剥製にして愛でるような、歪んだ趣味を持つ貴族がいるらしい」

ゾクリとした。

「それって、もしかして……」

「エリックが狙われている可能性がある。……アイビー」

閣下は私の手を取り、指先を強く握った。

「今夜は私の部屋に来い」

「へっ!?」

私は素っ頓狂な声を上げた。

周囲の視線が集まる。

「ご、誤解を招く発言はやめてください! なんで私が閣下の寝室に!?」

「作戦会議だ。……それとも、襲われるとでも期待したか?」

閣下は意地悪く笑った。

「ち、違います! 行きますよ! 行けばいいんでしょ!」

顔を真っ赤にして反論する私。

だが、この時の私はまだ知らなかった。

この「作戦会議」が、私の人生最大の危機(貞操的な意味でも、命的な意味でも)への入り口になるとは。

そして、アベル補佐官の魔の手が、予想よりも早く、深く、私たちに忍び寄っていることに――。
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