断罪イベント? 待ちません!こちらから願い下げです!

パリパリかぷちーの

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 王立学園の裏庭にある、あまり手入れのされていない温室。

 そこは人目につきにくく、サボり魔の生徒や、あるいは人目を忍ぶカップルにとっては絶好の隠れ場所として知られている。

 私はその温室のガラス越しに、中で繰り広げられている茶番劇を冷ややかな目で見つめていた。

「ああ、ミナ。君はどうしてそんなに可憐なんだ。まるで朝露に濡れた白百合のようだ」

 甘ったるい声が、少し開いた換気用の窓から漏れてくる。

 背中がゾワリとするのを必死に堪えながら、私は無表情を保つことに全力を注いだ。

 声の主は、この国の第二王子であり、私の婚約者でもあるジェラルド殿下だ。

 そして、その腕の中にすっぽりと収まり、上目遣いで彼を見つめている小柄な少女は、最近編入してきた男爵令嬢のミナ様である。

「ジェラルド様ぁ……そんなこと仰ったら、シャロ様が悲しまれますわ」

「シャロ? ふん、あんな可愛げのない女のことなど忘れさせてくれ。彼女はまるで精巧な自動人形(オートマタ)だ。笑いもしなければ、嫉妬もしない。僕が何をしても眉一つ動かさないんだぞ?」

「まあ、お可哀想なジェラルド様……。あたくしが、たくさん癒して差し上げますぅ」

「ミナ……!」

 二人の顔が近づき、世界がピンク色に染まっていくのが見えるようだ。

 私は持っていた扇子で、口元がニヤリと吊り上がるのを隠した。

(――勝った)

 心の中で、盛大なファンファーレが鳴り響く。

 悲しい? 悔しい?

 まさか。

 今の私の胸を満たしているのは、とてつもない達成感と、これから訪れるであろう自由への渇望だけだ。

 伯爵家の娘として生まれ、六歳の頃に王家の都合で決められた婚約。

 それ以来、厳しい王妃教育に明け暮れ、趣味の読書も睡眠時間も削られ、このナルシストで頭の中がお花畑な王子の機嫌を取り続けてきた十年間。

 それが今、終わりを告げようとしているのだ。

(浮気現場の確認、完了。証言者は私の他にも、あそこの茂みに潜んでいる新聞部の生徒がいるはず。言質も取れた)

 私は足音を忍ばせ、その場を静かに立ち去る。

 走り出したい衝動を抑えるのが大変だった。

 スキップをしたくなる足を叱咤し、あくまで優雅に、淑女としての歩調を崩さずに廊下を歩く。

 しかし、その脳内はスーパーコンピューター並みの速度で計算を弾き出していた。

(このまま彼らが愛を育んでくれれば、私は『真実の愛の邪魔者』として婚約破棄される可能性が高い。でも、それだと断罪イベントが発生して、最悪の場合は実家の取り潰しや、国外追放のリスクがあるわね)

 いわゆる「悪役令嬢」としての末路だ。

 それはあまりにも非合理的だし、面倒くさい。

 追放先で開拓生活なんて、虫も出るしお風呂も沸かせないだろうから絶対にお断りだ。

 私はふかふかのベッドで眠りたいし、最高級の茶葉で淹れた紅茶を飲みたいのだ。

(なら、どうするか。答えは簡単)

 先手必勝。

 相手から捨てられるのを待つのではなく、こちらから戦略的に、かつ平和的に切り捨てる。

 私は寮の自室に戻るなり、机の引き出しから最高級の羊皮紙を取り出した。

 インク壺の蓋を開け、ペン先にたっぷりとインクを含ませる。

「さて、と」

 さらさらと、ペンが走る音が静かな部屋に響く。

 書き出しは、極めて事務的に。

『婚約解消に関する合意書』

 なんて美しい響きだろうか。

 私は、ジェラルド殿下が言っていた「可愛げのない女」という評価を甘んじて受け入れるつもりだ。

 ええ、そうですとも。私は合理的で、可愛げがなくて、面倒なことが大嫌いな女です。

 だからこそ、貴方のような手のかかる物件は、喜んでミナ様に譲渡いたします。

(第一条、双方の性格の不一致及び、恋愛感情の欠如による友好的な婚約解消……と。慰謝料は請求しない。手切れ金代わりだと思えば安いものね)

 王家からの慰謝料など請求すれば、揉める原因になる。

 金銭よりも、時間が惜しい。

 一刻も早くこの不毛な関係を清算し、私は私の人生を取り戻すのだ。

(第二条、本合意書への署名をもって、即日婚約は無効となる……よし)

 書き上げた書類に目を通し、誤字脱字がないかを確認する。

 完璧だ。

 これまでの王妃教育で培った法律の知識が、こんなところで役に立つとは。

「お嬢様、何やら楽しそうでございますね」

 部屋に入ってきた専属侍女のマリーが、不思議そうな顔で私を見ていた。

 彼女には、私が王子との関係に冷めていることはバレている。

 それでも、ここまで晴れやかな顔をしているのは珍しいのだろう。

「ええ、マリー。とても楽しいわ。長年の便秘が解消したような気分よ」

「……お嬢様、たとえが淑女らしくありません」

「ごめんなさい。でも、本当にすっきりしたの。見て、これを」

 私は乾いたばかりの書類をマリーに見せつけた。

 マリーは目を丸くし、それから数秒で内容を理解すると、深いため息をついた。

「……本気でございますか?」

「本気も本気よ。明日の夜会、あの方が私をエスコートするために迎えに来るはずがないわ。きっとミナ様を連れてくるでしょうね」

「まあ、殿下ならやりかねませんわね」

「でしょう? そこで私がメソメソと泣くと思う?」

「いいえ。お嬢様なら、その隙に美味しいケーキを確保しに行かれるかと」

「正解。でも明日はもっと有意義なことをするわ。この書類に、殿下のサインをいただくの」

 私は書類を丁寧に折りたたみ、封筒に入れた。

 ジェラルド殿下は、細かい文字を読むのが大の苦手だ。

 そして何より、自分の思い通りに事が運んでいると錯覚している時は、警戒心が著しく低下する。

 明日、彼はきっと私に対して「君とはもう終わりだ!」とか何とか、格好をつけて言ってくるに違いない。

 そのタイミングこそが、最大の好機(チャンス)。

「『分かりました、殿下の仰る通りにします』と言ってこれを差し出せば、彼は中身も読まずにサインするわ」

「……恐ろしい方。殿下が少し不憫になってきました」

「自業自得よ。さあ、明日のドレスの準備をしてちょうだい。最高に動きやすくて、かつ『未練なんてこれっぽっちもありません』というような、凛とした色のドレスをね」

「かしこまりました。濃紺のシルクはいかがでしょう? お嬢様のプラチナブロンドが良く映えますし、何より汚れが目立ちません」

「最高ね。万が一、殿下がワインをこぼしてきても安心だわ」

 マリーがテキパキと準備を始めるのを横目に、私は窓の外を見上げた。

 空は突き抜けるような青空。

 私の未来も、きっとあのように晴れ渡っていることだろう。

 悪役令嬢としての断罪?

 国外追放?

 そんな陳腐なシナリオ、私が書き換えてやる。

 私は私のために、この婚約を破棄するのだから。

(待っていなさい、ジェラルド殿下。貴方が私を捨てるんじゃない。私が貴方を捨てるのよ)

 口元に浮かぶ笑みは、きっと今までで一番、悪役令嬢らしかったに違いない。

 こうして、私の華麗なる婚約破棄作戦は幕を開けたのだった。
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