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「……アイビー。ハンカチは持ったか?」
「持ちました」
「鼻栓は?」
「そ、それは乙女としてどうかと思いますが……念のため予備も含めて三つ」
「よし。行くぞ」
快晴の王都。
王城の大聖堂は、国中から集まった貴族たちと、幸福な空気で満たされていた。
今日はエリック王太子殿下と、ミシェル・ローラン男爵令嬢の結婚式だ。
私はキース閣下のエスコートで、親族席(最前列)に座っていた。
「緊張するな……」
閣下が珍しく強張った声で呟く。
「あら、閣下が緊張ですか? 新郎の兄としてスピーチがあるから?」
「違う。……お前が興奮して卒倒しないか、心配で胃が痛いのだ」
「失礼な! 私だってTPOは弁えますよ!」
私はふん、と鼻を鳴らした。
今日の私は、閣下が選んでくれた淡いラベンダー色のドレス。
閣下も同色のクラバットを締め、完璧な「お揃いコーデ」だ。
(……まあ、内心はバクバクしてるけどね)
私は祭壇の方を見た。
そこには、純白のタキシードに身を包んだエリック殿下と、その斜め後ろに控える、礼服姿の近衛騎士団長・ルーカス様が並んで立っている。
(白と黒! 光と影! 主と従者! ああ、この並びだけで白飯三杯……!)
早くも鼻の奥がツンとする。
いけない、まだ新婦が入場していないのに。
パイプオルガンの音が響き渡る。
大扉が開き、純白のドレス姿のミシェル嬢が現れた。
「わぁ……」
会場から溜息が漏れる。
彼女は本当に天使のように可愛らしかった。
(ミシェル様……立派になって……)
私は師匠のような気持ちで涙ぐんだ。
彼女はバージンロードを歩き、エリック殿下の元へ。
殿下が手を差し伸べ、二人は祭壇の前へ進む。
神聖な儀式が始まった。
誓いの言葉、指輪の交換。
全てが順調に進んでいく。
「……美しいな」
閣下がポツリと呟く。
「ええ。お似合いの二人です」
「いや、お前の泣き顔がだ」
「へ?」
閣下は私の涙を指で拭った。
「感極まって泣くお前を見るのは悪くない。……鼻血でなければな」
「もう、雰囲気ぶち壊しですよ!」
私は赤くなって抗議した。
そして、式のクライマックス。
「それでは、誓いのキスを」
司祭様が告げる。
エリック殿下がミシェル嬢のベールを上げ、顔を近づける。
会場中の視線が二人の唇に集中する。
私もハンカチを握りしめ、その瞬間を見守った。
その時だった。
ピタリ。
殿下の動きが止まった。
「……ん?」
殿下の視線が、ミシェル嬢の唇ではなく、その背後――祭壇の脇に立っていたルーカス様に向けられたのだ。
「……ルーカス。襟元、曲がってるよ」
殿下はミシェル嬢を放置し(!)、くるりとルーカス様の方を向いた。
そして、自然な手つきでルーカス様の襟を直したのだ。
「えっ」
会場中が凍りついた。
「で、殿下!? 今、式の最中ですぞ!?」
ルーカス様が小声で慌てる。
しかし殿下はニッコリと笑った。
「だって気になったから。……よし、これで完璧だ。やっぱりルーカスは格好いいな」
「……はぁ、貴方という人は……」
ルーカス様は諦めたように溜息をつき、しかし殿下のネクタイの歪みを直してあげた。
「殿下こそ。……幸せになってくださいよ」
「うん。ルーカスもね」
二人の間に流れる、誰にも入り込めない空気。
見つめ合う瞳と瞳。
そして放置される新婦。
普通なら修羅場だ。
新婦が泣き出して式が中止になってもおかしくない。
だが。
「キャーッ! 尊いぃぃぃっ!!」
一番大きな歓声を上げたのは、新婦本人だった。
ミシェル嬢は頬を染め、両手を組んでうっとりと二人を見つめていた。
「見ましたか皆様! この信頼関係! 誓いのキスの直前に、お互いの身だしなみを整え合う主従! これぞ真の愛の儀式です!」
「……え?」
参列者たちがポカンとする中、私は限界を迎えていた。
ブワッ!!
視界が真っ赤に染まる。
「ぐふっ……!」
「アイビー!」
大量の鼻血が噴出した。
私の脳内許容量(キャパシティ)を超えたのだ。
公開結婚式での、まさかの公式イチャイチャ。
しかも新婦公認。
(神よ……この世界は……なんて優しいの……)
意識が遠のく。
床に崩れ落ちそうになった私を、キース閣下の腕がガッチリと支えた。
「ったく……予備の鼻栓を使えと言っただろう」
閣下は呆れ声で言いながら、私の鼻にハンカチを押し当てた。
「す、すみませ……あまりに刺激が強すぎて……」
「見ろ。周りがドン引きしているぞ」
「本望……です……」
私は朦朧としながら、祭壇の方を見た。
エリック殿下が「あ、ごめんミシェル。キス忘れてた」と笑い、ミシェル嬢が「いえ! 最高の余興でした!」と返している。
カオスだ。
でも、みんな笑っている。
「……やれやれ。弟の教育が足りなかったようだな」
キース閣下は苦笑し、私を抱き寄せたまま言った。
「アイビー。……私たちの式では、あんな真似はさせんぞ」
「え?」
「私はお前しか見ない。お前にも、私しか見させない」
閣下は周囲の視線など意に介さず、私の血まみれ(鼻血)の顔を覗き込んだ。
「誓いのキスの最中に他の男を見たら……その場で『お仕置き』だ」
「ひぃっ!? こ、公衆の面前で!?」
「ああ。……一生忘れられないほど、深く愛してやる」
閣下の瞳が、妖しく、熱く光る。
その迫力に、私の鼻血はさらに加速した。
「ちょ、閣下! タイム! 輸血が必要に!」
「安心しろ。私が支えてやる」
騒然とする大聖堂の中心で。
エリック殿下とミシェル嬢の幸せなキスと。
鼻血を出して倒れかける私と、それを支えて不敵に笑うキース閣下。
なんて騒がしくて、恥ずかしくて、最高に幸せな結婚式だろう。
(……ああ、やっぱり)
薄れゆく意識の中で、私は思った。
(この世界に転生……じゃなかった、生まれてきて本当によかった!)
私の悪役令嬢としての人生は、ここで一つのハッピーエンドを迎えた。
……はずだった。
だが、物語はまだ終わらない。
数年後、私が「宰相夫人」として、さらなる伝説(黒歴史)を作ることになるとは、この時の私はまだ知る由もなかったのである。
「持ちました」
「鼻栓は?」
「そ、それは乙女としてどうかと思いますが……念のため予備も含めて三つ」
「よし。行くぞ」
快晴の王都。
王城の大聖堂は、国中から集まった貴族たちと、幸福な空気で満たされていた。
今日はエリック王太子殿下と、ミシェル・ローラン男爵令嬢の結婚式だ。
私はキース閣下のエスコートで、親族席(最前列)に座っていた。
「緊張するな……」
閣下が珍しく強張った声で呟く。
「あら、閣下が緊張ですか? 新郎の兄としてスピーチがあるから?」
「違う。……お前が興奮して卒倒しないか、心配で胃が痛いのだ」
「失礼な! 私だってTPOは弁えますよ!」
私はふん、と鼻を鳴らした。
今日の私は、閣下が選んでくれた淡いラベンダー色のドレス。
閣下も同色のクラバットを締め、完璧な「お揃いコーデ」だ。
(……まあ、内心はバクバクしてるけどね)
私は祭壇の方を見た。
そこには、純白のタキシードに身を包んだエリック殿下と、その斜め後ろに控える、礼服姿の近衛騎士団長・ルーカス様が並んで立っている。
(白と黒! 光と影! 主と従者! ああ、この並びだけで白飯三杯……!)
早くも鼻の奥がツンとする。
いけない、まだ新婦が入場していないのに。
パイプオルガンの音が響き渡る。
大扉が開き、純白のドレス姿のミシェル嬢が現れた。
「わぁ……」
会場から溜息が漏れる。
彼女は本当に天使のように可愛らしかった。
(ミシェル様……立派になって……)
私は師匠のような気持ちで涙ぐんだ。
彼女はバージンロードを歩き、エリック殿下の元へ。
殿下が手を差し伸べ、二人は祭壇の前へ進む。
神聖な儀式が始まった。
誓いの言葉、指輪の交換。
全てが順調に進んでいく。
「……美しいな」
閣下がポツリと呟く。
「ええ。お似合いの二人です」
「いや、お前の泣き顔がだ」
「へ?」
閣下は私の涙を指で拭った。
「感極まって泣くお前を見るのは悪くない。……鼻血でなければな」
「もう、雰囲気ぶち壊しですよ!」
私は赤くなって抗議した。
そして、式のクライマックス。
「それでは、誓いのキスを」
司祭様が告げる。
エリック殿下がミシェル嬢のベールを上げ、顔を近づける。
会場中の視線が二人の唇に集中する。
私もハンカチを握りしめ、その瞬間を見守った。
その時だった。
ピタリ。
殿下の動きが止まった。
「……ん?」
殿下の視線が、ミシェル嬢の唇ではなく、その背後――祭壇の脇に立っていたルーカス様に向けられたのだ。
「……ルーカス。襟元、曲がってるよ」
殿下はミシェル嬢を放置し(!)、くるりとルーカス様の方を向いた。
そして、自然な手つきでルーカス様の襟を直したのだ。
「えっ」
会場中が凍りついた。
「で、殿下!? 今、式の最中ですぞ!?」
ルーカス様が小声で慌てる。
しかし殿下はニッコリと笑った。
「だって気になったから。……よし、これで完璧だ。やっぱりルーカスは格好いいな」
「……はぁ、貴方という人は……」
ルーカス様は諦めたように溜息をつき、しかし殿下のネクタイの歪みを直してあげた。
「殿下こそ。……幸せになってくださいよ」
「うん。ルーカスもね」
二人の間に流れる、誰にも入り込めない空気。
見つめ合う瞳と瞳。
そして放置される新婦。
普通なら修羅場だ。
新婦が泣き出して式が中止になってもおかしくない。
だが。
「キャーッ! 尊いぃぃぃっ!!」
一番大きな歓声を上げたのは、新婦本人だった。
ミシェル嬢は頬を染め、両手を組んでうっとりと二人を見つめていた。
「見ましたか皆様! この信頼関係! 誓いのキスの直前に、お互いの身だしなみを整え合う主従! これぞ真の愛の儀式です!」
「……え?」
参列者たちがポカンとする中、私は限界を迎えていた。
ブワッ!!
視界が真っ赤に染まる。
「ぐふっ……!」
「アイビー!」
大量の鼻血が噴出した。
私の脳内許容量(キャパシティ)を超えたのだ。
公開結婚式での、まさかの公式イチャイチャ。
しかも新婦公認。
(神よ……この世界は……なんて優しいの……)
意識が遠のく。
床に崩れ落ちそうになった私を、キース閣下の腕がガッチリと支えた。
「ったく……予備の鼻栓を使えと言っただろう」
閣下は呆れ声で言いながら、私の鼻にハンカチを押し当てた。
「す、すみませ……あまりに刺激が強すぎて……」
「見ろ。周りがドン引きしているぞ」
「本望……です……」
私は朦朧としながら、祭壇の方を見た。
エリック殿下が「あ、ごめんミシェル。キス忘れてた」と笑い、ミシェル嬢が「いえ! 最高の余興でした!」と返している。
カオスだ。
でも、みんな笑っている。
「……やれやれ。弟の教育が足りなかったようだな」
キース閣下は苦笑し、私を抱き寄せたまま言った。
「アイビー。……私たちの式では、あんな真似はさせんぞ」
「え?」
「私はお前しか見ない。お前にも、私しか見させない」
閣下は周囲の視線など意に介さず、私の血まみれ(鼻血)の顔を覗き込んだ。
「誓いのキスの最中に他の男を見たら……その場で『お仕置き』だ」
「ひぃっ!? こ、公衆の面前で!?」
「ああ。……一生忘れられないほど、深く愛してやる」
閣下の瞳が、妖しく、熱く光る。
その迫力に、私の鼻血はさらに加速した。
「ちょ、閣下! タイム! 輸血が必要に!」
「安心しろ。私が支えてやる」
騒然とする大聖堂の中心で。
エリック殿下とミシェル嬢の幸せなキスと。
鼻血を出して倒れかける私と、それを支えて不敵に笑うキース閣下。
なんて騒がしくて、恥ずかしくて、最高に幸せな結婚式だろう。
(……ああ、やっぱり)
薄れゆく意識の中で、私は思った。
(この世界に転生……じゃなかった、生まれてきて本当によかった!)
私の悪役令嬢としての人生は、ここで一つのハッピーエンドを迎えた。
……はずだった。
だが、物語はまだ終わらない。
数年後、私が「宰相夫人」として、さらなる伝説(黒歴史)を作ることになるとは、この時の私はまだ知る由もなかったのである。
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