【完結】亡国の王女と契約の指輪

シマセイ

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第二十話:最後の陽動と贖罪の剣

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盟約の日の太陽が、ゆっくりと、地平線へと傾いていく。
その光は、日中の輝きを失い、まるで血を洗い流したかのような、不気味なほどの、昏い茜色をしていた。

日食が、始まる。
天が、オルダスに、味方をする。
帝都の喧騒は、すでに、私たちの耳には届かなかった。
ただ、これから始まる戦いの、運命の足音だけが、静かに、しかし、確実に、響いていた。

宰相官邸は、獲物を待ち構える、巨大な蜘蛛のように、静まり返っている。
その屋敷の、すべての窓という窓には、分厚いカーテンが下ろされ、中の様子を窺い知ることはできない。
だが、その内側で、邪悪な儀式の準備が、着々と進められていることを、私は肌で感じていた。

その、静寂を、破ったのは、ジュリアンの、最後の一手だった。

「宰相閣下!オルダス卿に、申し上げます!」

官邸の正門に、帝国の正規軍である、近衛騎士団の一隊が、整然と姿を現した。
その先頭に立つのは、あの、高潔な騎士団総長。
彼は、皇帝陛下の名の下に、オルダスに対し、国家反逆罪の嫌疑による、査察の受け入れを、朗々と要求した。

オルダスの私兵団が、すぐさま、門の内側を固める。
一触即発の、睨み合い。
そこへ、追い打ちをかけるように、あの、辺境伯が、自らの手勢を引き連れて、姿を現した。

「オルダス卿!貴殿の、ギルドとの不明朗な金の流れについて、説明を求める!さもなくば、我ら、西部の諸侯は、貴殿への支持を、即刻、撤回する!」

ジュリアンが放った、二本の矢。
それは、オルダスの息の根を、直接、止めるためのものではない。
彼の意識を、兵力を、官邸の正面に、釘付けにするための、陽動。
そして、私が、彼の心臓部へと、忍び込むための、千載一遇の、好機を作り出すためのものだった。

「……行くぞ」

ジュリアンが、私に、合図を送る。
私たちは、官邸の裏手へと、回った。
正面の騒ぎのおかげで、こちらの警備は、明らかに、手薄になっている。

「セレスティナ」

塀を乗り越える直前、ジュリアンが、私の名前を呼んだ。

「決して、死ぬな」

その、あまりにも、真っ直ぐな言葉。
私は、ただ、こくりと、頷くことしかできなかった。
そして、私たちは、最後の戦場へと、身を躍らせた。

官邸の中は、異様な静けさに、包まれていた。
だが、その空気は、ビリビリと、邪悪な魔力で、満たされている。
心臓が、早鐘のように、鳴り響く。
儀式は、もう、始まっているのだ。
私は、この、禍々しい魔力の流れを、頼りに、官邸の奥へ、奥へと、進んでいった。

いくつかの、見回りの兵士と、すれ違う。
その度に、私は、柱の影に、闇に、息を殺して、溶け込んだ。
やがて、ひときわ、強い魔力を放つ、一つの、巨大な扉の前に、たどり着いた。
儀式の間は、この奥だ。

だが、その扉の前には、二人の、屈強な、近衛兵が、門番のように、立ちはだかっている。
彼らは、オルダスが、特別に選び抜いた、最強の番犬だろう。
私一人で、この二人を、突破することは、不可能に近い。
どうする。
私が、焦りに、唇を噛んだ、その時だった。

私の背後の闇が、揺らめいた。
そして、一人の番兵が、悲鳴を上げる間もなく、影の中へと、引きずり込まれる。
もう一人が、何事かと、振り向いた、その瞬間。
その後頭部に、一撃が、叩き込まれ、その巨体は、音もなく、床へと崩れ落ちた。

闇の中から、現れたのは、ジュリアンではない。
その姿を見て、私は、息を飲んだ。

「レオン……!」

そこに立っていたのは、ボロボロの服を纏い、その身に、いくつもの傷を負った、レオンハルトだった。
その瞳には、もう、かつての、迷いも、妄信も、ない。
あるのは、すべてを悟ってしまった者の、あまりにも、深い、絶望の色だった。

「姫……」

その声は、ひどく、かすれていた。

「あの後……倉庫で、オルダスの兵士を、捕らえ、すべてを、聞き出しました。俺は……俺は、なんて、愚かなことを……」

彼の目から、一筋の、涙が、こぼれ落ちる。

「もはや、あなたに、許しを乞う資格など、ありません。ですが、これだけは」

彼は、私に向かって、深く、深く、膝を折った。
それは、彼が、生涯をかけて、私に捧げた、騎士の礼。

「あなたの、騎士としての、最後の務めを、果たさせて、ください」

彼は、立ち上がると、私が、今、まさに、開けようとしていた、儀式の間の扉を、見据えた。
そして、彼は、私を守るように、その扉の前に、立ちはだかる。

「セレスティナ様!早く、中へ!オルダスを、お止めください!」

「レオン!」

「ここは、俺が、食い止めます!たとえ、この命に、代えてでも!」

彼の、贖罪の叫び。
もう、彼を、止めることは、誰にもできない。
涙が、溢れてくる。
だが、今は、悲しんでいる暇などない。
私は、彼の覚悟を、無駄には、しない。

「……ありがとう、レオン」

私は、彼に、ただ、一言だけ、伝えた。
そして、彼が開けてくれた、重い扉を、押し開ける。

儀式の間の、光景が、目に飛び込んできた。
部屋の中央には、禍々しい紫の光を放つ、祭壇。
その依り代となっているのは、紛れもなく、シルフィードの『大樹』から、折られた、聖なる枝だった。
そして、その祭壇の前に、オルダスが、立っていた。
日食は、もう、始まっている。
窓から差し込む光は、不気味な、夕闇の色をしていた。
部屋中に、渦巻く、邪悪な魔力が、私の肌を、焼く。

私が、部屋に、足を踏み入れたのを、見て、オルダスが、ゆっくりと、振り返った。
その顔には、すべてを、手に入れた者の、醜悪な、勝利の笑みが、浮かんでいる。

「……よく来たな、姫君」

その声は、もはや、人間のものとは思えなかった。

「お前が、自ら、この祭壇へ、やってくることも、計算のうちよ。さあ、始めようではないか。お前の、その若い生命を使って、我、永遠の王の、誕生の儀式をな!」

その背後で、レオンハルトの、叫び声と、剣の音が、聞こえる。
彼は、命を懸けて、私のための、時間を作ってくれている。

私は、左手の、指輪を、強く、握りしめた。
そして、目の前の、絶対的な悪を、まっすぐに、見据える。

最後の戦いが、今、始まる。
私の、命と、故郷と、そして、愛する人の未来を、賭けた、たった一人の、戦いが。
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