断罪イベント? 待ちません!こちらから願い下げです!

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
2 / 28

2

しおりを挟む
 王宮の大広間は、むせ返るような香水の匂いと、上辺だけの笑い声で満ちていた。

 月に一度の夜会。

 貴族たちが己の権力を誇示し、腹の探り合いをする戦場だ。

 私は壁の花として、グラス片手に会場の隅に陣取っていた。

 今日のドレスは、マリーの見立て通り濃紺のシルク。

 装飾は控えめだが、その分、生地の光沢が美しく、周囲の煌びやかな令嬢たちの中で逆に異彩を放っている――らしい。

 さっきから数人の令息がチラチラとこちらを見ているが、私はそれどころではなかった。

(来たわね、本日の主役)

 入り口付近がざわつき、人垣が割れる。

 現れたのは、我が婚約者ジェラルド殿下。

 そしてその腕には、当然のようにミナ様がしがみついていた。

「まあ、あれは……」

「婚約者がいるのに、他の女性をエスコートするなんて」

「でも、シャロ様は冷酷な方だというし……殿下もお寂しいのでは?」

 周囲の囁き声が、さざ波のように広がる。

 噂好きの貴族たちにとっては、格好の餌だ。

 ジェラルド殿下は周囲の視線を「自分への称賛」と受け取っているのか、胸を張り、堂々とこちらへ歩いてくる。

 その顔には「見ていろ、今こそ真実の愛を貫く時だ」という決意が滲んでいた。

(顔が良いのが本当に腹立たしいわね。中身が残念すぎるけれど)

 私はグラスをウェイターに預け、扇子を閉じた。

 戦闘開始の合図だ。

 殿下が私の前で立ち止まる。

 ミナ様は私の顔を見ると、怯えるように殿下の背後に隠れた。

「シャロ。少し話がある」

 殿下が重々しく口を開く。

 周囲の音楽が止まり、静寂が訪れた。

 皆、固唾を飲んでこの修羅場を見守っている。

「ごきげんよう、殿下。それにミナ様も。奇遇ですね、私も殿下に大切なお話がありましたの」

 私はあくまで優雅に、微笑みを絶やさずに応じた。

「ほう? 君から僕に話だと? どうせまた、小言だろう。もっとシャンと歩けだの、書類は期限までに読めだの……僕は君のそういう口うるさいところが我慢ならないんだ!」

 いきなりの逆ギレである。

 まだ何も言っていないのに。

「ああ、怖い……。ジェラルド様、シャロ様が睨んでいますぅ」

「大丈夫だ、ミナ。僕が守る。……シャロ、君には失望したよ。ミナのような純粋な心を傷つけるなんて、君には人の心がないのか?」

 ミナ様の虚偽報告を鵜呑みにしているようだ。

 本来ならここで「誤解です」と弁明するか、あるいは涙を流してショックを受けるのが「婚約者」としての正しい反応だろう。

 だが、私はそのどちらも選ばない。

「人の心、ですか。ええ、私にもございますわ。だからこそ、殿下のそのお気持ちを尊重したいと考えております」

「……なに?」

「殿下はミナ様を愛していらっしゃる。違いますか?」

 単刀直入な問いに、殿下がたじろぐ。

 まさか私が直球を投げてくるとは思わなかったのだろう。

「あ、愛している! ミナこそが僕の運命の相手だ! 君のような冷たい女とは違う!」

「素晴らしい! おめでとうございます!」

 私はパチパチと拍手をした。

 あまりに明るい声を出したので、殿下もミナ様も、そして周囲の野次馬たちもぽかんとしている。

「で、殿下のおっしゃる通りですわ。私のような可愛げのない女は、殿下の隣にはふさわしくありません。真実の愛を見つけられたこと、心より祝福いたします」

「え……あ、ああ? わ、分かればいいんだ。君が反省しているなら……」

 殿下は毒気を抜かれたような顔をしている。

 彼の中のシナリオでは、私が泣いて縋り付くか、激昂してミナ様を罵る予定だったのだろう。

 だが、私は間髪入れずに懐から封筒を取り出した。

「つきましては、こちらの書類にサインをお願いできますか?」

「なんだこれは。反省文か?」

「似たようなものですわ。私たちの未来のための、前向きな合意書です。これを交わせば、殿下は晴れて自由の身。誰に気兼ねすることなく、ミナ様と愛を育むことができます」

「自由……! おお、なんて甘美な響きだ」

 殿下の目が輝いた。

 単純で助かる。

「さあ、こちらへ。ペンも用意してございます」

 私は近くのテーブルを指し示すと、流れるような動作でインク壺の蓋を開け、ペンを渡した。

 殿下は疑うことなくペンを受け取る。

「ジェラルド様、その……読まなくてよろしいのですか?」

 ミナ様が小声で囁くが、殿下は「ふん」と鼻を鳴らした。

「読むまでもない。シャロが僕のために書いた謝罪と、身を引くという誓約だろう。僕の寛大な心で、受け入れてやるのが男の度量というものさ」

(その通りです、殿下! 貴方のその、文章を読むのを極端に嫌う性格に、今ほど感謝したことはありません!)

 心の中でガッツポーズをする。

 殿下のペン先が紙に触れる。

 さらさらと、特徴的な筆跡でサインが記されていく。

 最後のハネが終わった瞬間、私は素早く書類を回収した。

 インクが乾くのを待つ間に、念のため確認する。

「ありがとうございます。確かに、ジェラルド殿下の署名であることを確認いたしました。これで手続きは完了です」

「うむ。苦しゅうない。……で、いつ実家に帰るんだ? ほとぼりが冷めるまで、領地で反省しているといい」

 殿下はまだ、状況を「私が謹慎する」程度にしか捉えていないらしい。

 私は丁寧に書類を封筒に戻し、満面の笑みを向けた。

「いいえ、殿下。反省などいたしませんわ。だって、これは『双方合意による婚約解消』ですもの」

「は?」

「本日、ただいまをもちまして、私シャロ・フォン・ベルグとジェラルド殿下の婚約は白紙となりました。これより私は自由な一貴族、殿下は……どうぞミナ様とお幸せに」

 私はスカートの裾をつまみ、完璧なカーテシーを披露した。

「え、ちょ、ちょっと待て。婚約解消? 僕がいつそんなことを許可した!」

「今です。たった今、ご自身でサインなさいましたよ?」

 ひらりと封筒を振ってみせる。

「あ、あれは反省文では……」

「『婚約解消に関する合意書』と一番上に大きく書いてございました。お読みにならなかったのですか? 王族たるもの、署名する書類の中身を確認しないなんて、ありえませんわよね?」

「ぐっ……!」

 殿下の顔が赤くなったり青くなったりと忙しい。

 図星だ。

 周囲からは「読まなかったのか……」「自業自得だな」「シャロ様、手際が良すぎる」といった声が漏れ聞こえる。

「そ、そんな詐欺みたいなこと、認められるか! 破棄だ、その書類は無効だ!」

 殿下が手を伸ばしてくるが、私はひらりと身をかわす。

「往生際が悪うございますよ、殿下。公衆の面前での署名です。ここにいる皆様が証人ですわ」

「くそっ、シャロ! 待て!」

「いいえ、待ちません。こちらから願い下げです!」

 私はきっぱりと言い放った。

 会場がどよめく。

 ずっと言いたかった言葉を口にした瞬間、私の心は羽根が生えたように軽くなった。

「では、私はこれで失礼いたします。明日からは赤の他人ですので、どうぞお気兼ねなく。ごきげんよう!」

 私は踵を返し、出口へと向かった。

 背後で殿下が何か叫んでいるが、雑音にしか聞こえない。

 ミナ様が「ジェラルド様ぁ、落ち着いてぇ」と甘い声を出しているのが聞こえる。

 お似合いだ。どうぞ末長く、二人だけでその世界に浸っていてほしい。

 颯爽と会場を後にしようとしたその時。

「ぷっ……くくく」

 誰かの、こらえきれないような笑い声が聞こえた。

 会場の入り口近く、ちょうど私が通り過ぎようとした柱の陰。

 そこに、一人の男性が立っていた。

 夜の闇を溶かしたような黒髪に、冷ややかな美貌を持つ男。

 この国の宰相、アレクセイ・フォン・クロイツ公爵だ。

 普段は「氷の宰相」と呼ばれ、笑顔一つ見せない鉄仮面のような彼が、肩を震わせて笑っていた。

(……え、何? 今のやり取り、見られてた?)

 目が合う。

 彼は笑いを噛み殺したような、なんとも言えない表情で私を見下ろした。

「……見事だ。これほど鮮やかな手際は、長年政務に携わっている私でも見たことがない」

「は、はあ。恐縮です」

「面白い。君のような女性が、まだこの国にいたとはな」

 アレクセイ様は、興味深そうに目を細めた。

 その瞳の奥にある光が、単なる面白がり方ではないような気がして、私は少しだけ背筋が寒くなるのを感じた。

(まさか、変な人に目をつけられたんじゃ……)

 関わらないのが吉だ。

 私は軽く会釈をし、逃げるようにその場を去った。

 だが、その時の私はまだ知らなかったのだ。

 この「氷の宰相」こそが、私の平穏なスローライフ計画を阻む、最大の障害(溺愛)になることを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冤罪で殺された聖女、生まれ変わって自由に生きる

みおな
恋愛
聖女。 女神から選ばれし、世界にたった一人の存在。 本来なら、誰からも尊ばれ大切に扱われる存在である聖女ルディアは、婚約者である王太子から冤罪をかけられ処刑されてしまう。 愛し子の死に、女神はルディアの時間を巻き戻す。 記憶を持ったまま聖女認定の前に戻ったルディアは、聖女にならず自由に生きる道を選択する。

女神様、もっと早く祝福が欲しかった。

しゃーりん
ファンタジー
アルーサル王国には、女神様からの祝福を授かる者がいる。…ごくたまに。 今回、授かったのは6歳の王女であり、血縁の判定ができる魔力だった。 女神様は国に役立つ魔力を授けてくれる。ということは、血縁が乱れてるってことか? 一人の倫理観が異常な男によって、国中の貴族が混乱するお話です。ご注意下さい。

【完結】元婚約者であって家族ではありません。もう赤の他人なんですよ?

つくも茄子
ファンタジー
私、ヘスティア・スタンリー公爵令嬢は今日長年の婚約者であったヴィラン・ヤルコポル伯爵子息と婚約解消をいたしました。理由?相手の不貞行為です。婿入りの分際で愛人を連れ込もうとしたのですから当然です。幼馴染で家族同然だった相手に裏切られてショックだというのに相手は斜め上の思考回路。は!?自分が次期公爵?何の冗談です?家から出て行かない?ここは私の家です!貴男はもう赤の他人なんです! 文句があるなら法廷で決着をつけようではありませんか! 結果は当然、公爵家の圧勝。ヤルコポル伯爵家は御家断絶で一家離散。主犯のヴィランは怪しい研究施設でモルモットとしいて短い生涯を終える……はずでした。なのに何故か薬の副作用で強靭化してしまった。化け物のような『力』を手にしたヴィランは王都を襲い私達一家もそのまま儚く……にはならなかった。 目を覚ましたら幼い自分の姿が……。 何故か十二歳に巻き戻っていたのです。 最悪な未来を回避するためにヴィランとの婚約解消を!と拳を握りしめるものの婚約は継続。仕方なくヴィランの再教育を伯爵家に依頼する事に。 そこから新たな事実が出てくるのですが……本当に婚約は解消できるのでしょうか? 他サイトにも公開中。

私は《悪役令嬢》の役を降りさせて頂きます

・めぐめぐ・
恋愛
公爵令嬢であるアンティローゼは、婚約者エリオットの想い人であるルシア伯爵令嬢に嫌がらせをしていたことが原因で婚約破棄され、彼に突き飛ばされた拍子に頭をぶつけて死んでしまった。 気が付くと闇の世界にいた。 そこで彼女は、不思議な男の声によってこの世界の真実を知る。 この世界が恋愛小説であり《読者》という存在の影響下にあることを。 そしてアンティローゼが《悪役令嬢》であり、彼女が《悪役令嬢》である限り、断罪され死ぬ運命から逃れることができないことを―― 全てを知った彼女は決意した。 「……もう、あなたたちの思惑には乗らない。私は、《悪役令嬢》の役を降りさせて頂くわ」 ※全12話 約15,000字。完結してるのでエタりません♪ ※よくある悪役令嬢設定です。 ※頭空っぽにして読んでね! ※ご都合主義です。 ※息抜きと勢いで書いた作品なので、生暖かく見守って頂けると嬉しいです(笑)

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

(完結)あなたの愛は諦めました (全5話)

青空一夏
恋愛
私はライラ・エト伯爵夫人と呼ばれるようになって3年経つ。子供は女の子が一人いる。子育てをナニーに任せっきりにする貴族も多いけれど、私は違う。はじめての子育ては夫と協力してしたかった。けれど、夫のエト伯爵は私の相談には全く乗ってくれない。彼は他人の相談に乗るので忙しいからよ。 これは自分の家庭を顧みず、他人にいい顔だけをしようとする男の末路を描いた作品です。 ショートショートの予定。 ゆるふわ設定。ご都合主義です。タグが増えるかもしれません。

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

乙女ゲームの正しい進め方

みおな
恋愛
 乙女ゲームの世界に転生しました。 目の前には、ヒロインや攻略対象たちがいます。  私はこの乙女ゲームが大好きでした。 心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。  だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。  彼らには幸せになってもらいたいですから。

処理中です...