悪役令嬢の婚約破棄計画~嫌われたくて罵倒していく〜

パリパリかぷちーの

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「汚いですわ」

私は白手袋をはめた指で窓枠をなぞり、そこに付着した埃――顕微鏡で見なければ分からないレベルの微粒子――を見せつけました。

「これは何ですの? 砂漠の砂嵐がここを通過したとでも言うのかしら?」

目の前には、王城のメイドたちを束ねるメイド長、マーサが立っています。

彼女は五十代のベテランで、背筋をピンと伸ばし、常に鉄仮面のような無表情を貫く「城の厳格な母」です。

普段なら誰もが恐縮する彼女に対し、私は真っ向から喧嘩を売りました。

「アミカブル様。そこは今朝、三回拭き掃除をいたしました。これ以上の清浄さは、手術室でも求められないかと存じますが」

マーサが眉一つ動かさずに反論します。

来ました。この反骨精神。

これです! 私が求めていたのは、この「理不尽な上司に対する正当な怒り」です!

「口答えをするのですか? 貴女の目は節穴? 私には、ここがゴミ溜めに見えますわ。ここで深呼吸をしたら肺が埃で埋まりそうで、息をするのも躊躇われます」

私はわざとらしくハンカチで鼻を押さえました。

「城の顔である窓がこの有様では、他国の賓客に笑われますわ。『ああ、この国の王族は埃と一緒に暮らすのが趣味なのか』とね!」

周囲に控えていた若いメイドたちが、屈辱に顔を歪めます。

いいぞ、もっと怒りなさい。

「掃除道具を持ってきなさい。今すぐ、私が『清掃とは何か』を教えて差し上げますわ!」

私はバケツと雑巾を用意させました。

そして、懐から昨晩徹夜で書き上げた(なぜ私は悪事のために努力してしまうのでしょう?)『アミカブル式・地獄の清掃マニュアル』を取り出しました。

バサッ!

分厚い紙束が床に落ちます。

「読みなさい。そして実行なさい。これから城中の全ての窓、床、壁、天井をこの手順で磨き上げるのです」

マーサがマニュアルを拾い上げ、パラパラとめくりました。

「……窓ガラスは四十五度の角度で、一定のリズムで拭き上げること。洗剤の希釈率は気温と湿度によって変えること。床のワックスがけは、自分の顔が映り込み、毛穴の数まで数えられるレベルにすること……」

マーサの声が震えました。

「アミカブル様……これは……正気ですか?」

「あら、できませんの? プロフェッショナルを自負する貴女たちが、この程度のこともできないと言うのなら、看板を下ろしてはいかが?」

私は冷たく笑いました。

「できないなら結構。全員、まとめてクビにして差し上げますわ」

決まりました。

パワハラ上司の常套句、「嫌なら辞めろ」。

これで彼女たちはプライドを傷つけられ、ストライキを起こすに違いありません。

さあ、雑巾を投げつけて出て行きなさい!

マーサはマニュアルを強く握りしめ、ゆっくりと顔を上げました。

その目には、メラメラとした炎が宿っていました。

「……舐めないでいただきたい」

「え?」

「我々は王城のメイド隊。国一番の奉仕者です。この程度の要求、こなせなくて何がプロですか!」

マーサが振り返り、若いメイドたちに号令をかけました。

「総員、聞いたわね! アミカブル様からの挑戦状よ! 私たちのプライドにかけて、このマニュアルを完璧に遂行しなさい!」

「「「イエス・マム!!」」」

軍隊のような返事が響き渡りました。

「えっ、ちょっと……」

私が止める間もなく、メイドたちは散開しました。

そして、そこから地獄――いいえ、奇跡が始まりました。

「角度四十五度! リズムよし! 拭き残しなし!」

「床磨き班、もっと腰を入れなさい! アミカブル様のドレスの裾が滑るように!」

「天井の四隅、埃一粒も見逃すな! ピンセットを使え!」

シュッシュッ! キュッキュッ!

凄まじい音が城中に響き渡ります。

メイドたちの動きは、まるで早送りを見ているかのよう。

彼女たちは鬼気迫る形相で、私の理不尽なマニュアルを忠実に、いや、それ以上の精度で実行していきます。

窓ガラスは透明すぎて存在感が消え、鳥が激突するレベルに。

床は鏡のように輝き、歩く自分のスカートの中が見えそうで怖くて歩けないレベルに。

壁のシミ一つ、指紋一つ残さない徹底ぶり。

「な、なんなんですの、これは……」

私は呆然と立ち尽くしました。

三時間後。

王城は、建てたばかりの新築物件のように――いや、発光する神殿のように生まれ変わっていました。

「ご報告いたします」

ボロボロになった雑巾を手にしたマーサが、私の前に跪きました。

その顔には、スポーツをした後のような爽やかな汗が光っています。

「全エリアの清掃、完了いたしました。アミカブル様、ご確認をお願いいたします」

「は、はい……」

私は恐る恐る廊下を見渡しました。

ピカピカです。

眩しいです。

物理的に目が痛いです。

「……合格、ですわね」

私が絞り出すように言うと、メイドたちから「ワアアアッ!」と歓声が上がりました。

「やったわ! あのアミカブル様に認められた!」

「私たち、限界を超えたのね!」

マーサが立ち上がり、私に深々と頭を下げました。

「アミカブル様。正直、最初は無理難題だと思いました。しかし、このマニュアル通りに動くと……不思議なことに、今まで落ちなかった汚れが嘘のように落ちるのです」

「へ?」

「効率的な動線、科学的な洗剤の配合、そして精神統一。このマニュアルは、単なる掃除の手順書ではありません。これは『清掃の哲学書』です!」

「ただの嫌がらせですけど!?」

「いいえ! 貴女様は、私たちが長年の慣れで手を抜いていた部分を見抜き、あえて高いハードルを課すことで、初心を思い出させてくださったのです!」

マーサが涙ぐみながら私の手を取りました。

「ありがとうございます、アミカブル様! 貴女様こそ、真の『掃除の神』です!」

「神じゃないです! 悪魔です!」

「皆さん! これからはアミカブル様を『清浄の女神』とお呼びしましょう!」

「「「清浄の女神バンザイ!!」」」

メイドたちが私を胴上げしようと迫ってきます。

「やめなさい! 私のドレスに触れるな! 手垢がつきますわよ!」

私が叫ぶと、メイドたちは「はっ! 確かに女神の御体に触れるには、まだ修行が足りません!」とパッと離れました。

助かりましたが、納得がいきません。

なぜ、私の悪意はすべて善意に変換されてしまうのでしょう。

この国の人間は、翻訳機能がバグっているのでしょうか?

その時、ピカピカの床を滑るようにして、フレデリック殿下がやってきました。

「うわあああ! 止まらない、止まらないよアミカ!」

ツルーーーッ!

殿下はフィギュアスケート選手のように滑りながら、私の目の前で見事に停止しました。

「すごいね、アミカ! 城が輝いているよ! 僕の心のように!」

「殿下、滑って転んで頭を打てばよかったのに」

「ははは、またまた照れ隠しを。実はね、父上……国王陛下が、この輝く城を見て驚かれてね。『誰の仕業だ』と」

「えっ」

私の心臓が跳ねました。

国王陛下。この国の最高権力者。

さすがに陛下なら、この異常事態を重く見て、私を叱責してくれるのではないでしょうか?

「ついに断罪の時が来ましたのね……!」

私は期待に胸を膨らませました。

「はい、すぐに陛下の元へ参りますわ!」

「え? ああ、うん。父上も君に会いたがっていたよ」

私はドレスの裾を翻し(床が滑るので慎重に)、国王の待つ謁見の間へと向かいました。

これで終わりです。

「城を勝手に改造した罪」「使用人を酷使した罪」「王子をいじめた罪」。

数々の罪状を突きつけられ、婚約破棄を言い渡される瞬間が、すぐそこまで来ています!

「ふふふ……やっと、やっと私の夢が叶いますわ!」

輝く廊下を進む私の背中を、メイドたちが「背中で語る女神……尊い……」と拝んでいることなど、今の私にはどうでもいいことでした。
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